第48話 タイロンのホウホウ

「姉上がご迷惑をお掛け致しました……」


 アルカディメイアはゼフィリア領の島屋敷。

 温かな光が射し込む、お昼前の大広間。


 わたしの目の前には板間に正座し、深々と頭を下げるホウホウ殿。超礼儀正しいそのお詫びに、あわわとわたしも頭を下げ、


「いいいいえその、こちらこそと申しますか! じ、実はホウホウ殿のことを女性と勘違いしてまして、タイヘンなご無礼を……!」


 赤面したわたしが顔を上げると、


「はっは、俺が女だなどと。アンデュロメイア様は冗談が上手い」

「ううっ……」


 まさかと笑うホウホウ殿に、わたしは更に申し訳なくなりました。


 昨日、ホウホウ殿がホウホウ殿だと気付いたわたしは、「どうして教えてくれなかったのですかァん!!」とナノ先生に食ってかかったのですが、


『タイロンの男は女性顔負けの容姿をしていますが、服装はきちんと男性のものであった筈。それ以前に肉の質で気付かなかったのですか?』


 と、呆れたように切り返され、余計に凹んでしまったのです。


 ホウホウ殿との縁談話。思えば、わたしにもいけない部分があったのです。


 ナーダさんの講義がそうであったように、この世界の人間はバンバン発言しまくり積極的に参加するのが通常スタイル。それはわたしの講義でも同様で、ホウホウ殿は受講者の中でも率先して質問し、むしろ講義をリードしてくれる存在でした。


 わたしはそれが嬉しくて、あとホウホウ殿を同い年の女の子だと勘違いしていたので、講義後に話し込むなど、つい距離が近くなってしまったのです。はたから見たら、それは仲睦まじい二人に見えたでしょう。


 わたしが知らなかっただけで、アルカディメイアでは既に公認カップルのような扱いだったらしいのです。ナノ先生はそのことをタイロンの屋敷番から、ナーダさんはアーティナのお姉さんから聞いていたのだとか。


 そうそう、間に入ってくれたナーダさんにはいの一番に感謝を伝えたのですが、


『いいのよ、メイには慣らしに随分付き合ってもらったし、今日の喧嘩で手応えも掴んだの。次やったら負ける気がしないわね。まあ、フェンツァイにも色々あるんでしょうけど、それは私達には関係の無いことだし?』


 というカラッとしたお返事。その明るい声に、わたしはとても安心しました。


 おそらくですが、あれが本当のナーダさんなのだと思います。憑き物が落ちた、というのでしょうか。一人で絶対的な頂点を目指す必要は無い、という気負いが無くなったせいかもしれません。


 一通り反省したわたしの前、ホウホウ殿はかわいいお顔に眉根を寄せ、


「姉上は子供の頃から俺を婿にするなどと妄言を垂れ流す程のボケ突っ走った思考の持ち主でしたが。まさか他人様に、しかも島主に連なる者にそのような無礼を働いていようとは、露ほども思わず……」


 その苦悩に満ちた表情に、わたしは心底同情です。


 あー、フェンツァイさんのお脳がおピンク概念に染まりまくっているのは分かってましたが。更に超ブラコンとか、最早手遅れどころか終わってる方だったのですね……。


「とにかく、疲れるのです……」


 ホウホウ殿は昨日よりもずっと重いため息を吐き、言いました。


 その気苦労はとてもよく分かります。ホウホウ殿は島主のご子息で、当たり前ですがこの島には勉強をしに来ているのです。


 しかも、ホウホウ殿は昨日夕方までわたしの講義に参加し、そのまま海を見張りに行った訳でして。つまり二日間睡眠を摂っていない完徹状態。いくら男性の肉が強いといっても、やはり時間帯的な辛さがあるのでしょう。


 ホウホウ殿はずーんと暗いお声で、


「海から帰れば、やれお姉ちゃんのお料理はむはむだにゃんとか、やれお姉ちゃんとお風呂ですにゃんとか、やれお姉ちゃんが添い寝だにゃんとか。あの生物は俺を猫か何かと勘違いしているように思えてならんのです……」

「うぅわ、それは聞きたくなかった情報です」


 最低以下の想定外。その残酷な事実にわたしはドン引き。それ過保護通り過ぎて完璧に変態の域。


「いい歳ぶっこいて、何がにゃんにゃんはむはむか。まったく、あのダメ姉の頭は心底どうかしている」

「その認識は正しいかと思われます」

「やはり……」


 苦渋ッ!!というお顔のホウホウ殿に、わたしは全力で首肯。しかし残念ながら、それはタイロン女性の残念思考だけが原因ではないと、わたしには予想できてしまうのです。


 そんな訳で、ちょっと質問。


「つかぬことをお聞きしますが、その髪や着物はご自分で?」

「ああ、これもダメ上です。何でも、海に向かう男の嗜みだとかで、口うるさくてたまりません」


 超絶めんどくさそうなお顔で、ホウホウ殿は長い三つ編みをつまみ上げました。当然、わたしはその不機嫌かわいい仕草に目が釘付けに。


 ぐっじょぶ。ぐっじょぶですわよフェンツァイお姉さま。あなたの変態的な努力のおかげでホウホウ殿は今日もかわいいです。


「大体、タイロンの女衆は体面を気にし過ぎる。服なんぞ着なくとも、男は海で凍えたりせんのです」

「いえ、それはホウホウ殿というか、タイロンの男性がいけないと思います」

「俺等が……?」


 ホウホウ殿はわたしの指摘に、こてんと首を傾げます。はいかわいい。天然花丸印のかわいい、いただきました。


 そう、この生物もアーティナの男性と同じ、自分の容姿に無自覚なのです。


 ナノ先生から詳しく聞いた話によれば、タイロンの男性は女性的な特質が強いらしく、一定以上歳を取らないそうなのです。運動量や消耗など、極寒の地で獲得していった独自の体質なのかもしれません。


 そんなホウホウ殿のお歳はなんと十七歳。ちなみにレンセン殿は十八歳。世代的には二十歳のソーナお兄さんとそう変わらない、超立派な大人の男性だったのです。


 男性が幼いままで歳を取らなくなる島はタイロンの他にトーシンとディーヴァラーナ。トーシンのヤカさまのお声が高かったのは、ホウホウ殿と同じく少年期に成長が止まっていたからなのでしょう。


 そして、タイロンの男性が女性的なのは老いの面だけではありません。それは悶絶かわいいその容姿。わたし的にはこっちの方が超重要。


 わたしは対面に座るホウホウ殿のかわいさを改めて凝視し、堪能します。


 長い三つ編みにした艶のある白髪。

 白い肌に帯の位置が高いタイロンの着物。

 そして、左耳に付けた細長いはがねの飾り。


 女装というわけではなく、慣れればきっちり男性的に見え、それでいてかわいい髪型と服装。


 そして更にはその身体。


 女性のものではない、かと言って男性にもなりきれていない、未成熟で細い体付き。雪のように白い肌と、襟元から覗く鎖骨。


 なるほど新境地。ユンシュクさんではありませんが、きっとこれが新しい目覚めというものなのでしょう。わたしは心の中で鼻血。


 鼻血な心境のわたしを前に、ホウホウ殿は改めてその姿勢を正し、


「しかし、ご安心ください、アンデュロメイア様。あのダメなアレにはきつく言い聞かせておきました。ご褒美だなどと意味不明なことをのたまっていましたが、流石にもう同じことはせんでしょう」

「いえその、お手柔らかに……」


 わたしは両手で指をくるくるさせ、フェンツァイさんが羨ま心配になりました。


 そう、ホウホウ殿には才能があるのです。


 それはホウホウ殿があの時に見せた、あの瞳。キレッキレに冷え切った、人を蔑む眼差し。


 おそらくはフェンツァイさんとの触れ合い、そこから生まれた鬱屈が醸造されたものなのでしょう。ホウホウ殿は温厚なこの世界の男性にしてはめったにない、人を軽蔑し、責めることが出来る人間なのです。


 わたしは今まで肉体的な蔑視に晒され生きてきた人間ですが、あんなに冷たい瞳に出会ったのは初めてでした。あの眼差しに触れ、わたしが感じたのは恐怖だけではありません。


 それは甘く狂おしい、被虐的なド快感。


 あのきれいな紫の瞳に射すくめられるためなら、どんな醜態でも晒せる勇気が奮い起こってしまうのです。


 ダメダメのダメでゴミ以下の存在になり地面に這いつくばって雨に打たれガクガク震えそれでもこの人ならと最後の希望で助けを求めた所を無感動に打ち捨て去られたい、そんな欲望が湧き出てしまうのです。


 ホウホウ殿の瞳には人に禁断の扉を開かせる、背徳的な魅力が備わっているのです。


 その瞳がいざなうのは間違いなく昏い絶頂。ようこそあっち側の領域。鼻血。


 そんな訳で、一度でいいからホウホウ殿に怒られたいなーと期待しつつ、いえそれは絶対避けねばなりませんという相反する衝動があったりなかったり。だってわたしはまだ数えで七歳。新世界の住人になるには早過ぎると思うのです。


 ホウホウ殿は微妙に苦悩するわたしに、引き続き厳しい口調で、


「我々は学問をするため、ここに集まっているのです。他人の講義の妨げになるような行いなど言語道断。よく分からん軽挙妄動は慎み、目の前のことに集中せねばなりません」

「は、はい。その通りです……」


 距離を取るようなそのお言葉に、わたしは少し寂しくなりました。


 イーリアレは別枠として、わたしは歳の近いお友達が一人もいないのです。ゼフィリアにいる同年代の女の子たちとは普通に話せるようになったものの、それはあくまで島主として。ディラさんとシシーさんのような親しい間柄ではないように思うのです。


 アルカディメイアで知り合った人はナノ先生やナーダさんといった年上の女性ばかり。ホウホウ殿やレンセン殿との出会いは、初めて同年代の女の子のお友達が出来たようで、とても楽しく、嬉しかったのです。


 わたしの消沈した雰囲気を感じてくれたのでしょう、ホウホウ殿は心配したようなお声で、


「どうされましたか、アンデュロメイア様。もしや、お体の調子が? 申し訳ありません。ウッドんに聞いてはいたのですが、気が回りませんで」

「い、いえ、ホウホウ殿。何でもないのです」


 わたしは両手を振って大丈夫アピール。ていうか、ウッドん? なんですその喉越しよさそうな。あ、ヘイムウッドさんですか。


 しかしホウホウ殿の言う通り、ここはアルカディメイア。集中すべきは学問なのです。それに、これ以上ホウホウ殿にご心配をお掛けするわけにはまいりません。


 そこでわたしは、ふと気になっていたことがあるのを思い出しました。


「あの、ホウホウ殿は何故わたしの講義に参加されたのでしょうか? わたしの講義は喧嘩に使う石作りについてだと思われていたらしいのです。喧嘩に興味のない男性であるホウホウ殿が、どのような理由で?」

「は、その……」


 ホウホウ殿にしてはめずらしい、歯切れのよくないお返事。それからホウホウ殿はほんのり頬を染め、恥ずかしそうに俯きました。その表情、ごちそうさまです。即脳内保存。わたしは心の中で鼻血。


「食い物の加工など、最初は全く興味が無かったのです。ヤカっさんの薦めでも半信半疑でした。しかし……」


 お料理はゼフィリア発祥。ゼフィリアの姫は食材の分類、加工、その知識を潤沢に持つ人間。その姫が講義を開くとなれば、これはもう決まったも同然。


 つまり、ホウホウ殿はわたしの講義をお料理教室と勘違いした訳で、


「温かいものを口に入れたのは、生まれて初めてでした……」


 目を伏せ、口元を緩ませるホウホウ殿。


 タイロンは極寒の島。この世界の人間は寒さで凍えたりはしませんが、冷気自体は感じるのです。朝、海から戻った時に温かいものを胃に入れるのは、とても大きな喜びになったのだそうで。


「では、わたしの講義にガッカリされたのでは……」

「いいえ」


 わたしの懸念に、ホウホウ殿はふるふる首を振りました。その動きに合わせ、長い三つ編みもふるふる揺れて、ほわっちゃー! カワイイ! こんなことならお料理を研究課題に選べばよかったと、ちょっと後悔です!


「アンデュロメイア様。あなたの考えの先には、具体的な風景があるように思えました。人々が笑顔で料理を囲む、温かな時間。その時間を当たり前のものとしたい、その暮らしを広めたい。あなたの研究はその風景の根源、人の生き方を変えるものです」


 ホウホウ殿はその瞳を嬉しそうに細め、


「あなたは、明日を変えられる人間です」


 ホウホウ殿の口から語られる、ホウホウ殿の考え。それはわたしの研究に対する、この人なりの評価。


 ナーダさんが言った言葉。個人の消費から全体の消費を俯瞰できる人間はそう多くない。ホウホウ殿はその逆、総生産から個人の生活を想像できる人。


 そんなホウホウ殿のお話を聞いている内に、わたしの中にある感情が生まれました。


 わたしはこの人のことが知りたい。

 この人に、わたしのことを知ってもらいたい。


 この人ともっと色々なお話がしたい。

 この人が語る未来のお話を、もっと聞いていたい。


 この感情にどのような名前を付けたらいいのか分かりませんが、今この時、わたしは確かにそう思ったのです。


 腰巻を握り締める、わたしの両手。

 再び赤く染まっていく、わたしの肌。


「ホ、ホウホウ殿はどのようなお料理がお好きですか?」

「好物ですと、蒸したものでしょうか。あと、この季節ですと北東の潮に脂の乗った群れがいますので、それを刺し身で」

「さ、砂糖はかけたりしませんですか?」

「砂糖? いいえ、塩と島わさびで頂きます」


 その解答にわたしはほっとし、腰巻を握る手を緩めました。よかった、ホウホウ殿の味覚は正常のようです。


 わたしは右手を開いて蒸し魚のレシピをいくつか選び、それを込めた気込め石を作りだしました。そして、


「あああっあの、よよよろしければ、これを……」


 消え入りそうな声と共に、その石を差し出しました。


 震える指先。ほんの少しだけ触れる、白い肌。その手から感じた体温、熱。


 石を受け取ったホウホウ殿は、はて、と不思議なお顔で首を傾げています。


 その紫色の視線を避けるように俯き、わたしは必死になって感情を隠そうとしました。そんなわたしの意志に反し、わたしの身体はどんどん羞恥に染まっていきます。


 ううっ! ゼフィリアの服装は上半身がほぼ裸、恥ずかし防御に関してはノーガード! しかし、ここまできたらもう行くしかありません!


 わたしは思い切って顔を上げ、


「おおっおお恥ずかしい話ですが、わたしは泳げないのです! ホ、ホウホウ殿はヤカさまに近い鋭敏な感覚をお持ちのご様子! アルカディメイア近海の海産物、その旬の素材を教えていただければ、それに合った調理法を都度提示できるかと思います……!」

「は、いえ、それは流石に申し訳なく……」


 恐縮したようなホウホウ殿の様子に、わたしはほんの少しだけ余裕を取り戻しました。そして、わたしは体中から勇気を掻き集め、精一杯の笑顔で、


「ここはアルカディメイアで、そしてお料理は学問なのだそうです。学問でしたら、仕方のないことだと思うのです」


 わたしの言葉に、ホウホウ殿は石を持つ右手をほんの少しだけ、ぎゅっと握りました。


 それからホウホウ殿は超かわいく、それでいて男性らしい笑顔で、


「それは確かに、仕方のないことですね」


 すだれを通り抜けて入ってくる、潮の香りを含んだ風。

 遠く羽ばたく海鳥の鳴き声だけが聞こえる、静かな時間。


 タイロンのホウホウ。


 わたしがアルカディメイアで出会った、とてもすてきな男の人。


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