第49話 覇海のイオシウス(1)

「ご馳走様です」

「ごちそうさまでした」


 すだれの隙間から覗く、夜の夕闇。

 天井の火込め石が温かい光を灯す、そんな時間。


 島屋敷の大広間。空になったお皿を前に、ナノ先生とイーリアレがぺこりと頭を下げました。


「ふわー、ご馳走様でした……」


 続けて食事を終え、わたしもお辞儀。今日の夕食もとてもおいしく、満腹大満足です。


 わたしがまったりしながら気込め石でお口の汚れを分解していると、


「はー、おいしかったー。ごっそーさまー」


 ナノ先生の隣に座るお姉さんが正座を崩し、ダラーッとご馳走さま。そうそう、今日はナノ先生とイーリアレの他に、もう一人いるのです。


 ショートボブな銀髪と緑色の瞳。

 健康的な小麦色の肌に白い胸巻。


 短い腰巻からすらりと長い足を伸ばす、イケてるお姉さん。


 ゼフィリアのロシオンディラさん。


 ディラお姉さんはアルカディメイアの人にお風呂と肉のお手入れ指南をするため、エレクシシーさんと一緒にゼフィリアから派遣されたお姉さん。


 ディラさんとシシーさんのおかげで、わたしはひとつ認識を改めることが出来ました。それは、ゼフィリアという島の世界での評価。


 スナおじさまにドン尻ド底辺と聞いていたので、ゼフィリアの人はこの世界の人間として平均以下だと思っていたのですが、どうやらそれは大間違い。


 喧嘩は無敗。見た目はキラキラ。石作りの技術も抜群。ゼフィリアの女性はこの世界でもトップクラスのスペックを誇る、少数精鋭の最強集団だったのです。


 そしてディラさんとシシーさんはゼフィリアの最強戦力、その筆頭だそうで。


 アルカディメイアに来てから喧嘩は当然全勝。お風呂指南にお肉の手入れと、各島から引く手数多でゼフィリア領に殆ど帰って来れないほど大忙しな大活躍。


 ゼフィリアの女性はこんなに求められているのに、どうしてゼフィリア自体の序列が最下位なのか。


 アルカディメイアで評価されるには年間通して在籍し、研究記録や喧嘩の結果を残さなければなりません。ですが、ゼフィリアの人はナノ先生に色々教わったらすぐ島に帰ってしまうのだそうです。


 今のディラさんシシーさんの立場も屋敷番に近い臨時教員のようなものらしく、やはり序列に結びつかないもの。


「ふー、やっぱ食事はゼフィリアよねー! 他の島ヤッバい! 無理無理あんなーん!」


 わたしはぴーんと伸びをするディラさんを眺めながら、仕方がないですねーと色々諦めました。


 気質なのでしょう。基本のんびりのほほんな性格に加え、みなゼフィリアの暮らしに満足しているので、競争意識が皆無なのです。これこそゼフィリアが序列最下位の理由だったのですね……。


 そこでわたしはふと思い立ち、気になっていたことをディラさんに尋ねてみることにしました。そう、わたしは他の島独自のお料理をまだ食べたことがないのです。


「あの、ディラさん。どの島もまだお料理に慣れていないのでしょうか?」

「そーね、なんつーの? どしたらいーのか、まだ迷ってる感じー?」

「むーん、道は険しいのですねえ……」


 ここアルカディメイアは世界の島々から人が集まる場所。イーリアレと一緒に名物巡りとか出来たらなー、と常々思っていたのです。


 しかし、これもまた仕方ありません。ゼフィリア以外の島はお料理を知ってまだ半年も経っていないのですから。


「アーティナはダイジョブなんじゃーん? 牛の乳の油? あれで焼いた魚とかおいしーしー」


 ディラさんは興味無さそうに言うと、伸びをした勢いでぱたんと倒れ、大の字で寝そべってしまいました。隣でお片付けをしていたナノ先生が、眉をしかめてディラさんの食器をついでに消去。そして、


「あ、ナノ先生」


 疲れたように立ち上がったナノ先生を、わたしはつい呼び止めてしまいました。


 わたしがもう一つ気になっていたこと。それはナノ先生がお料理のことをどう思っているのか、未だによく分からないことなのです。ナノ先生はお料理に馴染めていないだけと思っていたのですが、もしかしたらそうではないのかもしれません。


 食前食後のアイサツはすれど、基本何を食べても無反応。


 ヤカさまのご依頼は別件として、ナノ先生はお料理の感想を言ってくれたことがないのです。


 お食事は人と人とが同じ時間を共有する場を作るもの。ですが、そもそもそれを不要と感じていたら、気に入っていただける理由がない訳で。いらないものはどんどん切り捨てていく、この世界の人は無駄なことを嫌うのです。


 シオノーおばあさんが特殊だっただけで、ナノ先生みたいな昔の人はお料理を認められないのかもしれません。


「……何か?」

「いえ、何でもありません……」


 わたしが言い出せずにいると、ナノ先生はそのまますだれをくぐり、自室へお戻りになりました。


 ナノ先生の背中を目で追いながら、わたしはちょっとしょんぼりです。ですが、これもやはり仕方のないこと。お食事は習慣で、どう感じるか、受け入れるかは個人の自由。切り替えねばなりません。


 さて、さっさとお風呂に入って明日の用意をせねば。そう思い、わたしが立ち上がろうとすると、


「あ、姫さま。今日はあたしもお風呂一緒すっからー」


 ディラさんがムクッと起き上がり、いつも通りのダラーッとした口調で、


「姫さまねー。あんた肉の使い方、下手過ぎー」







 さらさらな砂をさくさく踏む、小さな足音。

 茶色い砂浜にぽつぽつ残る、わたしの足跡。


 ちょっとくすぐったい砂の感覚を足の裏で確かめながら、わたしは波打ち際を歩きます。左を向けば、そこには静かに波打つアルカディメイアの海の姿。


 夕暮れの空が濃紺の海を少しずつ黒に染めていく、そんな時間。


 わたしは砂浜を振り返り、自分の足跡を確認しました。浜辺を往復し、行ったり来たりを繰り返す、小さな軌跡。出発地点には目印代わりに置いた、小さな白い布包み。


『多分さー、島にいた時はレイアさまが上手くやってたと思うんだけど、それが追い付かなくなっちゃってんだよこれー』


 昨晩のディラさんの用件。それはわたしの身体のことでした。


 ホウホウ殿とお話をしてからもう二ヶ月。アーティナ、タイロンを始め、様々な島から石作りのデータ、生産量と消費量、その数字が届き始めたのです。


 そのためわたしは講義の間隔を空け、データの整理に時間を当てることにしました。わたしの研究はまだ仮定とする部分が多く、数字の集積でその証明を行えるものが多いのです。


 聴講以外、島屋敷で机に張り付きっぱなしの毎日。


 ディラさんが言うには、今のわたしは超目が疲れている状態。更に、体を動かしていないので肉が固くなり始めている、とのこと。


『足ってのはね、心臓から一番遠い場所にあんの。心臓から足に送られた血を心臓に戻すために必要なんは、歩くこと。だーらね、ちゃんと歩いてちゃんと体動かさないと、ジョーブになるどころか弱くなる一方なんだかんねー』


 そう言って、ディラさんは昨晩わたしの体を全身くまなくマッサージしてくれたのです。


 ディラさんの言い付け、それは数時間毎に必ず休憩を取り、必ず運動する時間を設けること。そのために本島に連絡し、わたしが海に近寄る許可まで取ってくれたのです。


 そんな訳で、わたしは波打ち際ウォーキングを始めたのでした。


 修練場裏手の浜辺限定。必ず人の目の届く場所で行うこと。波にさらわれそうになったらすぐ風を纏うこと。という条件で、わたしは海に近付くことをようやく許されたのですね。


「ふー、運動時間終了です」


 開始地点ことゴールに到着し、わたしはその場に正座。持ってきた包みを開くと、そこには三つのお花の形。


 今朝、シオノーおばあさんから新しいお料理が形になったと連絡が入ったのです。それは頭の中の記憶のお寿司に近いお料理で、お魚のお刺し身をくるりと巻いてひと口で食べやすくしたもの。


 シオノーおばあさんはシンプルに「巻き」と名付けていました。


 作り方自体は物凄い単純で、お魚のお刺し身を巻いて花のような形にするだけ。頭の中の記憶では楊枝などを刺したりして形を整えるのですが、わたしたちには気込め石があるのです。


 巻いて止める部位の細胞を、気込め石で接合してしまうのですね。


 ひと口で食べやすい。見た目がきれい。勿論お味も最高。さすがシオノーおばあさんです。


 その巻きにイーリアレが早速挑戦し、わたしはそれをお弁当にともらってきた次第なのです。


「いただきます、イーリアレ」


 作ってくれた感謝と共に、わたしは巻きをいただきます。


 一つ目の白いお花は白身魚のお刺し身を巻き、塩わかめを包んだもの。塩わかめはお酢と油で和えてあり、さっぱりしていい感じです。


 二つ目のお花は赤身魚のお刺し身を巻き、みじん切りにした海老の身を包んだもの。花びらに模られたお刺し身の赤さが、ゼフィリアに咲く原色のお花を思い起こさせます。


 赤身の肉っぽさ、海老のうまあじ、味付けは塩とほんの少しの魚醤のみ。これは食べ飽きません。それにお母さまが大好きなお味です。


 わたしはお口をもぐもぐさせながら、海を眺めて潮の香りを吸い込みました。修練場裏手の浜辺とはいえ、お外で食べるお食事はピクニックみたいで楽しいですねー。


 二つ目を飲み込み、それでは最後の三つ目です。それは脂が乗ったトロのようなピンク色のお刺し身を巻き、蟹の身を包んだもの。


 しかも白い蟹の身の上にはイクラのような卵が乗せられ、これはもう間違いないやつです。


 いざ、と最後の取って置きに手を伸ばそうとして、わたしはふとその手を止めました。何でしょう、何かの気配というより、誰かの声が聞こえたような気がしたのです。


 わたしが砂浜で辺りをきょろきょろしていると、次第にその声が耳にはっきり届くようになりました。


「フハッ! フハハハハハッ!」


 それは笑い声。これ以上ないほど能天気で、それでいて力強い、男性の笑い声。


 その笑い声は、夜の彼方からやってきました。


「フハハハハハッ!」


 夕焼けに染まる空を仰ぎ、爆笑しながら海の上を歩いてくるその人物。


 ツンツンはねた金色の髪。

 ギラギラと輝く真紅の瞳。

 滑らかで張りのある、白い肌。


 橙色の着物はボロボロで、上半身がほぼ剥き出しになってしまっています。


 ソーナお兄さんとそう変わらない歳の、大人の男性。


「フハハハハハッ!」


 濃紺の水平線からこちらに向かい、ゴキゲンな様子で歩いてくるその人。


 その笑い声と表情に、わたしはピコーンと閃きました。アルカディメイアに来て様々な人と出会い、わたしのお脳にあるセンサーが搭載されたのです。


 それは変態センサー。


 フェンツァイさんやユンシュクさんとお知り合いになったことで、「この人はダメ」という判別が本能で可能になったのです。


 瞬時に悟ったわたしが最後の巻きを包み、お屋敷に戻ろうとすると、


「そなた! きらめいておるな!?」

「ひゃ、ひゃい?!」


 グワッと右手をかざす変態さんに、わたしは思わず返事をしてしまいました。砂浜で硬直するわたしに、変態さんはブワッと両手を広げ、


「よいぞ、娘! 回って見せい!」

「ふえ? あ、はい!」


 長い金髪と長い腰巻をふわりとたなびかせ、わたしはくるりと一回転。


 突然のことで混乱中なのですが、男性に容姿を褒められたのは生まれて初めてで、まんざらでもなかったりするのでした。


 わたしが再び海を向くと、既にその人は目の前に立っていました。筋肉。


 その変態さんは顎に手を当て、全力で不思議そうなお顔をして、


「ふむ、余の目が曇るとは。肉は脆弱、髪の艶もイマイチではないか」

「がーん!!」


 あまりの失礼な衝撃に、わたしはお弁当の包みを落としてしまいました。


 確かにわたしは発育が遅く、つるすとーんの痩せ型幼児体型! でででも、お母さま譲りのこの金髪をイマイチ呼ばわりされるなんて! ちょっとハネててわさわさしてますが、昨日だって髪だけはディラさんに褒められたのです!


 しかも褒めておいて後から貶すなんて! 嫌いです! この人は嫌いなのです!


 わたしがショックと恥ずかしさでふるふる震えていると、その変態さんは腕を組み、更に不思議そうに首を傾げ、


「娘よ、何故肉の切れ端を食う?」


 変態さんの視線を追い、わたしは、あっと大慌て。そこには包みが解け、あらわになった一つの巻きが。


 いけません! せっかくイーリアレが作ってくれたお料理を落としてしまうなんて! 気込め石で接合され形は崩れていないものの、なんて勿体ない!


 わたしが急いで包みを拾おうとすると、目の前でその巻きが消えました。


「え、あれ……?」

「ふむ」


 その声に顔を上げると、何故か変態さんの手に最後の巻きが。そして、


「ふむ」


 ぱくりと口に入れる変態さん。それからもぐもぐ咀嚼して、ごくり。わたしはその様にあっけに取られ、再硬直。


 砂浜を撫でるように吹いていく、アルカディメイアの海風。

 寄せては返す波の音だけが聞こえる、静かな時間。


 食べた……、食べちゃいました……。あのイクラの乗った間違いないやつを……。わたしが楽しみにしていた最後の巻きを……。


 強い者が弱い者から奪うなど絶対にあってはいけないこと。それがこの世界の当たり前。しかもこの人は超強い男性で、それなのに……。


「ふぎゃああ!」

「フハハハハハッ!」


 波打ち際に足を踏み入れ、わたしは変態さんに全力アタック。わたしの生まれて始めての暴力に、変態さんは両手を広げ無抵抗で全開うえるかむ状態。


 わたしはマジ泣きで力の限り腕を振り回しながら、


「ふぐー! 何なのですかあなたは! 人のものを盗るのはいけないことなのです!」


 すると、その変態シツレイ生物は喰ってかかったわたしを睥睨し、もんの凄い嬉しそうなお顔で、


「ほう、余の名を知らんとは! この大地に生きる者として、ぶっちゃけありえん程の大失格! しかし娘よ! 余の心は海より広くド寛容! 故に許す! 傾聴せい!」

「ふえっ!?」


 半裸のド変態さんがこの世の全てを包み込むように両腕を広げると、金色の光が砂浜に満ち溢れました。タイミングを計ったようにザザンと海が波打ち、何故か逆光に照らされ輝き始める剥き出しの上半身。変態。


 フレアのような光波を纏う黄金色の髪。

 ギラギラと熱を漲らせた真紅の瞳。


 その変態さんは右手の人差し指でビシリと天を差し、鋭利な牙が生え揃ったお口を大きく開けて、


「余の名はイオシウス!!」


 黄金の光に包まれたアルカディメイアの砂浜。

 雲ひとつない夕焼け空に響き渡る、常識破りな大音声。


「光栄に思うがよい!! 余のある所、夜は無い!! 余こそが唯一にして究極!! 貴様らに絶対の安寧と充足を与える、真の太陽である!!」


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