第55話 ミージュッシーとヘラネシュトラ(1)

「ジュッシー、彼女は肉が弱いの。あなたと喧嘩をしたら怪我をしてしまうかもしれないの、分かるでしょう?」

「勿論、分からなくってよ!」


 ホロデンシュタック領は島屋敷前の大広場。


 途方に暮れたわたしの目の前、ミージュッシーお姉さまに落ち着いた感じで言い聞かせている、黒い着物を着たお姉さま。ミージュッシーお姉さまのおほほ笑いを聞き付けたのか、島屋敷から人が出てきてくれたのです。


「ジュッシー、何処が分からないの?」

「あの子は肉が弱いのに、わたくしには勝てる気がしませんの! だから喧嘩を挑んだのですわ! それにあの子はリルウーダ様にそっくりで、何となくカッサンディナ様っぽい匂いがするのですわ! あのお二方はわたくしの目標! わたくしの超先生! よく分かりませんがそういうことでしてよ!」


 お二人のやりとりを聞き、わたしは驚きました。


 ミージュッシーお姉さまは上手く言葉で説明できないだけで、その勘の精度は相当高いもののようです。このお姉さまは完全直感型の脳筋なのですね。


「ジュッシー、この方は喧嘩より優先すべきことがあってここに来たの。それは分かる?」

「それは分かりましてよ!」


 その返答に、黒い着物のお姉さまはほっとしたようなお顔をして、それからわたしに向かい、会釈をし、


「申し訳ありませんでした、アンデュロメイア様。すぐここの者が迎えに参ります」

「あ……」


 黒い着物のお姉さまはミージュッシーお姉さまを促し、島屋敷に戻ってしまいました。


 声を掛けようと固まってしまったわたしに、隣に立つイーリアレが首を傾げ、


「どうされたのですか、ひめさま」

「イーリアレ……。いえ、何でもありません」


 あのお姉さまはわたしの講義にいつも参加してくれている喪服のような黒い着物集団、その中でもよくお顔を見る人だったので、お礼を言いたかったのです。


 わたしが残念していると、島屋敷からお二人と入れ替わりに人が出てきました。今度こそお迎えのようです。しかしその人のお顔を見て、わたしは、うっと後ずさり。


 ストレートロングな金髪と緑色の瞳。

 白い肌に胸巻きから長い布を垂らしたホロデンシュタックの装束。


 ナーダさんと同い年くらいの、そばかすがチャーミングなお姉さま。


 このお姉さまは確か、わたしがアルカディメイア初日の喧嘩でボコボコにしてしまった方の一人では……?


 緊張するわたしの前に立ち、そばかすのお姉さまはわたしの前でぺこりとお辞儀。それから、とても元気な笑顔で、


「改めまして! わたくし、ホロデンシュタックのスーディッティーと申しますの!」







 序列第六位、砂と鋼の島、ホロデンシュタック。


 アルカディメイアから遥か東にあるトーシン、そのトーシンの北東に位置するのがホロデンシュタックという島。


 面積はこの世界の島の中では中くらい。冬が長く、雪の多い気候。針葉樹林などの森林資源が豊富で、トーシンほどの勾配差は無いものの、大きな河川の流れる地形の島だそうです。


 この世界の人々はその生活に陸の資源を使うことを嫌いますが、ここホロデンシュタックだけは別。木の住居を作っているのはゼフィリア以外この島のみ。森と密接に関わるホロデンシュタックならではの生活習慣。


 森の動物を養い、物語を作るのが上手なメルヘンチックな島、のはずなのですが……。


「おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」


 木の温かみと石の清潔さが同居した、優しい空間。ホロデンシュタック領の大広間に響き渡る、元気でお上品な笑い声。


 わたしとイーリアレが正座している目の前、大広間の中心で腰に手を当て仁王立ちになり、おほほと笑うホロデンシュタックのスーディッティーさん。


 先ほどのミージュッシーさんもそうでしたが、これがホロデンシュタックの人の癖なのでしょうか。ゼフィリアのフラミンゴ立ち、アーティナの猫のような仕草と似たようなものなのかもしれません。


 笑い終えたスーディッティーさんはわたしとイーリアレの向かいにちょこんと正座し、元気一杯の笑顔で、


「それでは石作りの指南、お願いいたしますの!」

「え、あ、はい。こちらこそよろしくお願いいたします」


 ホロデンシュタックの人は勢いが凄いと言いますか、お母さまやタイロンの女性とは違う意味でマイペースで、話しづらいわけではないのですが、ちょっとテンポが難しいです。


 スーディッティーさんは引き気味のわたしに構わず、ゼフィリアに石作りの指南を要請した経緯を丁寧に話してくれました。どうやらホロデンシュタックでも浴場を作りたいそうで、そのために水込め石の生産数をどうしても上げたいのだとか。


 ホロデンシュタックは砂と鋼の島。ですが、島民にはスーディッティーさんのように水込め石を作れる人が多いのだとか。理由はタイロンやディーヴァラーナとの親密な交流によるもの。他島への嫁入りですね。


 ゼフィリアで砂込め石を作れる人はアーティナの血が濃い人。それと同様に、タイロンで砂込め石が作れる人はホロデンシュタックの血が濃い人なのでしょう。スーディッティーさんも砂込め石、水込め石、はがね石が作れるそうです。


 お風呂指南に訪れたシシーさんからわたしの作った生活用の石を受け取ってはいたものの、その石を見本としても同じような石が作れなかったそうなのです。


 事情を聞いたわたしはスーディッティーさんに、


「あのー、それでしたら、わたしの講義に参加していただければよかったのでは……」


 わたしの講義は見本も込みで、その口伝のやり方を丁寧に説明しているのです。


 もじもじしながら話すわたしを前に、スーディッティーさんは元気な笑顔で、


「初日にアンデュロメイア様に喧嘩で負け、石作りの技に感銘を受けまして! そのアンデュロメイア様が石作りの講義を持っていると聞き……」


 その拳を力強く握り締め、


「絶対参加しないようにしましたの!」

「どうしてそうなります?!」


 頭を抱え、わたしはがばっと床に突っ伏しました。スーディッティーさんは金髪の塊になったわたしを元気に見下ろし、


「自身で達してこそ、ではありませんか! 自分のことは自分で磨き上げるのが当たり前だからですの!」


 メンタリティ! わたしの講義の出席者が減っていた理由ってそういうのもあったんですか! そういえば、ホロデンシュタックの参加者は初回からずっとゼロ人! あー! こういう性格の人ばかりだとしたら、それは参加者ゼロ人も納得です!


 わたしは脱力しながら顔を上げ、


「スーディッティーさん、ちょっとわたしの言う通りに石を作ってみてくださいませんか?」


 わたしはスーディッティーさんの目の前で石の組成を説明し、またその作り方を人に伝える方法をお話しました。すると、


「なる…ほど、ですの……。つまり、こうですの?」

「ふえ? おおー!」


 右手にパッと水込め石を作り出すスーディッティーさんを見て、わたしは素直に驚嘆。スーディッティーさんの作り出した石は見事な飲用水の水込め石だったのです。


 刷り込まれた言葉を鵜呑みにしてそのまま出力出来るというのは、なかなか出来ることではありません。わるく言えばバカ正直なのですが、それが石作りにおいてここまでの長所になるとは思いませんでした。


 次いで、わたしはお風呂用の水込め石の作り方を説明。わたしの顔と自分の開いた右手を交互に眺めながら、スーディッティーさんは元気に頷き続けます。


「スーディッティーさん、次に櫛や爪研ぎ、鏡の機能を持ったはがね石の作り方なのですが……」

「お待ちになって。今、お風呂用に集中してますの」

「アッハイ」

「あと、ディッティーで構いません。わたくしもメイ様とお呼びしますの」

「え、あ、ありがとうございます」


 やはりホロデンシュタックの人は距離の縮め方が独特です。わたしがその勢いに戸惑っていると、ディッティーさんは突然ザッと立ち上がり、


「このやり方、素ッ晴らしいですの! 早速みなに伝えてきますの! 勢いで湯殿も作ってしまいますの!」


 言うやいなや、わたしたちの目の前からシュバッと姿を消してしまいました。筋肉。


「え、あ、えー……、と?」


 大広間に取り残され、わたしがその場できょろきょろしていると、ディッティーさんが出て行ったと思われる扉から人が現れました。大広間に入ってきたのは、先ほどの黒い着物を着たお姉さまです。


「ホロデンシュタックの人間は一度に一つしかものを考えられません。一つずつがよいでしょう」


 横に長い大きな食机を運びながら、そのお姉さまは言いました。食机の上には物凄い数のお料理の数々。この世界の人間だからこそ出来る、ダイナミックな配膳方法です。


 黒い着物のお姉さまはわたしたちの前に食机を下ろし、柔和な笑みで、


「昼食をご用意致しました。どうぞ、召し上がってください」







「ほいひいれふ! ほっへもほいひいれふ!」

「それは何よりです」


 木の食机の上に並ぶ、色取り取りの様々なお料理。黒い着物のお姉さまの持ってきたくださった昼食を、わたしとイーリアレはありがたく頂戴しました。


 顔面下半分が崩壊しそうなほどお口にお料理を詰め込んでいるイーリアレの隣、わたしはご満悦で焼き魚にかぶり付きます。


 ただの焼き魚ではありません。なんとこの焼き魚には衣が付いているのです!


 おそらくコーンスターチのような粉と砕いた木の実をまぶし、油でさっと焼いたのでしょう。ザクッとした歯ごたえが何ともたまりません。


 焼き魚を食べ終え、わたしはもう一度食机の上を眺め回します。


 どのお料理もきれいでおいしそうで、目移りしてしまいます。だってこのお食事は頭の中の記憶のものと遜色ない出来栄えのものばかり。ディラさんから他領のお食事は今ひとつと聞いていたのですが、これは嬉しい驚きです。


 そんなわたしが目を留めたのは、食べやすいように切り分けられた生春巻きのようなもの。断面の色鮮やかさから数種類の食材が巻き上げられているようで、これは間違いなさそうです。


 食机の向こう、お行儀よく正座していた黒い着物のお姉さまは、わたしの視線に気付いたのか、


「魚の身をすり潰し、練り、薄く伸ばしたもので食材を巻き上げました」

「なるほど、練り物の皮なのですね……!」


 ふむふむ、とわたしは頷きました。頭の中の記憶では、生春巻きはお米で作ったライスペーパーで巻くものだったと思いますが、その代用として、カマボコで作った皮のようです。


 黒い着物のお姉さまにオススメされ、わたしは付けダレに浸してから生春巻きをぱくり。


 まずひとつ目の中身は蟹。蟹の身はほどよく茹でてあり、歯ごたえも良好。続けてふたつ目。こちらの中身は海老のようですが、一緒にチーズがまかれていて、なんともまろやか且つ贅沢なお味です。


 海鮮の他に巻かれているのはおそらくレタスのような野菜。新鮮で楽しいシャクシャクとした食感。そして、特筆すべきはこの付けダレ。


 頭の中の記憶では生春巻きにスイートチリソースですが、この生春巻きの皮には魚の甘あじ、カマボコの風味が付いているのです。そのためなのか、この付けダレは甘さ控え目、ベースは醤だと思うのですが、何か香辛料が漬けてあるようです。


「付けダレは我々の体の組成から成分を逆算し、滋養になるものを選び配合しました」

「なるほろぉ……」


 そのお声を聞いて、わたしは思わずうっとりしてしまいました。この黒い着物のお姉さまはとてもきれいで落ち着く声音をしているのです。


 わたしは黒い着物のお姉さまのお声に夢見心地になりながら、生春巻きの続きを楽しみました。


 んーむ、とても複合的で形容が難しいお味です。山椒や陳皮のようなものを使っているのでしょうか。頭の中の記憶で言いますとタイ料理のようなエスニック系よりは、ベトナム料理の味付けがこういうものなのかもしれません。


「ご馳走さまでした」

「ごちそうさまでした」


 そんなこんなで、お食事を終えたわたしたちは黒い着物のお姉さまにペコリとお辞儀。


 味、食感、見た目。全てにおいて大満足。胃の容量的に食べられなかったものが少しあって心残りですが、それでも本当においしいお食事でした。イーリアレからも大満足な雰囲気を発しています。


「お口に合いましたか?」

「はい! とても!」

「それは何よりです」


 わたしの感想に、黒い着物のお姉さまは少し照れた様子で満足そうに微笑みました。わたしはいただいたお料理のおいしさに感激し、


「本当に素晴らしいものでした! ホロデンシュタックのお食事がこんなに凄いものだったなんて、わたし知りませんでした!」

「いえ、この料理は私が考案しました。それに、全ては覇海の御方のお力があってこそ。彼のお方は、弟達と共に食用に適する植物の使用法を考えてくだすったのです」

「え……?」


 黒い着物のお姉さま返答に、わたしは言葉を失いました。


 今食べたものは頭の中の記憶のものに近い完成度で、正にわたしが夢見てきた理想のお食事でした。焼き魚もわたしたちが作るような粗野なものでなく、ソテーのような上品な味付けだったのです。


 それに、わたしが驚いたのはその期間。


 フハハさんが各島の男衆と相談していたのは、ほんの一週間前のこと。設備や材料、環境が揃っていたとはいえ、シオノーおばあさんやお母さまが半年かかったもの、いえ、それ以上のものを、たった一週間で……?


 わたしが何も成果を出せなかった一週間で、この人は……。


「何か?」

「い、いえ……!」


 黒い着物のお姉さまのお声で、わたしは沈みかけた思考から引き戻されました。こんなにおいしいお食事を作るお姉さまに、失礼があってはいけません。それに、わたしはこの黒い着物のお姉さまにずっとお礼が言いたかったのです。


「あ、あの、よくわたしの講義に出席されてた方ですよね? いつもありがとうございます」


 わたしの切り出した話題に、黒い着物のお姉さまは、「はい」と答え、


「あなたの思想は我等が求めていた理想、そのものです」


 言いながら、黒い着物のお姉さまは左手に火込め石を作り出しました。


「そ、れは……」

「ゼフィリアのアンデュロメイア様、私はあなたを評価致します」


 言葉を失いかけたわたしの目の前、その石が灯す、青い炎。


 触れたものを燃やさず、青い光だけを灯す、照明用の石。出力は生活用らしく最小限。そして、耐用年数はアルカディメイアで見たものの中では最長、ひいお爺さまに迫るもの。


「申し遅れました。私の名はヘラネシュトラ」


 青磁のような白い肌に、腰巻の帯の位置が高く、胸巻の上から襟だけの布を巻いた黒い着物。

 毛先だけほんの少しウェーブがかかった、ミディアムショートの黒い髪。


 そして青い炎に照らされ魅惑的な光を放つ、血のように赤い瞳。


 その人は薄紅色の唇をきれいに動かし、


「ディーヴァラーナのヘラネシュトラです」


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