第107話 貴女が願う黄昏に(2)

「フハハハハハッ!!」


 夕空に響き渡るゴキゲンな高笑い。


 黒い大地の直上、中央中空に紫色の雷が走り、一人のアレがフハハと顕現。


 ツンツンバリバリに滾る紫色の髪。

 黒目に縁取られた赤い瞳孔。

 紫電を放ち光る筋肉。

 額に開く第三の瞳。


 ボロボロになった紫色の着物をはだけさせた、人の形をしたエネルギー体。


 覇海のイオシウス、フハハさんその人。人?


 石に集中しながら見上げ、気付く。あれはローゼンロール様と同じ御業。言うなれば、極紫化。フハハさんも自らの存在を石の力で書き換えた人だったのです。あれ人?


 フハハさんは上空からわたしたちを睥睨し、全てを包み込むように両手を広げ、


「娘達よ! よくぞ余の作りし島を砕いてみせた、褒めてつかわす! うむ、手間が省けて大変結構!」


 そして、その全身に圧倒的な力を漲らせながら、


「これなら予定を繰り上げても問題なかろう! よいぞ、ディレンジット! やってみせい!」

「うるせえ爺さんだ……」


 しかめたお顔を更にしかめさせ、ディレンジットさんは陸に向かい右手をかざしました。すると、右手の石に応えるよう、ディーヴァラーナを囲んでいた銀砂が渦を巻いて回転。どういう原理か分かりませんが、内部の陸を強大な力で固定し始めました。


 フハハさんは渦の中心、大地に向けて右手をかざし、


「仕上げだ」


 閃光と轟音。


 大地に降り注ぐ、一条の雷霆。


「ふにっ!?」

「きゃっ!!」


 体に叩き付けられたあまりの衝撃に、わたしとナーダさんの石が全て消滅。眩しい光に目をつむり、再び開くと、そこには緋色の海に浮かぶ黒い陸の姿がありました。


 ぱりぱりと電気を走らせる黒い地面。先ほどまでとは違う、土が息づくのを、わたしたちが日々を過ごす陸地の温かさを感じます。


 フハハさんはその大地の上にスタッと着地。姿の方は以前アルカディメイアで会った時と同じ、金髪に赤い目、白い肌に戻っています。


 ディレンジットさんも銀砂から陸へと上がり、


「やっと終わりやがった。全く、クソ面倒な役目だったぜ……」


 その場に腰を下ろし、ふうと息を吐きました。ディーヴァラーナの再構成、ここに完了のようです。


 しかし、まだわたしの役目は終わっていません。銀の砂から陸に下ろされたわたしは、体に残ったなけなしの気力を集め、


「レーナンディさん! シュトラお姉さまを!」

「はい! お願い致します!」


 レーナンディさんが運んできたシュトラお姉さまの傍らに膝を突き、わたしは石を生み出しました。水込め石で傷を洗い、次いで気込め石を展開。解析開始。


「メイ、どう?」

「はい、大丈夫です」


 ナーダさんとレーナンディさん、イーリアレが見守る中、わたしは確信。


 腹部を深く切断されていますが、体の機能には影響がないようで、これなら充分治せそうです。わたしたちの体は頭の中の人類とは構造が違う。お腹に臓器が無いのが救いとなりました。


 気込め石が傷の上に浮かび、白い肌を接ぎ始めると、


「あ、あ……。地面が、陸が……」

「シュトラ姉様!」


 シュトラお姉さまがうっすらと目を開けました。そしてわたしの背後に立つ、アレの気配。


 フハハさん。


「イオ…シウス様……」

「シュトラお姉さま、喋らないで……!」


 わたしの制止に構わず、シュトラお姉さまは震える右手をフハハさんに伸ばし、


「申し訳、ありません……」


 白い頬を伝わる、一筋の雫。


「私は、生き残るべきではなかったのです。あの日、この島で、死に絶えて当然の……」


 薄紅色の唇が漏らす、悔恨と懺悔。


「私は、生まれて来てはいけなかった……」


 生まれてごめんなさい。わたしもお母さまにそう謝ったことがありました。でも……、


「イオシウス様、私は……」

「すまぬ……」


 シュトラお姉さまを遮り、フハハさんが初めて口にする、苦し気な声。


「十年だ。そなたらの家族の弔いに、十年もかかってしまった。余は太陽ゆえ、ひとつところに留まれぬ。この身一つしかないことが、全く口惜しい。許せよ……」

「っ……」


 その言葉に見開かれる赤い双眼。ぱたりと落ちるシュトラお姉さまの右手。その時、


「シュトラ姉ちゃん」


 いつの間にか目の前に立っていた、黒い人影。フードの付いた黒い着物を羽織った、小さな男の子。わたしの前に初めて姿を見せた、おそらくディーヴァラーナの男衆。


 その男の子はフードから覗く小さな口で、


「お待たせ、もう大丈夫だよ。シウ爺ちゃんが手伝ってくれたんだ。海底に埋まってた母さん達も、南の潮に乗せてきた。爺ちゃん婆ちゃん、みんなと同じところに流れ着くよ」


 シュトラお姉様は、自分を覆う小さな影に顔を歪ませ、


「そ、んな……。あ、あなたたちは……」


 崖から吹き上げられる、冷たい海風。

 風でフードがめくれあらわになる、男の子の顔。


 輪光纏う黒髪に、宝石のような紅の瞳。

 白磁のように滑らかな肌と、均整の取れた顔立ち。


 男の子は目を細め、すっきり爽やかな笑顔で、


「モグラでいいよ。おかげで島が生き返る」


 この場の全員が言葉を失う、長い沈黙。


 訪れた静寂の中で受け取る、施術完了の手応え。わたしが石を消すと、レーナンディさんがシュトラお姉さまの左手を自分の頬に寄せ、


「シュトラ姉様。よかった、本当に……」

「レーナンディ……」


 わたしがその姿にほっとしていると、レーナンディさんに体を支えられ、シュトラお姉さまが半身を起こしました。


 それを見届けた男の子が、今度は眩しそうに大地を眺め、


「さて、大忙しだ」


 言った直後、崖下からわさっと森が現れました。


 比喩ではありません。沢山の木々や草、低木に花、鹿に熊に狼、いえ犬。あらゆる自然が男の子たちに担がれ、運ばれてきたのです。


 これが、この人たちの十年。この日のために、ディーヴァラーナの男衆は地下に陸の環境を保存していたのです。


 男の子たちは担いでいたものをどんどん地面に下ろし、それぞれの右手に石を纏わせました。すると、植物が地面に根付き、ぐんぐん葉を伸ばしていきます。


 お次は動物たち。短い下生えの上にぴょんと下り立ち、気持ち良さそうに走り回り、やがて島中に散開。あ、小さな生き物発見。あれは虫ですね。知識としては知っていましたが、生まれて初めて見たかもしれません。


 わたしたちが男衆の仕事に半ば唖然としていると、


「私、私は……」

「姉様……」

「うあっ、うぅ、うっ、ううう……」


 嗚咽を漏らし、顔を覆うことも忘れ、シュトラお姉さまは血のにじむ着物にぼたぼたと涙を落とし始めました。


 ディーヴァラーナの男衆は全てを知っていたのです。分かっていたから、その姿を隠していた。しかも、彼らは明日を見据えてずっと動いていたのです。


 男の子がもたらした許しは、間違ってしまったシュトラお姉さまにとって、死ぬよりずっと辛いことなのかもしれません。


 わたしが掛ける言葉を見付けられないでいると、


「シュトラお姉様、どうされたのですか?」

「シュトラお姉様!」


 ディーヴァラーナの年少さんが集まってきました。その中の一人、リンシャクティちゃんがわたしの傍に腰を下ろし、


「メイ様。一体何が起こったのですか? お空の島は陸になったのですか?」

「ええ、フハハさんやディレンジットさんのおかげです」

「なんと!」


 それを聞いた女の子たちは、「ふわわ、覇海の御方が!」「この方が銀海の!」と黄色い声を上げ、フハハさんとディレンジットさんにわちゃっと抱き付き始めました。


 えー、そういえばディーヴァラーナの女の子たちは他の島より五海候ファンクラブ運動が盛んなのでした。


 と、そこでわたしは思い付いたことがあり、抱き付き祭に参加したくてそわそわしているリンシャクティちゃんに、


「リンシャクティちゃん、ディーヴァラーナの予定は変更になりました。あなたたちがアルカディメイアに就学するのは先延ばしになります」

「え! そ、そんな……!」

「あなたたちにはそれよりも大事な役目が出来たのです。どうでしょう? この陸を、空にあった島よりずっときれいな景色に出来ますか?」


 わたしのお願いに、リンシャクティちゃんは一瞬停止。すぐにそのお顔をきらきら輝かせ、


「はい! お任せください! お姉様、参りましょう!」

「あ……」


 シュトラお姉さまを立ち上がらせ、夕陽に向かい歩き始めました。他の女の子もフハハさんたちを解放し、その後に続きます。


 年少さんたちに手を引かれ、抜け殻のようにふらふらと歩く、シュトラお姉さまの黒い背中。今は多分、笑えないでしょう。


 でも、きっといつか……。


 横を見ると、わたしの思いに同調したのか、レーナンディさんがにっこり笑ってくれました。


 フハハさんはわたしの背後、剥き出しのお胸をむんと反らし、


「ヘラネシュトラよ! ディーヴァラーナの娘達よ!」


 渾身の力を漲らせ、大地に遍く届くように、


「前を向け! 風と歌い、土の喜びを踏みしめ、太陽を追って歩くのだ!」


 雲ひとつない夕焼け空に響き渡る、常識破りな大音声。


「命とは! 光り輝く筋肉である!」


 星に根付いた土を歩く、人の姿。

 みるみる再生していく、自然の形。

 ディーヴァラーナ、二度目の再出発です。


「つっ……」


 わたしは忘れていた痛みを思い出し、視線を下げました。見れば、イーリアレがわたしの両腕を布で巻いてくれています。


「ありがとう、イーリアレ」

「はい、ひめさま」


 イーリアレが包帯を巻き終えると、フハハさんは眉根にシワを寄せた難しいお顔で、


「練磨の娘よ。そなた、知ったな」

「はい……」


 わたしは俯き、白と赤で斑になっていく包帯を見つめたまま、


「フハハさんは、どうしてわたしを生かしたのですか」


 わたしの問う、フハハさんがアルカディメイアの島屋敷に居座った理由。


 あの一週間でフハハさんがわたしに与えた、たくさんのもの。料理はわたしの肉にあわせた、わたしのための料理。あのおかしな石作りは、この世界の石作りをわたしに理解させるための特別授業。


 あれらは全てフハハさんなりに考え導き出した、弱い肉のわたしがこの世界で生きるための方法だったのです。


 でも、その行動はおかしなもの。極紫の命石を作り出し、その危険性を誰より知っているのはフハハさん本人であったはず。極紫のリスクを考えるならば、わたしのような人間はいない方がいい筈なのです。


 そう、おそらくこれがスナおじさまの懸念。スナおじさまがわたしのことをフハハさんに隠していた理由。


「何故、わたしを……」


 殺してしまわなかったのか。


 わたしの金髪を揺らす、冷たい風。

 包帯に滲み広がっていく、真っ赤な血液。


「アホウなガキだ」


 のそりと立ち上がり、吐き捨てるように言うディレンジットさん。そして、


「無駄なもんなんか無えんだよ」


 わたしたちに背を向け、崖の方に歩き始めました。ナーダさんが立ち上がり、その白い背中に向かい、


「ディレンジット、アーティナに近寄ったら必ず顔を出しなさい。甘味なら私がいくらでも作ってあげるわ」

「知らねえよ、殿下」


 ディレンジットさんが右手を挙げると、至銀のさだめ石が竜巻のような勢いで銀砂を吸い込み、島を囲んでいた砂が跡形もなく消え去りました。


 それから、ディレンジットさんはほんの少しだけ振り向き、


「俺は好きにやるさ」


 ひょいと崖を飛び降り海の上へ。銀海のディレンジットさんは夜を渡りに行ってしまいました。


 ディレンジットさんを見送ったナーダさんは、今度はレーナンディさんの方を向き、


「あなたもよ、レーナンディ。アーティナはあなたを歓迎するわ」

「勿体ないお言葉。ありがとうございます、セレナーダ殿下」


 お行儀よく膝を上げ、頭を下げるレーナンディさん。


 ナーダさんたちのやり取りが終わるのを待っていてくれたのか、フハハさんは改めてわたしを見下ろし、


「余は眩しいものが好きだ。命は眩しく輝かねばならん」


 それから、外見相応の青年らしい、とても優しい表情で、


「自ら輝きたいと願う者を、どうして見捨てられよう」


 こみ上げる。 


 わたしは痛む両手をぎゅっと握り、がくがくな膝に力を入れました。そして顎を引き、耳、肩、くるぶし、それらが一直線になるようぴしっと立ち上がり、


 フハハさんに向かい、ぺこりとお辞儀。


「ありがとうございます、イオシウスさん」


 顔を上げたわたしに、フハハさんはそのお口をカッと開き、


「うむ! 実に見事な立ちっぷりである! そなたはもう自らの力で前に進めよう! 人と並び、人を支え、存分に輝くがよい! そしてなんとなく! いい感じに主張せよ!」


 それから、犬歯を剥き出しにした極上の笑顔で、


「満喫せい! 許す!」


 両手を上げた眩いセクシーポーズでくるりと回れ右。崖から飛び下り、海に着水。筋肉。


 歩いていく。

 臆さず、迷わず、振り返らずに。

 太陽が沈む方向とは逆、夜の海へと。


 三千年の時を生き大地を守る、人の形をした太陽が。


 レーナンディさんの黒髪を、ナーダさんの金髪をなびかせ通り過ぎてゆく、冷たい風。夜の彼方から吹く風を受けながら、お二人はその背中をずっと眺めていました。


 傍に立つイーリアレの横顔、風に揺れる銀髪を見ながら、わたしは思います。


 お料理を始めて、石作りを覚えてからの二年を振り返り、分かったこと。この世界には本当にたくさんの人が生きているのです。


 それはきっと、当たり前のこ「フハハハハッ!」


 傍に居なくても、目が届かなくても、人はみな動いている。わたしのいないところでも、世界は動いているのです。だって、みんな生きてい「フハハハハハッ!」


 これからも、きっと今までと同じ。昨日と同じ今日を積み重ね、その度に新しいことを見付け、見失っていたことを思い出して、泣いて笑「フハハハハハハッ!」


 夕暮れのディーヴァラーナ。

 黒い断崖に囲まれた、北海の島。


 わたしは岬の先端によろよろと向かい、最後の力を振り絞って、


「空気読んでください!」


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