第110話 千風のヘクティナレイア(1)

 すだれを通り抜けて入ってくる、島の風。

 さわさわと葉を揺らす、緑の香る森の木々。


 蔵屋敷の蔵主の間。

 お役目と昼食を終えた午後の時間。


「蔵にあるものは、これで全部よ」

「ありがとうございます、ディナお姉さま」


 わたしが文机を前に資料を読んでいると、ディナお姉さまが向かいに正座し、机の上にじゃらじゃらと石を並べてくれました。


 わたしは早速かなめ石を生み出し、思考を高速化させて並列解読。


「……やはり、ゼフィリアの人は石に剋を持たせることをあまりしないようですね」

「そうね、ゼフィリアは石に組み合わせるものが大体決まっているもの」

「ゼフィリアにも石の組み合わせがあるのですか? それはどのような?」

「勿論、筋肉よ」


 聞くんじゃありませんでした。ですが、ディナお姉さまの脳筋発言は当たらずとも遠からず。ゼフィリアはアルカディメイアの主流と違い、得物でなく技を作るのに長けた集団なのです。


 今わたしが読んでいるのはゼフィリアの蔵に保管されていた喧嘩の指南書。当時は敬遠して目を通していなかったのですが、ディナお姉さまに助言をもらいつつ、わたし自身の意識と情報の更新を行っているのです。


 これは石作りと改めて向き合い、見直すための作業。


 ディーヴァラーナで思い知ったのですが、わたしにはあらゆる意味で経験が足りません。今後似たような事態に直面した時、同じ結果になってしまわないよう、相生相克を組み込んだやり方で石の情報密度を上げておかねばならないのです。


 しかし、残念ながらゼフィリアの技術は筋肉基本で、わたしには真似の出来ないものばかり。これはアルカディメイアのホロデンシュタック領にもう一度足を運び、性質代入法のパターンを学びなおす必要がありそうです。


 あらかた石を読み終わり、わたしがどうすべきか悩んでいると、


「この石は、メイが持っていた方がいいと思うの……」


 ディナお姉さまが机の上にはがね石を一つ置きました。それはお母さまが亡くなった時、その手に握られていたもの。つまり、お母さまが最後に作り出した石。


 わたしは鈍色に光るはがね石を前に、


「あの、わたしでいいのでしょうか?」

「ええ、私は槍を使えないし、エイシオノー達の槍はもうあるもの。作りとしてはトーシンの無刃に近いのかしら。見事なものね、流石お姉様だわ」

「そうですね。ですがこれはお母さまにしてはめずらしい、単機能な石のようですが……」

「そうなのよ。それにこの槍、何て言うのかしら、わざと未完成のまま仕上げられている気がするの」

「確かに……」


 ディナお姉さまの見立て通り、この石には何かが欠けている、わたしにもそう読めます。しかし、作り自体はゼフィリアの槍と大差がないようで、肉が弱く体が小さなわたしが扱えるものではないように思えますが……。


 そこまで考え、迷いを振り切り、


「分かりました」


 わたしには分不相応な石かもしれませんが、他でもないお母さまが遺したもの。ありがたく身に付けさせていただきます。


 わたしはお母さまの石を一旦両手で包み、胸巻に挟んでから、


「ディナお姉さま、翔屍体について聞きたいことがあるのですが」

「何かしら?」

「わたしが石作りを覚えてからの期間で構いません。お母さまが討伐に参加した回数を教えていただけませんか?」


 ディナお姉さまは俯き、少し視線をさ迷わせて、


「二回よ」

「二回……」

「ええ、料理を他島に広める際、ガナビアで参加したのが一度。そして、あなたがアルカディメイアに経ってすぐ、ヴァヌーツと協力し、私と一緒に出撃したのが一度」

「二回も……」


 この場所でスナおじさまに教えていただいたこと。通常、石は作れて日に一つか二つ。毎日などはとても作れない。


 更に、遠翔けは石を使い切る消費の激しい技。そんな石を作り続けていたら、言葉がいくらあっても足りるはずがありません。


 それでも、お母さまは石を作り続けたのです。翔屍体討伐に備えるため。それだけでなく、料理を他の島に広めるため、この世界の島々の連携を取るために。


「ごめんなさい、ディナお姉さま……」


 わたしは両手で腰巻を握り、傷だらけの腕に目を落としました。


 ゼフィリアの人には言葉を絞る効率の良い石作りが根付き、生活用水込め石などはお母さまも習得していました。だから、半ば安心しきっていたのです。


 わたしがもっとお母さまの作る石の数に気を付けていれば、もっとお母さまとお話しておけば、お母さまの言葉の消費に気付けたはずなのです。


 ディナお姉さまは、そんなわたしにふっと微笑み、


「レイアお姉様はね、安心してたわ」

「お母さまが、安心?」

「ええ」


 わたしが顔を上げると、ディナお姉さまは緑の瞳を柔らかく細め、


「あなたが一人前になって、自分の足で歩けるようになって。あなたがお姉様の手を離れたから。だから、レイアお姉様は全力で生きることができたのよ」


 それから、ゼフィリアの女らしい力強い笑顔で、


「そのことで、あなたが気に病む必要は無いわ」

「はい……」


 わたしは腰巻から両手を離し、腿の上で重ねました。


 気持ちの整理など、まだつきません。


 でも、わたしにはまだ知らねばならないことがあるのです。それはこれからのため、見据えておかねばならないこと。ですが……、


 わたしは迷い、意を決し、


「あの、もうひとついいでしょうか」

「ええ、勿論」

「翔屍体の処理を、男性に任せたことはあるのでしょうか?」


 わたしが問う、翔屍体の解決方法。


 わたしたち女性に困難なら、肉も石も強い男性に任せてしまえばいい。ソーナお兄さんやディレンジットさん、ヘイムウッドさんたち男性の石の性能を、わたしは知っているのです。技術的な見地からすれば、間違いなく可能。


 男性の石の能力は大規模で大雑把。わたしたち女性に使えば、おそらく跡形も残らない。処理方法としては最も効率的な方法であるはずなのです。


 しかしこの世界の倫理観からしてみれば、これはおぞましい思考。だからでしょう、ディナお姉さまはほんの少し唇を噛んでから、


「お爺様は、出来なかったと思うの。そういう性格の人ではなかったから……。でもお兄様は、分からないわ……」

「そう、ですか……」


 この世界の男性は人に対し決して暴力を振るいません。その暴力が行使されるのはシグドゥに対してのみ。


 もし、男性がそれを担ってくれたとして、問題はその男性の精神状態。一度一線を越えたら、そしてそれを日常的に続けるようになったら。そうなった時、その人は今までと同じでいられるのでしょうか。


 レンセン殿は言いました。ゼイデンさまやローゼンロールさまは陸に住む人間を自分の子供、孫のように思っていると。そんな人たちが、屍体とはいえ、女性の体を破壊してしまったら……。


 しかしスナおじさまならば、もしかしたらと思ったのです。全てを理解し飲み込んで、自分で業を背負うことを選んでいたかもしれません。


 静まりかえる蔵主の間。

 さわさわと葉擦れの音だけが聞こえる、長閑な時間。


「今日はどうするの?」


 暗い沈黙を断ち切るように、ディナお姉さまが机の上を片付け始め、言いました。


 ディナお姉さまが言っているのは、ここ数日蔵の裏で行っている翔屍体討伐の連携訓練。ディナお姉さまを風で浮かし、型を見ることで、討ち手の石の性能や体捌きを覚える。運び手としてのわたしの修練です。


 午後から行われる修練場の喧嘩も出来る限り見学しているのですが、複数人数を周辺視で捉え対応することは難しく、一朝一夕にはまいりません。


 しかしやはり重要なのは他人と呼吸を合わせること。肉が弱くとも、体で覚えることは沢山あるのです。これはわたしに一番足りない部分であるので、進んで取り組まねばなりません。


 しかし、


「すみません、ディナお姉さま。今日は夜まで仮眠を取ろうかと思うのです」

「お昼寝? 何故?」


 きょとんと首を傾げるディナお姉さまに、


「わたしは今夜、海に出向かなければなりません。そのために、アキリナさんに言伝を頼んでおいたのです」

「夜の海……? まさか……」


 わたしは頷き、青い瞳で真っ直ぐディナお姉さまと向き合いました。


 ディナお姉さまの視線の先。背後のすだれ、その向こう。横になっているのは蔵に務める小麦色のド筋肉。正直、男性同士のネットワークがどう働いているのか全く分かりません。なので、その人が来てくれる保証もありません。


 だからこれは、賭けのようなものなのです。


 そう、


「わたしには、どうしても確認せねばならないことがあるのです」


 今日はお母さまが亡くなって、丁度二週間。







 雲に隠れる月に見守られた、夜の海。

 本来女性がいるはずのない、禁忌の世界。


 ガナビア北西、とある海域。その上空。


 わたしはひとり夜の空に浮かびながら、ずっと待っていました。


 傍らには目印にと作った火込め石の灯り。そして、お酒や調味料の入った瓶が数個と、香水の入った小瓶。風で運べる限りの生活物資を携え、わたしはある人を待ち続けています。


 やがて雲が流れ、月が真円を描く頃。


「お待ちしていました」


 わたしの声が届いたのか、海の上、闇の中、一つの影が現れました。火込め石の灯りの下、昼の色を取り戻していく、暗い輪郭。


 凪いだ海面に波紋を広げ、一歩一歩こちらに近付いてくる、その人物。


 ボサボサの金髪に水色の瞳。

 白い肌に白い着物、黄色の帯。

 険のある目付きの三白眼。


 銀海のディレンジットさん。


 ディレンジットさんは海の上からこちらを見上げ、相変わらずの不機嫌そうなお声とお顔で、


「何の用だ。ゼフィリアの姫さんよ」


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