第33話 セレナーダとフェンツァイ(1)
「これは一体どういうことかしら!?」
その大きな声に驚き、ビクンと跳ねるわたしの身体。
振り返ると、夕陽を背に立つお姉さまが二人。
向かって左、大きな声を出したのはおそらくこちらの方。
ツーサイドアップにした長い金髪。
白い肌に勝気そうな緑色の瞳。
肌を覆う面積を最小限に抑えた胸巻と腰巻。
肩から白く長い布を引っ掛けた、アーティナ特有の服装。
なのですが、髪やお肌が荒れ気味です。歳の頃は海守のお姉さんたちと同じくらいでしょうか、既視感というか、どこかで見たことのある面影のお姉さまです。
向かって右、もう一人ははっきりと分かります。講義棟前でわたしを囲んだ、タイロンのお姉さまです。
「えう、えあ、ええと……?」
突然のことで事態をよく飲み込めないわたしが、石畳の上でビクビク脅えていると、
「ゼフィリアは使者もよこさず、血を分けたアーティナに対してこの態度。これはゼフィリアの総意と受け取って問題ないわね?!」
「あっ!!」
更に怒るそのお姉さまに、わたしは声を上げました。
お母さまです。
肌の色やその表情が違うので気付くのが遅くなりましたが、このお姉さまのお顔はお母さまそっくりなのです。
そして、そのお姉さまの言葉を頭の中で反芻し、理解して……。
わたしはきちっと正座しくるりと方向転換。石畳に額をこすりつけ深々と座礼、むしろ土下座。
そう、わたしは思い出したのです。
「すすっすすみませんもうしわけありませんでした! アーティナへアイサツに行くのをスコンと忘れてました! ははは初めましてゼフィリアのアンデュロメイアと申しますうう!」
そうですアーティナです! わたしはアーティナ領に行かねばならなかったのです! つまりこのお姉さまはリルウーダさまのご息女、セレナーダさん!
今日の昼食じゃありません、わたしはもっと大事なことを忘れていたのです! 体中からやっちゃったそしてもうダメですな冷や汗がぶわっと吹き出してきました!
「わきまえよ、アーティナの姫」
わたしがぶるぶる震えながら土下座していると、セレナーダさんの隣に立つお姉さまが口を開きました。わたしはほんのちょっと顔を上げ、タイロンのお姉さまをちらり。
短い白髪に紫色の瞳。
白い肌に襟や袖の意匠が太い、和服のような着物。
とても清潔感のある身だしなみのお姉さまなのですが、この人ほんとに女性です?
というのも、このお姉さまのお顔はイケメンとしか表現できないような感じなので、襟から少しお胸が見えているので、確かに女性だと思うのですが……。
サマザマナショックで混乱しているわたしの目の前、アーティナのセレナーダさんは今にも噛み付こうといわんばかりの形相で、
「はぁ?! フェンツァイ、横からなにかしら!?」
「弱い者は黙っているがよかろう」
フェンツァイと呼ばれたお姉さまのキッツイ物言いに、セレナーダさんのお顔がぎちりと歪み、真っ赤になっていきます。
爆発寸前のセレナーダさんとは対照的に、フェンツァイさんは落ち着いた様子で、
「ゼフィリアの姫よ。そなたが謝り、媚びへつらう必要などない。そなたは己の強さを証明したのだ。それが分からぬと言うなら、道理も解せぬ愚か者というだけよ」
「はああっ!?」
フェンツァイさんの挑発的な言い草に、セレナーダさんは最早プッツン寸前。そんなお二人に向かい、わたしは膝立ち半泣き大慌てで両手をぶんぶんさせ、
「けけけ喧嘩はやめてくだしゃい! お二人ともまずは落ち着いて! そう、お食事! ご馳走しますのでお食事でもいかがでしょう!?」
言ってしまって、あっと気付きます。
目の前にはプッツン通り越して無表情、人形のような目でわたしを見下ろすセレナーダさん。フェンツァイさんはその隣、ほんの少しだけ口元を緩めました。
そうですね、強き者は弱き者に与えて当然。この世界でご馳走しますというのは、つまりわたしはこの場で一番強いですよ、という意思表示な訳で……。
「ごめんなさいごめんなさいです! 謝意はあっても他意はないんです本当にごめんなさいです!」
ナチュラルに喧嘩を売ってしまったわたしは再び土下座へ。
わたしが石畳の上で「ごめんなさい」をリピートする金髪の塊になっていると、背後の島屋敷から人の気配を感じました。
その気配はわたしの背後に立ち、冷気を伴った恐ろしいお声で、
「一体何の騒ぎです」
アルカディメイアはゼフィリア領。
島屋敷の大広間。
向かい合って座るのは、左にアーティナ、右にタイロン。
ナノ先生はわたしの隣に正座し、その頭を深々と下げ、
「此度のことは屋敷番であるこの私の不手際。何卒、ご容赦賜りますようお願い申し上げます」
「申し訳ありませんでした……!」
続けて頭を下げ、わたしは心の中でナノ先生にもごめんなさいです。
そう、昨日アーティナ領に向かうと言ったのはわたしの方。ナノ先生が今日わたしを島屋敷から追い出したのは、アーティナ領へ向かわせるためでもあったのです。
それにわたしが気付かなかっただけで、イーリアレはちゃんとアーティナ領へ向かってくれていたのです。喧嘩でいっぱいいっぱいだったとはいえ、全てをスコンと忘れてしまった私がいけないのです。
顔を上げると、そこにはむすっとしたお顔のセレナーダさん。
セレナーダさんは去年からアルカディメイアに就学し、今年で二年目。わたし同様島主候補であるセレナーダさんは、アルカディメイア年度初めの講義を当然予定していたそうなのです。
ですが今年はリルウーダさまからのご命令通りその講義を中止し、昨日今日と二日間、わたしが来るのをアーティナ領でずーっと待っていてくれたらしく……。
わたしは腰巻を握り締め、深く反省しました。
もう二度とどうでもいいなんて思いません!
どうでもいいは封印、禁止です!
わたしの右隣、やっと頭を上げたナノ先生が、
「事はアーティナとゼフィリアの友好に関わる問題。姫様には通すべき筋をきちんと通していただきます」
言い終え、床の上に緑色の石を置きました。その石を見て、わたしの全身の血の気がサーッと引いていきます。
まさか、この石はまさか……。
「なにこれ、風込め石よね?」
首を傾げ、セレナーダさんがその石をつつくと、
『なんじゃ、メイよ。こっちは忙しいというに』
「お母様?!」
つついた石から声が出て、セレナーダさんが前のめりになって食い付きました。フェンツァイさんはというと、ずっと半眼だった目を少し開いたので、やっぱり驚いているようです。
ていうかやっぱり音飛び石! やっぱりリルウーダさま!
「ちょっと、これホントにお母様なの?」
と小声で聞いてくるセレナーダさんに、わたしは全力で首肯。
『聞こえとるぞ』
「すすすすみません、お母様!」
セレナーダさんが石に向かって頭を下げると、その石から、『よっこいしょ』とリルウーダさまのお声が聞こえ、
『セレナや、時間の無駄じゃ。これはこういう石だと理解せよ、よいな?』
「そんな訳で、アルカディメイアに着き次第アーティナを訪れるのを忘れてまして……」
石に向かって重ねて謝り、わたしは説明を終えました。すると、
『くっく、愉快。まこと愉快じゃ。頭でっかちの筋肉自慢が揃って駄肉に負けおったか』
リルウーダさまはめっちゃゴキゲンなご様子。途中、何度か石を叩く音がばんばん聞こえたので、相当面白がっているようです。
『誤算はメイの技がアルカディメイアに知れ渡ったことじゃが、なに、喧嘩で勝てるなら問題なかろう』
そして、リルウーダさまは石の向こう、はあとため息を吐き、
『しかし、セレナや。お前は何をやっとるんじゃ。ゼフィリアの面倒を見ろと伝えたはずじゃろうに』
その注意を聞いたセレナーダさんが、ばんと床板に手を突き、
「しかしお母様! 序列一位の島主候補である私が! 序列十位の島に出向けと仰るのですか!?」
『黙れ』
ぴしゃりと厳しいそのお言葉に、セレナーダさんはビクリと体を震わせ停止してしまいました。
『アーティナの誇りとお前の自尊心を履き違えるでないわ。儂はお前になんと言った。ゼフィリアの力になるよう立ち回れと伝えたはずじゃ。誰が小娘をつついてゼフィリアの弱みを握れと言った。アーティナの席巻なぞ誰も頼んどらん。ゼフィリアの失態とうそぶき、レイアを引っ張り出したかったか? レイアがお前に伏する姿でも見たいのか?』
「いいえ、決してそのような……」
顔を振り、思い詰めた様な表情になるセレナーダさん。
『寛容は強者の特権、強者の余裕じゃ。我々はアーティナぞ? それくらい許さんでどうする。くだらん序列なんぞ忘れてしまえ。虚栄のための競争など何も生みはせんわ。喧嘩にしてもそうじゃ。お前が矢面に立って肩代わりしとれば、こんな事態にはならなかったはず。違うか?』
「はい、申し訳ありませんでした……」
固い表情、揺れる瞳。
セレナーダさんは火が消えたように静まってしまいました。
石の向こう、リルウーダさまがひと呼吸置き、
『さて、メイよ。次はお前じゃ』
「ひゃい!」
リルウーダさまのお声に、わたしが背すじをしゃんとさせると、
『そもそもの原因は連絡を怠ったそなたの落ち度。何のための風込め石、何のための音飛び石じゃ。そなたは肉が弱く、その理解を得るのは難しかろう。しかし、だからこそ伝えねばならぬことはきちんと伝えねばならぬ。二度と同じ間違いを犯すでないぞ』
「はい、申し訳ありませんでした……」
全くもっておっしゃる通りなリルウーダさまのお言葉に、わたしは両手で腰巻をきつく握りしめました。
『しかし、今日のことはお主らアルカディメイアの、引いては儂らの落ち度でもある。セレナ、フィリニーナノ、主らには分からぬか?』
「は?」
何故私? というお顔のナノ先生に、リルウーダさまは続けます。
『ぶっちゃけ、儂らもつい先日まで気付かなんだ。いやはや、慣れというのは恐ろしいもんじゃのう。メイが体調を崩すのも無理は無い、大方それで行き倒れにでもなったのであろう』
そのお話を聞いたセレナーダさんとナノ先生は、
「行き倒れ? それでアーティナの島屋敷まで来れなかったの?」
「姫様、それならそうと、何故言ってくださらなかったのですか?」
「いえ、その……」
心配そうなお二人に囲まれ、わたしは口ごもってしまいました。うっすらとその原因は分かっていたのですが、ちょっと失礼といいますか、やっぱり言い難いのです。
わたしが口元をむにゃむにゃさせていると、石の向こうから、『はー、よっこらせ』という気の抜けたお声が。リルウーダさまが姿勢を変えたのかもしれません、そしてその直後、大広間にただならぬ雰囲気が立ち込め、
『セレナや、我々は変わるぞ』
石の向こうから聞こえる、威厳に満ちたお声。いえ、そのお声はめっちゃ幼いものなのであんまり偉そうに感じないのですが、重圧みたいなものがあったりなかったり。
その重圧を感じたのでしょう、ゴクリと唾を飲み込んだセレナーダさんが、
「お母様、それは一体……」
『今年度より、アーティナは二つの政策を執り行うこととなった。これにより、アーティナが長年抱える問題が解消されるかもしれん。メイはその先駆けのようなもの、うかうかしとると取り残されるやもしれんのう』
そのお話を聞き、セレナーダさんの緑色の瞳に強い光が灯りました。リルウーダさまはひと息入れ、
『浸透するかは分からんが、流石ゼフィリア、面白いことを考えよる。メイのおかげでアルカディメイアは壊滅状態じゃそうじゃが、くくっ、準備期間としては丁度よかろう。我々の取り組みは今年度のアルカディメイアに更なる変化をもたらすじゃろうて。のう、タイロンの姫よ。そなたも楽しんで学んでいかれよ』
突然向けられたリルウーダさまのそのお言葉に、フェンツァイさんははっきり両目を開きました。すぐさま両の拳を床に突き、石に向かい頭を下げ、
「私はタイロンの島主、シェンスンの娘、フェンツァイと申します」
『くっく、居留守はズルイのう』
「偉大なるアーティナの島主、双剋のリルウーダ様。どうか私めの姑息な振る舞いをお許しください」
『よい、許す』
フェンツァイさんが物凄く真面目なお顔を上げると、リルウーダさまは引き続き軽いのだか重いのだか分からないお声で、
『フィリニーナノ、そこにエイシオノーの息のかかった娘がおるな?』
「エイシオノーの? イーリアレのことでございましょうか」
リルウーダさまの問いに首を傾げるナノ先生。
『そうじゃ。百聞は一見にしかず。フィリニーナノ、こやつらに夕食を』
リルウーダさまのご指示にナノ先生は一瞬困惑したようなお顔をされ、すぐ立ち上がり、
「かしこまりました、リルウーダ様。それでは準備いたします」
すだれをめくり、厨房の方へ。
『……ふーっ、やっぱ音飛び石は便利で面白いのう』
という愉快そうなお声が聞こえると、大広間を包んでいた重圧が消えました。リルウーダさまは引き続き、めちゃんこ楽しそうな感じで、
『セレナや、そなたに示唆を与える。儂は酢漬けが気に入ったぞ』
「は? スヅケ?」
更に分からない、といったセレナーダさんの反応に、リルウーダさまは、『くくっ』と笑い、
『さて、休憩は終いじゃ。今年は例年よりも学ぶことが多い一年になるじゃろう、精進せいよ』
「ははははい、リルウーダさま! ありがとうございましたです!」
わたしたち三人は、石に向かって再度座礼しました。
通話終了。
大広間をドッと疲れた雰囲気が立ち込めます。顔を上げたわたしは、音飛び石の接続が切れているのを確認し、帯に挟みました。
しかし、リルウーダさまは何故フェンツァイさんのことが分かったのでしょうか。もしかしたら、裏技のようなものを見付けたのかもしれません。
わたしが心の中でリルウーダさまマジしゅごいしていると、厨房の方からお膳を持ったナノ先生が現れ、
「お待たせいたしました。こちらが本日の夕食となります」
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