第32話 アルカディメイアを知るために
「あなたはアホウですか」
アルカディメイアはゼフィリア領。
お昼過ぎの島屋敷。
大広間のド真ん中、わたしとイーリアレはしきりに頭を下げ、
「ううっ、申し訳ありません……!」
「もうしわけ、もうしわけありません」
アルカディメイア二日目。ひと晩経って冷静になったわたしは、とんでもないことをしてしまったと悶絶反省中なのでございます。
昨晩、夜になっても帰ってこないナノ先生を不思議に思っていたのですが、ナノ先生はわたしのしでかした不始末、その事後処理に奔走していたそうで。
まずはわたしが壊してしまった広場の石畳の修繕。それが終わった後は各島からの問い合わせの対応。あまりの忙しさにここゼフィリア領の島屋敷に戻ることも叶わず、昨晩は講義棟にお泊まり。
そして、夜が明けるとまた各島からの質問に継ぐ質問。その対応。
ナノ先生はわたしたちの対面、くたびれながらもきちんとした正座で、
「喧嘩の勝ち星、その数は申し分ありません。ええ、立派なものです。しかしまさか、子供一人の喧嘩でアルカディメイアが麻痺してしまうとは、思いもよりませんでした」
そう、ナノ先生が戻られる前、今日こそ真面目に講義を受けねばと、わたしたちは朝イチで看板前に向かったのです。しかし予定されていた講義が軒並み延期されていて、最早完全に休講状態。
年度初めは各島有力者の講義で始まるのがアルカディメイアの通例らしいのですが、昨日わたしがズタボロにしてしまった方々が正にそのご当人だそうで。そんな訳で、わたしたちはトボトボ島屋敷に帰ってきたのです。
ナノ先生は眉間にシワを寄せ、静かな圧を放ちながら、
「喧嘩に興味がない娘だと聞いてはいましたが、負けの認め方も知らぬ人間であったとは……」
「ううっ、申し訳ありません……!」
「もうしわけ、もうしわけありません」
座礼の姿勢で頭を下げ、ぷるぷる震え続けるイーリアレ。わたしはそんなイーリアレの背中を抱きしめ、
「イーリアレ、あなたは何もわるくないのです。大丈夫なのですよ」
喧嘩で役に立てなかったのがよほどショックだったのでしょう。イーリアレは昨日帰ってからずっとこんな感じなのです。
そう、昨日のことは全てわたしがいけなかったのです。
喧嘩の作法はとてもシンプル。地面に膝を突いたら負け。
ただ、それだけ。
つまり、降参するならさっさと地面に膝を突けばよかったのです。しかし、わたしはそれを知らず膝を突きませんでした。イーリアレはそれを続行と受け取り、わたしを守るために動いたのです。
つまり、喧嘩なんて自分とは無関係なものと、何も知らずにいたわたしがダメなのです。
ナノ先生はその青い瞳をキリッとさせ、わたしを睨み、
「よろしいですか?」
「ひゃい!!」
わたしはイーリアレの背から手を放し、背すじをピンとしゃっきり正座。
「昨日、姫様と喧嘩をした六つの島から連絡を預かって参りました」
とうとう来ましたお沙汰の時間。わたしの心臓はドッキンバクバク状態です。
この世界には犯罪がありません。しかしやはりわたしはいけないことをしてしまったと思うので、処分があるのは超当然なのです。
ド緊張しているわたしを前に、ナノ先生は一度頷き、
「駄肉かと思ったら違うじゃーん。それに、あんな石の使い方は初めてでとってもいい感じー。またよろしくネ? とのことです」
「どうしてそうなります!?」
頭を抱え、わたしはがばっと床に突っ伏しました。予想の斜め上どころか正反対ですそれ!
理解不能なわたしを前に、ナノ先生は何を今更といったお顔で、
「強い者は歓迎される。当然のことではありませんか」
ナノ先生がお話しする、各島の反応。
よく分からないけど凄い技をその身で体感出来たのは超嬉しいこと。みな口を揃えて「いいね!」の連続。
特にリフィーチのお二人はわたしが喧嘩未経験だと聞くと、「私達が強者を目覚めさせた!」と飛び上がって喜んだそうで。
イーリアレではありませんが、全くよく分かりません。
わたしが床に這いつくばり、唸るように悩んでいると、
「姫様はここをどのような場所であるとお考えですか?」
ナノ先生の質問にわたしは顔を上げ、
「え、その、蔵屋敷のようにみんなで集まってお勉強をするところかと……」
わたしの返答に、ナノ先生は難しいお顔をされ、
「確かに、ゼフィリアの人間から見れば、アルカディメイアは全ての人間に対し開かれているように見えるかもしれません。しかし、他の島では違います。アルカディメイアに出す学生を選別するため、厳しい試練を課す島もあるのです。アルカディメイアでの評価、それ即ち世界での評価。どの娘も、己が島の、その威信を背負う者達。姫様ならば、この意味がお分かりになりますね?」
「ひゃい……」
わたしはきちんと正座しなおし、再び反省。
ナノ先生のおっしゃる意味、ここアルカディメイアは世界中のエリートが集まる場所。
そう、当たり前のことだったのです。わたしと同じように、どの島もその序列のために必死なのです。
「私は伝えたはずです、姫様の肉は私の想像以上に弱いものであったと。石作りのウデマエを知らねば、あなたは猫より弱い駄肉にしか見えません。そんなあなたを認める訳にはいかない、同じ場所で学ぶには相応しくない。そう思う人間が出るのは火を見るより明らかでしょう」
「あう、あわわ……」
やはり、昨日のお姉さまたちのあの視線はそういうことだったのです。駄肉なわたしを同じ人間として認めたくないのは当たり前なのです。そう、エリート的に。
ナノ先生が同行を願い出てくれたのは、わたしを守るためだったのです。
と、そこで気になったことがあり、わたしはナノ先生に、
「ところでナノ先生。わたし以前にも猫より弱いと言われたことがあるのですが、ゼフィリアに猫はいなかったのです。アルカディメイアにはいるのでしょうか?」
「ええ、タイロンでは猫が、ディーヴァラーナでは犬が飼われております。人が近付くとお腹を見せるあいくるしい生き物なので、もし見かけたらふかふかの毛並みをさわさわするとよいでしょう」
「ふおおー……」
わたしがふおおーしていると、ナノ先生は調子を戻すようにこほんと咳払いをして、
「本題です。姫様がお相手された六つの島の者から要求がございます。その多くが、というか六つの島全てが、むしろその全員が、更には屋敷番までもが、姫様に対し喧嘩の申し入れを願い出て参りました」
その要求を聞き、わたしは膝立ちになり血相を変え、
「むむむ無理です無茶です! 昨日はその、どうでもいいやと思ってしまいやっちゃった次第でして!」
「何がどうでもいいものですか」
「おっしゃる通りでございましゅう!」
わたしは再び座礼。ナノ先生は床に広がる金髪の塊になったわたしを見下ろし、深いため息を吐き、
「承知しております。姫様の肉はここアルカディメイアの喧嘩三昧に耐えられるものではございません。以後、姫様に対する喧嘩の申し込みは遠慮してもらうよう、各島に伝えておきました」
「あああありがとうございます、ナノ先生!」
わたしは下げていた頭を床にこすりつけ、完全に平伏状態。
お昼過ぎの島屋敷。
大広間で土下座するわたしとイーリアレ。
そんなわたしたちに、ナノ先生は厳しいお声で、
「あなたは講義に出席する前に、このアルカディメイアという場所をもっとよく知るべきです。自分の足で歩き、その目でこの島を確かめてご覧なさい」
わたしとイーリアレは島屋敷をペイッと追い出されてしまいました。
しかし、ナノ先生の言うことは至極ごもっとも。これから一年はこのアルカディメイアで暮らさねばならないというのに、このままではいけません。
そんな訳で、再度決意を新たに出発したわたしは以下略であっさり力尽き、イーリアレに背負われアルカディメイアを散策している次第でございます。
「ひめさま、だいじょうぶですか」
「ひゃい、何とか……」
講義棟前広場から走る大通りの一本、石畳の上をすたすた歩いていくイーリアレ。その背に長い金色のくせっ毛を絡ませ、わたし既にダウン寸前。
ちぎれ雲が流れる青い空の下。
昨日と同じ、酷い臭いの湿った空気。
目の前にはイーリアレの銀髪。太陽の光をきらきらと反射し、光の輪が頭頂部を一周しています。
イーリアレは昨日あれだけボコボコにされ、頬や目の上や、体の至る所が腫れ上がっていた筈なのですが、ひと晩であっさり完治してしまったようで。流石この世界の人間、物凄い回復速度です。
しかし、
イーリアレはいつも通りの無表情なのですが、もしかしたらやせ我慢しているのかもしれません。わたしは心配になり、てくてく歩くイーリアレに、
「イーリアレも、体はらいりょうぶなのれしゅか?」
「もんだいありません」
「何処かおかひいと感じたら、ひょうじきに言うのれすよ?」
「ゼフィリアのおんなにまけはないのです。わたしがひめさまよりさきにひざをつくなど、あってはならないのです。わたしはもっとしょうじんせねばなりません」
何ということでしょう、イーリアレが沢山話しています。そしてその決心に、わたしは感じ入りました。そう、わたしたちにはへろへろしている暇など無いのです。
既に自分の足では歩けないわたしですが、このアルカディメイアを知るため、とにかく頑張らねばなりません。
わたしはイーリアレの銀髪から顔を上げ、
「見学を再開しまひょう。お願いしまふ、イーリアレ」
「はい、ひめさま」
小麦色の背中から周囲を見渡しました。
圧倒的な風景。視界一杯に広がる、アルカディメイア都市部の街並。
まず物凄いのがその交通量。屋根の上に空の上に、アルカディメイアに就学しているお姉さまたちがびゅんびゅん辺りを跳び交っているのです。筋肉。
あまりの混みっぷりに空中でぶつかってしまわないかと不安になるのですが、そこはこの世界の人間、超筋肉的運動神経でお互いをヒラリとかわし、何事もなかったかのように通り過ぎていきます。
もしぶつかってしまったとしても、
「おう、すまんの。余所見しとったわィ」
「気にしないで。それよりもあなた、いい肉ね」
「姉ちゃんもな、流石アーティナじゃ。どうや、今度喧嘩でも」
「ええ、喜んで。いつでもアーティナ領に来てちょうだい」
と、こんな感じ。
この世界の人間はその肉が強い分、痛みのレベルが低いのです。そもそもこの世界の人は怒るということをあまりしませんし。
あまりの目まぐるしさに、落ち着いて辺りを観察することが全くできません。目の前にいきなりお姉さまが着地しすぐ跳び立ったりして、その度にビクッと驚いてしまうのです。
忙しないのは人間だけでなく、街並み自体も同様です。
道の両側に建てられた各領の建物、その形が見る間に変わっていき、こちらもまた目まぐるしいのです。一瞬前と違う景色が一人で出歩いたら間違いなく迷ってしまうでしょう。
その殆どは砂込め石やはがね石で作られているようですが、中には水なのか氷なのか、見分けが付かないものもちらほら。
様々な様式、様々な意匠。用途は住居か、はたまたそれ自体が作品なのでしょうか。この世界にはそもそも貨幣経済が存在しないので、店舗ではないと思うのですが、全くよく分かりません。
ぐるぐるまわる視界の中、沢山のものを見るにつれ、わたしの気分は段々としょぼついていきました。
色んな島の色んな街並み、その領の形。
その規模、その数、その多様性。
こんなに凄い街を作っている人たちを相手に、序列を競わねばならないのです。学生がわたし一人なゼフィリアとはそもそも物量が違う、無理無茶無謀もいいところ。
スナおじさまのお脳もやっぱり筋肉だったのです。その気になっていた自分がどれだけアホウだったか、思い知ったのです。
わたしがしょぼつきながらも見学を続けていると、突然街の形が変わりました。大きな道に並び始めたのは、巨大な列柱群と石で出来た四角い建物。
どうやらわたしたちはアーティナ領に足を踏み入れたようです。
なるほどアーティナ。はて、アーティナ?
何か大事なことを忘れているような気がするのですが、頭がぐらぐらで視界もふにゃふにゃで、更には相変わらず酷い臭いの空気で、何かを思い出そうにもまともにものを考えられないのです。
「ひめさま……」
イーリアレが歩くのを止め、石畳の上にわたしを下ろしました。ぐったり足を投げ出すわたしを、大きな柱にもたれさせ、
「ひめさま、おかおがまっさおです」
「え、ほんと、れすか……。た、しかに意識が、その、もう……」
途切れかかった思考で、わたしは周囲の情報を集められるだけ集めました。辺りはまだ酷い臭いに包まれているのですが、この場所はほんの少しですが、違う香りが混じっているような気がするのです。
なるべく呼吸をしないよう鼻を利かせると、その香りは向かいの柱、その根元から漂ってくるようでした。
香りの発信源は柱の日陰、無造作に積み重ねられた植物の山。乾燥し朽ちかけているのか、色が茶色になっています。
そして柱の傍に立つ、赤ちゃんを抱えた女性。その女性は白い大きな袋からお椀で何かをすくい、赤ちゃんに与えています。
この島の何処にでもある、当たり前の風景。女性主体のこの世界では、頭の中の記憶にある教育機関とその在り方が大きく違うのです。
「どうかしましたか?」
朦朧とした意識の中、視線をさ迷わせていると、突然足に影が差し、その上から声がかけられました。見上げると、そこにはすらりとした印象のスレンダーなお姉さま。
ショートボブな金髪に理知的な光を放つ青い瞳。
白い肌に肌を覆う面積を最小限に抑えた胸巻と腰巻。
ちょっとイーリアレに似たタイプの、クールな感じのお姉さま。
そのお姉さまはわたしの前で膝を突き、
「その服装、あなたはゼフィリアの?」
「は、はい……。今年一年就学させていた…だくことになっています。ゼフィ…リアのアンデュロメイアと申し、ます……」
何とかアイサツを終えると、イーリアレがそのお姉さまを振り向き、
「ひめさまはからだがよわいのです」
わたしの代わりに応対してくれるようで、本当に、イーリアレには感謝してもしきれません。
「それは本当なのですか?」
「はい。それと、あたまもおかしいのです」
お姉さまの確認に、超余計な返答をするイーリアレ。そんなふうに思われていたなんて、めっちゃショックです。
「頭も……、それは気の毒に……」
イーリアレの言葉を真に受け、お姉さまは物凄くかわいそうなものを見る目でわたしを見つめました。人として大事なものを失いかけたわたしに、そのお姉さまは、
「何か私に出来ることはありますか?」
流石アーティナ、世界で一番の島です。こんなわたしを心配してくれるなんて、とてもありがたいことです。
わたしはゆらゆらとした動きで腕を上げ、
「あ、あの、あひょこで、赤ひゃんが飲んでいるもろは、何でひょうか……?」
「あれですか? あれは牛の乳です。子供を預かった時、飲ませるものです」
大きな柱が立ち並ぶ、全てが大きなアーティナ領。
胸に抱かれた小さな手のひら。
辺りに漂う、柔らかな香り。
「ぎゅう、にゅう……?」
アルカディメイアの直径路。
ゼフィリア領への帰り道。
ちぎれ雲が流れる赤い空の下。夕陽に染まった石畳を、イーリアレはわたしを背負いながらてくてく歩いていきます。
アルカディメイアの喧騒から離れ、やっと空気が清んだものになってきました。そのまともな空気のおかげで、わたしはとても大事なことを思い出したのです。
「お腹が空きましたね、イーリアレ……」
「はい、あまりのもうしわけなさにわすれておりました」
そう、今日は土下座まみれで昼食を忘れてしまっていたのです。
目の前には夕焼け色に染まったイーリアレの銀髪。そのイーリアレの片手には大きな袋が二つ。アーティナ領で親切なお姉さまにもらったもの。
「イーリアレ、島でお話したお料理の作り方を覚えていますか?」
「はい」
「さっきいただいたもので、それのもっとおいしいものが作れるのですよ」
「はい」
「気込め石に作り方を込めますので、お屋敷に戻ったら一緒に作りましょうね」
「はい」
おそらくですが、ナノ先生は未だに生魚ボリボリ生活な筈。ご迷惑をおかけしたお詫びに、今夜はナノ先生においしいお食事を召し上がっていただかねばなりません。
わたしが新しい素材を使った献立を頭の中の記憶から引き出していると、
「ひめさま、つきました」
「ありがとう、イーリアレ。頂いたものは厨房にお願いします」
「はい、ひめさま」
島屋敷に帰り着き、イーリアレはわたしを地面に下ろしました。イーリアレはすだれをくぐり、先に中へ。
玄関前に残ったわたしは石畳にぺたんと女の子座りをして、はあとため息。
アルカディメイアに来てから、わたしは本当にダメダメなのです。いえ、分かってはいましたが、自分がこんなにダメダメだと実感すると、やはりとても悲しくなってしまうのです。
今日、わたしがアルカディメイアで見たもの。
あんなに凄いものを作る、あんなに沢山の人たちと競い、ゼフィリアの序列を上げる。そんなことが、本当にわたしに出来るのでしょうか。
わたしのような駄肉に、そんなことが……。
お料理を始めた時と同じ、今のわたしはこの世界の広さを全く分かっていなかった、正に井の中の蛙なのです。
落ち込んだわたしの頭をよぎる、懐かしい景色。
ゼフィリアの空気が吸いたい。
ゼフィリアの透き通った海が見たい。
お母さまとシオノーおばあさんに会いたい……。
わたしはゼフィリアのものと違う無骨な石畳を見つめながら、もう一度大きなため息を吐きました。でも、わたしのダメダメな一日はこれで終わりではなかったのです。
それはとても大きな声。
この世界ではめったにない、怒気を孕んだ大きな声。
その声はわたしの背中、夕陽の方から掛けられたのです。
「これは一体どういうことかしら?!」
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