第31話 喧嘩なんて大嫌い
「あなた、ゼフィリアの人間?」
「ひ、ひゃい!」
突然かけられた声に驚き、わたしはびくんと跳ね上がりました。そのせいで手から気込め石がこぼれ落ち、講義予定を記録していた紙がスッと消滅。
「あ、あ……!」
ころころと石畳を転がる気込め石をよろよろと追いかけ、何とか拾い上げてほっとひと息。石を帯に挟み振り向くと、そこにはわたしやイーリアレよりずっと年上に見える二人のお姉さま。
茶色い髪に茶色い瞳。
塩がこびりついた白い肌。
雑に巻かれた胸巻と腰巻。
腰巻の片側からは短い布が垂れ、沢山の石が紐で括り付けてあります。
勿論、わたしの知らない人たち。
どんよりとした空気にえずきながら、わたしはお姉さまたちの顔色を窺いました。
わたしたちは何か間違ったことをしてしまったのでしょうか。お姉さま二人は無表情で、何を考えているのかよく分からないのですが、とにかく失礼があってはいけません。
わたしはぺこりとお辞儀をして、
「ははっはい! 今年度就学させていただきます、ゼフィリアのアンデュロメイアでひゅ! よよっよ、よろしくお願いしましゅ!」
「私はリフィーチのペイリー。こっちはアルノー」
顔を上げたわたしに、リフィーチのお姉さまはさもそれが当然であるかのように、
「じゃあ、喧嘩しましょう」
「ふぁい!?」
わたしがその言葉の意味を理解する間も無く、周囲に集まった人が瞬時に移動し、広場に人垣を作りました。
それは喧嘩のための空間。
リフィーチのお姉さま二人はその円の中心にさっさと歩いていきます。
広場に漂うのは、汗と潮で濁った空気。広場を埋め尽くすのは、これが当たり前であるというお姉さまたちの視線。
おろおろするわたしは精一杯大きな声で、
「あ、あの、わたし喧嘩は、その、危ないので! おおっお、お断りできないかと!」
返事は無言の視線。早くしろと言わんばかりの冷たい視線。
わたしの言葉は届いている筈なのですが、受け入れられている気配が全くありません。
確かアルカディメイアには入学式のようなものはなく、初日からぶっつけ本番だったはず。だとしたらこうやって喧嘩するのがお約束というか洗礼みたいなものなのでしょうか。お母さまからもナノ先生からもこんなことは聞いていません。
困ったわたしはイーリアレを振り向き、
「どどっど、どうしましょう、イーリアレ!?」
イーリアレはいつも通りの無表情で首を傾げ、
「はじまったらすぐにこうさんすればよいのではないですか」
「それです! 流石わたしのイーリアレ!」
んなるほどォ! 超シンプルな解決策! そうです、お母さまから無理は禁物と言われているので、わたしは降参一直線なのです!
心を決めたわたしはイーリアレと円の中心へ。リフィーチのお二人と少し離れた位置で向かい合うと、人垣からお姉さまが一人歩み出てきました。おそらくは見極め役を買って出たのでしょう。
わたしは生まれて初めての喧嘩にガッチガチに緊張しながら、頭の中でひとつの言葉を繰り返しました。
降参……、降参……。
見極め役のお姉さまは、向かい合うわたしたちを交互に確かめ、
「では、はじめ」
こうさん!
「こっ……?!」
突然の異変。
音を発しないわたしの声帯。
喉を押さえ、硬直する。
視界には一瞬で間合いを詰めるリフィーチのお姉さま二人。向かって左、そのお姉さまの右手には緑色の風込め石。
混乱する頭で石を解析。
リフィーチは火と風の島。ゼフィリアと同じく、島民は風込め石を使えて当然。これは防音? いえ、遮音? 呼吸阻害は人の運動を止めるための常套手段。
振りかぶるリフィーチのお姉さまたち二人。寸前、わたしの視界を遮って立つ、小麦色の背中。風になびく短い銀髪と、両手に持つゼフィリアの槍。
イーリアレ。
直後に感じる、とてつもない衝撃。
初めて間近で目にする、この世界の人間の本気の暴力。
物凄い速さでイーリアレに打ち込まれていく、お姉さま二人の拳と脚。
その光景にすくみ上がるわたしの身体。
かくかく震えるわたしの膝。
リフィーチのお姉さまがわたしに手を出そうとするたびに遮り、かばい、ボッコボコになっていくイーリアレ。
わたしは回らない頭をやっと動かし、右手に風込め石を作成。即纏いを展開し、
「ぷはっ……!」
風込め石で作った清浄な空気を吸い、やっとひと息。
「イーリ……!」
顔を上げたわたしの眼前。気込め石を使った訳でもないのに、まるでスローモーションのようにゆっくり流れていく、わたしの視界。
わたしに話しかけたお姉さまにお腹を組み付かれ、動きを固められたイーリアレ。その向こう、もう一人のお姉さまが軽やかにぴょんと跳び、とてもきれいなフォームで身体を回転させ――
この世界の女性による、全力の回し蹴り。
イーリアレの側頭部、そのこめかみに勢いよく打ち込まれる右の踵。冗談みたいに伸びて見える、イーリアレの首。
「イーリアレ……!!」
わたしは纏いの風の範囲を広げ、リフィーチのお二人を弾き飛ばしました。
がらんと音を立て地面に落ち、石に戻っていくゼフィリアの槍。ぐらりと傾くイーリアレの体を、わたしは必死に受け止めます。
「あ、ああ……。イーリアレ……」
わたしの腕の中、全身アザだらけでボロボロになったイーリアレ。何かを警戒したのか、リフィーチのお姉さま二人は一足飛びで距離を取り、こちらの様子を見ています。
「イーリ、イーリアレ……」
ボサボサになった銀髪。赤や紫でまだらになった小麦色の肌。薄い唇から流れる、真っ赤な血。うっすらと開かれた目、その青い瞳は焦点が合わず、小刻みに揺れています。
待ってください。どうしてですか。わたしはここに勉強に来て、ゼフィリアのいいところを他の島に知って欲しくて、頑張りたくて、ここに来たのに。
それなのに、どうしてこんなことに。
わたしの腕の力では支えきれず、ズルズルと石畳に崩れ落ちるイーリアレ。
もうたくさんです。そう、降参してしまえばもうこんな目に……。
そう思い、石の干渉能力を働かせ、周囲に声が届くようにして、
「こ……」
降参。そう声に出そうとした時、わたしはやっと気付いたのです。広場にいる人間がわたしに向ける意識、その真意。
思い出すのはこの広場の酷い臭い。
それは急に増えた人の臭い。
ここに集まった人は掲示板を見に来ていた訳ではなかったのです。遠く屋根の上に立っていた人も、宙に足場を作っていた人も、みなわたしを見ていたのです。
わたしたちを囲む人垣、そのお姉さまたちの目。リフィーチのお姉さまたちの目。それはわたしが石作りを覚えてから、おいしい食事をみんなで囲むようになってから、忘れていた視線。
「なんでこいつ生きているんだろう」という視線。
自分とは違う、異物を見る目。
それを理解した時、ふつん、とわたしの中で何かが切れたのです。
瞬間、頭の中の記憶と同期する、わたし自身の思考。その思考が生み出した言葉は、
どうでもいい。
リフィーチのお二人は警戒不要と踏んだのでしょう、こちらに向かって再度跳躍を開始。
雲ひとつ無い青空の下。
アルカディメイアの講義棟前広場。
纏いの外に感じる、酷い臭いの湿った空気。
足元に倒れる、全身アザだらけのイーリアレ。
目の前に迫る、知らない人の拳。
どうでもいい。
どうでもいい。
もう、どうでもいい。
あなた達なんて、どうでもいい。
広場に響き渡る、とても大きな金属音。
人垣で作られた喧嘩場の真ん中。
石畳にそびえ立つ、円筒形の巨大な金属塊。
わたしは右手を振り、その金属塊を小さなはがね石の形に戻しました。金属塊のあった場所には、地面にめり込んで気絶しているリフィーチのお姉さまが一人。
「イーリアレ、少し待っていてくださいね」
「ひ、めさま……」
わたしはイーリアレをその場に寝かせ、金属塊を避けたもう一人のリフィーチさんへと足を踏み出しました。
歩きながら右手に纏う紫の石。
それを中心にして回転する、緑色の石と灰色の石。
立ち止まり、腕をかざし、目の前のリフィーチさんに照準を固定。
ざわりとざわめく広場の群集。周囲のその反応に、わたしは頭の中で盛大にため息を吐きました。
全く何ですか今更。わたしならともかく、この程度の暴力でこの世界の人間が死んだりするものですか。
食物連鎖の絶対頂点。獣の中の獣。それがこの世界の人間なのでしょう? しかもイーリアレをこんな目に合わせて自分たちだけ無傷でのほほんなんて、虫が良すぎると言うものです。
わたしの視線の先、もう一人のリフィーチさんがわずかに逡巡し、すぐにその瞳に闘志を宿しました。そして、瞬時に消えるその姿。行き先は空中、わたしの頭上。
あーあ、跳んじゃいました。
青い空に跳び立ったお姉さまを目で追い、わたしは心の中で再びため息。
わたし、肉は弱いけど目はいいのです。それにあの人が何をしてこようと、わたしが頭でプログラムを組んで石を作る方が、ずっと速い。
わたしは両手を広げ、石を作成。
その色は黄、その数は百。
機能は極めて単純。高速で石つぶてを射出するだけの砂込め石。右手を振り、リフィーチさんを取り囲むよう空中に展開。自分の周囲に放たれた石に気付き、くわっと目を剥くリフィーチさん。
はい、全石斉射。
360度、全方位からの石つぶて。
青い空を背景に響き渡る打撃音。リフィーチさんは全身に石つぶてを撃ち込まれ、姿勢を崩して落ちてきます。
姿勢を崩しただけで済むなんてさすがこの世界の人間。丈夫なのはよいことですね。
まあ、どうでもいいのですけど。
ほうほうの体で着地するリフィーチさんに、わたしはすかさずはがね石を射出。かなめ石に込めたのは自動追尾の簡単なプログラム。
石は本来人の手から少ししか離れられませんが、かなめ石を介することで、その射程をグンと伸ばすことが出来るのです。
そう、こんなふうに。
高速で移動するリフィーチさんを高速で追い、そのお腹にめり込む小さなはがね石。頭の中の記憶で言いますと、自動追尾する弾丸でしょうか。閉所で役に立ちそうですね。
わたしの放ったはがね石の衝撃に、くの字に折れるリフィーチさんの体。わたしはかなめ石で飛行経路を再設定。様々な角度から何度も何度も何度も何度も撃ち込ませます。
はがね石の特性、それは超強い人の体に干渉できること。だからこれは石つぶてよりもずっと痛いと思うのです。
まあ、どうでもいいのですけど。
はがね石の攻撃にたまらなくなったのでしょう、リフィーチさんは帯に垂らした布から火込め石を取り出し、腕に炎を纏わせました。その炎ではがね石を蒸発させ、再びわたしに向かってジャンプ。
そんなリフィーチさんを見て、わたしは三度目のため息。
筋力が凄いからって、派手に跳びすぎなのです。そう、動きに鋭さが足りない。ゼフィリアの海守さんたちに比べたら、超絶すっトロい動きなのですね。
わたしは風込め石をひとつ作り、リフィーチさんの直上に高速設置。驚いたように顔を上げ、リフィーチさんは迎撃体勢。
ね? あなたの動きより、あなたの筋肉より、わたしの石の方がずっと速いでしょう? でも、もう遅いのです。
一瞬、無音になる広場。直後、石畳に撃ち落とされるリフィーチさん。遅れて響く爆音と、風に巻き上げられて舞う砂埃。
青い空に浮かぶのは、緑色の小さな石。
生まれる風を音速で投射する、つまらない働きの石。
思い付いたから作った。可能だから作った。ただそれだけの、つまらないプログラム。
時間が止まったように静まり返る周囲の空間。
静寂に満たされた講義棟前広場。
その無反応に、わたしは首を傾げました。
誰の声もしないなんておかしいですね。防音制御はしていない筈なのですけれど。
わたしが首を傾げていると、喧嘩場の中心で転がるリフィーチさんがぴくりと動き、
「わ、わたしの負け、よぉ……」
言いながらよろよろと立ち上がり、金属塊に潰されたもう一人さんに肩をかし、人垣の向こうに消えていきました。
その途端、ざわざわを再開しだした広場の群集。
どうやら終わったようなので、わたしは回れ右。作った石を全て消去させ、イーリアレの傍へ。わたしが横たわるイーリアレの傍で膝を突いた、まさにその時。
「面白そうじゃない、ゼフィリア! 私はリフィーチのレイロー! お相手願う!」
人垣から新しいお姉さまが現れ、わたしは、はあとため息。何が面白いものですか。わたしはもううんざりです。
「ごめんなさい、イーリアレ。もう少し、ここで休んでいてくださいね」
「ひ、ひめさ、ま。も、もうしわけありません……」
わたしはイーリアレをその場に残して立ち上がり、どうでもいい喧嘩場の中心へ。腕に絡みつく金髪を背中に流し、リフィーチの誰かさんと向かい合って立ちました。
広場に響く、何処かの誰かさんのどうでもいい開始の合図。
「はじめ!」
そこから先はよく覚えていません。
だって、どうでもよかったので。
石を作る。
誰かさんが吹き飛ぶ。
誰かさんが降参する。
他の誰かさんが名乗り出る。
その繰り返し。
「クルキナファソのエンビーナ!」
痛い目にあいたいとかあわせたいとか、どうでもいいのです。
「ホロデンシュタックのスーディッティーですの!」
遊びで考えたかなめ石ならいくらでもあります。
「ガナビアのメニーデンじゃあ!」
人の意識を刈り取る方法ならいくらでも知っています。
「ガナビアのエインシュロじゃけえ!」
火で潰す。水で潰す。砂で潰す。
「タイロンのユンシュクと申す!」
風で潰す。鋼で潰す。糸で絡めて、さっさと潰す。
「我が名はタイロンのフェンツァイ!」
短い白髪に紫色の瞳。
襟や袖の意匠が太い、和服のような着物。
白い肌の背の高いお姉さま。
この人はもった方ですが、既に片方の膝が地に突いています。
「参った……」
ボロボロになった氷の盾の向こう、タイロンの何某さんは悔しそうに降参の言葉を吐きました。
あなたが、あなた達がそれを言うのですか。わたしには許してくれなかったのに。最初にわたしにそう言わせてくれたら、こんなことにはならなかったのに。
くだらない。ほんとうにくだらない。
どうでもいいわたしの目の前、先ほどのナントカさんに肩を貸し、広場を後にする何某さん。気付けば広場の人垣、その密度が随分減っています。どうやらもう喧嘩を挑んでくる人はいないようです。
わたしは右手を空に掲げ、かなめ石を一つ、続けてはがね石を六つ生み出しました。そして六つのはがねをゼフィリアの槍に変形させ、わたしを取り巻くよう滞空指示。
右手を振り下ろし、槍を操撃。広場に響き渡る極大の轟音。震える大気、揺れる大地。槍の石突に撃ち付けられ、びしびしと亀裂が入っていく広場の石畳。
わたしの意図するところが分かったのでしょう、広場から人が立ち去っていきます。
はい、解散。
風込め石を操作し、纏いを解除。
アルカディメイアの講義棟前。
肺を満たす、酷い臭いの湿った空気。
わたしは槍をそのままに、イーリアレに振り向きました。イーリアレはまだ足元がおぼつかず、立ち上がれないようです。
「ひ、めさま……」
「大丈夫ですよ、イーリアレ。もう終わりました」
わたしはいつも通りイーリアレに笑いかけ、
それから瞼を閉じて空を仰ぎ、ふぅ、とひと息。
あー、スッとしました。
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