第22話 ひいお爺さまの訃報
「出来ました! 出来ましたよ、イーリアレ!」
「はい、おじょうさま」
南海らしい元気な太陽。
潮風を受けてのんびり揺れる、森の木々。
お昼前、お屋敷の裏庭にて、わたしとイーリアレは大きな瓶を前にしています。
瓶の中にあるのは茶色いタレ。そう、牡蠣油です!
お母さまとシオノーおばあさんは毎日海から様々な海産物を獲ってきてくれるのですが、やはり旬があるのでしょう、牡蠣は今朝初めてお目見えしたのです。
朝食は焼き牡蠣でおいしいしたのですが、せっかくなので味の幅を広げたいと思い、調味料作りにと素材を少し頂いたのです。
すり身にした牡蠣を煮詰め、抽出に抽出を繰り返し、昆布の出し汁、魚醤、お酒、お塩にお砂糖を加え、やっと完成。
今ならまだ昼食に間に合います。シオノーおばあさんと早速お料理の打ち合わせをせねばなりません。
「イーリアレ、ここをお願いします。わたしはお母さまとシオノーおばあさんを呼んできますので」
「はい、おじょうさま」
わたしは裏庭から縁側によじ登り、ちょこちょこ歩いてお母さまのお部屋へ。なにせ牡蠣油、オイスターソースなのです。
頭の中の記憶の情報通りであれば、甘くてしょっぱくてそれでいてコクのあるお味の調味料で、その威力はいい感じにいい感じである筈。
お母さまもシオノーおばあさんも、きっと喜んでくれるに違いありません。
わたしはお母さまのお部屋の前に到着。すだれをめくろうとした手がしかし、ピタリと止まりました。すだれの向こうから聞こえる会話、その雰囲気が少し重いような気がするのです。
「では、庵の火込め石は……」
「ええ、そのようです」
「ああ、なんてこと……。パリスナ様はどうしたんで?」
「男衆は沖合いに出て、そのまま動きません」
聞いてしまったものは仕方が無いのですが、聞き耳はいけないことなのです。わたしはお母さまのお部屋に向かい、
「あの、お母さま。アンデュロメイアです。少しよろしいですか?」
少しして、お部屋の中からのしのし人が歩く音がし、すだれがめくられ、
「お嬢様。どうなさいました?」
「シオノーおばあさん。あの、貝で作った調味料が、その、完成したので……」
「そりゃすぐに味見せにゃなりませんね! 裏庭ですかい?」
「はい、イーリアレがいます」
シオノーおばあさんは縁側から石畳に下り、嬉しそうに裏庭に向かっていきました。シオノーおばあさんと入れ替わりに、わたしはお母さまのお部屋の中へ。
お母さまは広い板間の中心に立ち、
「アン……」
その表情は、何処か沈んでいるように見えます。先ほどのこともあり、不安になったわたしは、
「あの、お母さま。差し支えなければ教えていただきたいのですが、何かあったのでしょうか? その、シオノーおばあさんとお話していることが、少し、聞こえてしまって……」
お母さまはわたしを部屋の中央に呼び、わたしは再びちょこちょこ移動。お部屋の中央で向かい合いました。
お母さまは、ちょっと困ったお顔で、
「どうやら島主様、あなたのひいお爺様が亡くなってしまったようなのです」
どうやら、というのはどういうことなのでしょう。わたしは首を傾げました。
「それは、あの、一大事なのでは……」
「そうですね、大変なことです。困りました」
お母様は頬に手を当て、はあとため息。
わたしのひいお爺さま、ということはこの島、ゼフィリアの島主である千年公、プロメナさま。わたしが見本にしている火込め石は、確かひいお爺さまがお作りになられたものなのだとか。
その方が亡くなったということは、ゼフィリアにとって物凄い事件だと思うのです。
わたしは傾げた首を元に戻し、
「ええと、その、とても悲しいことだと思うのですが……」
「そうですね、とても悲しいことです」
お母様は頬に手を当てたまま、はあとため息。
ううーん、うん?
何と言いますか、やはりこの世界の人間は緊張感が無いように思えます。この世界は弔いに儀礼が無いからでしょうか、不謹慎という感情が無い訳ではありませんが、何があっても平常運転なのです。
そこでわたしは重大なことに気付き、お母さまに訊ねます。
「あの、お母さま。それでは次の島主さまはどなたが務められるのでしょう?」
「そうですね、おそらく私? ということになる? と、思います?」
おそらく、というのはどういうことなのでしょう。よく分からないわたしは首を傾げました。なんだかよく分かりませんが、お母さまもわたしの真似をして首を傾げています。
広い板間の中心で、よく分からないわたしとお母さま。
すだれを通り抜けて入ってくる、潮の香りを含んだ風。
修練場に降り注ぐ、南海らしい元気な陽射し。
裏庭の方から聞こえる、シオノーおばあさんの大きな呼び声。
「レイア様! こりゃあいいもんですよ! 早くいらしてくださいな!」
ひいお爺さまがお亡くなりなったと聞いてから数週間。
目が覚めると、そこにはまだ真っ暗な天井。
遠く波の音だけが聞こえる、静かな時間。
今日はいつもよりずっと早く目が覚めてしまったようです。すだれの向こう、お母さまの気配はまだ眠っているご様子。
わたしは半身を起こし、朝の支度をと思い、諦めました。下半身がイーリアレにがっちりホールドされているので動けないのです。
しばらくの間、すだれの外をぼーっと眺めていたわたしは、あることを思い出しました。
それは、この数ヶ月で分かったこと。
はがね石の包丁の時に確信したのですが、ゼフィリアの人は資源の節約が上手なのです。常に全体的、総体的な思考で消費を計算し、無駄なものはどんどん削っていく。
なので、陸と石の資源にかなり余裕があるのです。油も作り置きがたっぷり。ということは、使っていい果物に余裕があるという訳で。
わたしが果物を使って作りたいものとは、そう、ポン酢です。
魚醤にすっぱい果物の果汁とお酢を加え、更にうまあじ成分であるお魚か昆布のお出汁を足して熟成させる。難しいのはその配分ですが、これもやはり挑戦です。
魚醤を使うので少しクセのあるものになってしまうかもしれませんが、それでもやはりポン酢なのです。お魚との相性は抜群の筈。
何より、牡蠣です。しばらくは旬であるらしく、お母さまたちが牡蠣を獲ってきてくれる日が増えたのです。
牡蠣はシンプルに果汁を振りかけ楽しみたいのですが、毎回使うわけには参りません。ポン酢を作ってかさを増やせば果物の消費を押さえられますし、何よりまた新しい味を楽しめるのです。
お母さまとシオノーおばあさんもきっと喜んでくれるに違いありません。
頭の中の記憶では、善は急げと申します。
わたしは右手ではがね石を作り出して丸く変形、片面をキラッキラにさせました。金属鏡です。
これに砂込め石で作ったガラスを貼り付ければ、頭の中の記憶にある鏡になりますが、複合的な石の利用は手軽な生活から遠いものと考え、作りませんでした。
しかし、はがね石だけでも問題ありません。そこはやはり石作り、充分実用な鏡っぷりなのです。
わたしは薄暗い部屋の中でかなめ石を作り、鏡を浮かせ、寝癖のチェック。はねはねした金髪を手櫛でやっと押さえ込み、わたしはイーリアレの体をゆすりました。
「イーリアレ、おはようございます。起きてくださいな」
イーリアレはわたしの体から手を離し、むくりと起き上がり、
「おひゃようごじゃいまふ、おじょうしゃま……」
わたしは寝起きのイーリアレの髪の毛をちゃちゃっとお手入れし、
「イーリアレ、朝食前に新しい調味料を作りたいのです。一緒にお出かけしてもらえませんか?」
「しょれは、おいひいのれしょうか……?」
「はい、きっと気に入りますよ」
「ふま、あじ……」
イーリアレはふらふらとお布団から起き上がり、すだれをめくってお外に歩いていきました。わたしも立ち上がり、お布団を畳みます。
それではお母さまが起きる前に、ポン酢の材料となる果物を採ってこなければいけません。お母さまの髪のお手入れは絶対に欠かせないお仕事なのです。
わたしはすだれをめくって縁側へ。修練場で待つイーリアレの背中にしがみ付き、その銀髪に顔をうずめ、
「行きましょう、イーリアレ!」
「はい、おじょうさま」
わさわさと背中で暴れる、金色のはねっ毛。
目の前には風になびく、銀色の髪。
イーリアレは石段の中腹で一度着地、即座にジャンプ。
やはりこの世界の人間の運動量はとてつもないものです。でも、もう慣れました。それにイーリアレはわたしを気づかって低く跳んでくれているのです。危なくなんて全然ないのです。
視界をもの凄い勢いで流れていく島の景色。頬に当たるのは早朝の風。わたしはイーリアレの肩に捕まりながら、空を仰ぎます。
ほんの少しだけ、その色が白んできました。急がねばなりません。目当ての果物は蔵屋敷の向こう側に生っていた筈。
あっという間に石段を通り過ぎ、わたしたちは村の上空に差し掛かりました。村に下りる坂、その分かれ道にイーリアレが着地した瞬間、彼女がその足で大地を蹴る直前。
「止まってください!」
わたしの声に、イーリアレの足が土埃を上げて停止。
「どうしたのですか、おじょうさま」
「分かりません……」
わたしはイーリアレの背から辺りを見回し、周囲の様子を探ります。
何か、違和感を感じるのです。空間、いえ、空気でしょうか。
「分からないのですが、何故か、肌がざわざわするのです……」
目の前には、なだらかな斜面に沿って建つ村のお家。
その向こうに遠く広がる暗い海、暗い砂浜。
波の音だけが聞こえる、静かな時間。
わたしは腕に絡む金色のはねっ毛を背中に流し、感覚を研ぎ澄ませました。
落ち着いて、体が受け取っている情報を整理して、きちんと頭で考えて。音? いえ、風。そう、これは風に混じっているもの。鼻で受信している情報。
血の匂い。
薄暗い視界の中、わたしは目を凝らします。
わたし、肉は弱いのですけど、お母さまと同じくらい目はいいのです。
そして視界の先、遠い砂浜にその違和感の原因を見付けました。
血痕。
それは砂浜から村に向かって続く、黒いまだら模様。
「イーリアレ、村へ!」
「しかし、おじょうさま」
「お願いします。跳躍せず、地面を走ってください」
「……はい、わかりました」
イーリアレは即反転、坂を下り始めました。その背中でわたしは村の様子を探ります。
確かに、村の人はまだ寝ている時間。静かなのは当然です。しかし、気になるのは人の気配、その様子。みな息を殺したように、動かないのです。何かを、じっと耐えているような……。
坂を下るにつれ、どんどん濃くなる血の匂い。
「あれです」
わたしは坂の下、砂の地面に血痕を発見。その跡を目で追うと、血痕はあるお家に続いていました。
わたしはイーリアレに指で指示し、
「イーリアレ、あのお家へ」
「はい、おじょうさま」
そこは白い壁に平坦な屋根、他と同じような一軒家。
イーリアレは目標地点に秒で到着。筋肉。わたしはイーリアレの背中から降り、血痕の続くお家、その入り口へ。「おじゃまします」も忘れ、入り口のすだれをめくりました。
血の匂いが充満した部屋。その部屋の中心に寝かされている一人の男性。その両側に座り、声を殺して泣く二人の女性。
長く艶のある銀髪と青灰色の瞳。
小麦色の肌に白い胸巻と長い腰巻。
村でよく見かけたのほほんとした雰囲気のお姉さん。初めて魚醤を作った時、味見してくれたお姉さん。そしてのほほんさんと瓜二つな女性。おそらくのほほんさんのお母さん。
わたしは二人の間に寝かされている男性の顔を見て、何処かで、と思い返します。
短い銀髪に青灰色の瞳。
剥き身の上半身にえんじ色の細袴だけを履いた、ゼフィリアの男性の服装。
浜辺で寝転がって砂遊びをしていた、あのおじさん。
ああ、と思います。
あの人はのほほんさんのお父さんだったのですね。
わたしはイーリアレをその場に残し、お部屋の中に入りました。
ぴちゃりと、わたしの足が血溜まりを踏んでいる音。わたしの足元からおじさんのもとへと続く、大量の血液。おじさんの傍、拳を噛んで泣いている、のほほんさんの姿。
ふいに、わたしは気付きました。わたしが感じていた違和感、そのズレ。
この人たちは目の前の現実を受け入れている、という直感。
「どいてください!」
その事実を頭で理解した瞬間、わたしは声を張り上げ、二人の間に割って入りました。膝立ちになり、おじさんの全身を確認します。
裸の上半身、至る所に刻まれた裂傷。特に酷いのが左胸から左腕にかけて。マッチョな胸筋がゴソッと削られ、骨がむき出しになっています。
浅い呼吸。焦点を失った瞳。土気色になっていくおじさんの体。
むせ返るような潮と血の匂いの中、わたしは落ち着いて深呼吸。
できるはず。できるはず……。
わたしは血で濡れるのにも構わず、石の床に正座し、胸の前で手を合わせました。
気込め石は生き物に関する石。その干渉能力を使えば有機物を操り、制御できる。しかし、その干渉能力は命あるもの、生きている人間には働かない。
だから、まず生み出すのはかなめ石。
「思考速度切り替え、圧縮言語解放。構築開始」
わたしの両手の中に生まれる、紫色に輝くひし形の石。
自動的に動くわたしの口。機械的に紡がれるわたしの言葉。おじさんに向けて両手をかざし、次に生み出すのは七つの白い気込め石。
「構築完了。一斉展開、解析開始」
気込め石は生き物に関する石。使用するのはその感覚拡張機能の延長、読解能力。読み込むのはこのおじさんの生体情報。かなめ石で七つの白い石におじさんの全身をスキャンさせ、自動で情報を読み込ませる。
「解析作業完了、機能確認。段階以降、構築開始」
七つの石から解析完了の手応え、わたしの両手から即座に生まれる大量の気込め石。
その数、四十三。
込めた情報は七つの気込め石に記述されたおじさんの生体情報。かなめ石を介することで、通常では思考処理できない情報を自動でわたしの脳に演算させ、気込め石に入力させる。
そして気込め石ははがね石と同様に、それそのものを変質させることができる。つまり、
「構築完了、一斉展開。機能解放、構成開始」
おじさんの体、その直上に展開される大量の気込め石。患部の上に浮いた気込め石がほどけるように崩れ、糸となっておじさんの体に降り注いでいく。白い糸が形を変え、色を変え、肉となっておじさんの体を補っていく。
かなめ石と気込め石による、人体補完構成。
今のわたしの限界の技術。
おじさんの口からは、既に呼吸音が聞こえません。
かなめ石を構え、わたしは構成作業に集中しました。じりじりとした焦り、張り詰める緊張感。何倍にも引き伸ばされる、わたしの時間間隔。
額を伝い、頬を伝い、床に落ちるわたしの汗。
すぐ傍には息を飲んで様子を見守る、のほほんさんとのほほんさんのお母さん。
やがて、
「げほっ! はっ、はあっ、はっ……!」
おじさんがむせ返り、息を吹き返しました。かなめ石から構成作業完了の情報を受け取ったわたしは、即座に振り向き、
「イーリアレ! 食事を、飲み物もです! このままじゃ血が足りません! 何か食べさせて!」
「しょうち!」
即座に応え、姿を消すイーリアレ。わたしが作成した石を全て消滅させると、
「あなた!!」
「おどうぢゃんんん!!」
のほほんさんとのほほんさんのお母さんが、おじさんに縋り付いて泣き始めました。のほほんさんのお父さんは、少し動くようになった体でお二人の手を握り返しています。
わたしはその姿に、一先ずほっとしました。
のほほんさんのお父さんは、意識の戻った目でわたしを見付け、
「あり、がとうございます……。ありがとうございます、お嬢様……」
「いえ、よかったです……」
そう、よかった……。
よかったしか、今はものを考えられないのです。
上手く行くかどうかなど、わたしには分かりませんでした。でも、他に方法を思い付かなかったのです。それに、失ってしまった血の補完なんて、危険過ぎて石ではどうしようもありません。
それは何故か。簡単なこと。わたしには人の血液を有機物として気込め石に変質させるべきか、水込め石で変質させるべきか、分からなかったのです。
気付けば足も腰巻も、おじさんの血でべったりと濡れてしまっています。お魚以外で、こんなに大量の血を見るのは初めてでした。
でも、よかった……。
とにかくよかったしか、今はものを考えられないのです。
よかった……。
わたしは心の底からほっとしました。しかし、
「…………」
聞こえたのは、そのおじさんのか細い声。その言葉を聴いた瞬間、全身から力が抜け、わたしはぺたりとその場に座り込んでしまいました。
座り込むわたしの背後、誰かがじゃらりとすだれをめくりました。微かな日の光がわたしの足元に差し込み、
「ああ、行き違いになってたのか。おおい、みんな。スライナさん戻ってたわ」
それはソーナお兄さんののんきな声。「そうかそうか」「よかったなあ」と遠のいていく、この島の男性たちの気配。
カタカタと震え始めた、わたしの身体。
頭の中を反響する、か細い声。
おじさんの口から出た、ゾッとするような言葉。
『これでまた、海に行ける……』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます