第57話 ミージュッシーとヘラネシュトラ(3)
「ツァイお姉様? ええ、とても優秀なお姉さまですの!」
ホロデンシュタック領の島屋敷。
大広間よりもアットホームな雰囲気の歓談室。
お部屋のいたるところにもこもこしている、白や茶色の毛の塊。鹿や兎、栗鼠にアライグマのような動物が一ヶ所にまとまって寝ているのです。そのもこもこな毛並みを撫でてみたいのですが、ちょっと勇気が足りません。
ディッティーさんとわたしはそのもこもこのすぐ近くで正座して向かい合い、
「それだけではありませんの! ツァイお姉さまの研究書はとても評価が高いもので、もう本当に凄いんですの!」
「そ、そうだったのですか……!」
どうやら、わたしが昨晩読んだすてきなご本の著者は、あのフェンツァイさんで間違いないようです。そして、ディッティーさんはフェンツァイさんの大ファンなご様子。
聞くところによれば、フェンツァイさんは自分の講義を持っていないそうで、学生としての時間を全て聴講と執筆に当てているのだとか。
なるほど、その手がありました……!
フェンツァイさんの専門は航空力学に近いものらしく、石の力を使わず空を飛ぶには、という研究が主なようです。鳥の翼の形状や筋肉の動き、羽ばたきのメカニズムなど、様々な見地でその手段を考察、考案されているのだとか。
学問の基本は自然観察。なるほど、あの短編の詳細な描写にも納得です。
「今年は物語の描写や流行も色々変わりましたし、これからはお料理を題材に取り入れたお話が増えると思いますの!」
「ふおおー、それはとても楽しみです!」
わたしはイメージを出力するのが苦手で、創作活動が出来ない人間なのです。書は読み専、音楽は聞き専。そんな訳で、モノ作りに携わる人はそれだけで凄いと思うのです。
ディッティーさんとわたしが今後生まれてくるであろう物語の可能性にウキウキしていると、
「それだ」
「ふわっ!」
近くのもこもこの塊が突然起き上がり、声を発しました。声の主は金髪に白い肌、茶色い着物のフツーのお兄さん。ホロデンシュタックの男性のようです。
その男性は鹿とアライグマを抱えながら、
「登場する動物は我々よりもずっと小さい、そういう生態の人間。これだ。そうすれば、木や自然をとても大きなものとして描ける。変わらぬ日常、二人は動物のように無力。これか? 生活習慣も動物のものに? 違う。人間の生活。やはりこれだ」
ぶつぶつ言いながら首を傾げるその異様な姿に、わたしが固まっていると、
「放っといて大丈夫ですの! 男なんて動物の敷物代わりにしかなりませんの!」
というディッティーさんの元気に無体なお言葉。
通常、この世界の動物は虫を含め人間に近寄ってこないものなのですが、一度人に飼育され安全を確認すると、今度はこのように離れなくなるのだそうです。
ホロデンシュタックの男性は物語や彫刻や、モノ作りのことしか頭に無いクリエイター集団。しかしそのせいか、男衆はみなこんな感じでアーティナの男性以上に話が通じない生き物らしく、その扱いは家具以下なのだとか。
流石にそれはどうかと思ったわたしは、恐る恐るその男性に向かい、
「あの、それでしたら人に猫の耳を生やしたり、見た目を少しだけ変えて整合性を取る方法はいかがでしょう?」
「つまり人の亜種。ふむ」
わたしの提案にこくりと頷くホロデンシュタックの男性。あ、よかった。わたしの声はちゃんと届いていたようです。
人に動物のパーツ、その記号を付けることで擬人化の表現をする。確か、頭の中の記憶のサブカルチャーでは比較的メジャーなやり方であったと思います。
二足歩行する動物を当たり前のように描いていたり、あれも思い切った表現ですねー、とわたしが頭の中の記憶から物語に適用できる表現を探していると、
「フッ、人に猫の耳を付けるとな?」
「フェ、フェンツァイさん?! こんにちわ!」
「フッ、こんにちわ。そう、アイサツは大事」
突如背後に現れたフェンツァイさん。筋肉。「何故こちらに?!」とわたしが驚き振り向けば、
「フッ、のっぴきならぬかわゆさ革命の気配を感じた故、急ぎ駆けつけたまで」
なるほど作家的なセンサーが働いたのでしょうか。ここに訪れたのは取材目的のようです。フェンツァイさんは、「ディッティー、おはよーん」「おはようございます、ツァイお姉さま」とアイサツを交わして、
「フッ、メイちゃんならば栗鼠の耳。ンンッ、猫の耳も捨てがたい……」
「尻尾は付けないのですか?」
「フッ、尻尾……?」
わたしとフェンツァイさんは講義棟前広場で会えば必ずアイサツをし、お茶をしたり雑談をする関係になっているのです。わたしはフェンツァイさんと直接仲がこじれた訳ではないですし、嫌って遠ざける理由が無かったのですね。
それに、フハハさんみたいな変態さんに耐性が出来たことも、ある意味ではフェンツァイさんのおかげだったりするのです。
「つまりはお尻が揺れると尻尾もふるふるする訳だ。流石メイちゃん、攻めている。実に攻めた発想よ……」
その変態の見本であるフェンツァイさんのお顔にほとばしる、情熱の奔流。つまり鼻血。多分、頭の中はいつものおピンク状態なのでしょう。
そう、頭の中の記憶では耳とセットで尻尾も付けるのがフツーだったはずなのですが、鼻血まみれのフェンツァイさんを見ていてどうでもよくなりました。わたしはフェンツァイさんの欲望を全力で無視し、
「あの、フェンツァイさんの書かれた栗鼠と兎のお話なのですが、とてもすてきでした! わたし、あの物語が大好きになりました!」
「フッ、私のことが大好きとな?」
「いえ、書の方だけです」
「フッ、もうひと声……」
フェンツァイさんは気込め石で情熱を分解し、いつも通りのすましたお顔で、
「あれは文章表現の練習にと書き上げた短編のようなもの。続編は考えていなかったのだが、似たようなものなら過去に何作か書いた覚えがある。それに、同じ題材のものなら他に多くの者が執筆していた筈、作者の名を教えよう」
「ふわあ、ありがとございます!」
なるほど! 頭の中の記憶のアメリカという国のコミックでは、ひとりのキャラクターを複数の作者の手で描くというやり方が普通なのだとか。それと同じなのかもしれません。
「フッ、しかし取り込む知識に偏りがあってはいかん。視野は常に広く、メイちゃんに必要なのは新たな目覚めと見た。私のオススメはそう、アッツアツにぬっちょんぬっちょんの新作なのだが……」
「それはお断りします」
「フッ、つれない……」
わたしがフェンツァイさんの性癖布教を全力で断っていると、先ほどの男性が鹿とアライグマを抱えたまま立ち上がり、ふらふらと歩き始めました。
「料理、料理。手の動き、口の描写。尾で物を掴む。器を?」
「ほう……?」
その男性の呟きに興味を示すフェンツァイさん。そしてわたしたちに、「フッ、それでは失礼」とお辞儀し、その男性と並んで扉の方へ。
「新しい形の物語を模索するに当たり、重要なのはやはりお約束。そう、定番の描写を用意すべき。となればやはり尻尾。お尻の動きに合わせてぱたぱた揺れる尻尾。ンンッ、実に滾る……」
「尻を強調。何故に?」
そんな感じで意見交換をしながら、お二人は何処かに行ってしまいました。
取り残された動物達はしばらく辺りをウロウロしていましたが、やがて違うもこもこの塊に寄り添い腰を落ち着け、即就寝。多分、あのもこもこの下には別の男性が寝ているのでしょう。
わたしがホロデンシュタックの創作の未来に一抹の不安を感じていると、ディッティーさんは元気な笑顔で、
「いつも通りですの! 大体みんなこんな感じですの!」
ホロデンシュタックの図書蔵、その第二棟。
頭の中の記憶にある大聖堂のような、荘厳な木の空間。
時刻は夕方。個人学習用のオープンキャレルに向かい、わたしは石作りの所蔵資料を広げています。
ホロデンシュタック領に来て既に十日。わたしは一人ずつ石の指南に回り、大広場や修練場での喧嘩を見学して過ごしました。イーリアレはディッティーさんやホロデンシュタックのお姉さまにあっさり馴染み、喧嘩やお料理三昧の毎日です。
「ふう……」
わたしは椅子の背もたれに身を沈め、ちょっとひと息。
ホロデンシュタックはゼフィリアと同じ床座の生活なのですが、ここ研究棟にだけは木の机と木の椅子が備え付けられているのです。個人学習用である筈なのに、お隣との敷居がないところが、実にこの世界らしいと思います。
わたしは図書蔵の高い天井を一度仰ぎ、机の上、積み上げられた資料の山に視線を戻しました。喧嘩のための得物作り、そのための勉強中なのですが、これが中々進みません。
というのも、資料の殆どが参考にならないのです。喧嘩の得物は生活用の石とは違う、いわば芸術作品。更に個人の適正に性能を合わせたオーダーメイドでなければなりません。他人のものを模しても、まがい物が出来るだけ。
わたしが木の机にへばりつき、うんうん唸っていると、
「アンデュロメイア様、こちらにおいででしたか」
「あ、ヘラネシュトラお姉さま。こんに……ち、わ?」
聞き覚えのある落ち着いた声に顔を上げれば、そこには資料の紙束を抱えたヘラネシュトラお姉さま。そのお姿を前に、わたしはピシッと固まってしまいました。
ヘラネシュトラお姉さまは、「よろしいですか?」とわたしの向かいの席に腰を下ろし、机の上に資料を置いて、
「もっと早くにこうやってお話出来れば良かったのですが。私、アンデュロメイア様に、ゼフィリアの技術に改めてお礼を伝えたくて……」
「ふえ、え……?」
穏やかな自然体で会話を始めるヘラネシュトラお姉さまに、わたしは超戦慄。
「ヘクティナレイア様から教えを受けた時、その資源の使い方、その工夫に衝撃を受けました。暗い地の底で草を食み、飢えを凌いでいた私達の苦しみを、あの方は自信に変えてくれたのです。私達にとって、ヘクティナレイア様の教えは正に光明でした」
「ふえ、あ、はい!」
わたしの方こそ衝撃を受けました。ヘラネシュトラお姉さまはこのまま会話を続けるおつもりなのです。何かお母さまが超褒められている気がしますが、わたしはそれどころではないのです!
「私達の生活は満たされている。しかし、それが欠けた時どうなってしまうのか、ディーヴァラーナはそれを経験しました」
なんてスリリングな会話! 流石はアルカディメイアの双璧! ジュッシーお姉さまだけかと思っていましたが、ヘラネシュトラお姉さまもやはり手強い……! これは何かの試しなのでしょうか……!
しかし、このまま会話に集中できなければヘラネシュトラお姉さまに対してタイヘンシツレイ! この事態をなんとか打開せねばなりません!
そんな訳で、わたしはえいやと意を決し、
「あああの、ヘラネシュトラお姉さま!」
「何でしょう、アンデュロメイア様」
こてんと首を傾げるヘラネシュトラお姉さま。わたしの額から流れる、一滴の汗。
わたしの勘違いなのか、ヘラネシュトラお姉さまの素なのか分かりませんが、切り出したからには突っ込まねばなりません!
「その、わたしはゼフィリア以外の服装をよく知らないのですが……」
「服装? アンデュロメイア様は服飾にも明るいのですか? 何かあれば、是非とも仰ってください!」
手を組み、キラキラと瞳を輝かせるヘラネシュトラお姉さまから、わたしは全力で目を逸らし、
「さすがに、腰巻は履かれた方がよいのでは、と……」
静まり返ったホロデンシュタックの図書蔵。
大きな窓から夕陽が射し込む、清廉な空間。
ヘラネシュトラお姉さまはサッと腰元に手をやり、一瞬で離脱。筋肉。しばらくして、普段通りの服装でお戻りになりました。
ヘラネシュトラお姉さまは向かいの席に座り、そのお顔を真っ赤に染め、
「申し訳ありません。お恥ずかしいところを……」
「いえ、わたしも似たような失敗は……したことありませんがお気になさらず……」
フォロー不可能! 色々ダメダメなわたしですが、ノー腰巻外出はしたことありませんですはい!
わたしたちの服装は基本水着同然の露出が多いものばかり。ですが、履いていないとはっきり分かる服装は流石に初めてだったのです。帯から垂れる前垂れ後垂れで大事なところは隠れていましたが、もんの凄くきわどいスリットでした。
普段しっかり着物を着ていることから生まれる落差と申しましょうか。女性のわたしから見ても、扇情的で悶絶セクシーな格好になってしまっていたのです。
ヘラネシュトラお姉さまのとても白いお肌、それが黒い着物と絶妙なコントラストを醸し出し、フェンツァイさんではありませんがご馳走さま級の艶やかさでございました。わりと鼻血。
聞けば、ディーヴァラーナはタイロン同様気温の低い島で、ホロデンシュタックと同じふかふか大き目のお布団を使うのが当たり前なのだそうで。
そしてお布団に入ったあとは服を消去し、裸で寝るのが普通なのだとか。なるほど、起き抜けに腰巻を作るのを忘れてしまったのですね。よくあ……ることではありませんが、うっかりならば仕方ないと思います。
ヘラネシュトラお姉さまはこほんとひとつ咳ばらいをし、
「アルカディメイアでアンデュロメイア様が開かれた生活用石作りの講義。島を失った私達ディーヴァラーナの人間にとって、その考えこそが最も優先すべき技術であると、私は確信しております」
「ふえあ、そんな……」
突然変わった会話の内容に、わたしは恐縮してしまいました。そういえば何だか褒められている最中だったのでした。
「新たな創意は大地が育むもの。民の生活を第一に考え、有事に際し日常を整える。人を活かし育む教えとして、また島主の執り行う政策として、これ以上のものは無いように思えました」
「そんな……、ううっ、ありがとうございます……」
わたしはヘラネシュトラお姉さまの有難いお言葉に、何処までも素直に感動し、感謝しました。
ナーダさんやホウホウ殿の後押しはあれど、わたしの研究はその証明に確実な恩恵が約束された訳でもない、この世界では未だ途上の分野。なのに、こんなしっかりとした形で認めてもらえるなんて……。
わたしが真っ赤になって照れまくっていると、ヘラネシュトラお姉さまはその表情を少し翳らせ、
「本来ならば、あの考えはディーヴァラーナの人間である私が思い付かねばならないものでした。他の島からの評価に囚われ足元を疎かにしてしまうなど、島を預かる者として、本当に情けなく思います」
「しかし、それは仕方のないことでは……」
石作りにおける基礎教育課程の構想は頭の中に別の世界を生きた人の知識があり、加えてその知識に頼らねば生きてこれなかった、弱い肉のわたしだからこそ思い付けたもの。
あれば嬉しい、無くとも別に困らない。お母さまたちが喜んで受け入れてくれただけで、わたしが伝えたそれはこの世界に不要な文化なのです。
頭の中の記憶の人類とそもそもの生態が違うこの世界の人間に、思い付ける筈もありません。
それなのに、ヘラネシュトラお姉さまはわたしのフォローを受けようとせず、
「いいえ、私は持てる者として、その責務を果たせずにいるのです」
俯き、思い詰めたお顔で、
「そう、本来ならば、私がせねばならなかったこと……」
次第に小さくなっていく、ヘラネシュトラお姉さまの声音。何処でもない、虚空を見つめ始めた赤い双眼。
「私……、私が……」
呟き続ける、赤い唇。青磁のような白い肌も相まって、人形のように硬く見える、その相貌。
図書蔵の空気が緊張に軋み、ひび割れていくような錯覚。
赤い瞳。その奥に揺れる、危うい光。
何かがいけない、そう思い、
「あの、ヘラネシュラお姉さま。大丈夫ですか?」
わたしの声に、ヘラネシュトラお姉さまは、はっと我に返ったように視線を上げ、
「すみません、私事で……」
それから、わたしの不安を打ち消すように、
「そういえば、ジュッシーが石作りの指南を願い出たと聞きましたが、これはその資料ですか?」
「は、はい、そうです! あ、でもその……」
ヘラネシュトラお姉さまの取り繕ったような話題に、今度はわたしが硬くなってしまいました。
「ご存知かと思いますが、喧嘩に使う得物はわたしの専門外なのです。果たして、お役に立てるかどうか……」
話しながら段々と消沈していくわたしに、ヘラネシュトラお姉さまは穏やかに微笑み、
「ジュッシーは今まで人に求めたことがありませんでした。そのジュッシーが指南を願い出たのです。ジュッシーはあなたに何かを感じ取ったに違いありません」
「そう、なのでしょうか……。ジュッシーお姉さまがわたしに……」
俯くわたしに、ヘラネシュトラお姉さまは、「ええ」と頷き、
「アンデュロメイア様ならば大丈夫かと。あなたは相手の立場でものを考えられる人間。人の能力を引き出せる人間であると、私は考えます」
「他人の立場になって考える……」
その言葉に、わたしは顔を上げました。ヘラネシュトラお姉さまは黒いまつ毛を伏せ、小さなお声で、
「ジュッシーと呼ぶようになったのですね。私も、いえ……」
その頬を恥ずかしそうに染めました。わたしはそんなヘラネシュトラお姉さまに、
「あの、ヘラネシュトラお姉さまも親しい呼び名で構いませんか?」
「はい、ええ、是非に……!」
「ありがとうございます、シュトラお姉さま」
わたしが呼ぶと、シュトラお姉さまはいつも通り柔らかく微笑み、
「はい。ジュッシーをよろしくお願いします、メイア様」
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