第114話 あなたの散った空の上で(3)
虚空に浮かぶ、鈍色の石。
かなめ石で指示を出し、変質膨張。
わたしの頭上に出現する、超巨大な金属塊。
ホロデンシュタック領の図書蔵で性質代入法を学び直し、火込め石の式を仕込んだはがねによる、超大質量攻撃。
「参ります……!」
お二人の間隙を狙い、はがねを突撃。翔屍体に直撃し、装甲全体に大きな亀裂を走らせる、確かな手応え。
いける……!
かなめ石を振りかぶり、二撃目。真空の世界で行われる、無音の超質量打撃。しかし、
「これはっ……!!」
直撃したはずの装甲から、手応えが無い。一撃目と違い、装甲の破壊が進まない。わたしは急ぎ原因を解析。
打撃点を注視し、気付く。
それは衝突面に生まれた氷の結晶のような六角形の小さな鱗甲。その結晶が次々と増殖し、まるで巻き戻しのように修繕されていく氷の表面。はがねを受け止めた部分から逆に強化されていく、翔屍体の装甲部。
「いけない!」
わたしはすかさず金属塊を消去。
これは石の相生効果。
砂は鉄を育み、風は火を勢いづかせ、鉱物は水滴を滴らせる。石作りの科学的法則に基づいた、相生反応。
本能か、外部からの干渉にただ対応しただけなのか。
どちらにせよ、宇宙空間での風や火の働きは効果が薄い。この場所全てが、水とはがねの味方をしているのです。
何より、これは研究者であるフェンツァイさんが生前培った知の集積、その発現。例え解明には至らなくとも、ホウホウ殿の合成石の仕組みが活かされていて当然。
足りなかった。
全てが足りなかった。
この世界の女性が作るピーキーな性能の石。限定的で独創的。操縦性が低く、汎用性は皆無。すべてはこのためのもの。あれらは全て理に適っていたのです。
未だ、わたしの石作りでは決定的な打撃を与えられない。
ですが、ここで手を止めて成るものですか……!
わたしは砂込め石を作り、六器の陽岩を作製。相克を考えれば、先ほどのはがねよりはまだマシなはず。
ヌイちゃんとテーゼちゃんに遠隔で風を送り、その動きを操作しながら行う遠距離攻撃。ヌイちゃんの刃で、テーゼちゃんの拳で、わたしの爆撃で行う、討伐隊三人の総攻撃。
このまま押し切る。ここで落とし切る……!!
壊し、治され。また壊し。一枚一枚薄皮を剥いでいくようなもどかしさ。何撃目か分からない、わたしが陽岩を打ち出した時、ふいにずれたように錯覚する氷の壁。
そのことに気付いたわたしは声を上げ、
「テーゼちゃん、上……!!」
ゆっくりとその身を傾斜させ、倒れていく翔屍体。その巨体が近距離で取り付いていたテーゼちゃんの上へと覆いかぶさり、
「テーゼちゃん!」
わたしは急ぎテーゼちゃんの状態を確認。纏いのおかげで怪我はないようですが、テーゼちゃんは離れた場所へ、巨槍の向こう側に弾き飛ばされてしまいました。
これは翔屍体の攻撃? ……いえ、違う!
わたしたちの目の前、その頂きを星へと向け、滑るように落下を始める氷の槍。
これは照準行動。シグドゥに吶喊するための、突入行動。わたしたちが倒しあぐねている間に、その時が来てしまったのです。
翔屍体が夜に向かう、その時が。
わたしの右頭上、無重力空間で器用にくるりと方向転換し、氷の巨槍を追う黒い羽織。ヌイちゃんが纏いの風の制御を随意に切り替えたのです。
ヌイちゃんの跡を追い、わたしも急速下降。そう、迷っている暇は皆無。テーゼちゃんの纏う風に指示を出し、追い付かせるよう同時に操作。
ヌイちゃんの追う先、その穂先から炎を迸らせ、空気の層に落ちていく氷の槍。
わたしは追撃しながらはがね石で情報を読み取り、重力加速度と入射角を計算。翔屍体は星の曲面とほぼ平行に飛行。垂直落下では無い、おそらくこれが、この槍の攻撃力を最大限に発揮させる突入角度。
纏いの表面、再び走る摩擦熱。今度は下降しながら、空を追う。世界の色が黒から紺へ、紺から赤へと変わっていき、視界の炎が風に消えた頃、
『音飛び石の機能、復帰致しました』
「上空で得た情報を数値化してそちらに送ります、直ちに分析を。返信は複数同時で構いません、並列思考で処理します」
『承知致しました。情報、アルカディメイアのヴァヌーツ領へ』
大気圏内に戻り、復活した音飛び石から聞こえるナノ先生のお声。
風を切る音が纏いの中にまで届く、超高速の追跡飛行。風がある、ここなら行ける。わたしはそう判断し、速翔けを起動。しかし、
「くっ!」
移動した途端目の前を通り過ぎていく、氷の表面。すぐさま追い抜かれ、再び追う形になってしまう。速翔けは移動前の慣性、運動量まで伴うことが出来ない。これでは風で飛行する他ありません。
それでも追いすがる。
風を送り、出来る限り引力を利用し、それでも追い付けない。ただ速度を出すことが、こんなに難しいなんて……!
『対象、更に増速しましたの!』
音飛び石から聞こえた絶望的な報告に、わたしは即時決断。両手からはがね石を三十ずつ生み出し、槍を形成。赤熱化させ、高速投射。氷の表面、何とか突き立つ赤鋼の槍。
これをアンカーに、はがね石で特定空間座標に固定する。それで少しでも、足を止められれば……!
「なっ……!?」
直後、取り付いた筈の槍が弾かれ、粉砕消滅。わたしはフェンツァイさんの取った行動に歯噛みし、深く納得しました。
回転。
これ以上無いほどシンプルで効果的な運動。
弾丸のように空を翔け、夜へと向かう氷の槍。攻防両面を増幅させたその運動から破壊力を逆算し、傷だらけの拳を握る。
例えシグドゥを討てなくとも、こんな破壊の力を夜に向かわせてはいけない。夜の海の平穏は男性たちによって整えられ、とても繊細なつり合いの上に成り立つもの。そこにこんなものが飛び込んだらどうなるか。
この力を、夜に向かわせては絶対にいけない。
わたしは再び槍を作り出し、高速投射。しかし、回転する表面にその全てが砕かれ、どろどろの溶鉄となって散ってしまう。ようやく追いついたヌイちゃんの斬撃すら弾かれ、まともな傷を与えられない。
『あかん……! こらあかんえ!』
いつも余裕なヌイちゃんから初めて聞く、焦燥の声。翔屍体の向かう先、雲の隙間から覗く空がその色を黒く濃くしていく。このままでは夜に入ってしまう。逡巡し、混乱する。その中で、
「っ……!? テーゼちゃん!?」
突然、脳に電流が走ったかのような感覚。振り返る必要も無い、その意図を頭で理解する。しかし、
「テーゼちゃん、でも……!」
わたしが反応したのはテーゼちゃんから放たれた思念波。振り返ればわたしたちの背後、左手の陽岩を最大出力で噴射し、高速で追い上げてくるテーゼちゃんの姿。
あの出力、間違いありません。テーゼちゃんはまさか、でも……!
『早せんね! 少しでも抵抗ば無うすんと!』
「っ! 分かりました!」
わたしは言われた通りテーゼちゃんの纏いを解除。すると、テーゼちゃんは左手の陽岩で燃え尽きるほど最大加速。右手の陽岩を熱く握る極大の拳に、燃え盛る怪腕へと変形凝縮。
テーゼちゃんは氷の巨槍、その石突に向け、右の一器を大きく振りかぶって、
『止ぉまああああ!! ファンツァイお姉様ぁあ!!』
回転軸の中心を目標とした、底面打撃。空に響き渡る硬質な爆発音。立ち昇る火柱と、纏いに感じる衝撃波。自分の筋肉もろとも破壊の技としたその威力、正に乾坤一擲。
紛うことなき、肉弾攻。
「いけない、テーゼちゃん!!」
テーゼちゃんの纏う全ての石が砕けた感覚を受け、わたしは速度を落とし、
『メイちゃん、前ぇえええッッ!! フェンツァイお姉様をぉおお!!』
音飛び石が砕ける直前、最後の通信を残し、テーゼちゃんは雲の下に消えていきました。
大丈夫。
再加速。この世界の人間は、テーゼちゃんはこの高さから落ちても死にはしない。わたしは心の中で自分に言い聞かせ、前を向く。
ぴしぴしと纏いに当たる、砕けた氷片。破片を撒き散らしながら飛行を続ける、氷の槍。
回転速度が緩まり、ひび割れていく翔屍体の装甲部。何とか追い付けたわたしは両手ではがね石を二十生み出し、高熱化させた槍を形成。空いた亀裂に集中して突き込み、変形膨張。
こじ開ける。
途端、纏いに感じた違和感に、わたしは音飛び石の機能を一時停止。
「っっ……!!」
極大の耳鳴り。平衡感覚が狂い、思考にノイズが走る。石の操作が鈍り、装甲に突き込んだはがねの変形が止まる。
翔屍体が氷とはがねの身を震わせ放った、破壊性高周波。
耳の奥に残る違和感を気力で抑え、音飛び石を再起動。同時に、翔屍体装甲部に入り込んだはがねの操作を再実行。風を纏っていて、なおこの威力。ソーナお兄さんが言っていた軋む声とは、このことだったのです。
それでも逃してはいけない。
テーゼちゃんが作ったせっかくの好機を、逃してはいけない……!
『そのままやで、メイちゃん! そのままがええんや……!』
ヌイちゃんからの通信を即座に理解し、わたしは打開策を実行。砕けてもいい。深部まで届かなくともいい。少しでも氷の内にはがねが入り込むよう、変形操作。
ヌイちゃんは氷の槍と並走し、はがねの入り込んだ亀裂に軌道を合わせ、
『ぜい、やっ!』
気合いとともに放たれる無刃の斬撃。装甲に流れ込んだはがね越しに斬りつける、渾身の一撃。その威力全てを内部に浸透させる、裂閃の刃。
緑色の衝撃波が槍の反対側へと貫通。割れて生まれる大きな裂け目。その亀裂がびしびしと全体に行き渡り、頂へ。
直後、悲鳴のような音を上げ、爆発飛散する氷の装甲。
纏いの風を叩き、赤い空に散っていく氷の破片。
『衝突体装甲、破壊確認。氷片群は海面に墜落する前に消滅。予想される陸への被害はございません』
「ありがとうございます。引き続きお願いします」
『承知致しました』
ありがとう、ナノ先生。
ヴィガリザさまの言う通り、ナノ先生にお任せしてよかった。流石ナノ先生。わたしが気にかけたことを先回りで教えてくれる、広範囲の観測報告が無ければここまで思い切れませんでした。
眼前にはひこうき雲のように氷煙を吹く飛翔体。やがて、
『本体、露出しますの!』
ディッティーさんの報告。氷煙が晴れ、現れるのは翔屍体の中核。それはつまり、フェンツァイさんの体そのもの。
白い髪、白い肌。
白い着物と、周囲に侍らせた氷の装甲鱗。
胸の前に浮かぶ石は二つ。その色は青と灰。
ほどけた藍色の帯を熱帯魚の尾のようにたなびかせ、黄昏の空を優美に泳ぐ、人の屍。
螺旋軌道を描いて空を飛ぶ、わたしたち三人。
奇妙に静まりかえった、一瞬の輪舞。
手を伸ばせば触れられる。そんな距離感の中、ゆっくりと開いていくフェンツァイさんの白い瞼。そこに輝くのは完全に瞳孔が開き切った紫色の瞳。
そして、フェンツァイさんとわたしの、
『メイちゃん、来るでえッ!!』
目が、合った――
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