第40話 アーティナの男たち
「ルーデ、ヘイムウッドは起きてるかしら?」
「はあ、まあ。起きてはいる、と思います」
視界をゆっくり通り過ぎていく、大きな柱の列。全てが白い石で作られた、アルカディメイアのアーティナ領。
長い長い石の廊下。わたしはアーティナのお二人の背中を、ちょこちょこ歩いて付いていきます。何故だか分かりませんが、資源の話をする際、場所を変えると言われたのです。
前を行くお二人の会話、レイルーデさんにしては歯切れの良くないお返事を不思議に思い、
「どなたでしょう?」
わたしが質問すると、ナーダさんが立ち止まって振り向き、
「男よ」
「男性の方!? そ、それはつまり甘く時に切ない、ときめく方面のお話ですか?!」
わたしがご当人を高速でロックオンすると、レイルーデさんは心底嫌そうなお顔をして、
「家が隣同士だったんです。それ以上でも以下でもありません」
「そ、それは幼馴染みではありませんか!!」
そう、この世界のときめきのテッパンというヤツなのです! 幼馴染として育って、そのまま家族になる流れが一番多く、そして自然なのです! きゃー!
ロマンスを期待してテンション爆上がりになったわたしを、お二人は無感情に見下ろし、
「アンデュロメイア様、ここはゼフィリアではないのです。全てを諦めてください」
「そうね、諦めて」
「え、あ、はい……」
わたしはお二人との温度差に気付き、すぐさま消沈。レイルーデさんとナーダさんは深いため息を吐いて、
「何が悲しくてあんな生き物に……」
「ていうかねえ、男って生き物自体がねえ。うーん……」
「ちっ、逃げたわね。ルーデの奴……」
お二人に案内され、辿り着いたのは島屋敷に隣接した大きな建物。
その建物を前に、わたしは勝手に納得しました。なるほど、おそらくここは蔵のような場所なのです。資源の話をするならば、確かにその方が手っ取り早いと思います。
しかし何故でしょう。この建物だけは他と作りが違い、柱の間が壁できっちり埋まっています。ていうかナーダさんの言う通り、気付けばレイルーデさんの姿が消えていて、一体何処へ行かれたのでしょうか。
わたしがレイルーデさんを探しきょろきょろしていると、ナーダさんはわたしと目線を合わせるよう膝立ちになり、
「メイ、体調を崩しそうになったらすぐに言うのよ? 我慢しちゃダメなんだからね?」
「え? あ、はい」
ナーダさんは立ち上がると右手の砂込め石で干渉能力を働かせ、石の壁にぐおんと入り口を作りました。頭の中でいう自動ドアみたいな感じです。
やはり石作りは便利ですねー、と感心していると、
「うっ……!」
建物の中から噴き出す凄まじい臭気に、わたしは即座に顔面ガード。それは数日前のアルカディメイアよりもずっと酷い、獣のような激臭。
「まあ、慣れた私達でもキツイから、ここ……」
「では、こうしましょう」
わたしは右手に風込め石を作り出し、ナーダさんと一緒に風を纏いました。ナーダさんは纏いの中で気持ちよさそうに呼吸をして、
「ゼフィリアの、いえ、ヘクティナレイア様の秘伝ね。素晴らしい技だわ。ありがとう、メイ。さ、行きましょう」
「は、はい。ナーダさん」
わたしはナーダさんに従い、中に足を踏み入れました。すると、
「ふわあ! 凄いですねえ……!」
目の前に広がる景色に、思わす感嘆の声を漏らしてしまいました。
頭上を仰げば、白い雲が浮かぶきれいな青空。壁で囲まれた建物だった筈なのですが、天井や壁を透過して外が見えるのです。もしかしたら頭の中の記憶にある、マジックミラーに近いものかもしれません。
マジックミラーは入射する光の一部を透過させることにより、鏡面と透過面を作り上げますが、それが砂込め石に、しかもここまで見事に適用出来るとは思いませんでした。
そしてこの建物ですが、蔵でなく巨大な温室だったようで。柔らかな土の地面に様々な種類の植物が植えられた、見事な場所です。あちらこちらにきれいなお花が咲きまくっていて、とても色鮮やかな景色。
「ふわあ! きれいですねえ……!」
「まあね、植物はね……」
足の裏で踏むふかふかな土の感触にうきうきしながら、わたしはナーダさんの後ろを歩きます。
超メルヘンチックな淡い色の花々に見惚れていると、ナーダさんがある場所で足を止めました。わたしはその横に並び、お行儀よくステイ。
「ヘイムウッド、ちょっといいかしら」
ナーダさんが足元の地面に話しかけると、その一部が盛り上がり、土まみれの何かがむくりと起き上がりました。その正体に気付いた時、わたしの背すじをずわわわわっと駆け昇ってくる、極大の悪寒。
わたしたちの前にのんびり立ち上がった、人型の「それ」
その口にあたるところからボロボロ落ちる、土の塊。
「これは殿下、こんな所にお越しとは」
その泥の塊が人の言葉を発した瞬間、わたしは即座に水込め石を作成。眼前の汚物に向け右手をかざしました。わたしの無意識が、わたしの頭の中の記憶が、今すぐこれを洗浄せよと、そう囁くのです。
わたしたちの目の前に立つ、「それ」
泥まみれの髪と泥まみれの着物。
泥まみれの肌に、青い瞳だけがやたらときれいな、その風貌。
ときめき以前にこの生物の存在はわたしの精神的許容量を大幅に超えています。ていうか見た目だけでも超限界、風を纏っていて正解でした。もし臭いを嗅いでいたらと思うと、とても正気ではいられません。
「メイ、落ち着いて、どうどう。いい子だから、ね?」
「すみません、ナーダさん。ゼフィリアとは男性の生態が大きく異なるようなので、説明をお願いします」
必死になだめるナーダさんに、わたしは洗浄体勢を取ったまま説明を要求。
感情の無い人形そのものになったわたしにナーダさんが教えてくれた、アーティナの男性、その生態。アーティナの男性にだけ見られる特徴、その嗜好。
アーティナの男性はみな大地の、土の匂いが大好きな人たちなのだそうです。皮膚や毛をきれいにするために砂浴びや泥浴びをする動物がいますが、アーティナの男性は砂や植物の匂いを体に付けたいがため、土の上で寝るのだとか。
そして自然と見れば見境なく育てにかかる、とにかく自然を育むのが大好きな人の集まりなのだそうで。それは陸の管理人であるこの世界の男性の特性、その延長なのでしょう。
「朝、海から帰ってきた時は何の文句も無いのよ」
「でしょうとも」
でも、海から帰ったらお風呂にも入らずそのまま土の上に寝っ転がるんでしょう? で、それを毎日続けてきたんでしょう?
ゼフィリアに住む男性の方々、今まで申し訳ありませんでした。暑苦しいだなんて思って本当にごめんなさいです。あなた方は清潔で働き者で頼りがいがあって、最高の筋肉です。
アーティナを訪れ、アルカディメイアに来て、どうしてみんな汚い格好で平気なのだろうと疑問に思っていました。
基準が違ったのです。女性は身ぎれいにしていた方なのです。男があまりにもアニマルというか、ばっちすぎるのです。
ナーダさんが先日言っていた「どうしようもない区画」というのはおそらくこの場所のこと。リルウーダさまの仰っていた「アーティナが長年抱える問題」というのは間違いなくこの人たちのこと。
そして、わたしは理解しました。それはアルカディメイア初日にわたしを囲んだお姉さまたちの心境。
生理的にダメなものは、どう頑張っても無理なのです。
肉が弱いだけで同じ人として見てもらえないなんて、と正直もんの凄いショックでへこんでいたわたしなのですが、そのことだけはしっかり理解できました。
さて、気を取り直してごアイサツです。例え相手が人と認めたくない泥肉であっても、礼を欠く訳にはまいりません。
わたしは水込め石を握り締め、ぺこりとお辞儀し、
「初めまして、ゼフィリアのアンデュロメイアと申します」
「ゼフィリア? では、デイローネ様直系の? お初にお目にかかります、姫君。アーティナのヘイムウッドと申します」
「ヘイムウッドさんですね、よろしくお願いします」
ヘイムウッドさんが喋るたびに口元にこびりついた土がポロポロと落ちてきて、何かもうわたしは限界です。ちなみに、デイローネさまというのはわたしのひいお婆さまのお名前。ひいお爺さまのお嫁さんですね。
さて、それでは、
「アイサツを終えましたので、洗浄です」
再び右腕をかざし、わたしは洗浄体勢を取りました。そんなわたしを、ナーダさんは悲しげな瞳で見つめ、
「メイ、あなたの気持ちはよく分かるわ。でも、ダメなの。私達には我慢する他無いの」
そんなナーダさんを、わたしは死んだ魚のような目で見上げ、
「分かりました。では、この建物ごと燃やし尽くしましょう。大丈夫です、お花は対象から外します」
「そう出来たらと何度思ったことか……!」
苦渋ッ!!といった表情でナーダさんはお顔を背けてしまいました。
何故でしょう、アイサツは終わったのです。つまりもう焼却していい筈なのです。ナーダさんがわたしを止める理由が分かりません。
わたしが頭の中でアーティナ領浄化計画を立てていると、ナーダさんが泥肉に向かい、
「ヘイムウッド。陸のものを使って食べ物を作りたいのだけど、その材料をあなた達に任せたいの」
「魚ではダメなのですか?」
「茶に合うものよ」
「茶ですと!? よもや、殿下が茶に興味を持たれるとは!」
「ちょっと、大きな声出さないでよ……!」
焦ったように周囲を見回すナーダさんに、ヘイム泥肉さんは全く空気を読まない超アゲアゲな反応。その喜色泥面な土塊の様子を見て、資源のお話の時にナーダさんが乗り気でなかった理由が分かってしまいました。
この人たちに食べ物のことを任せたらヤヴァイことになるのでは、という確信めいた不安。その全ての要因がお脳の中であっさり繋がってしまったのです。
ナーダさんが詳細を話すと、ヘイムウッドさんは天井の方に目を向け、
「殿下が植物を使って食べ物を作りたいそうだ。あとは牛の乳を分解するのだとか」
しーん、と静まり返る温室。しばらくして、ヘイムウッドさんはナーダさんに視線を戻し、
「本土ならば、何も問題ないそうです」
「あ、そう……」
驚きました。というかヘイムウッドさんが何をしたのか、一瞬分からなかったのです。
そう、ヘイムウッドさんはアーティナ領の男性に話しかけただけなのです。島の外で男性同士のコミュニケーションを初めて見たのですが、ナーダさんの態度に納得です。
おそらくゼフィリアでもそうだったのでしょうが、その場所が狭かったため、違和感を感じなかったのです。
肉が強い。視力が高い。聴力が高い。嗅覚が鋭い。そのことが、生き物としてこんなに違うものだなんて……。
ヘイムウッドさんはまた天井を見上げ、すぐわたしたちに視線を戻し、
「ああ、そうだな。俺はなんて失礼を……。殿下、姫君。申し訳ありません、何のもてなしもせず……」
言いながら、その泥肉が右手に石を纏わせました。色は黄と青。何をするつもりでしょう、場合によっては即迎撃してこの島を海の藻屑にせねばなりません。
ヘイム泥肉さんは足元に散らばる茶色い葉っぱを土ごと掴み上げ、
「せっかくです。茶を淹れようと思うのですが、いかがでしょう?」
その直後、光速で顔を見合わせるわたしとナーダさん。交差する視線。シッカカカーンとお脳に電流が走るような感覚。
『モウムリデース!』
『ワタシモヨー!』
以心伝心、女性同士のテレパシーのようなもの。何かよく分かりませんが伝わりました受け取れました。
ナーダさんは纏いの中で一度深呼吸。そして、あくまで平静を装い、
「いいえ、遠慮するわ。私達、昼食を済ませたばかりなの」
「なんと、それは残念です……」
話す土塊は首を振りながら石を起動。白い大きなお茶碗を砂で形作り、すかさずお湯を投入。その中に茶色い葉っぱをガサッと突っ込み……、
「あわ、あわわわ……」
その姿を前に、わたしの思考回路はショート寸前。今すぐ倒れとうございます。
「アーティナの男は木や花や、大地の香りが好きなんです」
「ひっ!!」
色んな意味で崖っぷちなわたしを前に、笑顔で泥水を、いえ、お茶をすする有機肥料さん。そしてとうとう、わたしという存在が限界を迎えました。
わたしはカタカタ震えながらナーダさんを見上げ、その左手に風込め石を託し、精一杯の笑顔で、
「ままま纏いを維持するよう操作を固定しました。ナーダさん、ああああとをよろしくお願いしますすす……」
「えっ、ちょっ、メイ!」
ふつんと途切れるわたしの意識。
真っ暗になるわたしの視界。
「メイ、しっかりして! メイ!」
「おや、姫君もお昼寝ですか?」
赤い夕陽、赤い海。
わたしが再び意識を取り戻すと、そこは海の上でした。
眼下に広がる凪いだ海面。ほんのちょっとだけ浮かんだわたしの身体。
いけない、わたしは泳げないのです。
あわあわと宙に浮いたまま慌てていると、大きな手がわたしを捕まえてくれました。
わたしを抱き上げた、力強い腕の持ち主。
刈り込んだ短い銀髪に青い瞳。
小麦色の肌に紫色の着物。
精悍な顔に深いしわが刻まれた、お年寄りのお顔。
わたしのひいお爺さま。
その姿に心底安堵し、わたしはひいお爺さまの清潔な胸板に顔をうずめました。
戻ってきてくれたのですね、ひいお爺さま。ひいお爺さまに会えたら、お話したいことが沢山あったのです。
ねえ、ひいお爺さま。
わたし、ひいお爺さまに食べてもらいたいものが沢山あるのです。揚げ魚以外にも色々沢山、おいしいものを作れるようになったのです。
それに、わたしは恨んでなどいないのです。ひいお爺様が気に病む必要は無いのです。
だから、ひいお爺さま。わたしは大丈夫なのですよ……。
夕陽に染まったわたしのくせっ毛を優しく撫でる、ひいお爺さまの大きな手。
やがて、ひいお爺さまはわたしを抱いたまま、ゆっくり歩き始めました。わたしはその腕の中、ひいお爺さまの向かう先に目を向けます。
「殿下、姫君はどうされたので?」
「えーと、そう! メイは体が弱いのよ! すぐ行き倒れたりするの、たしか!」
「それは一大事! では気付けにこの茶を!」
「そういうのいいから! ちょ、増えるな! あんた達は寄ってこなくていいから!」
ワー、ヒーオジーサマー……。
ユーヒガキレーデースネー……。
「材料を集める前に、あんた達にはまず身に付けてもらう習慣があるわ!」
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