第7話 蔵主さんはいつも眠い(1)

 すだれの向こうに聞こえる、夕立の音。

 お部屋を照らす、不思議な石の柔らかい灯り。


 広い広い自室の真ん中。わたしは使い古した小さな木の文机に向かい、ころころと巻物を転がし、広げていきます。


 それは墨を必要としない、鉄筆でなぞると字が浮き出る不思議な紙。間違えた部分を指でなぞると修正できる、不思議な紙。


 わたしは鉄筆を使い、その紙に文字を記していきます。


『全部ですよ! 全部吹っ飛んじまったんです!』


 あの日、あの朝。エイシオノーおばあさんは超大きな声で、自分がいかに衝撃を受けたのかを話してくれました。


 出汁を口にした瞬間、頭の中の言葉が全て吹き飛び、自分が死んでしまったのではないかと錯覚したとか何とか。そして今までの自分の人生を思い返し、ある後悔で押し潰されそうになったとか何とか。


 六十年間、自分は間違った食べ方をしていた。

 あれが、あれこそが、お魚の本質。

 あれこそが、本物の味。

 

 もう一度、いや、叶うならば何度でも味わいたい。あの味を自分の手で作り出したい。あの技術を自分のものにしたい……!


 それが可能ならば実現せずにいられない。そのために自分の筋肉を鍛えに鍛えて鍛えまくる、克己心の権化。それがこの世界の、いえ、ゼフィリアの女性なのです。


『流石エイシオノーです。彼女ならば分かってくれると信じていました』


 と、自信マンマンに頷ずくお母さまを見て、わたしは一人で思い悩んでいたことが恥ずかしくなりました……。


 さて、強い者は持てる者、弱い者に与えて当然。というのがこの世界の常識。それは知識に関しても当てはまるようで、


『食事に関して思い付く限りのことを全てお話しなさい。全部、全部です』

『そうですよ、お嬢様! 全部、全部ですよ!』


 お料理のことを知っているわたしはお母さまとエイシオノーおばあさんの質問攻めにあったのです。


 それは望外の喜びでした。


 わたしと話し、わたしの言葉に耳を傾けてくれる人がいる。わたしは生まれて初めて人に求められたのです。


『あ、そ、その……。あの……』


 わたしは涙声になるのを我慢しながら、お二人の質問にひとつひとつ答えました。こんなわたしにも出来ることがある。こんなわたしでも人の役に立てる。わたしの体の底から、やる気と情熱がムンムン湧いてくるのが分かりました。


 それに、これはわたしにとって願ってもないことなのです。


 お食事はステキなもの、お食事は楽しいもの。その喜びを、沢山の人と共有できるようになるかもしれない。それはわたしがずっと願い、夢に見てきたことなのですから。


 本気で取り組む、そう決心したお二人のエネルギーはわたしの想像を超えるものでした。そう、あの日あの朝から、わたしたちのお料理に対する挑戦の日々が始まったのです。


 つまり、モンタージュ入ります。


 お料理に必要なのはまず食材。エイシオノーおばあさんとお母さまは毎日山ほど海産物を獲ってきて、わたしの前に並べました。その量その種類は多過ぎて、心配になるほど。


 しかし、海守であるお二人にはこれっぽっち程度の量らしく、全然問題は無い、とのこと。


 この世界の海、そのスケールはわたしの想像以上に大きいものなのでしょう。わたしは文字通り井の中の蛙なので、海のことはお二人にお任せしようと思います。


 それに比べ、お二人が難色を示したのは陸のもの。


 ここエウロフォーンはその殆どが海に覆われた海洋惑星。陸の面積が極端に少ないのです。海に行けば食べるものはいくらでも手に入る。少ない資源である陸のものをわざわざ口にする必要を感じないようです。


 主食はあくまでお魚。なので陸のものは味付けをするために少しあればいい。調味料として使うにとどめよう。という方針で納得していただきました。


 わたしがお二人に採集をお願いしたのは島に生えている植物、草ですね。野草であっても、きちんと洗ってきちんと処理すれば、それは立派な食材になるのです。


 そして、その植物はものの数分で集まりました。さすがこの世界の人類。さすが筋肉です。


 一番の収穫はわさびがあったことでしょうか。わさび、といっても西洋わさび、ホースラディッシュのような大きな根を持つ植物です。


 他は頭の中の記憶に近いもので言いますと、バジル、オレガノ、ローズマリー、パセリ、ルバーブ、ケッパー、レモングラスなどがありました。


 ひとまず素材はこれで充分。あとは部位の選別、食べ方の模索。


 煮て焼いて蒸して、生のままで。


 どこまでやれば、それはお料理になるのか。その線引きはやはり難しいものなのです。


 それに、頭の中の記憶の人類とわたしたちは似てるようで違うもの。同様に、自然もまたこの星独自のもの。全てを頭の中の記憶の様式通りに進めようとしても、齟齬が出るだけかもしれません。


 そう思ったわたしは、基本となる調理法を説明するに留め、あとはお二人に任せることにしました。わたしに海守の経験があれば、頭の中の記憶とこの世界の海産物の詳細を比較して判別できたのですが、悔しいです……。


 そうそう、どういう訳か、エイシオノーおばあさんは火を使う焼き料理に対しあまり積極的になれないようです。今まで完全生食だったので仕方のないことだと思いますが、エイシオノーおばあさんならすぐ慣れてくれると思います。


 それはともかく、いざ実践。


 筋力が無くてもお料理なら、とお手伝いを願い出たわたしなのですが……、


『手付きが危なっかしくてはらはらしちまいますねえ。ね?』

『そうですね。アンは説明を終えたら部屋で待機です。ね?』


 と、お二人から締め出しを食らってしまいまった……。ですが、そんなわたしにもやっとお役目が与えられたのです。


 それは記録。


 お料理はステキで、とても楽しいもの。しかし、危険が無いわけではないのです。というのも、頭の中の記憶の人類とわたしたち人類は、必要としている栄養素が異なるようなのです。


 頭の中の記憶には人間が必要とするタンパク質、脂質、炭水化物、という三大栄養素なるものがありますが、わたしたちの食生活に炭水化物は一切含まれていないのです。


 お料理の知識には役立っても、わたしたちの健康管理に頭の中の記憶がそのまま適用できるとは限りません。今まで摂取してこなかったものを食べることで、体調を崩してしまうかもしれない。


 そうなった場合、すぐにその食べ方をやめ、危険なものとして記録しなければならないのです。しなければならないのですが……。


 人の胃に分解できないものなどあるはずがない、心配ご無用。


 という、見事なまでにお脳が筋肉な返答をお二人からいただきました。


 さすが病気知らずの超健康筋肉集団。毒やバイ菌など、この世界の人間には通用しないのかもしれません。というか早くも頭の中の記憶の常識が通用しなくなってきました……。


 いえしかし、せっかくお役目を与えられたのです。お料理のレシピをまとめたり、食材の性質を分析したり、やらねばならないことは山積みなのです。


 今わたしは文机を前に、お役目の真っ最中。


 すだれの向こうに聞こえる、夕立の音。

 お部屋を照らす、不思議な石の柔らかい灯り。


 もう少ししたらお夕食の時間。


 わたしの大好きな時間。


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