第92話 熱導回路都市ヴァヌーツ(1)
赤色の髪に滴る、夜空の月を閉じ込めた雫。
褐色のうなじを導かれるように滑る、砂漠の色に染まった雫。
「済みました、ヴィガリザさま」
「ハイハイ、あんがと」
とぷんと日が暮れた夜の時間。
議事堂横に新設された、超大きな露天風呂。
人の匂いと果実の香りが混じる湯気の中。湯船に浸かるヴィガリザさまの髪のお手入れを終え、わたしとイーリアレははがねの浴槽に身を沈めました。
「ふわー、いいお湯ですねえ」
「はい、ひめさま」
ヴァヌーツは火と鋼の島。しかし、この島の人はお湯を沸かすのに火込め石を使わないのです。
その仕組みは料理同様、はがね石。はがね石はそのもの自体の熱を変化させることが出来ますが、内蔵した熱エネルギーを貯蓄し、任意に放熱させることも可能なのだとか。
このお湯は日中蓄えた太陽熱で沸かされているそうで。うーん、干渉能力もそうですが、はがね石がここまで応用の利く石だとは思いませんでした。
わたしの隣、ヴィガリザさまは長い髪をまとめようとしばらくわちゃわちゃしていましたが、やがてメンドくさくなったのか、はがねの髪飾りでバチッと固定。後頭部にもさっとした塊を作ったまま、浴槽の縁にぐでんと体を預け、
「そーだ、メイア。アンタもー明日ッから自由ね、自由」
「ほえ? と、言いますと?」
「だーら自由ッつッたじゃん。こッちはもーアンタがどんな人間か大体分かッたのよ。だけどアンタの方は? ッつーハナシー」
つまり、わたしの島主研修期間は今日で修了。帰るのも残るのも自由というお達し。
「知りてーことあんなら、見たいとこ見てけばいんじゃん? 聞きたいことあったら近くのヤツ捕まえな」
「はい、ありがとうございます。ヴィガリザさま」
「ま、こッちゃあちゃんと連絡取れる相手なら何の文句もねー訳よ」
「こ、これからもどうぞよろしくお願いしましゅ……」
島主は持たざる者に与える役目。島民の生活を保障し、共同体を維持する人。あと、たまーに他の島と連絡をするくらいの、ゆるーい責任者。
という認識はあくまでお母さま的なもので、その把握は超絶ふんわりしたものだったのです。
ですよねー、そんなはずありませんでした!
そもそも、他の島との連絡を日常的にしていた海守のお母さまと、虚弱で引きこもりだったわたしとでは交友関係の幅がダンチなわけでして。そのわたしがアルカディメイアで得た知人だけで島主かませるはずがなかったのです。
ひいお爺さまとスナおじさまはゼフィリアの海域と隣接したトーシン、ヴァヌーツとしっかり相互連絡を取り合っていたそうで。ひいお爺さまはわたしがアーティナで見たような、手紙での連絡をかなり密に行っていたとのこと。
ていうか、ヴァヌーツは要注意事項だったのです。ゼフィリアが姉妹として仲がいいのはアーティナですが、隣人として関わりが深いのはヴァヌーツの方だったのです。
そんなことも知らずに、「わたしがゼフィリアの島主でしゅ!」と、いきなり全世界にイエーイしなくてよかったと思います。ここに来てお母さまの言っていた、「今のあなたでは島主として不十分」という理由がよーっく分かった次第であります。
赤面したわたしそっちのけで、ヴィガリザさまはお湯に身を沈ませ、更に気だるげな不機嫌声で、
「はーもー、翔屍体んコトとかマジで今更、マジで遅えッつーハナシー。どいつもこいつも話が通じねーんだもん」
「えあー、それは仕方がないかと……」
そう、わたしがヴァヌーツに呼ばれたのはお隣の島主候補だから、という理由だけではなかったのです。
きっかけは、わたしがアルカディメイアでナノ先生にお願いした翔屍体監視体制の構築。
わたしがそう世界に働きかけたことで、「へー、ゼフィリアに話の分かるヤツがいるッぽいじゃん。レイアの娘? マジ? アレから言葉通じる子が生まれたん?」と、ヴィガリザさまのお目に留まったわけなのですね。
世界の島々は翔屍体に関する情報を常に共有し、密に連携を取るべき。ヴィガリザさまは長年そう呼び掛けていたそうなのですが、実現には至らず仕舞いで、ひっじょーに苦い思いをされてきたのだとか。
問題点は二点。長距離連絡手段と、この世界の人間の気質。
連絡手段はお母さまの音飛び石をわたしが量産したことで解決しました。しかし、難関は二つ目だったのです。
わたしが各島の海守さんのために配備した音飛び石なのですが、
『ねー、今度喧嘩しよー』
『聞いて聞いてー、こないだウチの旦那がさー』
という世間話もいいトコな通話にばかりに使われているらしく、各島の海守さんたちは情報共有の優先順位を全く分かっていなかったのです。
やはりこの世界の人類は基本脳筋でゆるふわな性格。ヴィガリザさまが現体制では手に負えない非常事態を具体的に説明し、危機感を持つよう呼び掛けても、全く理解されなかったそうで。
加えて、この世界の女性は基本自信マンマンで、自分たちで何とか出来る、して見せる、という意識が強すぎるのです。だから他人に頼るということをしない、わざわざ他島に連絡することではないと思ってしまうのですね。
わたしもそういうやり取りには心底思い当たる節がありますので、心中お察しいたしますです……。
「なーにが、心配ご無用だッつーの。人一人に出来んことなんてたッかが知れてんだろーに、マジでヤッベーことになッてからじゃおせーんだッつの。アンタんとこのレイアとディナみたいに、キチンと自分の力弁えてんヤツが少ねー少ねー」
「あー、あのやり方は普及させたいですねえ」
あのやり方とは、ヴィガリザさまに教わったゼフィリアの翔屍体討伐フォーメーション。
ゼフィリアは空を飛ぶ方法を身に付けないことで、翔屍体を生み出さない慣習で生きる島。その最低限の備えとして空を飛べる人数を絞ったことで、ある討伐編成が生まれたのです。
それは、「運び手」と「討ち手」という役割分担。
お母さまが遠翔け速翔けで機動力を受け持ち、ディナお姉さまが翔屍体の石を破壊する。風で空を飛ぶ人間と、翔屍体に攻撃する人間が組むという、二人一組のダブル脳筋編成。
わたし自身、飛行と攻撃を両立出来る人間なので考え付かなかったのですが、この方法ならば各々の能力を十全以上に活かすことが出来るのです。
例えば、わたしが風でシオノーおばあさんを運んだら、それはわたし一人よりもずっと確実性のあるやり方だと思います。物凄い単純ですが、石作りのリソースや訓練もろもろを考えると、とても効率的且つ現実的な仕組みなのです。
運び手ならば肉の弱いわたしにも務まると思いますし、お母さまはきっとそれを分かっていたのです。多分。
運び手はパートナーの体捌き、その癖を理解することが大前提。わたしが島の人と組む時のことを考え、ゼフィリアに戻ったら日常的な課題として取り組まねばなりません。
わたしが頭の中で今後の予定を組み立てていると、ヴィガリザさまはわたしの青い瞳に目を向け、
「そーそー、翔屍体観測班の管制権限。あれ、アルカディメイアに移譲させたから」
「え!? そ、そんないつの間に!?」
「ついさッきー。こッち夜ッて向こう昼じゃん。時差よ、時ッ差」
「あ、あれに関してはアーティナが最適だと思ったのですが……」
「ウーダ先輩が指示出しすりゃ、そりゃ回んだろさ。でも、ちッがうね。アルカディメイアにはフィリニーナノ先生がいる。そんで、各島の海守ん奴らにゃアルカディメイアに行ッた娘が必ず混じッてる。そりゃつまりフィリニーナノ先生に世話んなッた人間が世界中にいるッつーこッた。な? 話がはえーのはどッち?」
ヴィガリザさまが仰っているのは能力による適正や知名度ではなく、相互間の認知度。人を率いるために必要な立場と経験のお話。なのですが……、
「その、でしたら他の島の屋敷番の方ではダメなのでしょうか? ナノ先生はお忙しい方なので、負担を考えて……」
「はあ? アンタ、自分とこの島の人間でしょーが。あの先生がどんだけ凄いか分かッてねッつの? フィリニーナノ先生だよ? あの人は出来る。だーらそーすりゃいーのよ」
「ううっ……」
わたしは心の中でナノ先生に全力土下座。眉間に深いシワを刻むナノ先生が目に浮かぶようです。
今だから分かりますが、ヴィガリザさまの仰る通り、ナノ先生は凄いのです。他の島の屋敷番も、当たり前ですがこの世界の人間。基本ふわふわした方ばかりで、ナノ先生のようにしっかりした人は稀なのです。
「アーティナにやらせたいなら、ナーダちゃんに代替わりした後だろね。ナーダちゃんは人に任せるのが本当に上手くなッた。ウーダ先輩とは能力の種類と役割がちげーのよ。集団を動かす力なら、ウーダ先輩よりあの娘の方がずッと上ッしょ」
「確かに……」
わたしが学ぶべきは、知るべきは正にそういう部分。わたしの人脈とこの世界における人の評価基準を改めて把握し、認めなければなりません。
「星のむこー側はアルカディメイアとアーティナ、星のこッち側はウチらヴァヌーツとウイの姐さんがやッからさ。ホロデンシュタックからはアーティナに人が行ッてんだッて? んじゃー、ソイツに中継させッかー」
「ディッティーさんですね。大丈夫だと思います」
トーシンはヴァヌーツの北。そして、ホロデンシュタックはトーシンの北東に位置する島。この星の半球を網羅するには充分とは言えませんが、わたしたちにはこれが限界でしょう。
ヴィガリザさまは浴槽のへりに腕を乗せ、ぐるりと首を回してこきりと鳴らし、
「ま、これでやーッと少し楽になれッかなー。はー、生きてて空しー。はー、早く死にたーい」
「ヴィガリザさま……」
ほつれて垂れる赤色の前髪から、湯面に落ちる一粒の雫。
わたしは雫の波紋を目で追いながら、口元をむにゃむにゃさせました。釈然としないわけではありません。むしろその考えと行いには全面的に賛同なのです。
わたしが気になるのは、ヴィガリザさまの強者としての生き方。
強い者は与える者。ヴィガリザさまは、その義務を全うするためだけに生きている。それは傍から見ていると、とても空しいように思えるのです。いえ、まんまご自身で言ってますが。
十八で老いを止めたヴィガリザさまは、言葉が枯れない限り死ぬことはありません。リルウーダさまがそうであるように、ヴィガリザさまはこれからもずっとずっと、この姿、この心のままで生き続けなければならないのです。
立ち上る湯気の向こう、白く輝く砂漠の月。
ゼフィリアよりも高く流れる、夜の雲。
ヴィザリザさまはわたしの隣、ぐだーっと夜空を見上げ、深く深く息を吐いて、
「ホント、生きんのッてメンドくせーなあ……」
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