第9話 蔵主さんはいつも眠い(3)

 この島にはわたしの住む海屋敷とは別に、もう一軒大きなお屋敷があります。


 それは蔵守の蔵屋敷。


 蔵というのは、この島の記録やその標本を保管している場所。その蔵と協力すれば新しい何かを作れるに違いない、そう考えたお母さまは蔵に聞いてみてくれたそうで。


 昨晩の連絡は、よく分からんので分かる奴が見に来い、という蔵からのお返事だったのだとか。


 お料理に使う素材の見分けが付く人間。それはつまり……、


「お出かけですか!? お出かけですね!?」


 そう、わたしのことなのです。


 そんな訳で、その翌日。超久しぶりなお出掛けにテンション爆上がりしたわたしはエイシオノーおばあさんと二人、蔵に向けて意気揚々と出発しました。したのですが……、


 時刻はお昼過ぎ。さんさんと輝く太陽の下。


 わたしは階段の途中であっさり力尽き、現在エイシオノーおばあさんの小脇に抱えられ運ばれている最中でございます。


「おふっ、おふっ」


 エイシオノーおばあさんがのしのし歩くたびにお腹が刺激され、口からへんな声が漏れ出てしまいます。


 さすが怪我や病気とは無縁の人類。人を丁寧に扱うという意識が皆無なのです。一応歩いて移動しているということは丁重に扱っているつもり、だと思うのですが……。


 視界に映る白い石段、せっせと歩くエイシオノーおばあさんの両足。


 この世界には靴を履くという文化がありません。わたしだってお外を歩く時は勿論裸足。肉は弱いのですが、お肌は普通に強いのです。


 長い長い階段を下り、わたしたちはゼフィリアの集落、この島でただひとつの村に辿り着きました。


 階段のふもと、海に向かう坂に沿って立ち並ぶのは、海屋敷とは違う作りの民家の列。青い空によく映えた、白い石壁に白い屋根のおうち。頭の中の記憶にある、地中海のような家並みに近いかもしれません。


「マジでー? ヤバイってー!」


 坂の途中には、村のお姉さんたちが集まって歓談しています。


 お喋りしながら貝の切り身を口に運ぶその人たちを見て、わたしはちょっと嬉しくなりました。海守の人たちを中心に、島では今お料理が急速に普及しているのです。


 坂を下った先、浜辺に腰を下ろしているのは筋肉モリモリ、ムキムキマッチョのお兄さんたち。ふわあ、とあくびを噛み殺しながら、工芸品なのか日用品なのか、木を削って何かを作っています。


 その横にはだらーっと寝そべり、砂遊びをしている一人のおじさん。砂で山を作り、その表面をなぞって何かの模様を描いています。


 そして、白い砂浜の向こうに広がるエメラルドグリーンの海。遠く沖に見えるのは、海の上を歩いている男の子。


 そうなのです。比喩でもなんでもなく、この世界の男性は海の上に立てるのです。海の上を歩き、女性よりも遥かに強い肉を持つ、それがこの世界の男性の特徴。


「投げて、投げて!」


 小さな女の子たちがその男の子に頼み、空の彼方に投げられていきます。


 抜けるような青空と、大きな大きな白い雲。

 ゼフィリアは今日もいい天気。


 エイシオノーおばあさんに抱えられ、横目で眺める、この島の日常。







 集落を通り過ぎ、わたしたちは森の中の一本道に入りました。


 背の高い木々と大きな石畳、緑と白の色彩の中を、エイシオノーおばあさんはせっせと歩いていきます。


 頭の中の記憶の神社の境内のような、峻厳な雰囲気の一本道。熱帯ならではの木々の植生が、ここをゼフィリアだと主張している、そんな景色。


 海屋敷に続く階段に比べ、幾分なだらかな階段。エイシオノーおばあさんは、引き続き左腕にわたしを抱えながら、


「お嬢様、今までごめんなさいな……」


 道の先に向けた視線をそのままに、ぽつりと言いました。


「お嬢様の体、あたしがさわったら壊れちまいそうで、どうしたらよかったのか。あたしにゃ分からなくて……」


 それはお母さま以外の人から聞く、わたしという人間の感想。エイシオノーおばあさんの、心の声。


 わたしはゆっくり流れていく石畳に視線を落とし、


「いいのです、エイシオノーおばあさん。わたしも、わたしの方こそ、もっと色んな人と話すべきだったのです……」


 そう、ダメだったのはわたしの方。わたしはもっと人と話すべきだった。お母さまと島の人たちを、もっと信じるべきだったのです。


 わたしはエイシオノーおばあさんの左腕を、両手でギュッと抱きしめてみました。初めて感じるお母さま以外の人の肉。硬そうな見た目に反しとても柔らかくて、あたたかい触り心地の肉。


 エイシオノーおばあさんはその行動に答えるように、


「シオでいいよ、お嬢様」

「はい、シオノーおばあさん」


 わたしが明るい声に顔を上げると、周囲の木々が少なくなり、視界が開けました。目の前にはわたしの住むお屋敷と全く同じ構えの建物が一軒。ここはわたしの住むお屋敷から、お山を挟んでちょうど反対側の場所。


 守主の海屋敷と対になる、蔵主の蔵屋敷。


「さあ、着きましたよ」


 そう言って、シオノーおばあさんがわたしを蔵屋敷の縁側に下ろしてくれました。シオノーおばあさんと二人、すだれをめくってお部屋に入り、


「お、おじゃまします……」


 中はしーんと静かです。


 長い長い木の文机が沢山並ぶ室内は、海屋敷と違い、いかにも学校のような雰囲気です。この世界で言う蔵とは、物を保存する場所であると共に、人が読み書きを習う場所なのです。


 机の上には和綴じに近い形の書物や長ーい巻物。部屋の中にはお姉さんや女の子が数人、背筋を伸ばしたきれいな姿勢で正座し、静かに本を読んでいます。


 板間のすみっこにはお腹の上に紙束を乗せて寝息を立てる、マッチョいお兄さんが一人。うーん、南国っぽいのどかっぷり。何処に行っても男性がダラーッとしています。


「さあさ、お嬢さま」


 わたしはシオノーおばあさんに促され、すだれをくぐってお屋敷の奥へ。


「パリスナ様、エイシオノーです」


 部屋に入ると、シオノーおばあさんは板間に正座し、拳を床に突いて頭を下げました。


 座礼。


 この世界の人々の、一般的なアイサツの形。


 わたしも倣って板間に正座し、頭を下げます。わたしが座礼すると二の腕がぷるぷるしてしまい、ただのお辞儀になってしまうのですが……。


「あのヘクティナレイアが猫より弱い駄肉を生んだ時は、なんと気の毒なことか、と思ったが。反動かねえ。肉が弱い分、考える力があるのか、まあ、面白いことを思いつくもんだ」


 わたしは顔を上げ、蔵主の間、文机の向こうに座る声の主に向かいました。


「初めまして、アンデュロメイアと申します。ええと、蔵主、さま?」

「そう固くなりなさんなって、血は繋がってるんだ。パリスナでいい。それにな、初めてじゃあないぜ。お前さんが赤ん坊の頃、一度会ってる。遠目だがね」


 その人は、はっはっは、と笑ってから、あ~あっとあくび。


 肩口まで伸びた、長いストレートの金髪。

 シュッと通った鼻筋に青い瞳。

 わたしと同じ白い肌に、若草色の着物。

 三十歳前後だと思われる、大人の男性。


 この方がこの島の蔵主、パリスナおじさま。お母さまの従兄弟に当たる方。


 第一印象は、残念なイケおじ。何が残念なのかと言いますと、まず机の上。乱雑に積み重ねられた書物の隙間、所狭しと並べられたお刺し身とお酒の数々。そして襟をはだけさせ、ニコニコ笑顔で嬉しそうに杯を傾けるその姿。


 この世界の人間は超強い。それはお酒に対しても同じこと。この世界の人間は、お酒で酔ったりしないのです。


 だとしても、アルコールの特徴的な臭い、酔っ払い特有の変な臭いはする訳でして。わたしにはどうしてもだらしないと感じてしまうのです。


「では、スナおじさま」


 蔵守が陸を管理し、海守が海を管理する。ざっくりし過ぎだと思いますが、人口二百人にも満たないゼフィリアではこんなものだと思うのです。


「あら、メイ。来たのね?」


 わたしがアイサツを終えると、奥のすだれをくぐり、一人の女性が現れました。


 少しウェーブのかかった金髪と青緑色の瞳。

 白い肌に真っ白な胸巻と長めの腰巻。

 両手にはお刺し身がわんさと盛られた大きな皿。

 お母さまと同じ年頃で老いを止めた、元気な女性。


 スナおじさまの妹君、カッサンディナお姉さま。


 ディナお姉さまは蔵の連絡役としてよくお母さまと話し合いをされているので、わたしも面識があるのです。


 ディナお姉さまは文机の傍で膝を突き、空になったお皿をちゃっちゃと交換して、


「はい、お兄様。肉がぬるくなる前に食べちゃってくださいな」

「おお、サン。いくらでも食えらあな。アレだ、あのピリッとする草の根。あれを特盛りでな」

「もう、あれは一本までって言ったのに! ……分かりました。その代わり、メイを案内したらちゃんとお昼寝してくださいよ?」

「分かった分かった。ちゃんと寝るさ」


 どうやらスナおじさまは島わさびにハマッたご様子。


 ダメと言いつつちゃんと用意していたのでしょう、ディナお姉さまは帯からわさびを取り出し、お料理の上へ。次の瞬間、ディナお姉さまの右手がブンッとブレたかと思うと、わさびがきれいに擦り下ろされてしまいました。


 わたしの目でも見逃してしまう程の、恐ろしく速い手刀。さすが筋肉。さす筋です。


 ディナお姉さまはわさびを筋肉し終えて立ち上がり、きらきらの瞳をシオノーおばあさんに向け、


「さて、エイシオノー。それじゃまた教えてもらおうかしら」

「ふはっ、ディナさまも夢中だねえ!」

「だって楽しいのよ! お兄様においしいって食べてもらえるのが、本当に嬉しいの!」

「よござんしょ、よござんしょう。それじゃお嬢さま、あたしゃ行ってくるよ」

「はい、シオノーおばあさん」


 シオノーおばあさんを連れ立って、屋敷の奥へと行ってしまいました。お二人を見送ったわたしが、改めて文机の向こうに目を向けると、


「ほあーっはっはっ! これよこれ! この鼻に抜ける感じがたまらん!」


 スナおじさまはいつの間にかお食事再開。島わさびが直撃したのでしょう。泣きそうな顔で眉を寄せ、「くあーっ」とか言ってます。


 わたしはそんなスナおじさまを見て、うーん、と口元をむにゃむにゃさせました。つい先日まで生魚ボリボリ民族だったので仕方がないとは思うのです。思うのですが……、


 食べ方が少しきちゃないと言いますか、ちょっと品が無いと言いますか。前傾姿勢で首をにゅーっと前に出して杯に口を付けにいったり、お刺し身を食べる時も箸やお皿に顔を近付けにいったり。


 あああー、くちびるに付いた油を指で拭いてその指をちゅぱっと舐めたりするのは止めて欲しいのです。頭の中の記憶には何をしても許されるのがイケメンとありますが、これはちょっと、引く感じ?


 引き気味なわたしを気にした様子もなく、スナおじさまは口の中のものをゴクッと飲み込み、


「さて、蔵の物を使いたいと聞いたが、一体何に使う?」

「あの、お料理に、調味料に使おうと……」

「油ってのは、髪や体に塗るもんだ。それを魚の、刻んだ死骸にブチまけて食らうだなんて、狂気の沙汰だと思ったね。しかもそれが超うまいときた。負けたよ、俺の負け。まあ、俺の人生、負け続きだけどな」


 スナおじさまは、はっはっは、と笑って、あ~あっとあくび。そしてお酒をぐびっ。


「面白いな。お前さんの考えは、本当に面白い」


 言うや否や、信じられない量のお料理を一瞬でたいらげてしまいました。スナおじさまは使い終わったお箸を机の上にからんと放り投げ、両手を拭いた手拭いも同じようにポイ。


 そして、ダラリと立ち上がり、


「ほいじゃま、行くとするかあ。アキリナ、後は任せる」


 振り返ると、すだれの向こうに寝そべっていたお兄さんが手を挙げています。多分、あの人がアキリナさんなのでしょう。


 わたしはスナおじさまに続いてすだれをくぐり、縁側からお庭に下りました。







 スナおじさまに案内されて足を踏み入れる、蔵屋敷の裏庭。海屋敷は広い前庭が特徴ですが、ここはその逆。裏庭の面積を広く取っている設計のようです。


 森を背にした広場の端、そこに建てられた三つの蔵。島の民家をそのまま大きくしたような、平坦な屋根の白い建物。


 スナおじさまは蔵の入り口に垂れるすだれをめくり、


「必要なものがあったら、自由に持っていくといい。見ての通り、余りに余りまくってるからな」


 はっはっは、と笑ってから、あ~あっとあくび。そんなスナおじさまに続き、わたしも蔵の中へと入ります。


「うわぁ……」


 そこは大きな木の棚がぎっしり並ぶ、静かで暗い空間。整然と収められた瓶や袋、沢山のものを見て、思わず漏れる感嘆の声。この島ではわたしが思っていたよりも、色んなものが作られていたのです。


 この世界の人間は一切農業をしません。生えるに任せ、茂るに任せる。なので、半ばあきらめていたのです。


 しかし、ここは蔵。ゼフィリアで育まれた知識が積み重なる場所。


 収集と分類は学問の基本。加工という文化はなくとも、ものの組成や変化を調べるという探究心はあったようで。ここにある全ては、その研究の成果として保管しているものなのだとか。


 蔵守さんたちのお役目は、基本的には島の記録係ではあるのですが、人が少なく、また大きな変化のないゼフィリアではとにかくやることが無いそうで。日常的なお仕事は油やお酒造りになってしまっているのだとか。


 お酒の原料となるサトウキビのような植物は、人の手で育てなくとも勝手に生えてくるので、それを刈り取ってくるだけなのだそうです。さすが南海の気候、恵まれてますね。


 そんな訳で、蔵の中身はお酒に関するものが多いようです。


 こっちにはこれ。あっちにはあれがある。もし何か作るのであれば、作ったものは記録しろ。そんな感じで、スナおじさまは蔵の中を案内してくれました。


 驚いたのは砂糖があったことでしょうか。砂糖と言っても頭の中の記憶にあるような真っ白なものではなく、赤く粗い、含蜜糖のようなもの。原材料はお酒と同じサトウキビのような植物だとか。


 スナおじさまは袋の中の赤い砂糖をひと掴みし、わたしの視線に合わせるようにして、


「これを酒に入れると、味が深まる。俺らが思い付くのは、せいぜいその程度だ」


 袋の中にさらさらと零して見せてくれました。


 そうそう、この世界の虫は人のいる場所に一切寄ってこないのです。


 虫どころか、陸の生き物は決して人間に近寄ってきません。もしわたしたちと遭遇しても、逃げるか竦むかのどちらか。おそらく本能でその危険を察知しているのかもしれません。


 つまり、わたしたちが近くにいれば、生ものに虫がたかる心配は無いのです。確かに、ものの保管の仕方としてはこれ以上なく衛生的で、理に適っているように思えます。


 しかし、ううーん、とわたしは口元をむにゃむにゃさせました。


 お砂糖の横にトウモロコシに似た植物が置いてあり、更に隣の瓶にはそれを粉にしたものが入っていたのですが、どう見てもコーンスターチなのです。


 瓶の中の粉はとてもきめ細かく白いもので、製粉技術がないとここまでのものにはならない筈。精製や成分の分離などをどのようにして行っているのか、全く見当が付きません。


 白い粉の用途は、お風呂上りの赤ちゃんの肘や膝の裏側に擦り付けるものだとか。コーンスターチは乾燥すると水分を放出するので、その保湿成分に着目したのだと思います。


 わたしはスナおじさまの影を追いながら、棚にあるものをひとつひとつお脳に書き込んでいきました。お砂糖はあってもハチミツのようなものは無し。陸の動物が材料となるようなものも無し。


 無い無い尽くしの素材を組み合わせ、頭の中の記憶から作りたいものを参照し、


「ええと、スナおじさま。わたしが欲しいもののことなのですが……」


 ちょこちょこ歩きながら、わたしがいくつか例を挙げると、


「無いが、作れる」


 先を歩いていたスナおじさまが立ち止まり、振り向きました。


 薄暗闇の中に浮かぶ、スナおじさまの立ち姿。


 シオノーおばあさんと同じくらいの大きな背丈。和服のような着流しの襟をはだけさせ、帯をゆるく締めた、この世界の男性の一般的な着こなし。


 流れるような金髪。暗い眼窩から覗く、深く澄んだ青い瞳。


 影の中、同じように立ち止まったわたしは、その青い瞳を見上げ、


「分かりました。製法はまとめておきますので、製造の方は全てお任せします。あと、保管するための場所ですが、その消費量から逆算するとここだけでは足りないかもしれません。しかし、いいのでしょうか。素材を集め過ぎて、島の環境に影響が出ては困ると思うのですが……」


 頭の中に別の人の記憶があると言っても、わたしはこの世界の人間なのです。この記憶が原因で、この世界の自然をいたずらに破壊してしまう事態は避けねばなりません。


 スナおじさまは、そんなわたしの言葉にほんの少し目を細め、


「俺らだってアホウじゃない。陸の資源は有限だ、そこらはちゃんと管理するさ。で、それを作れば、もっとうまい思いが出来んのかね?」

「は、はい、おそらく」


 その問いに、わたしはこくりと頷きました。するとスナおじさまは、はっはっは、と笑ってから、あ~あっとあくびをして、


「新しいことは大歓迎だ。さあ、次は何をするね?」


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