第10話 ひとりぼっちのイーリアレ(1)
「お嬢様、仕上がったようですよ!」
「えっ、早くないですか?!」
わたしが蔵を訪れ、一週間後。
自室で記録のお役目をしていたわたしのところに、シオノーおばあさんがゴリラっと転がり込んできました。
わたしがスナおじさまにお願いしたのは、調味料作りとその保管場所の新設。
お料理をするに辺り、わたしたちには足りないものがまだ沢山あります。そのために欲しいものは欲しいのですが、ゼフィリアは狭く、また少ない資源である木を切ることになってしまう。だからわたしはとても申しわけなかったのです。
しかし、
『物が増えれば、それを置く場所が必要になるのは当然だろうに』
と、超乗り気なスナおじさまがあっさり許可。
そして、その場所はたったひと晩であっさり完成してしまいました。せっかく蔵を増やすなら使い易いよう集落の脇にひとつ建ててしまえと、男衆が動いてくれたそうで。
筋肉は全てを解決してくれる。さす筋です。
そうそう、ゼフィリアの木工、建築について。島のおじさんお兄さん達が日頃作っていた木の細工は、自分が受け継いだ建物のパーツだったらしいのです。
男性によって作る部位、形が決まっていて、建物を作ろうと思えば即座に、簡単に組み立てられるのが特徴だそうで。その分、決まった完成形しか作れないのが欠点なのだとか。
そんな訳で蔵の方が先になってしまいましたが、これで調味料作りに着手できます。頭の中の記憶にある、様々な調味料。わたしはその中から今のこの島で作成可能なものを選び、シオノーおばあさんに伝えました。
まず、魚醤。
魚醤というのは、仕込む魚の重さ三割の塩を漬け込んで出来る、お魚のお醤油。
頭の中の記憶ではハタハタなどの白身魚やイワシで作るものであったはず。わたしはお魚の特徴をシオノーおばあさんに話し、材料を集めてもらったのですが、
『お嬢様、なんてことを考え付くんですか……』
その製法を伝えた時、シオノーおばあさんはお顔を真っ青にして愕然としました。この世界の人は死んだ生き物を加工することに物凄く抵抗があるようなのです。
『自己融解と分解の促進は酒と同じで、いや、温度管理で何とか……。自然発酵で済むなら、うむむ……』
と、シオノーおばあさんは悩みながらも腰を上げ、あっという間に仕込みは完了。
そしてあれから一週間、しか経っていない訳なのですが……。
わたしはゴリラめいてハッスルするシオノーおばあさんを前に、口元をむにゃむにゃさせました。頭の中の記憶が確かならば、魚醬がその熟成を終えるのに一年以上の期間が必要であった筈なのです。
「さあさ、お嬢様!」
「ふえ? あ、はい」
シオノーおばあさんは首を傾げまくっているわたしをひょいと担ぎ、新しく建てられた村の蔵へ。楽しそうなシオノーおばあさんに水を差すのも野暮ですし、わたしも切り替えねばなりません。
しんと静まりかえった薄暗い蔵の中、シオノーおばあさんとわたしが仕込んだ瓶を開封すると、
「ふわっ!」
途端、蔵に充満する強烈な匂い。鼻を押さえ、おそるおそる瓶の中を覗くと、そこには底まで透き通った茶色い液体がありました。手順と理屈を説明しただけで魚醤を完成させてしまうだなんて、やっぱりシオノーおばあさんは流石です。
はて、しかしこれ、きれいにろ過されているように見えます。そのやり方もシオノーおばあさんに伝えてありますが、いつの間に。はて?
わたしがはてな状態に陥っていると、シオノーおばあさんが小さな味見皿を取り出し、魚醤を匙ですくってわたしの方へ。わたしは出来上がった魚醤を指先に付け、ちょびっと舐めて、
「ふあー……」
「へぇ、これは……」
口の中にふわっと広がる、海の香り。少し、塩気が強いかもしれません。隣を見れば、シオノーおばあさんもわたしと同じように味を確かめています。
次に、シオノーおばあさんはお刺し身の大皿を何処からか取り出し、一切れつまみ上げてちょちょっと魚醤に付けました。そして、そのお刺し身を口の中に放り込み、ゆっくり確かめるように口を動かし、
「なるほどね! お嬢様、なるほどねえ!」
あっはっは、とシオノーおばあさんは大笑い。その豪快な笑顔に、わたしはほっとひと安心です。
「よかった、成功のようですね」
「ええ、そのようですさね。しかし、不思議なもんですねえ。この汁を付けると何故だか肉が甘く感じるんでさ。引き立つ、いや、肉から味が引き出されてるんだ。やっぱりこの道は奥が深いねえ」
「焼く前にお魚に塗ったり、漬け込んだり。これでまた味の幅が広がると思うのです」
「漬ける? なるほど、拡散と浸透圧ですかい」
「です。調理法以外で味に多様性を持たせるには、調味料の種類を増やす他ないと思うのです」
「ワクワクすることを言ってくれるねえ、うちのお嬢様は」
言いながら、シオノーおばあさんは棚から瓶をもう一つ下ろし、
「それじゃあ、次を試してみますかね」
「え? 次?」
まさかと思うわたしそっちのけで、シオノーおばあさんは瓶の覆いの上に置かれた石を取り上げ、開封作業。石のことも気になりますが、今は瓶の中身です。
シオノーおばあさんが仕込んでいたもう一つの調味料。
それはお酢。
わたしがお酢を造ろうと思った理由は、蔵で聞いたお酒のことが切っ掛け。
この世界の人がどうしてお酒を口にするようになったのか、その理由は分かりません。腐ったサトウキビを発見した人が、それを発酵現象だと気付いたのかもしれません。
成り立ちはどうあれ、わたしが気になったのはお酒とお砂糖、その製法なのです。
砂糖があるということは、砂糖を作る際の副産物である廃糖蜜も存在する、ということ。そしてそれをアルコール発酵原料として使っているのだと思います。
島のお酒はおそらく蒸留酒。廃糖蜜にサトウキビの搾りカスを加え、自然発酵させ、醸造させる。それを熱して発生した蒸気を冷やし、また液体にする。蒸留施設が蔵のどこにも見当たらなかったのは気になりますが、とにかく作れるのです。
それはつまり、ゼフィリアにも自然酵母があり、菌が働いているということ。
であれば、お酒同様、お酢だって、と考えたのです。
「どうでしょう、お嬢様」
「あ、はい。見てみますね……」
鼻を押さえながら瓶の中を確認すると、中にはほんのり赤い液体が。どうやらこちらも完成しているようです。
しかし、うーん、ちょっと熟成期間が短過ぎるような気が。魚醤とお酢が一週間で出来てしまうなんて、ゼフィリアの酵母はせっかちさんなのでしょうか……。
シオノーおばあさんは早速と言った感じでお酢を味見し、
「こりゃまた! 酒が酸っぱくなっちまって! 魚の味を壊しちまわないか、心配になる刺激ですよ!」
「えあー、これはこういうものなので。基本的に、他のものと組み合わせて使うものと考えてください」
「希釈させるんで? なるほどねえ……」
うんうん頷くシオノーおばあさんと完成した調味料を前に、わたしはあることを確信しました。それは、この世界にも科学が存在するということなのです。
わたしが伝えた情報から一度気付きを得れば、この世界の人はそれを独自のやり方で発展させていく。シオノーおばあさんは既にそれをやっています。
お料理の時もそうでしたが、わたしはこの世界における当たり前を殆ど経験していない未熟者。理論を説明するに留め、あとはシオノーおばあさんなど、島の人にお任せすることにします。
スーパーハッスル状態のシオノーおばあさんを横目に、わたしがこの先の計画を練っていると、
「ねー、シオノー婆ちゃん。なんかヤバイ匂いすんだけどー」
蔵の外から誰かの声が聞こえました。振り返れば蔵の入り口、すだれをめくり二人のお姉さんがこちらを覗いています。
活発そうなお姉さんと、のほほんとした雰囲気のお姉さん。
「ディラにシシー、いいとこに来たじゃないか」
シオノーおばあさんは大皿片手によいしょと立ち上がり、
「さあ、こいつを食べてみてくんな」
「物覚えはいい娘達なんです。大丈夫でしょうよ」
「ええー……?」
太陽がじりじりと沈み始めた、夕暮れの時間。
海屋敷へ続く階段、その上り口。
魚醤の入った瓶を片手に抱え、シオノーおばあさんは笑顔満面、自信マンマンに言いました。
あの後、お姉さん二人に魚醤とお酢を味見してもらったのです。お姉さんたちは少し匂いに抵抗を見せましたが、味自体は気に入ってくれたようでした。しかし、
『ムリムリムリ! ヤバイから! それ絶対ヤバイから! ムリだから!』
島のみんなで取り掛かるよ、と作り方を説明されたお姉さんは、悲鳴を上げて拒否り始めてしまったのです。ホントに大丈夫なのでしょうか……。
「さあさ、お嬢さま。お屋敷に戻りましょうや、早くこいつを試してみにゃ」
左手に抱えた二つの瓶をぽんぽん叩き、シオノーおばあさんは言いました。わたしはそんなシオノーおばあさんに続き、石段を上り始めます。
白い石段が連ね重なる、海屋敷へと続く帰り道。
夕立を運ぶ黒い雲を纏った、茜色の太陽。木々がその陰影を濃くし、白い砂浜も白い雲も、島の全てが橙色に色を変えていく時間。
石段を登りながら眺める、海側の景色。その景色の中で、わたしはひとつの影に目を留めました。蔵を作るために木を切ったからでしょう、今まで見えなかった向こう側の浜辺が望めるようになっていたのです。
橙色の浜辺に座る、ひとりぼっちの小さな人影。
島の人間にしてはめずらしい、ボサボサの髪とボロボロの身なり。子供たちに混じって遊ぶでもなく、お姉さんたちと一緒に漁に行くでもない。ただ座って海を眺めている、ひとりの女の子のうしろ姿。
わたしは立ち止まり、数段上でもどかしそうに待っているシオノーおばあさんに、
「シオノーおばあさん。あの、彼女はどうしてみんなと一緒じゃないのですか?」
「ああ、あの子は親がいないんですよ」
「そんな……。じゃあ、誰かが面倒を見ないと……」
言いかけて、気付きました。この世界の子供は、親がなくても生きていけるのです。海に出れば食べるに困ることなどありませんし、それを可能にする筋肉が、この世界の人には備わっているのです。
「大丈夫ですさ。あの子もね、いずれは海守の階段を登りますよ」
「他にも彼女みたいな子がいるでのすか?」
「今、島ではあの子だけですねえ。まあ、お嬢さまが心配することじゃないよ。一人でいるってことは、一人でいたいんでしょうさ」
「でも……」
浜辺に見えるのは、体育座りでじっと海を眺める女の子。嬉しいとも悲しいとも思っていないような、無感動な横顔。寂しいという感情すら知らない、野生の眼差し。この世界の人間らしい、動物としての人間の姿。
わたしがその子に目を留めたままでいると、シオノーおばあさんはため息を吐き、階段を下りてきました。それから大きな体を窮屈そうに屈ませ、わたしと目線を合わせ、
「お嬢様、この際だからはっきり言っておくよ。肉の弱いお嬢様が他人の心配をすること自体、強い者への侮辱なんだ。わきまえにゃあ」
「はい……」
そう、これは当たり前のこと。肉の弱いわたしが考えてはいけないこと。
「さ、行きますよ。お嬢様も、ちっとは運動せにゃあね」
「はい、がんばります……」
わたしはシオノーおばあさんが差し出す手を繋ぎ、階段の先に目を向けました。
瞬間、停止するわたしの身体。
わたしが見たもの。わたしの目に映ったもの。
それは、階段の途中に座り込む黒い人影。島のものではない、この世界のものではない。黒い服を着てうずくまっている、女性の影。
『誰も私を見ない。誰も私に気付かない』
頭の中で反響する、知らない声。
「お嬢様!」
気付けば、わたしは走り出していました。
繋いでいた手を離し、驚くシオノーおばあさんをその場に置いて、わたしはちょこちょこ石段を下り切り、森の中へ。
シオノーおばあさんが焦って追ってくる気配を背中に感じながら、わたしは生まれて初めて、全速力で走りました。木々の間を縫うようにして走り、シオノーおばあさんの手をかいくぐって。あの浜辺へ、あの女の子のもとへ。
この世界の人は一人でも生きていける。
それは分かってます。
肉の弱いわたしには他人を心配する資格が無い。
それも分かってるんです。
でも、だって、気付いてしまったから。
人がひとりぼっちでいる姿に。
「はっ、はあっ、はっ……」
森を抜け、浜辺に辿り着き、目の前には無表情で海を眺めている女の子。
寄せては返す波の音。
遠く聞こえる海鳥の声。
煩いくらい鳴り続ける、心臓の鼓動。
わたしは息を整え、出来るだけ大きな声で、この女の子に届くように、
「あ、あの! あなた! わたしと一緒に! お食事しませんか!?」
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