第11話 ひとりぼっちのイーリアレ(2)

「イーリアレともうします」


 海屋敷は夕食前の支度時。


 その女の子は大広間に正座し、そう名乗りました。歳は十歳、シオノーおばあさんの言う通り、身よりは無しだそうで。


 そんなイーリアレを隣に、わたしは今全力土下座祭を慣行中。お食事に誘った勢いで彼女も一緒にお屋敷に住めないか、お願いしているのです。


 対面に正座するお母さまに向かい、わたしが床の上でぷるぷる震える金髪の塊になっていると、


「いいのではないですか?」

「いいんですかい!?」

「ありがとうございます、お母さま!」


 わたしはがばりと顔を上げて大感謝。あっさり了承なんて流石お母さまです! お母さまは膝立ちになって突っ込むシオノーおばあさんを見上げ、


「アルカディメイアでは側付きは普通のことでしたし、料理をするのに手が足りないと思っていたところです」

「そりゃ、まあ、そうですねえ……」


 言われてみれば、とシオノーおばあさんもあっさり納得。この場の四人がお行儀よく正座に戻ったところで、わたしは再度お母さまに向かい、


「あの、お母さま。お側付き、というのは……?」

「いつも一緒にいて、いい感じになる人間のことです」

「うんん?」


 お母さまのあまりにも何となくな説明に、わたしは困惑のち勝手に理解。


 頭の中の記憶では主人に仕え、奉仕する人のことをそう呼びますが、この世界の側付きというのは全く逆。奉仕するのは強い人の方なのです。


 つまりこの世界のお側付きというのは、強い人の側に侍り、一番にその恩恵に預かり、もっと強くなる人のこと。わたしの場合は頭の中の記憶と同じで、身の回りをするお世話係になっちゃう訳なのですが……。


「あの、何だかそれは、イーリアレに申し訳ないような……」

「いいえ、アン。早速ですが、あなたの手でイーリアレに与えて欲しいものがあります」

「そ、それは一体……?」


 いきなり弱音なわたしに頷き、お母さまはキキリとしたお顔で、


「これはあなたが、あなた自身の力で成さねばならぬことなのです」







「イーリアレ、痒いところはないですか?」

「はい」


 海屋敷の大きなお風呂場。

 石とお湯に囲まれた、温かい空間。


 そんな訳で、わたしは広い広い洗い場のド真ん中でイーリアレの背中を洗っています。


 お母さまのさっきのアレは、きちゃない生物がいたら食事が台無しになってしまうので、いいからさっさときれいにしてきなさい、というご命令だったのです。


 イーリアレは潮の匂いを落とさず長い間過ごしてきたのでしょう、ボサボサになった髪には色んなものがひっつき、最早元の色が分からない有り様。匂いもそうですが、女の子がこんな状態ではいけません。


 村にもお風呂はある筈なのですが、ここゼフィリアでのお風呂は二人一組で入るのが作法。体は自分で洗うのですが、髪は人にお願いするのが普通なのです。


 家族のいないイーリアレは、お風呂に行き難かったのかもしれません。


「よい……しょ」


 わたしは湯船に手桶を沈め、ぷるぷるしながらお湯を汲みました。


 海屋敷のお風呂は海守さん複数人でも使えるよう、かなり大き目に作られています。頭の中の記憶の岩風呂みたいな感じで、ゴツゴツした形の岩が趣深い風情をかもしていたりなかったり。


 わたしは濡れた石の床で滑ってお湯を零さぬよう、慎重に歩き、


「ふぅ……」


 再び洗い場の中心に戻り、手桶を足元に置きました。


 背中が終わったので、次は本番の髪の毛です。わたしは瓶からすくった油を手の平にちょんと垂らし、頭皮に油が付かないよう注意しながら洗髪開始。


 油が発する柑橘系の爽やかな香りが湯気に混じり、洗い場を包み込んでいきます。


 これはお母さまがいつも使っている油で、わたしのお気に入り。同じものを使っていれば、いつかはお母さまみたいになれるかもしれない。そう希望を持って、真似をし続けているのです。


「イーリアレ、いいですか? お湯で流しますよ」

「はい」


 お湯で汚れが落ち、現れたのはゼフィリアのスタンダードである見事な銀髪。わたしのはねた金髪と違い、すとんと直毛なショートボブ。


「ふわぁ……」


 うーん、小麦色の肌と銀髪のコントラストがとってもステキです。


 わたしはもう一度手に油を付け、イーリアレの銀髪をひと房ひと房丁寧に洗っていきます。指で髪を梳き切る時に感じる、パサ付いた抵抗。むーん、枝毛が多いようです。


 髪の毛というのは芯と毛皮質、毛表皮の三層からなる構造で、それはこの世界の人類であるわたしたちも同じらしいのです。イーリアレの髪はこの毛表皮が傷付き、剥がれてしまっているのです。


 わたしは髪の毛が傷付かないようゆっくりと指を梳き入れ、油を馴染ませました。


 枝毛になっている部分はもう再生不可能ですが、それ以外で毛表皮が開いてしまっている部分に栄養補給させれば、まだ間に合います。やはり口から摂取している栄養分だけではよい髪質は保てないのです。


 毛先の方からお湯で油を洗い流すと、潮の匂いもきれいさっぱり落ちました。


 さて、もうひとがんばり。わたしは先ほどとは違う瓶に手を伸ばし、中のものを少し多めにすくいます。ミントのような香りの液体で、これを付けるとお肌がスーッと涼しくなるのです。


「イーリアレ、痒いところはないですか?」

「はい」


 わたしはスーッとする液体をイーリアレの頭に垂らし、軽く揉んで馴染ませます。このスーッで毛穴を開かせ、そこに詰まった老廃物を取り除くのです。スーッが頭皮全体に染み込んだら、次は頭を指でコツコツ叩き始めます。


 肉の弱いわたしにも出来る、数少ないマッサージ。血行をよくするため、こうやってコツコツ叩いて刺激するのです。あと単純に気持ちいいのです。


 コツコツを終えたら、今度は頭皮を指でくりくり、円を描くように揉んでいきます。前頭部、頭頂部、側頭部、後頭部。まんべんなく。


 頭にも筋肉があり、それは顔の筋肉と繋がっています。つまり、頭頂部のマッサージは直接お顔に影響するのです。手を抜くなんてとんでもありません。


 わたしは再びイーリアレの頭をお湯で流し、髪の毛をかき分け、毛根を再チェック。


 うーん、痒くて引っかいてしまったのかもしれません。頭皮が随分荒れています。毛穴に詰まった汚れも全ては取り切れませんでした。布で包んで頭を蒸らし、ガバッと毛穴を開かせるべきだったのかもしれません。


 頭皮というのは髪の毛を育てるための大事な土壌。きちんとお手入れせねば健康な髪の毛は育ちません。それに頭の中の記憶と同じで、この世界でも髪は女の命なのです。


 わたしは決心しました。


 勢いでなったとはいえ、イーリアレはわたしのお側付き。これから毎日イーリアレの髪の毛を洗って磨いてお手入れして、サラッサラのツヤッツヤにするのです!


「イーリアレ、体は洗えましたか? 大丈夫ですか?」

「はい」


 と、振り向いたイーリアレの顔にわたしは驚きました。


 まつげ長っ!!


 形のよいお鼻と薄い唇。細い眉と憂いを帯びた青い瞳。わたしなんかよりもお嬢さまという呼び名がずっと似合いそうな、怜悧な印象の女の子。


「あ……。か、髪の毛は洗い終えました。さ、湯船にどうぞ」

「はい」


 イーリアレはわたしの言う通りにサッと立ち上がり、すたすた歩いて湯船の方へ。すらりとした肢体。無駄の無い筋肉と小麦色の艶やかな肌。背筋をぴんと伸ばした歩き方で、肉にも動きにも一切の無駄がありません。


 はっ! 見惚れている場合じゃありませんでした!


 わたしも急いで髪と体を洗い、彼女を追って湯船に向かいます。


 金髪のくせっ毛を後頭部で簡単にまとめ、ちゃぽんと入湯。岩で出来た大きな湯船に、イーリアレと二人並んで浸かりました。


「あふー……。いいお湯ですねえ……」


 わたしはお湯の中で思いっきり足を伸ばしました。生まれて初めて走ったので足の指がじんじんして、足先からお湯の熱がじわーっと登ってきて、とってもありがたいです。


 お湯に浸かり眺める日没の風景。

 星が光り始めた藍色の空と、薄紫色の海。


 この浴場はお屋敷の中で唯一壁のある区画なのですが、湯船の正面である谷側には壁がなく、お外の景色を一望できるようになっているのです。隣を見れば、イーリアレもわたしと同じように海を眺めています。


 銀の髪から滴る、ひと粒の雫。

 落ちて生まれる、小さな波紋。


 お湯の表面に広がっていくきれいな模様を目で追いながら、わたしは考えます。お風呂から上がって髪の毛を乾かしたら、また油で保湿せねばなりません。潤いは大事。超大事なのです。


 と、そこでわたしはあることに気付きました。


 ゼフィリアでのお風呂は基本二人一組。ひとつは髪のお手入れを人に任せるため。そしてその他にもうひとつ、重要なことがあったのを思い出したのです。


 それはお風呂上りのマッサージ。


 ゼフィリアの女性にとって自分の肉体とは磨かねばならない自己の本質そのもの。運動能力に関わる肉の手入れは勿論、お肌の管理を徹底的に、超入念に行うのです。


 肉の弱いわたしには体をマッサージをするための力が足りないので、普段お母さまと一緒にお風呂に入る時も、お母さまの体の手入れは海守の人に任せているのです。


『肉の弱いわたしが他人の心配をすること自体、強い者への侮辱である』


 わたしはシオノーおばあさんの言葉を思い出しました。


 イーリアレにとってこの扱いは不満で、もしかすると迷惑だと思っているのかもしれません。不安になったわたしは、思い切って顔を上げ、


「あ、あの、イーリアレ。して欲しいことがあったら、遠慮なく言って欲しいのです」


 わたしの声に、イーリアレはそのお顔をほんの少しだけこちらに向けて、


 ……無言。


 雫を纏わせた銀色のまつ毛。

 透き通るように青い、物憂げな眼差し。


 やがて、イーリアレの胃の辺りから、「くぅー……」っと切なげなお返事が。


 イーリアレは無表情のまま、しかし物悲しい雰囲気を漂わせながら、


「おなかがへったので、うみにでたいとおもっておりました……」



 ……あっ!! この子、残念な子です!!


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