第12話 ひとりぼっちのイーリアレ(3)
「お食べなさい。どんどんお食べなさい」
大広間に灯る柔らかい石の灯り。
沢山のお料理を囲む、お待ちかねの時間。
全力で食事をするお母さまの斜向かい、わたしの隣。ぴしりと背を伸ばして正座する一人の女の子。
ショートボブな銀髪に青い瞳。
小麦色の肌に白い胸巻。
短い腰巻の下に紺色のスパッツのような下着を履いた、海守の服装。
お風呂上がりでさっぱりしたイーリアレ。
イーリアレの着物はお母さまが用意してくれたもので、本来ならわたしが与えねばならないのですが、何だか申し訳ない気持ちで一杯です。
なのですが……。
わたしはお箸を片手に、本日の拾得物をちらりと眺めました。
行儀がいいのは姿勢だけで、この世界の人類よろしく全力で肉をむさぼるその姿。小麦色の頬はハムスターのように膨れ上がり、もっちゃもっちゃと忙しそうに動いています。
う、うーん……。うーん……!!
お口にお料理を詰め込みまくった顔面下半分は最早崩壊寸前、ですが上半分は無表情なままで。大丈夫なんでしょうかこれ、色んな意味で。
表情筋、死んでるのかもしれません。心配になってきました……。
しかし、手は止まっていないのでお料理は気に入ってくれたのだと思います。だと思います、多分……。
さて、気を取り直し、わたしも食事を続けることにします。
床に広げられた献立の内、お刺し身と炙りつみれはもはや定番。気になるのは試作品の酢のものですが……、
「魚に果物だなんて、味がバラバラになっちまわないか心配だったんですが、不思議とまとまってますね」
「さっぱりした後味です。これは酒が進みます」
お酒の入った杯を手に、シオノーおばあさんとお母さまはご満悦です。
この酢のものは小さく切った魚と海老の肉に油と酢、香草を加えてささっと和え、最後にどばっと果汁を絞ったセビーチェに近いもの。
海老のうまあじを白身魚がふわっといい感じに包み込んで、これは大成功のお味です。それにプリプリとした海老の食感がたまりません。今日は海老ですが、お次はタコで作ってみたいと思います。
果実はグレープフルーツのような果物があったので、それをひとつ試しに使ってみました。お酢と相性がよかったらしく、実によく味が馴染んでいます。
カルパッチョもそうですが、わたしたちのお料理は油を使うものが多くなっているので、これはとてもありがたい組み合わせです。酸っぱい果汁が油でべたべたになった口の中をスーッと洗い流してくれて、とてもありがたいのです。
わたしがお酢の威力を存分に味わっていると、
「どうだい、いい味出してるだろ」
お酒の杯を手に、シオノーおばあさんがイーリアレに訊ねました。
ひたすらもちゃもちゃやっていたイーリアレは口の中のものを飲み込み、もとの完全無表情に。そして、ほんの少しだけ首を傾げ、
「よい、おあじ……?」
「そうさね、うまあじだよ」
「うまあじ……」
わたしはイーリアレの反応が気になり、お食事の手をストップ。観察状態に移行。微妙に緊張した空気の中、イーリアレはシオノーおばあさんに向かい、
「あの」
「何だい?」
「わたしにもうまあじがつくれるようになるのでしょうか」
「そうさ、お嬢様のお側にいりゃ真っ先にこれが作れるようになるんだ。一生おいしい思いが出来るよ」
その問いに笑顔で答え、シオノーおばあさんはぐいっとお酒をあおりました。イーリアレはお箸を手に、無表情に虚空を見つめ、
「わたしも、うまあじに……」
「おやすみなさい、お母さま」
「ええ、おやすみなさい」
すだれの向こう、お母さまが手を挙げると、ふっと視界が真っ暗になりました。お屋敷の石の灯りが消えたのです。
月明かりが射し込む静かな夜。
お部屋に漂う、おいしい残り香。
わたしは布団に横になり、ちょろっと舌で唇を舐めました。思い切って調味料作りをお願いしてよかったです。そのお料理もとてもおいしくて、食べたあと口をゆすぐのが勿体ないくらいでした。
わたしがお夕食の味をまったり反すうしていると、とすっ、とお布団に何かが落ちる音がしました。
おや?
薄暗闇に慣れた視界に浮かび上がる、銀色の髪の毛と銀色のまつげ。当たり前のようにわたしの布団の上で寝ている、イーリアレのお顔。
「あわああああごめんなさい、イーリアレ! あなたのお布団すぐ用意して……」
「すぅー……」
お返事は穏やかな寝息。寝息? えっ、秒で就寝ですか!?
わたしはひとりお布団の上で起き上がり、慌てました。タイヘン申し訳ないことなのですが、お料理がおいしくてイーリアレのことをスコンと忘れていたのです。
どどどどうしましょうこれ。
お母さまが何も用意せずに寝てしまったということは、今日からわたしはイーリアレと一緒に寝るべし、ということなのでしょうか。それとも、お母さまのウッカリなのでしょうか。分かりません。
お側付きと一緒に暮らすための作法とか習慣とか、よく聞いておけばよかったです。やはりわたしは頭の中の記憶に常識が引っ張られがちで、この世界の当たり前にイマイチ疎いのです。
う、うーん……。うーん……!!
悩んだ末、わたしはこのまま寝ることにしました。今からお母さまを起こすのもなんですし、明日朝起きたら改めて聞くことにします。
薄手の掛け布を持ち上げ、今度こそ就寝。その途端、イーリアレが抱き枕のようにわたしをがっちりホールドしてきました。
うーん……!?
これはその、お側付きとはいえ、ちょっと距離が近過ぎるといいますか。ゼフィリアの夜はそこまで湿度が高くありませんが、寝苦しくないんでしょうか。いえ、わたしはいいんですけども……。
目の前には見慣れた天井。
昨日と違う、夜の風景。
今日からイーリアレはわたしのお側付きで、わたしはイーリアレにありったけを与えねばなりません。でも、肉の弱いわたしにそれが出来るのでしょうか。
こんなわたしが、イーリアレに与えられるもの……。
夜風に混じる、森のささやき。
ポツリと聞こえた、イーリアレの寝言。
「うま、あじ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます