第74話 決意の日(1)
ゼイデンさまを海に見送り、ソーナお兄さんが帰ってきてから数週間。
ゼフィリア領の修練場。青空の下、向かい合う二人の女性。
しんと静まり返った緊張感。波紋を立てずに水の上を歩くような、張り詰めた空気。石畳に正座するわたしの眼前で交差する、喧嘩とは思えない静かなやり取り。
風に巻き上がる水飛沫。弾ける火花としなやかな筋肉のやり取り。ひと際重い一撃を浴びせ合い、両者共に膝を突いたところで、
「そこまで。引き分けです」
わたしの声で立ち上がる、イーリアレとレーナンディさん。イーリアレはゼフィリアの槍をはがね石に戻し、悔しそうな雰囲気を漂わせながら、
「またかてませんでした……」
「レーナンディさんは強いですねえ」
この喧嘩はレーナンディさんに頼まれた指南の延長。レーナンディさんは石作りの飲み込みも早く、既に相当な耐用年数の石を作成可能になりました。なので、せっかくだからと石の指南に喧嘩を加えてみたのです。
ところが、ナーダさんの言う通りレーナンディさんはとても強い人で、イーリアレは一度負けてしまったのです。
レーナンディさんは、性質代入法で作られた炎のように揺らめく水の大鎌を消去し、
「し、しかし、わたしがどう立ち回ってもアンデュロメイア様には指一本触れられませんでした。さ、流石、音に聞こえる千獄陣。く、空戦であればアンデュロメイア様の右に出る者はいない。ま、正にその通りかと」
「えあー、わたしのアレは変則的なアレですので。あとその技名はちょっと……」
レーナンディさんの言葉通り、わたしは既に喧嘩解禁状態。
決まりのある喧嘩ならばその申し込みを受け入れるようナノ先生にお願いし、アーティナ領を始め、講義棟前でも沢山喧嘩を積み重ねているのです。
決まりのある喧嘩を流行としてアルカディメイアに広めてくれた、ナーダさんには感謝してもしきれません。
「ア、アンデュロメイア様のように実践的な喧嘩が組める方は稀なのです。そ、それに、そのド下衆殺法が実にえげつなくいい感じに獄で、と、とてもハチャメチャだと評判で」
「えあー、わたしの評判ってそんなに獄いのですか……」
イーリアレもわたしの喧嘩を面白いと言ってくれたのですが、わたしにはそう思えないのです。ていうか殺法は止めてほしいのです。出元は間違いなくレイルーデさんですねそれ。
わたしにとって喧嘩は娯楽ではなく、翔屍体討伐のための訓練に過ぎません。翔屍体討伐は陸の義務。肉の質に関係無く、石作りの技だけでことを全うせねばならないため、消極的になっていないだけなのです。
一般的な喧嘩として見た場合、肉が弱く体術なっしんというのもありますが、わたしの戦略は石作りと同じで創意というか、面白あじがないと思うのです。
しかし、
喧嘩は娯楽。今ならその気持ちがほんの少しですが、分かるような気がします。この世界の人類は超強い。その力を思いきり振るう場として、喧嘩はやはり必要なものであると思うのです。
わたしはイーリアレと並んで立つレーナンディさんを見上げ、
「面白さで言えばレーナンディさんの方です。ディーヴァラーナの人は水込め石による干渉能力の使い方が独特で、体術と絡めたその工夫は納得の序列二位だと思います」
そして、レーナンディさんたちディーヴァラーナの喧嘩は対翔屍体訓練とはまた違った意味で覚悟が違います。
ディーヴァラーナの女性はその能力を示すことで、広く求められる人間にならなければならない。ディーヴァラーナ本島の面積では抱えきれなくなった人間を他の島に出す、移民するための努力なのです。
わたしの視線と言葉を受けたレーナンディさんは、体の前で不安げに手を組み、
「い、いえ、そんな、私はその、つ、つまらない人間で……」
そんなレーナンディさんに、わたしは首を傾げました。レーナンディさんは色々凄いのに何故こんなに自信無さそうなのか、ちょっとよく分かりません。
ていうか、レーナンディさんが他の島の人間になると聞いたら、ナーダさんがいの一番に引き入れると思うのです。ナーダさんのレーナンディさん好きっぷりはハンパないのです。
「ほ、本当に、私などは……」
猫背になって更に体を小さくさせるレーナンディさんを見て、わたしは更に首を傾げ、
「そんなことはないと思うのですが……」
「こ、こちらが楽譜になります」
「はい、分かりました」
喧嘩を終えたわたしたちは室内へ移動。
島屋敷の大広間。わたしはレーナンディさんから気込め石を受け取り、文机を用意しました。レーナンディさんとイーリアレは板間にあぐらをかいて弦を構えています。
ジュッシーお姉さまの時と同様、レーナンディさんもイーリアレの弦をとても気に入り、よく音合わせをするようになったのです。
わたしはレーナンディさんに渡された気込め石を起動させ、
「ふむふむ、今度は間奏に重ねる音を増やすのですね」
「は、はい、その通りです」
文机の上にべろりと長い巻物を広げ、曲の構成を確認。そこには色鮮やかな波形グラフのような模様がびっしり。これがこの世界の譜面なのです。
「金属製の打楽器は小さ目な音で、ふむふむ」
「あ、し、しかし、そ、その余韻は長く残るように出来ますでしょうか?」
「可能です。分かりました」
わたしが頼まれたのはかなめ石による石の複数自動演奏操作。打楽器や吹奏楽器の音を弦の音と重ねる試み。いわば石を使った小規模なオーケストラプログラムの作成。
弦は勿論、人の声に近い音は気込め石で作れますし、膜を張って響かせれば太鼓にもなります。金属であればトライアングルや鉄琴。風込め石を使えば吹奏楽器も再現可能。頭の中の記憶の楽器総動員です。
ここまで多種多様な音を組み合わせる曲は前代未聞、この世界では全く新しい形の音楽になる、とのこと。
アルカディメイア年度末までもうふた月を切りました。ある意味でもう追い込みの時期。レーナンディさんも自分の講義の評価を上げようと必死なのですね。
わたしが音作りのため、文机の上に防音用風込め石を置こうとすると、
「おおい、姫さん」
修練場側のすだれがざらっと上がり、ソーナお兄さんがひょっこりお顔を出して、
「音遮らんでいいわ。姫さんたちの演奏、色んな音が体叩くみてえな感じでよ。それ聞きながら寝んの、すげえ気持ちがいいんだ」
「分かりました。では、このままで」
わたしは気込め石の干渉操作で修練場側のすだれを上げ、固定しました。すると、ソーナお兄さんはレーナンディさんにニッコリ笑い、
「な、よろしく頼むわ」
「は、はい! ここ、光栄です!」
のしのしと修練場の隅に戻っていきました。わたしはあうあうしているレーナンディさんを見て、ふと気になったことがあり、
「レーナンディさん、ちょっとした興味なのですが、よい曲を作るコツのようなものがあるのでしょうか?」
「コ、コツ、ですか?」
わたしは創作が出来ない人間なので、出来る人に一度詳しく聞いてみたかったのです。フェンツァイさんの場合、初めは真面目に教えてくれるのですが、どんどんあっち方面に話が逸れていくのであんまり参考にならないのです。
「わ、私にはそういうものは分かりません。た、ただ、弦を弾く時はなるべく気持ちを込めるように、そう、か、感謝を込めております」
「レーナンディさんの歌は賛歌なのですね。それは特定の方への気持ちを込めて、ということでしょうか」
「い、いえ、そ、その……」
口ごもるレーナンディさんを前にわたしがふむふむしていると、レーナンディさんの長い前髪に隠れたお顔が真っ赤になって、
「じ、実は……、お、お慕いしている殿方がいるのです……」
「な、ん、で、すっ、て!?」
そのインシデントを聞いたわたしは譜面に合わせた石作りを瞬時に済ませ、続けて研究データの整理を即完遂。本日の予定を五秒で終わらせ、未だかつてないほどぴしっとした正座でレーナンディさんに向き直り、
「レレレレナーンディしゃん! そこんとこちょっと詳しくお願いしましゅ!」
「す、すみません。こ、これは、その、た、ただの夢のようなもので」
「何をおっしゃいましゅか! しっかりしてくだしゃい! 女ならビシリと先手必勝れしゅ!」
わたしは右手でぴしゃりと腰巻を叩きました!
「そ、そんな、わ、私のような者には、過ぎた願いなのです……」
「らいじょうぶでしゅ! レーナンディさんのようなしゅてきな歌い手なら、男の人など一発ドッカンれしゅ!」
何か色々噛みまくってますが、わたしは今それどころではないのです! だって、とうとうわたしの前にロマンス話が降ってきたのです! これを逃すわけにはまいりましぇん!
「ちなみに馴れしょめは! その人の何処を好きになったのれしゅか!?」
「お、幼い頃とてもお世話になった方で……。その、思慮深く、お優しいところが……」
ンなるほどォー! どうやら殿方の筋肉目当てではないようですし、しかも年上狙い! これこそまごうことなきフレッシュな片思い! ロマンス!
わたしが勢いに任せてレーナンディさんに根掘り葉掘り聞こうとすると、
「あ、あの、そろそろ始めませんと。ノ、ノイソーナ様もお待ちのようですし……」
「ヌゥーッ! 仕方ありましぇん!」
取り繕うように弦を構えるレーナンディさんに、わたしは渋々承諾。ソーナお兄さんの名前を出されたら諦めざるをえませんです。
「で、では、イーリアレさん」
「はい、レーナンディ」
頷き合い、二人は譜面通りに演奏を始めました。しかし、おや? イーリアレにしてはめずらしく、何かに納得していないような、そんな雰囲気が漂っているような。
わたしは不思議に思いながらも文机の前に戻り、気持ちを切り替えました。年度末の追い上げであるのはわたしも同じ、先取りでデータの整理をすることは無駄ではない筈なのです。
と、お二人の弦を聞きながら数字を読み始めたわたしは、ハッ、と閃き。
今聞いている曲、これにはレーナンディさんの気持ちが込められているわけでして、つまりそれはロマンスいっぱいのハートフルなバイブスに浸っているのと同じこと……!
大広間に流れる優美な調べ。
わさわさ波打つわたしの金髪。
文机の上、わたしは小さな指で白い紙をなぞりながら、
「これは滾る。滾りましゅね……!」
アルカディメイアの講義棟。
夕暮れ前の大教室。
あれから更に数週間。先日の曲が完成し、大教室の予約も取れ、今日はレーナンディさんの発表会なのです。
大教室を訪れているのは様々な領の様々な人。ナーダさんにレイルーデさん、ヌイちゃんの影に隠れるテーゼちゃんの姿も見えます。あ、まだ逃げてたんですね。
わたしは大勢の観衆の端に座り、胸の前にかなめ石を浮かべました。そして、大教室の灯りを少しだけ抑えるよう制御指示。音に集中できる環境を作り出したのです。
しばらくして、講義参加者の待つ中、レーナンディさんとイーリアレが登壇しました。二人の姿を確認したわたしは、壇上の灯りをほんの少しだけ強めます。
これで本日のお役目は終了。自動演奏用の石は壇上に設置済みで、音の細かな調整はイーリアレがやってくれましたし、あとは聞くだけ、楽ちん楽しみです。
うっすらとした灯りの下、レーナンディさんはお集まりの皆さんにぺこりとお辞儀し、弦を片手にあぐらをかいて準備完了。いよいよ始まるようで、わたしもわくわくしてまいりました。
なのですが、どうしたのでしょう、イーリアレが弦を構えません。棒立ちのままレーナンディさんをじーっと見ているだけなのです。
「あ、あの、イーリアレさん?」
その様子を不思議に思ったのか、レーナンディさんが立ち上がると、イーリアレが突然こちらを振り向き、
「ひめさま、おゆるしください」
「ひゃい?」
それからイーリアレはレーナンディさんに向き直って、
「レーナンディ、しょうじきにうたったほうがよいとおもいます」
「イ、イーリアレさん……!?」
「いつか、ではおそいのです」
ほのかな灯りに照らされる銀色の髪。薄暗闇の中に光る、青い瞳。
イーリアレはいつも通りの無表情で、
「いつだって、いまこのときなのです」
「イーリアレさん……」
その言葉で、レーナンディさんは弦を持つ手をだらりと下げてしまいました。
そういえば、誰にでも礼儀正しいイーリアレがレーナンディさんにだけは敬称を付けていませんでした。もしかしたら、何か憤っていたことがあるのかもしれません。が、ちょっとよく分かりません。
わたしが凍った空気にはらはらしていると、レーナンディさんが弦を一本編み出し、その弦で長い髪を後頭部に纏め上げました。
ポニーテールになったレーナンディさんは、あらわになった深紅の瞳で観衆と向き合い、瞼を閉じて一度深呼吸。
背すじを伸ばして胸を張り、弦に弓を当て――、
そしてわたしを襲う、特大の衝撃。
レーナンディさんが弾き始めたのはこの日のために用意したものではない、全く別の曲。これは確か、イーリアレと作っていた練習用のもの。
突然の事態で頭が真っ白になったわたしの目の前、レーナンディさんはそのお口を大きく開き、
独唱。
この世界ではあまりされない、人の声による音作り。声だけの歌声。
はっ、いけません……!
その声で我を取り戻したわたしは必死になってこの曲の譜面を思い出し、伴奏用の石を作成してかなめ石に接続しました。
動揺するわたしを置いてきぼりに、壇上のイーリアレが弦を構え、レーナンディさんはその目を開き、そして、
「影に咲く、あなたの季節」
歌詞付き?! 言葉で歌うのですか!?
わたしはかなめ石の光が目立たぬよう、観衆に背を向けてから伴奏用の石を遠隔操作! 再配置して即起動!
「息を潜めて、夜を待つ。
千の月を越え、巡り願う。
それだけでよかったのに」
レーナンディさんの弦とイーリアレの弦、そして重なるわたしの伴奏。
セーフ! 何とか、何とか滑り込ませることが出来ました! 何か大教室の雰囲気がめちゃんこテンション高まり中な感じがしますが、わたしはそれどころではないのです!
「今もこの胸に灯る想い。波の音が辿りつく場所へ。
涙の色を変えてくれた。
暗い、暗い、暗い、昏い。あなたの背を、私は想う」
息を飲む大観衆をよそに、わたしは大混乱! た、確かトライアングルの音は波の音をイメージしてとか、太鼓は使わず低音パートは太い弦だとか、何がなにやら!?
ていうかレーナンディさんが歌うということは新しいパートが追加されたということで、それに合わせて音量音響なども調整せねばで!
口を覆って感動しているナーダさんが見えますが、わたしはまだそれどころではないのです!
「影に迷う、あなたの時間。
心を紡ぎ、口ずさむ。
瞼を閉じて、想い描く。
それだけでよかったのに」
プリーズ指揮者! 誰かわたしにメトロノームを! タイミングを計る何かをくだしゃい! わわわたしはマニュアル人間なので、こういうアドリブめいたアクシデントにはつくづく弱いのです!
ヌイちゃんテーゼちゃんが手を取り合って感動してる姿が見えますが、わたしはまだまだそれどころではないのです!
「今もこの胸に巡る夜。命の沈み行く場所へ。
痛みの意味を変えてくれた。
暗い、暗い、暗い、昏い。夕闇色の、影の花」
一番の盛り上がりを超えましたが、わたしはこれから音を絞る工程に手動で突入! ええと、どど、どの音から消せば?! 弦?! ベル?! 誰ですこんな沢山の楽器を作ったのは!!
「もう、構わない。
もう、待てないの。
夜を追う、夢のきざはしへ……」
残響と熱気、そして途切れる願いの音。
静まり返る大教室。涙を溜めてウルウルしているナーダさん。うんうん頷くレイルーデさん。いい感じに抱き合っているヌイちゃんテーゼちゃん。そして石の床に突っ伏し、わたしは汗だくボロボロ状態。
壇上には頬を紅潮させ、レーナンディさんが肩で息をし、立ち尽くしています。その隣には、何だか満足そうな雰囲気のイーリアレ。
時間が止まってしまったかのような錯覚を覚えた、その時、
「失礼します、皆様」
背後から響く穏やかなお声に振り向けば、暗闇に浮かぶ黒い人影。
ミディアムショートの黒い髪と赤い瞳。
青磁のような白い肌と黒い着物。
ディーヴァラーナの島主代理、ヘラネシュトラお姉さま。
シュトラお姉さまは観衆に向かい、凛とした佇まいで、
「申し訳ありませんが、本日はこれでお引き取り願います」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます