第58話 ミージュッシーとヘラネシュトラ(4)

 空気を震わす、明るく伸びやかな弦の調べ。

 それを追い重なる、静かで艶のある旋律。


 ジュッシーお姉さまとイーリアレによる輪奏。


 ホロデンシュタック領の客室。その床に正座し、わたしはお二人の演奏に聞き入っています。ジュッシーお姉さまはあの日から毎晩わたしたちのお部屋を訪れるようになり、イーリアレとよく弦の演奏、音合わせをするようになったのです。


 お部屋の中央には、巧みな動きで弓を操るジュッシーお姉さまとイーリアレ。わたしの手には紅茶の入った小さなお茶碗。牛乳と木の樹液を加えた、とても甘くて温かいもの。


 お二人の手付きと音にうっとりしながら、わたしは頭の片隅で思索を続けます。


 ここ数日、シュトラお姉さまがジュッシーお姉さまに言い聞かせていた要領で、わたしは根気強くジュッシーお姉さまとお話をしました。


 そのお話を通し、ジュッシーお姉さまが何が分からないのかを細かく聞くうちに、自分の行いに欠陥があったことに気付いたのです。


 それは、わたしの口伝が一方的であったこと。


 わたしの伝え方はわたしの考えを押し付けていただけで、相手がどんな言葉でどんな事を考えているのか、それを知る工程を怠っていたのです。


 ディッティーさんは物語を紹介するとき、わたしの好みを聞いてくれました。それは言葉の齟齬に気付くため、必要なこと。


 まず人の話を聞き、その人がどんな考えを持っているのか、相手を知ることが第一なのです。


 シュトラお姉さまの火込め石。仕込まれた言葉はわたしと同じ照明という簡易なものでありながら、その炎は青色でした。ディッティーさんが作り出したお湯。お肌にいいお湯という言葉から生まれたのは炭酸水でした。


 もの凄く簡単で、当たり前のこと。言葉の捉え方は人によって違うのです。


 例えば、わたしにとって「青」とはゼフィリアの空の色ですが。他の人にとっての「青」は違う色なのかもしれないのです。


 思い出すのはシュトラお姉さまの言葉。相手の立場に立って考える、ということ。


 それはレイルーデさんが言っていた、わたしがナーダさんから学びたかった、石作り以外にも必要な、島主候補として大切なこと。


 お部屋に流れる、ジュッシーお姉さまとイーリアレの弦。


 同じ曲、違う音色。そしてゆっくりと消えていく、二人の調べ。


 どうやら一区切りしたようです。


 わたしはジュッシーお姉さまが手を止めたのを確認し、そういえばと気になっていたことを尋ねてみることにしました。


「ジュッシーお姉さま、その弦は何故はがねなのですか?」

「はがねの方が好きな音が出せるからですわ!」

「え、あ、なるほど」


 わたしの疑問に答え、ジュッシーお姉さまはすぐ次の曲を弾き始めました。何小節か空けて、イーリアレが弦を奏で始めます。


 先を走る旋律と、それを追う旋律。二つの波が重なり合い、一つの曲になっていく。不思議な形の音楽。


 確かに、この輪奏は弦の音が違うからこそ成り立っているもののようです。


 ジュッシーお姉さまのはがねの弦。頭の中の記憶の楽器にも似たようなものがあったように思います。例えばギター。ギターの弦はナイロンなどの繊維で出来ていますが、金属のものを使う場合があるのです。


 わたしは温かい紅茶をひと口いただき、音の波に身を浸らせました。


 重なり合う音色。その音を生む二人の弦。


 二人の音楽を聞いているうちに、わたしは自分の意識がどんどん覚めていくのを感じました。


 これはありえないもの。そう、わたしの考えでは絶対に起こり得ないもの。


 例え同じように作ったとしても、それは……。


 わたしはことりと、床にお茶碗を置き、


「同じように、作る……」


 わたしの思考を言葉にする、わたしの口。跳ねるように立ち上がる、わたしの身体。


 ゼフィリアで石作りに打ち込んできた時間。フハハさんと過ごした一週間。ホロデンシュタックでの十日間。その全てがわたしの頭の中で重なり、一つに繋がったのです。


 音の消えたホロデンシュタックの客室。気付けば、弦を消去したジュッシーお姉さまが腰に手を当て仁王立ちになっています。


 わたしはジュッシーお姉さまの、そのワクワクしたように輝く青い瞳を真っ直ぐ見上げ、


「ジュッシーお姉さま、試して欲しいことがあるのです」







「おーっほっほっほ!!」


 ちぎれ雲が浮かぶ青い空。

 金色のくせっ毛を舞わせる、明るくお上品な大暴風。


 ホロデンシュタックは島屋敷前の大広場。わたしの目の前で繰り広げられる、ジュッシーお姉さまの大立ち回り。


 ジュッシーお姉さまが振り回しているのは長い鎖に繋がれた巨大な鋼球。とても痛そうな、とげとげスパイクの生えた喧嘩の得物。


「おーっほっひゃー!」


 その鋼球が宙を撃つたび強烈な突風と衝撃波が放たれ、ホロデンシュタックのお姉さまたちが喜びながら吹き飛ばされていきます。


「素晴らしいですの! めっちゃ素晴らしいですの!」


 ディッティーさんはその光景に喜色満面、ぴょんぴょんしながら、


「ご覧になりまして?! ジュッシーお姉様のあの勇姿を! あの震球の素晴らしい出来栄えを! わたくし、感動いたしましたの!」

「え、あ、よかったです……」


 両手をぶんぶんさせてめちゃんこテンション高まり中のディッティーさんに、わたしはちょっと、引く感じ?


 ディッティーさんは、もー辛抱たまらんな元気満点の笑顔で、


「イーリアレ、参りましょう! ジュッシーお姉さまの得物をこの身で受けてハチャメチャせねばですの!」

「はい、ディッティーおねえさま」


 全身から嬉しそうな雰囲気を放ちながら、イーリアレはディッティーさんと喧嘩場へ。わたしはそんな二人の背中を見送り、ジュッシーお姉さまが振り回す得物に視線を戻しました。


 わたしのアドバイスは至極単純。


『ジュッシーお姉さま。得物を作るのではなく、楽器を作ろうと思ってください。気込め石を作る時のように、はがね石を作ってみてください』


 たったそれだけで、ジュッシーお姉さまはあの得物を完成させてしまったのです。


 きっかけは、わたしの先入観による勘違い。


 そう、この世界の常識では、弦は基本的に気込め石で作るのです。


 わたしたちの楽器には弦楽器の胴、弦の振動を増幅させる振動体が必要ありません。気込め石で作られた弦を使用することで、自分の体を共鳴胴として空気中に輻射、共鳴させる。それがわたしたちの楽器の演奏の仕方。


 だから、はがねの弦でそれが出来るはずがないのです。


 ジュッシーお姉さまは上手く言葉に出せないだけで、人の話をちゃんと聞いている人。しかし自分の考えで工夫すると、人と違うものが出来てしまう。ボタンの掛け違いのように、ズレたものが出来上がってしまう。


 つまり、ジュッシーお姉さまは気込め石を作る要領ではがね石を作っていたのです。その考えをそのまま発展させるとどうなるか。答えがあの鋼球です。


 ジュッシーお姉さまは鋼球に高周波操作の風込め石と、それをご自分の体で輻射増幅させる気込め石のメソッドを仕込んでいるのです。


 ある属性の石に異なる系統の言葉を仕込む、そのやり方。


 フハハさんは無駄なことはしない。意味の無いことは絶対にしない人。


 そのフハハさんが言ったのです。「出来る! やってみせい!」と。その言葉通り、わたしはフハハさんの出した課題を全て達成させることが出来ました。


 機能はバラバラ、あまりに発想が突飛なものばかりで全く統一性が無いように思えた、数々の課題。その課題をひとつひとつ思い返し、整理し、分類し、見えてきた法則性。


 そう、わたしははがねの弦と同じように、先入観で石作りにおける言葉の適用範囲を狭めていたのです。


 わたしは火込め石に火に関する言葉しか込めたことがありませんでした。他の五種の石も同様に、それ以外の系統の言葉を、初めからありえないものとして仕込んだことが無かったのです。


 石作りの強みは曖昧であること。しかし、無理な言葉を仕込むと石は生まれてきません。その無理な言葉を系統別に選り分け、機能する言葉だけを選び、違う属性の石に込める。


 わたしなりに解釈するならば、性質代入法。


 この方法を使えば、わたしの頭の中の記憶の科学で不可能とされていることでも、石作りにおいては可能になってしまう。これがこの世界の、わたしたちの科学。


 これを踏まえわたしが口伝ですべきことは、考えた方の押し付けでなく、その人の言葉を引き出し、石に適用させること。


 しかし……、


 わたしはちぎれ雲が浮かぶ青い空を見上げ静かに息を吸い、細く吐き出しました。


 この方法を思い付いても、人に伝えられても、わたしの石作りはつまらないまま。創作が出来ないのと同じ。わたしにはジュッシーお姉さまのように一から何かを作り出せる、思い付きが足りないのです。


 かなめ石は頭の中の記憶の知識が適用出来ただけの、いわば偶然の産物。リルウーダさまのおっしゃるとおり、この世界の人の道を外れた石。


 そのことを認識してから、わたしの中に再びある感情が生まれました。


「どうかなさいましたか? 浮かないお顔をされているようですが……」

「シュトラお姉さま……」


 広場の端っこに立つわたしの隣に、いつの間にかシュトラお姉さまが立っていました。わたしは少し緊張しながら、シュトラお姉さまの服装をチェック。どうやら今日は万全のようで、ほっと安心。


 わたしは喧嘩場に視線を戻し、


「わたしには無理なことだと、分かっているつもりなのです。でも、あの輪の中に混じりたいと、みんなと同じになりたいと、いつも思ってしまうのです」

「メイア様……」

「わたしは諦めていたのです。諦めていたはずなのに……」


 アーティナで喧嘩に対する意識が変わり、講義棟前広場で行われる喧嘩も、以前とは違う心構えで見学出来るようになりました。ゼフィリアに居た頃よりずっと、わたしの心はこの世界の人に寄りそったものになっている筈なのです。


「理解さえすれば、わたしも人の手助けが出来ると、そう思っていました。ですが今は、それだけで人の納得が得られると思えなくなりました……」

「難しい問題ですね……」


 どうやっても縮められない、肉が弱いという、その差。どうやっても抜け出せない、頭の中の記憶に根付いた固定観念。


 輪の外から口を出すだけでは満たされない。その輪に加わらなければ、受け入れられたことにならないような気がする。寂寥感にも似た不安。


「笑うことが辛いですか?」


 その声に、わたしがシュトラお姉さまの横顔を見上げると、


「笑顔の力は絶大です。覇海の御方がゼフィリア領に留まっている間、あなたは夜に不安を感じたことがありましたか?」

「それは……」


 わたしの脳裏に浮かんだのは、きらめいて腰をシェイクさせるフハハさんの筋肉ショー。わたしはその姿を記憶の彼方に消し去り、別のことを思い出しました。代わりに思い出したのはジュッシーお姉さまのおほほな笑顔。


 ジュッシーお姉さまが奏でてくれた音楽。ジュッシーお姉さまが用意してくれた甘味。ジュッシーお姉さまのお上品で明るい笑い声。


 確かに、その全てがわたしの沈んだ思考を引き上げてくれたように思います。


 わたしはゼフィリアの島主候補。島主は民の不安を取り除き、豊かで平穏な生活を約束する者。


「わたしは、いつも笑えるようにしないといけないのですね……」


 シュトラお姉さまは俯き、赤い瞳を石畳に向け、


「私もあなたと同じです。いつも不安で、どうしようもない寂しさに取り憑かれています。でも、それでは妹達を不安にさせてしまうから、そうさせないために虚勢を張り、何とか立っている状態なのです……」

「シュトラお姉さま……」


 例えその輪の外にあっても、笑顔を忘れてはいけない。


 シュトラお姉さまの言葉には説得力がありました。それはシグドゥに島を削られた人だからこそ分かる、夜への恐怖。ディーヴァラーナという島の島主代理を務める人の、本心の言葉。


 図書蔵で垣間見たシュトラお姉さまの緊張は、その本心の発露だったのかもしれません。


 わたしは俯きかけていた顔を上げ、シュトラお姉さまに、


「ありがとうございます、シュトラお姉さま」

「言った筈ですよ、アンデュロメイア様。私はあなたを評価致します」


 そう言ったシュトラお姉さまは何かに気付いたように頬を染め、それを誤魔化すように微笑み、


「メイア様、次の講義の予定はいつになりますか?」


 ちぎれ雲が浮かぶ青空の下。

 ホロデンシュタック領のおほほな大広場。


 わたしのこの悩みが、わたしのこの苦しみが、いつかわたしの自信になってくれるのでしょうか。輪の外にあっても、わたしが心から笑える日が、そんな日が来るのでしょうか。


 でも今この時、わたしが島主候補としてすべきことは、やると決めたことをやり通すこと。


 だから今は、精一杯の強がりで、


「はい! 近日中に、必ず再開します!」


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