第61話 桃色の声(1)
「準備はよいですか、イーリアレ」
「はい、ナノせんせい」
雲ひとつない青い空。
遠く横たわる凪いだ海面。
アルカディメイア都市部の西区画。クルキナファソ領の沿岸、砂浜の途切れた岸壁地帯。
イーリアレとナノ先生は岸辺に立ち、わたしはナノ先生の体の前で装備、といった感じで抱かれています。
本日はお悩み解決第二段。潮の終孔から戻ったわたしへのクルキナファソからの要請で、去年から引きこもりになってしまった学生さんを何とか出来ないだろうか、というもの。
「イーリアレは着地即対象の背後に回り羽交い絞めになさい。あなたの肉ならば可能です。よいですか、迅速に行いますよ」
「はい、ナノせんせい」
遠く沖の方にぽつんと立つのは小さな石の塔。その学生さんがひきこもっているのがあの塔らしいのですが、ひきこもり矯正に作戦が必要なのでしょうか。ちょっとよく分かりません。
「行きます!」
ナノ先生の掛け声を合図に、わたしたちはあっという間に塔へ跳び移り、登頂部にあるお部屋へ侵入。筋肉。
お部屋の中には床に転がって本を読む女の子が一人。その女の子はわたしたち突然の来客にがばっと起き上がり、
「なんち?! なんち!?」
『あ、ゼフィリアんナノ先生たい!!』
驚く女の子を即座に羽交い絞めするイーリアレ。筋肉。
わたしはナノ先生に装備されたままお部屋の中を見回しました。東屋のように壁の無い、狭い空間。お部屋の床にはボロボロの掛布が一枚。そしてうず高く積み上げられた書籍の山。
その女の子はイーリアレに捕まったまま足をばたばたさせて、
「なんね!? 離さんね!?」
『ふあー、ゼフィリアんお姉様ばいい匂いするけん。よかー』
きらきら光る赤紫色の瞳。
薄汚れた桃色のショートボブパーマ。
白い肌に薄汚れた胸巻きと、くるぶしまで隠れた長い腰巻。
年齢はわたしと同じくらいでしょうか。アルカディメイアに同世代の女の子がいたなんて知りませんでした。
しかし、何でしょう? あの子が口で話すと同時に、別の言葉が被って聞こえたような。
ナノ先生はわたしをぬいぐるみのように抱えたまま、
「彼女はクルキナファソのヴィンテーゼ。頭の中の声が漏れ出し、止まらなくなってしまったのです」
「頭の中の、声……?」
ナノ先生に言われ、わたしはその女の子、ヴィンテーゼさんの頭に意識を集中させました。
確かにヴィンテーゼさんの頭部、というより髪の毛が何かと繋がっている気がします。その気配を追うと、部屋の隅にひとつの石が。それはほんのり桃色がかった小さな石。
「それは気込め石ですね?」
「そうたい……」
『やめんね! なんね! ふわふわばい! ボク欲しかと! やめ、嫌いばい! ボクはボクが! みんな! 聞かんで欲しかと!』
ヴィンテーゼさんの返答と同時に聞こえるヴィンテーゼさんの思考。言葉として整理されていない、途切れ途切れの言語情報。
なるほど、ヴィンテーゼさんがこんなところに隔離されて暮らしている理由が分かりました。確かに、これでは他の人に混じっての日常生活は不可能でしょう。
ナノ先生はわたしの頭頂部に向かって、
「姫様ならばこの現象を解明し、解決出来るのでは、とクルキナファソの屋敷番が……」
ふむふむ。わたしが脱ひきこもりの何の役に立てるのかと疑問に思っていましたが、石が原因であるならばわたしに声がかかったのにも納得です。
わたしはナノ先生の難しいお顔を見上げ、
「声を止めるだけなら今すぐ出来ます」
「は?」
ナノ先生に床に下ろしてもらい、わたしは桃色の石の前に移動。右手に気込め石を作り、白い布を作成。その布で、桃色の石を包み込みました。
布の包みを球状にし、宙に固定させ、
「もう聞こえませんよ? イーリアレ、ヴィンテーゼさんを放してあげてください」
「しょうちしました」
イーリアレから解放されたヴィンテーゼさんは床に着地すると、ふらふらした足取りで布球に近付き、
「な、なんばしたと?」
「ヴィンテーゼさんの石を絶縁体で包みました。一時的ですが、これで石との繋がりが断たれたはずです。ヴィンテーゼさん、あなたは石を停止させる切り替え機能を仕込みませんでしたね?」
「き、切り替え?」
「この石は非常に単純な作りをしています。それはつまり、耐用年数が長いということ。石がすぐ消えなかった原因はそれです。ヴィンテーゼさん、この中に手を入れてくださいませんか? 石を消去してください」
「無理ばい! この石ばなんばしよっても消せんね! いくら遠くにほっても戻ってきてしまうけん!」
「いえ、できます。消去してください」
布球とわたしの顔を交互に見て、ヴィンテーゼさんは半信半疑な様子で布球に手を入れました。それから、信じられない、といったお顔で布から手を引き抜き、
「消え、消えたと……。これでやっと……」
くにゃりとその場に膝を突き、放心するヴィンテーゼさん。わたしはふわりと布を広げ、さっと消去。
ナノ先生はそんなヴィンテーゼさんを見て、ほっとした様子で、
「姫様、ありがとうございます。これでクルキナファソの屋敷番も安心するでしょう」
「いえ、まだです、先生。ヴィンテーゼさんのお脳の方はわたしにはどうしようもありません」
「お脳?」
「はい、石の色が変わったとはいえ、石そのものの作りに異常はありませんでした。あの石の役割は弦を奏でる時のわたしたちの体に近いものです」
「弦、でございますか?」
「ええ。どういう訳か、ヴィンテーゼさんは頭にも経路が開いてしまっているのです。あの石はヴィンテーゼさんの頭から漏れ出た波を大きくする、いわば増幅装置です」
「姫様、それでは……」
「はい」
わたしはナノ先生に頷き、ヴィンテーゼさんと向かい合うように正座して、
「変質してしまったのはヴィンテーゼさんのお脳の方です。脳で紡がれた言葉を波に変換させ、そのまま体外に放出してしまう。言葉で表すならば思考波、でしょうか」
わたしがしたことは至極簡単。
桃色の石を絶縁体の布で包み、電波を受信しないよう一時的に遮断。ヴィンテーゼさんの頭の経路との繋がりを断つ。そしてもうひとつの経路である手の平から改めて命令を入力することで、石を消滅させたのです。
不幸中の幸いだったのはヴィンテーゼさんが石に思考処理機能を仕込まなかったことでしょうか。もしそうしていたら、男性の作る石と同様本人との繋がりが強固なものとなり、今回の手段が使えなかったと思います。
わたしは顎に手を当て、先ほど作った気込め石でヴィンテーゼさんの頭部を解析しながら、
「感覚性言語中枢で生まれた複数の言葉が運動性言語中枢に届くと同時に外部に発信されています。おそらくは側頭葉だと思うのですが、すみません、それ以上のことはわたしにも……」
経路が開いたといっても頭皮の毛穴が広がったわけではなく、頭髪がその伝導体、アンテナになってしまっているようです。
「心配なのは後遺症や副作用ですね。何故このようなことに?」
ナノ先生は放心中のヴィンテーゼさんに代わり、経緯を説明してくださいました。
ヴィンテーゼさんは数えで七歳。ご両親は既に他界。クルキナファソ本島で非常に有望視されていた学生で、ある研究の完成を期待されアルカディメイアに送り出されたそうなのです。
その研究とは、通信技術の開発。
この世界での通信技術はお母さまやヤカさまのように風込め石を使ったものが主流で、しかもその数は希少。クルキナファソは別の石でそれが可能か、また風以上の性能のものが出来ないかを模索していたのだそうで。
「ヴィンテーゼさんが通信技術に用いたのは火込め石の演算方式ですね?」
「確かに、この娘はヴァヌーツのやり方も取り入れていたはずですが……」
「言語情報を数列化し、電気的な波にして変換させる。情報の取捨選択が出来れば、音飛び石よりも優れた通信技術に成り得たと思います。見事ですね」
頭の中の記憶でも音や映像を電気信号に変換して交信する技術は社会構造を変えるほど重要なもの。わたしたちの世界では普及しないと思われますが、その着想自体は紛れも無く革新的なものです。
ヴィンテーゼさんはわたしの言葉に反応したのか、そのお口を小さく開き、
「初めてばい……」
赤紫色の瞳を大きく見開き、
「みんな、みんなボクん頭ばおかしくなったち言うと。ボクん考えを技術として認めてくれた人はおらんかったばい……」
その瞳からボロボロと大粒の涙をこぼし始めました。わたしはヴィンテーゼさんを安心させるよう、膝立ちで近付き、
「もう大丈夫ですよ、ヴィンテーゼさん。経過観察は必要ですが、これでクルキナファソに戻れますから」
「イヤばい! ボク、クルキナファソには戻らんち! 島屋敷にも本島にも、もう戻りたくなか!」
突然がばっと立ち上がり、ヴィンテーゼさんは苦しそうに頭を抱え、
「ボク頑張ったと! 頑張ったとに! ボクが作ったもんにそれじゃなか、そんなん求めとらんち文句ばっか言うて! じゃあ何だったらよかと!? やれち言ったのは本島のヤツらばい! 不満があるなら自分らでやればよか! ボクはもう知らんけん!」
「ヴィンテーゼさん……」
海風に流され消えていく、ヴィンテーゼさんの叫び声。期待されることに、落胆されることに疲れてしまった、人の叫び。
才知を有効活用するよう強いられ、その通りに働けるかで人の評価は決まってしまう。わたしにとっては他人事ではない、身につまされるような苦しみ。
この世界での技術は歪なのです。お母さまの音飛び石やトーシンのヤカさまのようなありえないやり方は出来ても、その理論を説明できる人は少ない。大多数の人が理解できなければ、その努力は不用なものとして切り捨てられてしまう。
ヴィンテーゼさんはよろりと膝から崩れ落ちて、
「みんな、みんな嫌いばい……。ボクがこんなんなっても、結果だけは出せ言うち……。髪も目も、こんな変な色になってしまっとうに、誰も、なんも……」
引き千切らんばかりに自分の髪を掴み、ヴィンテーゼさんは床に突っ伏してしまいました。
そういえば、わたしの講義に出席していたクルキナファソの人たちは、みな茶色い髪に金の瞳でした。ヴィンテーゼさんも、もとはその色だったのでしょう。
はて、石の色が変わると髪の色も変わるのでしょうか。しかし、それではわたしの髪色に変化が無い理由になりません。
思い出すのは海の底で会ったあの人。ヴィンテーゼさんと同じクルキナファソの人で、あの人も髪色が茶色ではありませんでしたが……。
「ボク、酷いこと考えて、それも全部、全部伝わってしまったけん……。目が、目が忘れられん。もう戻れん、戻りたくなか……」
他人は鏡。自分が放った言葉は全てそのまま自分に返ってくるもの。ヴィンテーゼさんを苦しめているのは、ヴィンテーゼさん自身の言葉でもあるのです。
この世界の人は一人でも生きていける。それを可能にする筋力と石作りがあるから。でも、
目の前にうずくまる一人の少女。
薄汚れた身なりで、カタカタ震える小さな身体。
それだけではやはり、わたしたちは生きていけないのです。
相手の立場になって考える。ヴィンテーゼさんに今必要なのは、きっと適切な距離を保てる他人なのです。
「ナノ先生、どうでしょう。ヴィンテーゼさんをしばらくゼフィリアで預かっては」
「分かりました。ヴィンテーゼの意志も含め、クルキナファソにはそのように伝えておきます」
わたしはナノ先生と頷き合い、それからヴィンテーゼさんを抱え起こしました。そして、涙で腫れた赤紫色の瞳を真っ直ぐ見て、
「わたしはゼフィリアの島主候補、名をアンデュロメイアと申します。そちらは側付きのイーリアレです。いかがでしょう、ヴィンテーゼさん。少しの間になりますが、ゼフィリアの島屋敷にいらっしゃいませんか?」
「ゼフィリアん、メイちゃん……」
どんな時でも、笑顔を忘れてはいけない。わたしは素直な気持ちでにっこりと笑い、
「ヴィンテーゼさんの今の髪色、わたしはとてもきれいな色だと思います」
「え……」
ヴィンテーゼさんのちぢれた髪。ストロベリーブロンドという色合いで、今はちょっとくすんでいますが、文字通り磨けば光る髪色だと思うのです。
「テーゼ……」
ヴィンテーゼさんはわたしから目を逸らし、もじもじしながら俯きました。それから、その頬をほんのり桃色に染めて、
「テーゼち、呼んで欲しかと……」
うーん……、うん?!
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