第62話 桃色の声(2)
「レーレお姉様!」
「いまなんと……?」
ゼフィリア領の島屋敷。
その裏庭こと修練場。
なんでしょう。晴れ晴れとしたいい天気なのに、何故かイーリアレに稲妻が落ちたような気が。
「どしたと? レーレお姉様?」
「わたしがおねえさま……」
不思議そうに覗き込むテーゼちゃんを前にイーリアレがふるふる震え、超感動したような雰囲気を放っています。
いえ、年齢的にはわたしもイーリアレをお姉さまと呼ばなければならないのですが、立場的にそうはならなかっただけで。そんなに呼んで欲しかったのでしょうか……。
なにはともあれ、
「テーゼちゃんが元気になってよかったです」
「ええ、そのようですね」
縁側に座るわたしの隣、ナノ先生がお茶碗を手に頷きました。
修練場ではしゃぐテーゼちゃんのかわゆい立ち姿。陽の光を反射してつやっつやに輝く桃色の髪に、わたしは大満足。
一年間のひきこもりでこびり付いた汚れはゼフィリアが総力を上げ徹底的に落とさせていただきました。テーゼちゃんはやはり磨けば光る逸材。ナーダさんの時もそうでしたが、このビフォー・アフターはやはりやみつきです。
しかし、クルキナファソはちょっと酷いと思います。
テーゼちゃんは桃色の石を作ってから気込め石を作れなくなっていたそうで、それはつまり自前で新しい着替えを用意できなかったということ。
そんなテーゼちゃんにクルキナファソは本しか与えていなかったのだとか。自分のことは自分でするのが当たり前とはいえ、やはりこの世界の人間は他人に無頓着過ぎると思うのです。
「ナノ先生、お茶のおかわりはあ?」
「ありがとうございます、シシー。頂きます」
島屋敷のすだれをめくり、急須を持ったシシーさんが現れました。わたしと先生におかわりを注ぎ、シシーさんも縁側組に加入。
テーゼちゃんは誰に気兼ねすることなく羽を伸ばせているようで、とてもよかったです。ゼフィリアに人が少ないことが利点になるとは思いませんでした。
「レーレお姉様! 喧嘩せんね? 喧嘩するったい!」
「はい、もちろんです」
「喧嘩? あ……」
二人のやりとりを見守っていたわたしはそこで思い出したことがあり、紅茶の入ったお茶碗を縁側に置きました。そして修練場の二人に向かい、
「すみません、イーリアレ。今日はわたしがテーゼちゃんのお相手をしようと思います」
「ひめさま……。はい、わかりました」
一瞬しゅんとしぼみ、イーリアレはすぐに嬉しそうな雰囲気を放ち始めました。わたしは縁側から下り、イーリアレのそばまで歩き、
「どうしたのですか、イーリアレ」
「ひめさまのけんかはとてもおもしろいのです」
「え、あ、そうだったのですか」
イーリアレの意外な評価に、わたしはびっくりです。
「それではイーリアレ、見極め役をお願いします」
「はい、ひめさま」
イーリアレとは対称的に、テーゼちゃんはふてくされた様子で、
「相手がメイちゃんじゃ面白くなかとよ。メイちゃん弱々ばい」
「すみません、試したいことがありまして。あと、喧嘩に決まりを設けたいと思うのですが、よろしいですか?」
わたしがアーティナ領でお馴染みの決まりのある喧嘩の説明をすると、
「何でもよか。ボクが負けるなんち、ありえんばい」
テーゼちゃんは一度伸びをして、その両手に黄色い砂込め石をひとつずつ作り出しました。その石で、テーゼちゃんは身長の半分くらいの大きさの立方体の岩を作成し、
「メイちゃん、覚悟はよかと?」
真っ赤に赤熱化していくふたつの立方体。その岩と連動するように、ふわりと宙に浮くテーゼちゃんの肉体。
テーゼちゃんはこの世界の人間らしい獰猛な笑顔で、
「これがボクの陽岩ばい」
「ズルいばい! 六種全部作れるち聞いとらんばい!」
修練場の石畳の上。土下座を通り越した猫の背伸びのポーズでお尻をふりふりしている、情けない生き物が一体。
わたしは揺れるお尻と向かい合うように正座し、
「喧嘩の前に自分の得物を明かしてしまうのはダメだと思うのですが……」
「そん通りばい! ばってん、初見で見破られるなん思っとらんち! しかも何ね!? あの石の飛びっぷりは! 何ね!? あれ何ね!?」
「あれはテーゼちゃんと同じ、わたし独自の石の力でして……」
「そんなん反則ばい! あんなん使われたら勝てる訳なかとばい!」
「いえ、それ以前の問題かと……」
テーゼちゃんはあの塔にひきこもって一年以上。わたしがアルカディメイア初日にやらかした大喧嘩も当然知らなかったそうで。つまりはかなめ石の力を前に、あっさり屈服してしまったのです。
ゼフィリアは風と水の島、そしてクルキナファソは火と砂の島。
風は火を勢い付かせ、砂は水を塞き止める。相生助成相剋有利。ゼフィリアの人間と喧嘩することがあったら絶対に勝ちに行く、そう心に決めていたのだとか。
「体術がからっきしなわたしが言うのもなんですが、テーゼちゃんは対人戦の経験があまりに少な過ぎるのです。肉の強さを過信して動きが大雑把で、だから簡単に撃ち落とされてしまうのです」
「んあーっ! そのガッカリした瞳、たまらんばい!」
テーゼちゃんは自分の体を両腕で抱きしめ、石畳の上をころころ転がりながら、
「んほーっ! こ、こんな肉の弱い娘に負けるなんち! ダメんなる! んあーっ! ボク、ダメんなるばい!」
テーゼちゃんは海老反りになってビクビクしたあと、がばっと体を起こし、
「ばってん! 六種全部相手に出来るなんち超贅沢な喧嘩ばい! メイちゃん、もう一回! もうひと勝負せんね!?」
「分かりました。しかし、次は条件を加えさせていただきます」
その提案に、テーゼちゃんは女の子座りでこてんと首を傾げました。わたしは桃色生物から縁側を振り向き、
「テーゼちゃんにはシシーさんと組んで喧嘩していただきます。二対一です」
急に呼ばれたシシーさんは、お茶碗を手にのほほんとした様子で首を傾げ、
「あたし?」
修練場の端からこちらに駆けて来る、二人のド筋肉。
時間差であらゆる角度から放たれる石の仕掛けをひらりとかわす、シシーさんとテーゼちゃん。
火球をいなし、氷柱を割り、石壁を砕き、突風を避け、はがねの槍を筋肉で筋肉し、ワイヤーのように張り巡らされた糸を華麗にすり抜け……、
そして、二人同時にわたしの頭にタッチ。
勝負あり。
「わたしの負けですね」
「んほー! ゼフィリアんお姉様ばやっぱり凄かばい!」
テーゼちゃんはぴょんぴょん跳ねて大喜び。それから石畳にうつ伏せになり、猫の背伸びのポーズでお尻をふりふり。
その醜態から目を逸らし、わたしは胸巻の位置を直しているシシーさんを見上げ、
「シシーさん、いかがでしたか?」
「凄いねえ。何かね、あの子がどう動きたいか分かるんだよお。あたしっていう感覚が広がった、って言うのかなあ」
「やはり……」
なるほど、と頷きます。
「ありがとうございました、シシーさん」
「いーよお。イーリアレの言うとおりだねえ。姫さまの喧嘩、楽しいよお」
「あ、ありがとうございます」
「じゃ、あたしはもう行くねえ」
そう、シシーさんは今日も大忙し。午後からディーヴァラーナ領で指南の予定が入っているのです。そんなシシーさんに、ふりふり状態から復帰したテーゼちゃんが駆け寄り、
「シシーお姉様! 次はボクと一対一でお願いするけん!」
「いーよお」
シシーさんは手をひらひらさせ、ひとっ跳びでお役目に。筋肉。テーゼちゃんはシシーさんを笑顔で見送り、わたしに向き直って、
「メイちゃん! 今度こそ再挑戦ばい! あ、その前に石の仕込みば変えるけん! ちょっち待っちくれんね!?」
「はい、分かりました」
石畳に座り込んで砂込め石を作り、何やら作業を始めてしまいました。わたしがその背中を眺めていると、縁側から下りてきたナノ先生が、
「姫様、これは……」
「ええ、その通りです、ナノ先生。直感共有。これがテーゼちゃんの後遺症ですね」
頭の中の記憶の世界でも研究されていた、テレパシーという超感覚による知覚能力。テーゼちゃんのお脳はそれに近いものを変質により備えてしまったようです。
シシーさんにお願いしたのは事前知識、先入観無しでテーゼちゃんと組んだ人間がどういう動きをするのか、それを確かめたかったからなのです。
「テーゼちゃんの近くにいる人はテーゼちゃんの思考を受け取ってしまう。前向きに活用するならば、テーゼちゃんに指揮を執らせ集団作業を効率的に行う、などでしょうか。人と人の動きを同期させる手段として、これ以上のものはないように思えます」
昨晩お食事お風呂初体験でテーゼちゃんがハッスルしていた時、わたしたちは何も感じませんでした。どうやら危機感知のみに特化した能力であるようです。
「しかし、姫様。一人の人間に多くの者が統率されるのは危険です」
「そうですね。やはり問題はテーゼちゃんの感情、その影響が大き過ぎることです。テーゼちゃんの精神面が安定するまで、集団行動は避けるべきでしょう」
「分かりました。クルキナファソ領へはそのように連絡致します」
ナノ先生との相談を終え、わたしが再びテーゼちゃんに視線を戻すと、そこには幾何学的な石のオブジェが浮いていました。
不思議な感覚。
その立体を見て、テーゼちゃんが先ほど作っていた陽岩を何故か思い浮かべてしまう。形そのものに意味を見い出すのは不可能な筈なのですが、何故か分かるのです。
わたしはその感覚に戸惑い、思わず立ち上がってしまいました。ナノ先生はそんなわたしの隣に立ち、
「姫様、あれこそヴィンテーゼが重要視されている理由です」
テーゼちゃんは通信技術の研究の中で、通信に使える符丁のような、圧縮言語の開発をしていたのだとか。そして数字やイメージを別の言語情報に変換する過程で、あるものとの類似性を見出したそうなのです。
それは石作りの設計図、その構成式。
テーゼちゃんが作っているのは石の立体構造模型。頭の中の記憶にある化学式に近いもの。言葉という曖昧な認識で表現しなくともこの世界の人が的確に理解できる、その共有概念。
「ナノ先生にはあれが理解できるのですか?」
「理解というより、把握に近いのかもしれません。絵を見てその造形を頭に入れる感覚に近いかと思われます」
「それは、確かに言語化し難いですね……」
思い出すのはディラさんとナーダさんの会話。
『あとはこれ、海の上? なんでそんなとこにいんのか知んないけど、毛色の違う娘が一人かなー』
『去年問題があったクルキナファソの子ね。あの子は確かに、特別だわ……』
ディラさんが感付いたのはシュトラお姉さまとジュッシーお姉さまの他にもう一人。それがテーゼちゃんだったのです。そしてあのナーダさんに「特別」と言わしめた、テーゼちゃんの能力。
イメージの翻訳者。
これがクルキナファソが、アルカディメイアがテーゼちゃんに期待を寄せていた理由。テーゼちゃんは間違いなく石作りの分野においての革命児なのです。
わたしはいい感じにテンション上がってきた状態でナノ先生を見上げ、
「ナノ先生。この立体模型を意味付けし体系化すれば、あらゆる学問に役立てることが出来ます。教育だけではありません、わたしたちの記録の在り方も様変わりするでしょう。それが出来れば……!」
「そんなん知らんばい」
「そう、そんなの知ら……、え?」
ケロッとした様子で答えるテーゼちゃんに、わたしは見事にスカされてしまいました。わたしがすがるような目線を向けると、テーゼちゃんはぷいっとそっぽを向き、
「ボクはもう人に指図されての研究はまっぴらたい!」
「テーゼちゃん……」
目の前の可能性に目が眩み、わたしはクルキナファソの人たちと同じ間違いをするところでした。とても惜しいと思うのですが、残念です……。
わたしが反省していると、テーゼちゃんが作っていた立体模型がフッと消滅。石の調整が終わったのでしょう。テーゼちゃんはすくっと立ち上がり、こちらを向いて、
「それに、ボクには目標が出来たんばい! ボクん目標はレーレお姉様たい!」
「わたし、ですか?」
「そうたい!」
首を傾げるイーリアレを前に、テーゼちゃんはぐっと両拳を握り締めました。
それから、その赤紫色の瞳をきらきらさせて、
「ボク、メイちゃんのそばで一生食っちゃ寝して暮らすんばい!」
……ほあーっ! ホントにダメになっちゃいましたテーゼちゃん!
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