第123話 わたしの頭の中の私へ
発車ベルが鳴り響く。
我に返った私の目の前、向かいのホームから電車が発進していく。
風も何もない夜の駅。
黒いパンツスーツに黒いパンプス。
黒髪黒目の典型的な日本人。
アホ面下げたボケ女。
誰もいない無人のホームで、私は立ち尽くす。終電に乗り損ねるなんて、何をボーッとしていたんだろう。寝るなら家でと決めていたのに、せめて駅から出なけりゃならない。
気分は最低。
だけど妙に静かで、妙に落ち着いている。
不思議な夜だ。
駅ビルの照明はとっくに落ちてるとして、ホームから見下ろす街灯りも無いなんて。
どっかに明かりが、と私が振り返ると、
『こんにちは』
肩口まで伸びた金髪と青い瞳。
乳白色の柔らかそうな肌。
サラシのような胸巻と、長い腰巻。
両腕に痛々しい傷跡を刻んだ、多分外国人の女の子。
足元は裸足で、アルファルトからわずかに浮いている。
『やっと見付けた。いえ、やっとあなたを認識できました』
女の子はそう言って、今度は少し首を傾げながら、
『初めまして、あなたはわたしですか?』
流暢な日本語ね、てか何で浮いてんの。そんなことをのんきに思いつつ、何故か理解する。
「ああ……」
そうね、終電が行ったからって、いくらなんでも静か過ぎる。
女の子越しに見える改札への下り階段。その踊り場にうずくまる、一人の女性。
あれは、私の死体。
『あなたはここで死んで、そしてわたしになるのですか?』
「違うと思うわ。なんとなくだけどね」
そう、私は死んだ。ここは多分、死後の世界というやつ。
そのことに納得した私の前、女の子はふわりと宙を泳いで近付き、
『あのですね、わたしは体が弱いのです』
「それはお気の毒様ね」
女の子は私の嫌味を気にした様子もなく、
『わたしがまだお母さまのお腹の中にいた時、既にわたしは理解していたのです。この体ではこの世界で生きていけない、この体と心だけでは足りないと。だからわたしの本能はこの世界で生き抜くための方法を探し出し、取り込んだのです。あなたという情報、あなたの人生という記録を』
「そう、私は溺れたあなたが掴んだ藁ってことね」
『わたしたちの世界の人類はあなたたち地球の人より、電気神経的な情報取得能力に優れているのです』
女の子は私から離れ、後ろ手を組み、
『わたしが取り込んだ情報の羅列、そこに意識なるものが在るのか分かりませんでした。しかし、わたしによって仮想構築されたあなたの自我は、今こうして会話という乱数生成行動を行い、わたしに予期出来ない言葉を口にしている。これは、確かにあなたという意識が存在しているという証明に他なりません』
「SFね」
失笑する私を見上げ、女の子は何処までも落ち着いた声音で、
『あなた、わたしの世界に来ませんか?』
後ろ手に組んでいた手を開き、青い瞳を真っ直ぐ私に向け、
『魂というものがあるのならば、それは言葉に宿るものだと、わたしは信じています。そして、わたしの言葉は既に誰かの中に在り、その言葉には、きっと魂が宿るのです』
クソうける。私は我ながら暗い、自嘲的な声で、
「多分、私はバグのようなものなのよ。あなたみたいなキラキラした子には、必要の無いバグ」
『でも、バグの無い人生なんて存在しないでしょう?』
「デバッグ可能な人生なんて存在しないのよ。やり直しなんてご免だわ」
うんざりしたような私に、その女の子はとびきりの笑顔で、
『今、わたしは笑えていますか?』
「ええ、ニッコニコよ」
『今、わたしが笑えているなら、それはあなたのおかげです』
それから、女の子は傷跡だらけの両腕を体の前で合わせ、
『あなたに、ありがとうと、伝えたかった』
向かい合う私達の間に流れる、無言の時間。
やがて、気付く。
駅のホームが、私の小さな世界が小刻みに揺れている。屋根と地面。線路と階段がカタカタ震え、壊れていく。
女の子はその異変を当然のもとして辺りを見回し、
『時間です』
地面が崩れ、ホームが墜ち、砕け散る。深い闇、私達を取り巻く空間全てが、黒い糸になってほどけていく。
『どうでもいいなんて言わないで』
吸い寄せられるように、女の子がゆっくり空へと昇っていく。
逆さまになった姿勢で、私の顔に傷跡だらけの腕を伸ばし、
『あなたの記憶、あなたの体験、あなたの人生。くだらないなんて、思わないで』
頬に触れる小さな両手。
小さな口が紡ぐ、たわいない言葉。
『泣いてもいいんです』
女の子がもう一度笑う。それは私が今まで向けられたことの無い、優しさに溢れた笑顔。
『世界であなた一人だけは、あなたを悼んであげてください』
その言葉で、私の目から涙がこぼれる。その涙も吸い込まれるように、空へ空へと昇っていく。
分からない。私は確かに地球に、この日本に生まれて、そして死んだ。でも、どう生きたかなんて、もう覚えちゃいない。
ただ辛くて、悔しくて、分からなくて。
誰も私の名前を呼んでくれなかった。だからどうでもよくなった。だから、私は自分の名前すら忘れてしまった。
白い光を背景に、夜の全てがほどけ、空へ空へと昇っていく。靴がほどけ、服がほどけ、私の体も順を追ってほどけていく。
私の意識がほどける直前、空から降り注ぐ最後の言葉。
『わたしはアンデュロメイア。千風のヘクティナレイアの娘にして、ゼフィリアの島主』
直後、白一色に染まる世界。
全てが失われた私を包む、浮遊感。
次に私が在ったのは、一面の青。無色の水平線に隔たれた、空と海の世界。風に溶け、信じられないくらい大きな雲を抜け、私は空を飛ぶ。
上空から見下ろす青の世界。その中に、ぽつんと小さな島が見える。その島の山の頂、小さな小さな東屋の傍。白い石畳にかしずく銀髪の女の子。
分からない。私の知らない、とても懐かしい風景。
青から茜の空を翔け、その先へ。月と星々の巡る、夜の世界へ。
波の音が辿りつく場所へ。
命の沈み行く場所へ。
私の意識が向かう先、海面を埋め尽くして咲く、大輪の百合に似た黒い花。黒い髪、黒い背中。海の上を往く、ひとりの男性。
心に届く、微かな歌声。
夕闇色の影の花。
はじけて宿る、再びの暗闇。
そして、私は始まる。
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