第104話 ディーヴァラーナの落ちる日(1)

「はあっ、はあっ……」


 雲の海に沈んでいく、赤い夕陽。

 夜に向かう偽りの島。


 わたしは島の上空を高速で旋回しながら、両手で風込め石を生み出しました。そして、


「ふっ!」


 眼下に立つシュトラお姉さまに向けて超速で射出。続けて死角に配置した風込め石を起動し、音速で投射。しかし、


 届かない。


 シュトラお姉さまは微動だにせず、わたしの風は足元の草を少しそよがせただけ。周囲に展開した複数の水輪で風を捻じ曲げ、霧散させたのです。


 呼吸阻害、引力操作。全方位全種類、思い付く限りの石の陣。卑怯だ何だと言われそうな手も全て使いました。しかし、結果はこれと同じ。水輪の引力操作で全ていなされ、水鏡に軌道転送され、どうしてもシュトラお姉さまに届かない。


 更に、


「はあっ、はあっ……」


 まだ五分と経ってないのに、息が上がり切って、意識を保つだけで精一杯。横目で太陽の位置を確認する暇さえありません。何故なら……、


「くっ……!」


 シュトラお姉さまの手元が一瞬ブレ、わたしは緊急回避。直前までいた場所を無数の氷つぶてが通り過ぎていきます。


 水輪に拳を撃ち込み放つ衝撃波。氷や水、火を混ぜ込んだ変幻自在の遠距離攻撃。牽制を凌ぐだけで精一杯。


 わたしには纏いがあるため、普通の物理攻撃は通りません。しかし、水輪を通しての攻撃は速度が異常で、しかも遠近感の全く掴めない技で、とにかく捌きにくいのです。


 シュトラお姉さまはわたしを見上げ、ずっと待ちの一手。そう、シュトラお姉さまはわたしの体力切れを待っていればそれで勝ちなのです。


 むしろ逆、仕掛け続けなければいけないのはわたしの方。もしシュトラお姉さまが逃げに回り、姿を隠してしまったら。もうこの島を止めることは出来なくなってしまうでしょう。


「でもっ……!」


 わたしは何とか牽制を掻い潜り、両手を上げて上空にはがね石を生成。石の出力を限界まで上げた超質量攻撃。ドでかいはがねの立方体。この島そのものを壊す勢いでなければ、シュトラお姉さまは突破できないのです!


「ふんっ!」


 腕を振り下ろし、金属塊を撃ち下ろします。ですが、


「っ……!?」


 直後、内側から熱膨張し、跡形もなく蒸発してしまう金属塊。視界が晴れ、熱風の向こうに立つのは依然無傷のシュトラお姉さま。そのほっそりとした白い指先には、ゆらゆらと煙をたなびかせる火込め石が浮かんでいます。


 水輪を直列に展開させ、その中を通すことで爆発的に威力を高めた火炎。しかし、それだけでは説明が付きません。何か特別な剋式が込められているのでしょう。


 わたしの作るはがねは物質として成立しているものですが、石作りの組成物として見れば密度が薄い。自然科学によるものだけでなく、石作りにおける科学を、剋を仕込んだ石でなければ質で負けてしまうのです。


 これがアルカディメイアの双璧。ディラさんの認めた、この世界でもトップの使い手。


 しかしだからといって、ここで退いてなるものですか!


 わたしは風を生み出し、飛行を再開。熱線を、水球を、石つぶてを、糸を。思い付く限りの陣をシュトラお姉さまに仕掛けました。


 息が苦しい。瞼が重い。


 それでもわたしは石を作り続け、


「あっ……!」


 衝撃波で体勢を崩され、きりもみになって落下。地面に落ちそうになったところで纏いが解除され、べっちゃんころころと芝生に転がりました。シュトラお姉さまはわたしのかなめ石が消えたのを確認すると、右手に転送用の水鏡を纏わせ、


「ご安心ください。メイア様の御身はわたしが責任をもってアルカディメイアに送り届けます」

「う、ぎゅうっ……!」


 赤い夕日。橙色に染まる草。

 薄れていく意識と、うつ伏せに横たわったままぴくりとも動かない、わたしの体。


 悔しい。でも、もう……、


 シュトラお姉さまがわたしに向かい一歩をを踏み出した、その時。


「……さま」


 耳に聞こえた。微かな呼び声。


「……めさま!」


 風に乗って届く、聞き覚えのある声。


 ぼやけ始めた視界の中、声を求め断崖に目を向けると、その縁にかかる人の手を見付けました。そして、すぐさま持ち上がる小麦色の肢体。


 銀色の短い髪に青い瞳。

 右手に持ったはがねの大槍。

 サラシのような胸巻とスパッツの上に腰巻を巻いた、海守の服装。


 彼女は空の断崖に立ち、いつものように無表情で、


「ひめさま!」

「イーリアレ!」 


 夢じゃない。


 でも、どうして? イーリアレはアルカディメイアにいるはずなのに……。


 安堵と共に生まれた間隙、シュトラお姉さまが一瞬でわたしに迫り、


「あっ……!」


 その間に割って入った黒い影。


 後頭部でまとめた長い黒髪。

 青磁のように白い肌と赤い瞳。

 胸巻の上に襟を重ねた黒い着物。


 巨大な水の大鎌を軽々と振りかぶる、その人物。


「レーナンディさん!」

「ご無沙汰しております、メイ様」


 レーナンディさんはシュトラお姉さまをはね退け、水の大鎌を構え直し、


「メイ様がディーヴァラーナに招聘されたと聞き、もしやと思い駆けつけたのですが……」


 なるほど! 状況から察するに、用事か補給でアルカディメイアに立ち寄ったレーナンディさんがイーリアレから事情を聞き、救援に向かうよう申し入れてくれたのですね! 流石レーナンディさんです! そしてぐっじょぶですイーリアレ!


 これならいけます! そう思ったわたしは両腕を支えに、何とか上半身を起き上がらせ、


「石です! シュトラお姉さまから紫の石を取り上げてください!」

「承知致しました!」


 ギチリと水の密度を上げ、更に鎌を巨大化させるレーナンディさん。シュトラお姉さまはその姿を前に、悲しそうに目を伏せ、


「レーナンディ、私を見送ってはくれないのですね」

「シュトラ姉様……」


 レーナンディさんが逡巡したその時、シュトラお姉さまのすぐ近くにイーリアレの姿がパッと現れました。イーリアレは数合打ち合い、わたしの傍に瞬間移動。


 イーリアレを退け、体勢を立て直したシュトラお姉さまが、


「流石ゼフィリア。油断も隙もありませんね」

「しっぱいしてしまいました」


 イーリアレは左手を振り、力を使い果たした風込め石をぱっぱと消去。そして、両手で槍をジャキリと構え直しました。


 わたしはその逞しい背中をぐらぐら状態で見上げ、


「凄いです、イーリアレ! いつの間に速翔けを!?」

「みじかいきょり、みえるところにしかとべないのです」


 驚きと感心で口をぱくぱくしていると、イーリアレはもんのすごい苦渋の決断をしたような雰囲気を放ち、


「イーリ、あむっ!?」


 胸巻から取り出した小さな黒い塊を、わたしの口の中にひょいと投げ入れました。


 こ、これは……!


 口の中に広がるほんの少しの苦味と特大の甘さ。そしてお脳を直接刺激する芳醇な香り……! まさかのまさか! これはチョコレートではありませんか!


 むーん! あのイーリアレが食べ物を我慢するなんてとても頑張りました! しかも速翔けまで会得しているなんて! これはあとでたくさん褒めてあげねばなりません!


「ごちそうさまれふ、おいひいれふ!」

「では、いってまいります」


 レーナンディさんとイーリアレはほぼ同時に足を踏み出し、シュトラお姉さまと戦闘開始。


「ふぐっ、んくん!」


 わたしは名残惜しみながらチョコレートを飲み込み、なんとか復帰。やはり疲れた時には甘いもの。ちょっとだけですが体力回復しましたです!


 それにこれは大チャンス! 二人がシュトラお姉さまの相手をしてくれるなら、一番確実な手段を選べるのです!


 わたしはふらふらの足で立ち上がり、右手の風込め石で風を纏いました。そして、速翔けを起動し貫通孔の直上へ。速翔けをもう一度使い、この島の中枢へ。


 目的地はわたしが二週間貼り付いたド修羅場。極紫の命石に向かう橋の上に到着です。


 確実な手段とはこの中枢を直接操作すること。もしくは停止用コントローラーを作成できれば、この事態を打開できるはずなのです。


 当初は極紫の解析に二週間もかかりましたが、二度目なら一分もあれば! いえ二分、なんとか五分で……! とにかく、とりかからねばなりません!


「むんっ!」


 そう思い、わたしが紫の石に手をかざすと……、


「メイ様、後ろです!」

「え?」


 瞬間、別の景色に切り替わるわたしの視界。イーリアレが短距離瞬間移動でわたしを運んだのです。


 視線の先の黒い橋、その隅に置かれた水瓶。中の水が中空に溢れ出し、水鏡の形に変形。上面からシュトラお姉さまの体がずずずとせり上がってきました。


 貫通孔の途中、宙に浮く氷の足場の上。レーナンディさんは焦ったような様子で、


「メイ様! あれはあなたが作った石! どうにかしてこの島との繋がりを断てないのですか?!」

「それは不可能です! あの石は安全性を考慮し、外部からの干渉を一切受け付けないよう仕上げました! わたしの仕事は完っ璧です!」


 イーリアレの小脇に抱えられたまま、わたしが両の拳を握ってフンスと返答すると、何故かレーナンディさんが物凄いガッカリ顔に。え? あれ?


「さすがひめさま」


 同じく氷の足場に立つイーリアレも似たような雰囲気を放っています。レーナンディさんは思考を切り替えるようにかぶりを振り、頭上に水輪を展開し、


「ここでは不利です! 一度距離を取らねば……!」

「はい!」


 わたしも風を纏ってイーリアレを貫通孔の上に飛ばしました。


 直下に見える橋の上、シュトラお姉さまはこちらを見上げ、


「やはり、あなた方の意識を刈り取り、退避していただくしかないようですね」


 そして、紅の双眼でわたしたちを補足し、


「参ります」







「強い……!」


 筋肉は全てを解決してくれます。


 陸上最強、獣の中の獣、食物連鎖の絶対頂点。それがこの世界の人類。つまり、最後にものを言うのは絶対的な筋肉。


 貫通孔付近の芝生の上、肩で息をしているレーナンディさんとイーリアレ。わたしは二人の間を繋ぐよう、空中に浮遊。対して、シュトラお姉さまは全く息を乱さず、平静を保ったまま。


 攻め手に回ったシュトラお姉さまは正に苛烈。緩急のある足運びと多彩な技で、こちらの息つく暇を全く与えてくれないのです。


 わたしは既に停止プログラムを組むのを諦め、レーナンディさんとイーリアレを石で支援する役割に回っているのですが……、


「くっ……!」


 イーリアレ目掛けて撃ち出された氷のつぶてを風で防御。シュトラお姉さまがゆらりと動き、重ねて繰り出される水輪通しの衝撃波。三人同時対象の追撃を風でいなしたところで、


「ふぐっ……!」

「メイ様!」


 とうとう風の纏いが限界を迎え、わたしは地面にぐちゃりと投げ出されました。芝生を掴み、何とか立ち上がろうとしても、もう力が入りません。


 シュトラお姉さまは飛び掛かかるレーナンディさんを軽くいなしてから、わたしを見下ろし、


「メイア様。もうよろしいのではないのですか?」

「ふ、ぎゅ……!」


 完全に詰み。


 もう太陽が雲に半分以上沈んでしまっている。気力も体力ももう限界。石を作ろうにも、有効な手立てなど思い付きません。


 もう、私には、もう……。


 こちらに向かい、ゆっくり歩みを進めるシュトラお姉さま。迫りくる水鏡を前に諦めかけたその時、イーリアレがわたしの前に立ちはだかり、


「もんだいありません」


 それから、いつも通りの無表情で、


「わたしのひめさまは、ひとりぼっちではありませんので」


 直後、遥か雲海の下から雲を突き抜けて現れる巨大な柱。


「なっ……!?」


 声を上げ、動きを止めたシュトラお姉さまの視線の先、この浮島に繋がる階段のように、どんどん突き立つ巨大列柱。あまりの質量に噴き上げられた海水が風に乗り、わたしたちに降り注ぎます。


 ひと際大きな石柱、その頂からこちらに飛び移る一人の人物。


 雨となった飛沫が降り注ぐ中、その人影は浮島に着地。薄れていく水煙の向こうに見える、片膝を突いて俯いたその姿。


「待たせたわね、イーリアレ……」


 立ち上がる筋肉。

 アルカディメイアでわたしを沢山叱ってくれた、懐かしい声。


 ツーサイドアップにした金髪に緑色の瞳。

 白い肌に水着のような白い胸巻と腰巻。


 肩に引っ掛けた白い布をマントのようにはためかせて立つ、その人の名は――


「アーティナのセレナーダ殿下……!!」


 シュトラお姉さまの声を乗せて吹く、夕暮れの風。


 腕を組み、胸を反らし、

 ナーダさんは犬歯を剥き出しにした獰猛な笑顔で、


「これは一体どういうことかしら!?」


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