第105話 ディーヴァラーナの落ちる日(2)

「シュトラお姉さまが夜にどーんで危ないので取り上げてください!」

「それはそうとおなかがすきました」

「セレナーダ殿下、シュトラ姉様はこの島を使い夜に討って出るおつもりです! 姉様の右手にこの島を操作する命石が! あれを取り戻し、この島を安全に崩壊させなければ!」


 夜に向かう夕暮れの浮島。

 冷たい風に金髪をなびかせる、アーティナの女性。


 三者三様。

 わたしたちの説明に、ナーダさんはレーナンディさんをぴっと指差し、


「レーナンディ、あなた優秀」

「うーん!?」


 わたしは芝生にうつ伏せ状態で超ショック。必死の説明をスカされてしまいました! ていうか、タイロンにいる筈のナーダさんが何故ここに? はっ、まさか!


 と、傍で槍を構えるイーリアレを見上げました。


 アルカディメイアからディーヴァラーナに来るにはタイロンを経由する必要があります。イーリアレはタイロンで島主の引き継ぎ作業をしていたナーダさんにアポイントメントを取ったに違いありません。


 ぐっじょぶ! またしてもぐっじょぶですイーリアレ!


 わたしが心の中でイーリアレ全力褒め褒めモードに入っていると、


「イーリアレ、あなたはメイの傍を離れないで」

「しかし、でんか」


 対峙するわたしたちに向かい、堂々と歩いてくるナーダさん。あくまで自然体なその姿を不審に思ったのか、シュトラお姉さまは距離を取ったまま動きません。ちな、レーナンディさんは息を整えつつ、シュトラお姉さまを警戒中。


 おそらく、これは誘い。ナーダさんはこの島に上陸する前から既に戦闘態勢。下手に仕掛ければいかにシュトラお姉さまといえどただでは済まない、はずぽいのです。多分。


 ナーダさんは芝生に倒れているわたしの近くまで来ると、緑色の瞳をイーリアレに向け、


「あなたもやっぱりゼフィリアね。いい? これは喧嘩じゃないの。あなたはメイと一緒にいた方が活きる。あと、私のことはナーダでいいわ」


 その言葉にイーリアレはビビンとしたような雰囲気を放ち、神妙に首肯。左手でわたしの体を抱え起こし、


「はい、ナーダおねえさま」


 槍を石に戻しました。


 イーリアレがお腹の前にわたしを装備したのを確認すると、ナーダさんはシュトラお姉さまに向き直り、


「ヘラネシュトラお姉様、あなたのように聡明で話が通じる貴重な方を失う訳にはいきません。断固阻止させていただきます」

「私に、私に価値など……!!」


 犬歯を剥き出しにしたシュトラお姉さまに対し、ナーダさんはお母さまそっくりのお顔をキリリとさせ、


「あなたが認めずとも、我々にはまだあなたが必要なのです」


 右手に黄色い砂込め石を纏わせ、白い大槌を作成。腰を落とした姿勢で低く構えました。そして、


「レーナンディ、

「ッ!? ……はいッ!」


 ナーダさんの指示でレーナンディさんが筋肉的速攻。戦闘開始です!


 二対一の大立ち回り。ナーダさんは得物の大きいレーナンディさんの動きを阻害しないよう、コンパクトな足運びでシュトラお姉さまを攻め続けます。付かず離れず、実に嫌な間合いです。


 そこで気付きました。ナーダさんはシュトラお姉さまの体が開く角度を常にわたしに向けるよう立ち回っているのです。


 なるほど! わたしの存在をいるだけで牽制にしてしまうなんて、実にナーダさんらしい考え方! 流石です!


 しかし、シュトラお姉さまも然る者、お二人の動きにもう慣れ始めているようで、徐々に戦況が押され気味になってきました。やはり水輪と水鏡のコンビネーションはそうそう打ち破れるものではありません。


 これはくたくたでも加勢せねば! と、焦ったわたしはイーリアレにぶらーんされたまま両手を構え、


「わわわ、わらしもいきますでしゅ!」

「メイア様、まだ……!」


 シュトラお姉さまの意識がこちらに向いた、その刹那。ナーダさんが大槌の柄を手放し、胸の谷間から一つの石を取り出しました。その石を握ったままの左拳に纏わせ、起動。再び大槌を右手に勢いよく体を回し、


「そっ、こぉ!」


 何もない宙に渾身の一撃。すると、その場所から波紋が広がり、空間が歪んだような円筒状の軌跡が発射され、延長線上にあった水輪が音も無く消滅しました。


「なっ……!?」

「ふおお!」


 黒い着物を掠めたその攻撃に、シュトラお姉さまは驚き、わたしは感嘆。


 金色の水滴を振り巻き、ナーダさんは残心。波紋のように景色を歪める、ナーダさんの周囲の空間。あれはわたしの風纏いに似た、黄色い燐光の水の纏い。


 ナーダさんの左手の甲に浮かぶのは、青い小さな水込め石。


 あれはリルウーダさまの水月の応用! はがね石の干渉法則を捻じ曲げ、性質代入法に用いて周囲の空間を分解する技! しかも石と石の力だけを限定対象にして消滅させるなんて!


 あれを成すには六種の石の性質とその生剋を正確に読み取り、随時込める式を組みかえねばなりません。分析派のナーダさんらしい、対石作り戦に特化した難しい技です!


「くっ……!」


 シュトラお姉さまが初めて見せる、焦燥の顔。何故でしょう、シュトラお姉さまの動き自体は健在で、痛手を受けたようには見えませんが……。


「あっ……!」


 そこで、わたしまたまた気付きました。この世界で石を大量生産出来る人間は少数で、日にひとつふたつしか作れないのが当たり前。作り置きした石を帯に挟むなどして常備するのが普通なのです。


 シュトラお姉さまは夜に向かうため、得物の石を用意していたに違いありません。ナーダさんはシュトラお姉さまの装備を削ることでダメージを与えたのです。


「距離を……!」


 シュトラお姉さまが一足飛びで後退した空隙、ナーダさんはずだんと踏み込み、


「メイ! 受け取って!」


 その左手が開かれ、わたしに向けて放たれる一つの石。


 今までのことは全てフェイント。自分の秘技すら囮に使う、ナーダさんの戦略。しかし、今はそれよりも……、


 ナーダさんを除くこの場にいる全員が、その石に意識を奪われました。


 当然です。


 あれは在り得ないもの。ですが、わたしには分かります。あれは、あの石は――


「あ、ああっ……!」


 イーリアレの腕の中、わたしは迎えるように両手を広げ、その間にかなめ石を生み出しました。かなめ石を使って人の石を操ってはならない。でも大丈夫。だって、この石は――


 夕闇色の空を舞う、青い光を放つ純白の石。


「ホウホウ殿……!」


 純白の石とかなめ石の間、ちりっと走る紫電の繋がり。接続した瞬間理解する。あの人らしい、とても実直で、不器用な石。


「あの石! まさか男の石を、極紫で!?」

「せいっ!」

「やっ!」


 全てを理解したシュトラお姉さまに対し、間髪入れず追撃を行うナーダさんとレーナンディさん。ナーダさんはシュトラお姉さまの左腕に大槌を叩き込みながら、


「あれこそが水と鋼の練達にして極致、その真骨頂よ! メイ!」

「はいっ!!」


 かなめ石を胸の前に引き寄せ、石の力を解き放つ。


「永槍! 起動ッ!」


 わたしの言葉で石が変形膨張。目の前に立ち現れた、何処までもシンプルな純白の槍。途端、ディーヴァラーナの大地を埋め尽くしていく、白い菊のような大輪の花々。


 雲の下に沈んでいく太陽の彩層。

 氷の花が咲く、一面の花畑。


 時間も風も、全てが凍り付くような冷気に包まれた夜の刻。


 体の内側から聞こえる、みちっという生々しい音。

 視界を染める、真っ赤な血しぶき。


「ひめさま!」

「だい、じょうぶ……!」

 

 爪が割れ、裂傷まみれになった両腕を、わたしは胸の前で構え続けました。槍の放つ冷気に皮膚が一瞬で凍り付き、内側の肉が裂けたのです。


 当然。これはこの世界の男性が、ホウホウ殿がシグドゥに立ち向かうために用意した決戦兵器。双方間の情報出力はかなめ石でカバーできても、現出した力自体にわたしの弱い肉が耐えられるはずもありません。


 今更感じる痛みと熱。思考にノイズを走らせる、痛烈な情報。


 でも、それが何だと言うのですか!


 わたしは唇を噛み、血塗れの両腕を振りかぶり、


「ああああああっ!!」


 わたしの叫びに呼応して突き下ろされ、大地を貫く純白の氷槍。そして、伸長。超速長大。雲を穿ち、海を割り、槍の穂先が海底に突き刺さる確かな手応え。


 高速化した思考の中、よぎる。


 わたしたちの立つこの地面。フハハさんが作った、仮初めのディーヴァラーナ。人を生かすために作られた、人のための島。


 その島を、例えシグドゥを倒すためであっても壊すために使ってはいけない。


 だから、ごめんなさい、ディーヴァラーナ。


 今からわたしは、あなたを壊す。


「イーリアレ、わたしを固定して! ナーダさん、レーナンディさん!」

「委細!!」

「承知!!」


 わたしの指示通り、わたしの体を支えるイーリアレ。シュトラお姉さまに組み付くのを止め、ナーダさんの左手をしっかり繋ぎとめるレーナンディさん。


「その槍を、放しなさい!!」


 二人から解放され、眼前に迫るシュトラお姉さまの水輪。構わない。わたしはあらん限りの力を込めて、


「氷刃! 展開ッ!」


 キンッ、と槍から生まれる無数の刃。シグドゥを貫くはがねの性質を持った、氷の刃。空に浮かぶ島、その全域を刺し貫いた、大雑把で大規模な破壊の形。遠目で見れば、その姿は海から茎を伸ばした一本の大菊に見えたでしょう。


 強大な槍の力で縫い留められる、大地の動き。槍がしなり、島が止まる。槍で島を杭打ちにした、急停止。わたしたちを襲う反動と慣性の中、シュトラお姉さまは宙に投げ出され、


「しまっ……!!」

「でぃ、やあっ!」


 レーナンディさんに支えられた、ナーダさん相剋の衝撃波。シュトラお姉さまはその力で更に吹き飛ばされ、


「くあっ、ああぁ……!!」


 紫の石を庇うように体を捻じり、そのまま暗い空の下に消えていきました。


「ふうっ……」


 シュトラお姉さまの気配が遠く消えたのを確認したのか、小さく息を吐き、得物を石に戻すナーダさん。


 断崖の先、レーナンディさんは暗くなってしまった雲海を見下ろしながら、


「ごめんなさい、シュトラ姉様……」


 静寂を取り戻した島の上。

 残されたわたしたちの間に吹く、一陣の風。


 既に辺りは真っ暗闇で、この島は夜に入っています。でも、まだ大丈夫。あとはこの島を崩壊させれば落着です。


「ふあー……」


 わたしがふにゃりと体を弛緩させると、背後のイーリアレが超絶オロオロしたような雰囲気で、


「ひめさま、うでが……」

「いえ、今は島の破壊が優先です。それよりイーリアレ、ありがとうござ……、ふえっ!?」


 振り向き言いかけると、突然、地震のようにぐらぐらと地面が揺れ始めました。


「ちょっと、メイ! どういうこと!?」

「一体何が!?」


 凍りついた芝生を踏み砕き、辺りを見回すナーダさんとレーナンディさん。近くに感じる石の気配に、わたしは即座に気付きました。視線の先、氷の花が浮く小さな池。その水面が変質していき、


「まだ……」


 鏡から突き出された白い右腕。その先に光る紫の石。昏い穴から這い出すように現れた、黒髪の女性。


 シュトラお姉さまは必死の形相で、虚空に向かい右手を伸ばし、


「私は、夜に……!!」

「行かせま、せんっ……!!」


 このまま槍で島を破壊する。わたしがかなめ石に意識を集中させた、その時。


「っ……!」


 驚愕に見開かれる赤い瞳。ひび割れ、砕け、弾けて消える紫の石。


「いけない!」

「ひめさま!」


 瞬間、背後に立ち昇る紫色の光の柱。遅れて轟く、悲鳴のような破裂音。


 極紫の命石がとうとう臨界を迎えたのです。


 貫通孔を中心に地割れが起こり、その裂け目から噴き出し暴れる紫色の破滅の刃。至る所で藍色の光が球状に広がり、収縮。連鎖誘爆を起こしていく至界の分体。そして、


「きゃっ!」


 全てを飲み込む光と音。


 フハハさんの作った人工島の最期。完全な崩壊。空にあった全てのものの繋がりが断たれ、ばらばらになったジグソーパズルのように、雲の下へと落ちていきます。足場を失い、爆風を受けたわたしたちは薄闇の空に投げ出されました。


 わたしの意識が外れ、空気に消えるかなめ石。制御を離れ、槍から石の形に戻る純白の石。星の力に引き寄せられ、散り散りになって落ちていく土と水、氷の花。瓦礫群の中、分断されるわたしたち二人と三人。


 未だ空に漂う極紫の残滓。大きな瓦礫を両断して暴れ狂う、紫刃の雷。


 その一つがレーナンディさんに降り注ぐ直前、


「レーナンディ! 危ない!」


 シュトラお姉さまが水輪で空中制動。レーナンディさんを突き飛ばして庇い、そして、


 その体を通り抜ける鋭い閃光。


 一瞬の無音。時間差で腹部から噴き出す大量の血液。解ける帯、切り裂かれた着物。光を失っていく赤い瞳。


 レーナンディさんはシュトラお姉さまの方へ、もがくように手を伸ばし、


「いや、いや! シュトラ姉様!」


 崩落した瓦礫に挟まれ、落下していくシュトラお姉さま。潰されていく、彼女の体。


 落ちていく、落ちていく。


 風の中。瓦礫の中。


 わたしはイーリアレの腕に抱かれながら、

 血塗れの腕を伸ばしながら、


「あ、ああ……」


 潰されながら、落ちていく。


「あああああああっっ!!」


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