第103話 紫色の真実

「な、にを……」


 北の海、雲の上。

 夕陽を背負う空の庭。


 島の端、切り立った断崖を背に、わたしは言葉を失いました。目の前には夕陽に照らされて立つ、ディーヴァラーナの女性が一人。


「この世界は素晴らしい。しかし、私に生きる価値はないのです」


 シュトラお姉さまは感情の無い、柔らかな笑顔で、


「メイア様ならば、早晩行き着く事実であったと思います。かつてのディーヴァラーナは、シグドゥによって潰されたのではないのです」

「では、一体何が……」


 言って、思い出す。ディーヴァラーナ本島の痕とその原因、わたしが引っ掛かりを覚えたあの地形。


 疲労からか、ただの風か。

 頭の中でごうごうと響き始めた、乱暴な音。


 シュトラお姉さまは、消え入りそうな小さな声で、


「ディーヴァラーナを壊したのは、ディーヴァラーナの女なのです」


 シュトラお姉さまの語る、十一年前の真実。シグドゥによって壊滅の危機に瀕した、それとは全く異なる事実。


 かつてのディーヴァラーナに一人の女性が住んでいました。この世界の何処にでもいる、当たり前の日々を生きた、普通の人でした。


 その女性は祖父と父を海で失い、勿論、夫も海で失った。彼女に残されたのは、たった一人の息子だけ。


 必然、その女性はひとつの考えに囚われるようになったのです。


 もう、息子しかいない。島のためとはいえ、自分は息子を死なせるために生んだわけではない。だったら、自分の息子を海に向かわせるくらいなら。


 自分が海に討って出る。


 力がいる。シグドゥに打ち勝つための、強い力が。


 そして、その母親は極紫を編み出しました。


 何のために。


 極紫の命石は石を制御する石。そう、男の石を制御するために。


「だから、その女は息子の石を――」


 強い者は弱い者に与えて当然。男性が女性に、ましてや母親に願われたら、それを与えない筈がありません。


 その男の子は一切の躊躇なく、母親に自分の石を渡してしまった。


 シグドゥに対抗するために作った、自分の赤い火込め石を。


「女の考えは正しかったのです。極紫の命石は息子の作った石を制御することに成功しました。しかし……」


 わたしたちこの世界の人間は、石を独立した媒体として体外に生成します。通常、石には人の自我など込めません。必要がありませんし、日常生活において何の役にも立たないからです。


 しかし男性の、シグドゥに対抗するための決戦石は違います。


 思い出すのは、ソーナお兄さんの作った石。たったひとつの目的のため、男性は自分の意識を一色に塗りつぶし、その全てを石に込める。石は最早、もう一つの自分。それほどのものを、男は石に込めるのです。


 そして、男性の決戦石は本人の肉体と連結稼働することを前提に作られるもの。加えて、石と人の繋がりは双方間。


 極紫の制御下に置かれた石は、他の繋がりを全て断ち切られてしまう。そうなれば、石と切り離された肉体はどうなってしまうのか。


「何処にでもいる、普通の女性でした。弦を奏で、喧嘩をし、海で魚を獲って……」


 この世界に殺人はありません。この世界の人は奪うということをしないから。この世界の人は怪我や病気、外部からの干渉で命を失うことがないから。


 だからその母親も、最初は何が起こったのか分からなかったのでしょう。


 突然動かなくなった息子を抱き寄せ、その体に触れて確かめる。


 そして、絶叫。


 母親の叫び声は実に十五分もの間、島中に響き渡ったそうです。


「その人の悲鳴と、紫色の光。私を庇って抱きしめてくれた、母の温もり。それが、あの日の私の最後の記憶」


 誰も、何も悪くない。ただ、悲しい間違いがひとつ起きてしまっただけ。


 頭の中、風の声が鳴り響く。

 意識の水面に波紋を作る、雫が一つ落ちる音。


『それを使って、他人の石を操ろうなどと思うなよ』


 これが、スナおじさまがわたしに禁を言い渡した理由。


 わたしはこの世界で唯一人、男性を殺すことが出来る人間だったのです。


「生き残った私達は自分自身に怯え、暗い穴倉に引きこもりました。私達は生きていてはいけない、このまま飢えて死を待とう、無為な生を全うしようと」


 この世界の人間は間違いを犯した時、まず自分を責める。自分たちの仲間が人を殺してしまった。それだけでなく、自分たちが生きる大地を壊してしまった。


 だったら、いっそ。


 それはこの世界の人間の精神構造としては正常なものでしょう。


「そんな私達を覇海の御方は救い上げ、生きる道を照らし出してくださった。私達の間違いをその御威光によって正してくださった。そう、覇海の御方の御業で、極紫の実態は大地を作るという力に上書きされたのです」


 ナノ先生は極紫の命石がディーヴァラーナの中枢として働いていたことを知っていた。だから、わたしから極紫の性能を聞き驚いていたのです。


「しかし、この世界の人間が石を作り続ける限り、極紫が生まれる可能性は捨て切れません。ことはディーヴァラーナだけではなく、この世界の問題。故に、私は真実を隠すよう、妹達を統制しました。それだけではありません。人の噂をいいことに、何の落ち度もない弟達に責を負わせ、世界を欺き続けて、私は……」


 シュトラお姉さまから感じる、とてつもない疲労感と責任感。


 この世界の人間は基本的に正直で、嘘を吐きません。この世界の人間であるシュトラお姉さまにとって、真実を隠蔽し虚構の中で生きることは、多大なストレスであったに違いありません。


 しかしそれは責任者として仕方のない、他にどうすることもできなかったこと。翔屍体と同じ。そのものの存在を知ること自体が、発生の原因に繋がってしまう。極めて予防の難しい、真実の開陳。


「私はこの世界で多くの人の生活を、自然を、様々なものを見てきました。ええ、改めて確信します。思います」


 シュトラお姉さまは本当に、心の底から眩しそうに空を眺めて、


「この世界は素晴らしい。だから、私に生きる価値はないのです」


 だから、夜に向かい死ぬことにした。臨界寸前の極紫を搭載した大質量攻撃を以って、シグドゥに吶喊することにした。


 でも……、


「いいえ……、いいえ! シュトラお姉さま!」


 震える足で前に出る。

 奥歯を噛んで、頭の中に吹く風を黙らせる。


 わたしはこんなことのために石を作ったのではありません。こんなことを願って頑張ったわけではないのです。それに、何よりも……、


 顔を上げ、拳を握り、


「わたしはシュトラお姉さまの考えを絶対に認めません! 誰だって、死にたがってなどいないのです! だから、シュトラお姉さまも絶対に死なせません!」


 わたしはふらふらの頭をフル回転させ、どうすべきか考えました。


 一度離脱し、音飛び石で救援を呼ぶ。直接他島に飛び、強い人を運んでくる。


 いいえ、シュトラお姉さまはわたしの石の性能を知っている。この人の肉と水鏡ならば、どのような事態にも即対応できる。


 何より、時間。


 早くしないと、夜が来てしまう。そうなれば誰も手が出せない。全てが手遅れになってしまう。早くしないと、もう陽が落ちて――


 背後を振り向き、気付く。


「シュトラお姉さま……!」

「流石です、メイア様」


 再び前を向き、わたしはシュトラお姉さまと対峙しました。シュトラお姉さまが右手に纏っているのは、わたしの作った紫の石。


 雲の上にあったはずの太陽が、雲に掛かり始めていたのです。


 島が動いている。東に、夜に向かって動き始めている。シュトラお姉さまはこの会話の中で、既に指示を出していたのです。


 風が吹く。

 断崖の下、遥か彼方から来る強い風が。

 その風の中、覚悟を決める。


 わたしは体の正面で両手を合わせ、そのまま引き込み、右手を上に、左手を下に。


「思考速度切り替え、圧縮言語解放。記述呼び出し」


 合わせた手を胸の前で開く。そこに生まれるのは、紫色のかなめ石。


 そして夕陽を背負い、両の素足で地面に立って、


「シュトラお姉さま! わたしがあなたを止めて見せます!」


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