第71話 願いの歌のレーナンディ(2)
アルカディメイアはゼフィリア領。
お昼過ぎの島屋敷。
「もも、も、申し訳ありません。こ、こちらから願い出ておきながら、な、中々伺うことが出来ませんで……」
「いいいいえ、お気になさらず!」
調理台の向かいに立ち、猫背気味に平身低頭するレーナンディさんに、わたしも慌てて頭を下げました。あれから二日、やっと時間の都合がついたレーナンディさんが個別指南を受けに来てくれたのです。
宙に浮いた石板に座り、わたしは意識して姿勢を正しました。レーナンディさんはこの世界にはめったにいないものすごく腰の低い人で、ちょっと調子が狂ってしまうといいますか。
わたしは調子を取り戻すため、気込め石でお箸を作り、
「それでは、いただきますです」
「いただきます」
「は、はい、よろしくお願い致します」
調理台の上には見事に仕上げられたお刺し身やお椀がズラリ。一言で言えば、レーナンディさんは物凄く飲み込みの早い人だったのです。
「流石ディーヴァラーナ。レーナンディさんは吸収がとても早くてすごいと思います」
「お、音楽の組み立てと、その、仕組みが似ているといいますか……。だ、段取りや、あ、空いた時間を何で埋めるかなどが……」
「なるほど」
聞きながら、わたしはレーナンディさんの作った昼食をいただきました。小骨もありませんし、やはりレーナンディさんはとても器用で丁寧な人だと思います。ちなみに、イーリアレはわたしの隣でエンドレス立ち食いモードに突入中。
レーナンディさんの指南のリクエストなのですが、これがまた不思議な要望で、求める技術が極めて限定的なのです。
お料理の素材は海鮮のみ。調味料もなるべく使わず、お酒に合うもの。
もう一つのお願いである生活用石作りですが、レーナンディさんの石の生産数は他の人と同じか、それ以下。どんなに頑張っても日に二つがやっと。その限られた生産数の中で、ギリギリまで長く使える石を作りたい、とのことで。
確かに、この要求を満たすにはわたしのところに来るしかないと思います。
ディーヴァラーナは火と水の島。気込め石でお魚を捌く技を磨けば、陸の資源に頼らない、人の力による完結した生活が可能になるでしょう。シュトラお姉さましかり、ディーヴァラーナの人は資源を節約する意識が高いのですね。
「どうしましょう、レーナンディさん。お料理の方はもう充分として、指南を石作りのみに搾りますか?」
「あ、あの、もし、ご、ご迷惑でなければ、定期的に継続していただければと……」
「大丈夫でしょうか? その、レーナンディさんの予定は……」
指名してくれるのは嬉しいのですが、レーナンディさんは多くのお姉さま方に求められるお忙しい人なのです。
レーナンディさんは体の前で結んでいた手をきゅっと握り、
「じ、時間は必ず空けます。げ、弦の指導も、ひ、ひと区切り付いたところなので」
「分かりました」
調理台にお箸を置き、わたしは了承。肉が弱くとも、わたしとてゼフィリアの女。そこまで求められて拒否する理由はありません。
「あ、そうです」
わたしはこれを機会と心のメモを開き、レーナンディさんにあることを尋ねてみることにしました。
「レーナンディさん。ディーヴァラーナのお風呂というのはどのようなものなのでしょう?」
白い雲が浮かぶ青空の下。
陸との境界線のように連なる黒い屋根。
「よ、ようこそディーヴァラーナ領へ」
「今日はよろしくお願いします、レーナンディさん」
翌日、講義を終えたお昼過ぎ。わたしはディーヴァラーナ領を訪れました。ディーヴァラーナ領はアルカディメイア西部、タイロン領のお隣の区画です。
他領に比べ質素で小さい門の前、レーナンディさんがわたしたちを出迎えてくれました。そのまま案内され、わたしはイーリアレの背からディーヴァラーナ領の風景を眺めます。
通りの両側に立ち並ぶ、木で組まれた簡素な東屋。気込め石製の黒い瓦をふき、カーテンのような大きな幕を仕切りにしただけの、小さな住居。やはり、何処か肩身の狭さのようなものを感じます。
わたしがディーヴァラーナ領に足を運んだのは、ソーナお兄さんに頼まれたお風呂のこと。てっきりディーヴァラーナ本島のお風呂だと思っていたのですが、ここアルカディメイアにも同じ作りのものがあるらしいのです。
であれば、領のお風呂を見せていただければ何か分かるかもしれない。そう思い、レーナンディさんに案内をお願いした次第でして。
レーナンディさんに導かれ、わたしたちは四辻の交差点に辿り着きました。その中心にはぽっかり空いた大きな穴。底が見えないほど深い穴で、なんだか潮の終孔を思い出してしまいます。
しかし一体何のための穴なのか、わたしがイーリアレの背中で首を傾げていると、
「こ、こちらになります」
「え、地下にお風呂があるのですか!?」
「は、はい。ゼフィリアのパリスナ様がそのように設計したそうです」
驚きましたが、そこにあるというなら向かわない訳には参りません。わたしたちは縦穴に飛び降り、その底にあっさり着地。筋肉。上を見ると、入り口が物凄く小さく見え、本当に深い穴であることがよく分かります。
縦穴の底に視線を戻すと、その壁に大きな横穴が。どうやらまだ先があるようです。
「ありがとう、イーリアレ。ここからは自分の足で歩きますね」
「はい、ひめさま」
洞窟の入り口を前に、わたしはイーリアレの背から下りました。そんなわたしに、レーナンディさんは心配したようなお顔を向けて、
「あ、足元にお気を付けください」
「ありがとうございます、レーナンディさん」
レーナンディさんに先導され、わたしたちは横穴に足を踏み入れました。アルカディメイアの地下がこんなふうになっていただなんて、気付きもしませんでした。
ひたひたという足音だけが反響する、静謐な時間。壁に設えられた火込め石が青く灯る、長い長い地の底の道。
これがディーヴァラーナの日常。ゼフィリア生まれのわたしには想像も出来なかった、異質な環境。気を抜けば自分という存在が闇に溶け込んでしまうのではないか、そんな錯覚を覚える、不思議な空間。
陽の光の届かない暗闇で寝起きする暮らし。その生活はディーヴァラーナの人に、肉体的にも精神的にも大きな影響を与えたに違いありません。
シュトラお姉さまが教えてくれたディーヴァラーナの眠り方。ふかふか大き目のお布団の中、裸になって眠る習慣。何故そうなったのか、この洞窟を歩いた今なら分かる気がします。
裸になって身を寄せ合い互いの体温を感じなければ、安心して眠れなかったのでしょう。
しばらく歩くと左手に大きな横穴が、分かれ道です。
「レーナンディさん、こちらは?」
「そ、そこは保存場所です。ご覧になりますか?」
「はい、お願いします」
穴を進むとすぐ視界が開け、広大な洞穴に出ました。火込め石の灯りの下、沢山の低木が植えられた畑のような場所。
「なるほど……」
保存の意味が分かりました。ここは地下栽培場なのです。
ディーヴァラーナはこの世界の島の中で唯一保管という習性を身に付けた島。それは十年前の災害、その反動で身に付いた習性。
ディーヴァラーナの男性達はこのように地下に穴を掘り、その島の植生、生態系、環境を保存することを生活の一部としている。ナーダさんが特殊だと言っていたのは、このことだったのです。
レーナンディさんたちディーヴァラーナの人にとって、ここは蔵のような場所。この更に奥には植物の種が沢山保管されているそうで。場所を取らずコンパクトに植物を保存する賢い方法だと思います。
そして、わたしはこの洞穴を見て確証を得ました。この環境で植物が育つということは、火込め石の光で植物が光合成をしているということ。わたしが読み解いた火込め石の本質は間違いではなかったのです。
「お、お恥ずかしい話ですが、わ、私達はこうでもしないと、も、もう安心できないのです」
「いえ、恥ずかしいなどということは。とても賢明なやり方だと思います」
レーナンディさんは体の前で手を結び、
「こ、子供の頃、私達は全てを失いました……。ち、地の底に潜み、波の音に脅え、枯れかけた草の根を食み、山羊の乳をすすって飢えを凌ぐ。お、おおよそ人の生活とは思えない、ひ、酷い日々でした……」
それは、ディーヴァラーナの人が災害で負った心の傷。
海水恐怖症。
洞窟に響く波の音がシグドゥの足音に聞こえてしまい、子供たちは恐怖で海に出ることが出来なくなってしまった。海はわたしたちにとっての生命線。その海に出られなければ、お魚すら獲りに行けなくなってしまう。
それはオレオレなこの世界の人が自信を失うに充分な要因なのではないでしょうか。レーナンディさんのこの世界の人間らしくない性格に、わたしは納得してしまいました。
レーナンディさんは結んだ手をぎゅっと握り、ほんの少しだけ頬を染め、
「そ、そんな私達に、は、覇海の御方は、五海候の方々は、手を差し伸べてくださいました。あの方たちが、温もりを、安心をくださいました。今私達が生きていられるのは、あの方達のお陰なのです」
熱に浮かされたように、フハハさんたちのことを話すレーナンディさん。その様子にわたしは再度納得。もしかしたらディーヴァラーナはこの世界で唯一、信仰の心が芽生えた島なのかもしれません。
「そ、そして、ゼフィリアのヘクティナレイア様に、改めて感謝を……」
「お母さまに、ですか?」
突然出てきたお母さまの名前に、わたしが首を傾げると、
「は、はい。わ、私達は陸のものを止むを得ず口にしていただけなのです。その経験が糧になるなど、お、思いもしませんでした。ゼ、ゼフィリアの教えは私達の苦しみを知識に、自信に変えてくれる。シュトラ姉様はそう笑い、私達を引き上げてくだすったのです」
思い出すのは島主代理としてのシュトラお姉さまの言葉。そう、島主はどんな時でも笑顔を絶やしてはならないのです。
「やはり、シュトラお姉さまは凄い方ですね……」
「は、はい! 私共の、自慢の姉です!」
陸上最強、獣の中の獣。食物連鎖の絶対頂点。片手で大岩を持ち上げ、小さなお山なら文字通りひとっ跳びで飛び越えてしまう。それがこの世界の人間。
ですが、心の強さが肉体に比例するとは限らない。
わたしたちの生活は満たされている。しかしそれが欠けた時、人はどうなってしまうのか。わたしは今踏みしめている大地の重要性を改めて実感しました。
お話がひと区切りし、わたしが再び雑木林に目を向けると、その間をちゃっちゃと歩く大きな狼の姿。ディーヴァラーナのわんちゃんです。
レーナンディさんもそのわんちゃんに気付き、
「い、犬がいるということは、近くに弟達がいる筈なのですが……」
「あの、ディーヴァラーナの男性は、何故人前に出てこないのでしょう?」
「そ、それは……」
ディーヴァラーナの男性が人前に姿を現さない理由。
自分たちは島を守れなかった不甲斐ない存在。そんな自分たちの姿は人を不安にさせてしまうに違いない。そう思い込み、ディーヴァラーナの男性は人前に姿を晒さなくなってしまったそうなのです。
レーナンディさんは体の前で結んでいた手を解き、その拳を固く握り締め、
「私達はいいのです。でも、弟達が陰で笑われるのは我慢がなりません」
ディーヴァラーナの男性は地下に穴を掘ることから、他島の女性に「モグラ」と揶揄され、蔑まれているのだとか。
驚きました。この世界の人類の中でそんな差別のようなものがあるとは思わなかったのです。
わたしはきゅっとお口を引き結び、
「ありがとうございました、レーナンディさん。浴場へお願いします」
「は、はい。アンデュロメイア様……」
わたしたちは保管所を後にし、途中いくつか同じような横穴を通り過ぎ、洞窟の終点、突き当りの部屋に通されました。
「こ、れは……!」
入り口の幕をくぐったわたしは、天井を仰いで感嘆の声を漏らしました。そこにあるのは群青色に揺らめく海の底。
そう、ディーヴァラーナのお風呂は海底浴場だったのです。
海底に掘られた大きな空間の中央には、湯気を立てる大きな浴槽。海底の水面に反射する、火込め石の青い光。ゆらゆらとその形を変える、水の影。まるでお母さまのお腹の中にいるような、不思議な安心感。
わたしは海の底を見上げながら、浴槽を囲む洗い場を歩きました。
このお風呂を見て、シュトラお姉さまが作る火込め石の灯りが何故青いのか、何となく分かった気がしました。ディーヴァラーナの人の心は、言葉は、この環境で育まれたのです。
明るい陽の下で生きるわたしたちとはその言葉の意味が違う。ディーヴァラーナの人にとって灯りとは、地の底から見上げる海面の光だから。
レーナンディさんはわたしと並んで歩きながら、
「こ、この浴場でのひと時が、私共の憩いの時間です。ゼ、ゼフィリアのパリスナ様の思い付きは、本当に素晴らしいものであると思います」
「それは、よかったです……」
足を止め、わたしは右手に風込め石を作り情報受信感度を上げました。
「い、いかがでしょう?」
「なるほど、これがこの部屋の仕込みですか」
この場に残された風、働きとしては環境固定。風を浴場に纏わせることで、海水の侵入を防いでいるのです。出力が大きい男性の石だからこそ出来る、変則的な石の使い方。
しかし……、
「今すぐではありませんが、遅かれ早かれ限界が来ていたのだと思います」
この浴場に微かに流れる、あの人の風。義務感の塊のような、事務的で硬い風。この場所の纏いも、おそらくは自身の手で更新するつもりだったのでしょう。
わたしはもう一度海の底を見上げ、ゆっくりと目を閉じ、
「仕方、ないですね……」
目を開き、左手に作った風込め石で纏いを固定発動。その石をレーナンディさんに渡しました。
「それをここに設置してください。空気を生むだけの単機能な石なので、百年は維持できるはずです」
「ひ、ひゃく……?! あ、ありがとうございます! ありがとうございますアンデュロメイア様!」
「いえ、わたしはスナおじさまの仕事を引き継いだだけですので……」
レーナンディさんはぺこぺこお辞儀をしてから、浴槽の中心、その上空に風込め石を浮かせました。これで、天井である海の底が落ちてくる心配はないでしょう。
石を設置し終えたレーナンディさんは振り返り、その頬を桃色に染めながら、
「い、いかがでしょう? 入っていかれますか?」
「う……! い、いえ、今日は遠慮しておきます……!」
なんて魅力的なお誘い! こんなの間違いなく気持ちいいに決まっています! でででも他領に来てせっかくだからお風呂だなんて、テーゼちゃんじゃあるまいし! 我慢、ここは我慢です!
わたしは先ほどのものと同様の石を作り、もう一度レーナンディさんに手渡し、
「これをディーヴァラーナ本島に」
「あ、あ、ありがとうございます。アンデュロメイア様……」
レーナンディさんはわたしの石を両手で包み、深く深くお辞儀してから、
「で、では戻りましょう。あ、足元にお気を付けください」
お役目を終えたわたしはイーリアレの待つ入り口に戻り、右手の風込め石を消去して、
「イーリアレ、帰りはお願いします」
「はい、ひめさま」
イーリアレの背に負ぶさり、わたしは浴場から地下道に戻りました。
壁に並ぶ、青い灯りの道標。
振り返れば垂れ幕に映る、青く揺らめく反射光。
「仕方、ないですね……」
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