第45話 タイロンの学生たち

「わたしが、お嫁に……」

「良縁ですね」


 ゼフィリア領の島屋敷、昼食を終えた午後の大広間。わたしとイーリアレはナノ先生と向かい合う形で正座しています。


 広場での急襲、もといプロポーズ。わたしはその衝撃でスコンと意識が飛んでしまい、そのままイーリアレにお持ち帰りされた次第なのです。


 イーリアレ曰く、フェンツァイさんの求婚は、


『私の、弟のお嫁においで』


 というお話だそうなのですけれど……。


「先生! わたしまだ数えで七歳です! まだ早いのでは?! ていうか島主になるわたしがタイロンに行ったらダメだと思います!」

「そうですね。この場合、殿方がゼフィリア入りしてくれて当然。タイロンならば男の一人や二人、喜んで与えてくれるでしょう。ありがたいことです」

「あらちゃっかり」


 びしりと挙手して意見するわたしに、ナノ先生の冷静なご判断。


「タイロンの現島主、そのご子息は勤勉にて聡明な方。思慮深く、そして何より人の話に耳を傾ける常識がございます。そう、男なのに話が通じるのです。これは大変、大変重要なことですよ姫様」

「ああー、スナおじさまみたいな人って少なそうですものね」

「スナは別です」


 おや? ナノ先生にしてはめったにない、親しい呼び方です。


 ナノ先生は、「失礼」と咳払いをひとつして、


「パリスナは別格です。千年公と呼ばれたプロメナ様、前島主が男性であったこともあり、島主候補としての自覚が非常に高い人間でした。そもそも、殆どの男性には話が通じないものです。姫様もお諦めください」


 なるほど、生き物としての基準が違うので話が通じないというか、滑り続けてグダグダになってしまうというか。おまけに超マイペースなので話してると微妙にイラッとするところとか。あれがスタンダードでスナおじさまは希少種だったのですね。


 ナノ先生は難しいお顔で眉根を寄せ、


「姫様。このご時勢、異性と縁が結ばれること自体稀なのです。どうぞ、前向きにご検討されますよう」

「ううっ……」


 そんな訳で、フェンツァイさんの弟君は超優良物件のようです。ナーダさんやフェンツァイさんと同じく、昨年度からアルカディメイアに就学されている方なのだとか。


 頭の中の記憶では政略結婚など、本人たちの意思に関わらず男女が結ばれることがあったようですが、まさかわたしの身にそれが降りかかろうとは。これも島主の苦難のひとつなのでしょうか。


 他人のロマンスには興味津々なのですが、自分のこととなるとまた話が違ってきます。


 先ほどナノ先生に言ったように、わたしはまだ数えで七歳。この世界の人間としては成体ですが、わたしは発育が遅く、そもそも異性に対して胸キュンな感情などまだ分からないのです。


 更にわたしはこの世界最弱の肉。「あれも無理これも無理」と幼い頃から言われ続けてきたので、自分が結婚して家庭を持つという将来的なビジョンが浮かんでこないのですね。


 頭の中の記憶を参照しようにも、どうやら彼氏いない暦=人生のようで、異性とのお付き合いに関する情報が全く無い有り様。


 板間に正座しながらわたしが頭を悩ませていると、隣に座るイーリアレがいつも通りの無表情で、


「ひめさまがタイロンへいったら、わたしもタイロンのおんなになるのですね……」







 一夜明けてのお昼過ぎ。

 青空の下に続く武骨な石畳。


 イーリアレはわたしを背負い、今日もてくてく歩いていきます。


 目的地はアルカディメイア直径路の西端。ゼフィリア領の正反対に位置する、タイロン領。


 今日は文学の勉強をするため、タイロンの図書蔵におじゃますることにしたのです。いえ、わたしのお相手さんのお顔が見れないかなーという下心は一切無いのです。無いのです。


 それはともかく、序列第三位、水と鋼の島、タイロン。


 タイロンはアルカディメイアの北西にある極寒の島。世界第一位のアーティナに次ぐ面積と人口を有する、とても大きな島。


「うわあ……!」


 そのことを象徴するように、タイロン領の図書蔵は石で出来たとても大きな建物でした。頭の中の記憶にある西洋のお城のような、無骨な雰囲気の様式です。


 人口が多ければ作れる石の種類も増える。水込め石とはがね石の他に砂込め石を作れる人がいるのでしょう。


「ありがとうございます、イーリアレ」

「はい、ひめさま」


 わたしはイーリアレの背から下り、図書蔵の玄関をくぐりました。


 石の床をてちてち歩き、目的地へ。廊下の先に見付けた閲覧室の扉に向かい、わたしが意気揚々と足を踏み出すと、


「ぴっ!」


 その入り口からのっそり姿を現した大きな生き物と目が合い、わたしの体はすくみ上がってしまいました。


 白黒まだら模様の毛皮にふさふさの尻尾。

 丸いお耳に逆三角形の黒いお鼻。

 鋭利な牙と金色に輝く野生の瞳。


 そう、虎です! 絶対捕食者です!


 わたしは大きな虎と睨みあったまま戦闘態勢。目を逸らした方が負け、わたしの中の野生がビンビンにそれを告げてくるのです。


 こ、このままでは食べられちゃいます……!


 よく分からないわたしがうっかり生命の危機に瀕していると、


「どうしましたか、ベイディエ。おや、アンデュロメイア様」

「ユンシュクさん! こ、この生き物は……」


 図書室から出てきたのは顔見知りのユンシュクさん。ユンシュクさんはその虎の首を優しく撫でながら、


「ゼフィリアにはいないのでしたか。猫です」

「うそォん!」


 虎では!? 虎ですよねベイディエちゃん! 猫より弱い駄肉と言われたわたしですが、当たり前です虎じゃないですかこれ!


 ナノ先生から、タイロンではにゃんこが飼われていると聞き秘かに期待していたのですが、ううっ、わたしにはさわさわ出来そうもありません。


 ユンシュクさんに案内され、わたしたちは大きな扉をくぐって図書室の中へ。


「ふおおっ……!」


 その空間はわたしの理想そのものでした。


 高い高い天井の下、ずらりと並ぶ書架の列。沢山の机が置かれた、本の読むためだけ場所。


 ぐるりと室内を見回せば、椅子に座り机に向かい、静かに本を読むお姉さま。床に正座し膝に虎を乗せ、優雅に読書をするお姉さま。


 お部屋の端にはホウホウちゃんたち年少さんのお昼寝スペースがあり、かわいい女の子たちがお布団を敷いてすやすや眠っています。


 アーティナの温室同様、外からの光を透過する採光壁が窓のように並んだ、まさに図書室。厳し過ぎず、緩過ぎず。最低限のマナーが敷かれた静かな空間。


 そんなタイロンの図書室を見て、わたしは感動に打ち震えました。これです! わたしの求めていた環境はこれなのです!


 わたしはこの静寂に満ちた秩序を壊さぬよう、小声でユンシュクさんに、


「あの、文学の講義はどのようなものなのでしょう? 成り立ちや手法、論的なものは教えていただけないのですか?」

「個人的な疑問はここにいる者に聞いてください。大歓迎です」


 ワックワクなわたしに、ユンシュクさんは糸目でにっこり。


 図書室にある本は基本的に閲覧自由。気になることがあれば個人レッスン。こういったところは他の講義と同じようです。


「ありがとうございます、ユンシュクさん! 早速読書に行ってまいります!」

「どうぞ、ごゆるりと」


 ユンシュクさんに見送られ、わたしはイーリアレと一緒に書架の間へ。


 書架の棚、そこに並べられているのは沢山の気込め石。本の形で保管するよりスペース的にも効率的で、なるほどです。


 しかも作者、題名など一部の情報が強調されて石に込められています。石の情報を読める人間ならばすぐに判別できるでしょう。これなら棚に分類表記の名札を付ける必要もありませんし、是非とも見習いたい石の作り方です。


 そしてウッキウキなのがその物語の数、その種類!


 お母さまの蔵書は海洋調査に関するものばかりですし、ゼフィリアの蔵は喧嘩や石の記録が殆どで。ゼフィリアのアキリナさんと同じく、わたしも物語に飢えていたのです。


 わたしが著者別に並べられたご本の題名に夢中になっていると、


「ひめさま、ものがたりとはどんなものなのでしょうか」


 しゃべった! 講義中はさっさと退出するか空気と同化することに徹していたイーリアレが物語に興味を持ってくれるなんて!


「これはですね、言葉を目で追って読み、頭の中で色んな景色を思い描いて楽しむものなのですよ」

「おうたとはちがうのでしょうか」


 首を傾げるイーリアレに、わたしはその楽しみ方を丁寧に教えました。そこで閃き。そう、百聞は一読にしかずなのです。


 わたしは近くに立つお姉さまにそっと近付いて、


「あの、すみません。今人気のお話を一冊お願いしたいのですが、出来れば娯楽要素のあるもので」

「お待ちを……。こちらをどうぞ」


 わたしの目の前でさっと本を編み上げるタイロンのお姉さま。気込め石で本の情報を読み取り、複製してくれたのです。


 いただいた本は頭の中の記憶にある和綴じに近い装丁な本で、紺と紫の綴じ紐がとてもきれいな一冊。


「ありがとうございます……!」

「どうぞ、ごゆるりと」


 わたしは親切なお姉さまにお礼をし、近くの机に移動、イーリアレと一緒に椅子に座りました。わたしが本を開くと、隣に座ったイーリアレが覗き込むようにして席を近付けてきます。


 ううっ、イーリアレがこんなに興味津々だなんて、本当に嬉しいです……! イーリアレが物語を気に入ってこの本の感想を交換し合えたら、なんて素敵! これは張り切らねば!


「さあ、始めましょう。ええと、タイロンに住む男性が主人公のようですね」

「ふむふむ」


 わたしは右手で風込め石を作り、防音壁を展開。指で文字を追いながら、ゆっくりイーリアレに読み聞かせていきます。


 内容はタイロンに住む二人の男性のお話。友情ものになるのでしょうか。


 紺の瞳の少年と紫の瞳の少年。海で遊び陸で学び、幼い頃から兄弟のようにして育った二人の少年の物語。年を重ねるにつれ、お互いを思う気持ちが徐々に変化していく、ゆったりとした筋書きです。


 ううっ、やはり人が人を思うお話はいいものです。こんなまともな読書体験が出来るなんて、ありがとうございますタイロン!


 この世界の小説は頭の中の記憶のものに比べ、拙いものなのかもしれません。でも、この本はこの世界の人が紡いだ物語。そう、血肉の通った言葉に触れるのはやはり楽しいものなのです。


 物語をなぞり、穏やかに過ぎる午後の時間。


 文字を重ね繋がっていく行と段落。文字で描かれる二人の関係。ある夜、その距離が一気に近付き……。


「にょわああああ!!」


 奇声を上げ、わたしは、ばんっと本を閉じました。


「はあっ、はあっ……」

「どうしたのですか、ひめさま」


 肩で息するわたしを、いつも通りの無表情で覗き込むイーリアレ。わたしは読んでいた本を抱えて椅子から飛び降り、図書室を見渡しました。


 緊急! 緊急事態なのです!


 わたしは書架の間にユンシュクさんの姿を見付け超焦りながら接近! こそこそ声で質問!


「ユユユンシュクさん?! あのこれ、このご本なのですが!!」


 わたしが超絶焦る理由。そう、読み進めた先に悶絶ダイレクトでアレな描写があったのです! 真っ赤になってあわあわするわたしに気付いたユンシュクさんは、その糸目を嬉しそうに細め、


「ほほう、幼馴染ものとはアンデュロメイア様もお目が高い。定番の展開ですが、超絶燃えると評判の話です。幼馴染である二人の関係、近すぎて伝わらない感情。打ち明けられない気付いてほしくない、ンンッ、そのもどかしさ、たまりませんな。見せ場はやはりその詳細な描写。ねっとりとした抜きつ抜かれつの攻防を想像するだけで、フッフ、ご馳走さまでございます。攻防の優劣が逆転しないので読者同士の諍いにも気を使う作者の心遣いも素晴らしい。しかしやはり定石はいいものです。実に滾る」


 当たり前のように答えるユンシュクさんに、わたしの時間は一時停止。一時停止解除。


 そこでわたしは、はたと思い当たり、手にしていた本を改めて確認しました。そこに結ばれた、絡み合う二本の綴じ紐。その色は紺と紫、登場人物の男性二人の瞳の色。


 んー! 確かに気づかい的には正しいというか見事な演出でありがたいのですが! この尊さはわたしには理解できないというか早過ぎるような!


 わたしは両手でご本を抱え、全身を真っ赤に染めながら、


「こここういう禁断系はわたしにはまだ早いと言いますか! 普通の! 営みとかないやつで!」

「何処に禁ずる理由がありましょう。見せ場と言えばそれしかございますまい」

「せせせめて異性同士の、その、ごにょごにょで!」

「男性同士の通じ合いは文学の基本。ここに並べられた物語は全てその向きのもの」

「こ、これ全部そうなんですか?!」


 わたしの目の前に立ち並ぶ書架の列。そこに収められた大量の本の数。


「まさかっ……!」


 わたしはダメな気配を察知し、今一度図書室の様子を見回します。


 椅子に座り机に向かい、鼻血を流しながら読書をするお姉さま。床に正座し膝に虎を乗せ、鼻血を流しながら読書をするお姉さま。


 そして目の前に立つユンシュクさんのお顔にも、いつの間にかその情熱がボタボタと。


 わたしはあまりにもあまりにもなその事実に愕然としました。


 フェンツァイさんといいユンシュクさんといい、タイロンの女性はお脳がおピンクに染まりまくってませんか!?


 ていうかこの世界でこれが定番って頭大丈夫ですか?! こんなんが体系化されて主流になっちゃう世界なんですか?! あ、文学的かけ算ってそういう?!


 絶望でお脳が真っ白になってしまったわたしの背後、イーリアレがいつも通りの無表情で、


「あついといきが……。ひめさま、つづきがきになるのですが」

「ほわああダメです! 忘れてくださいイーリアレ!」







「そんな訳ないではありませんか」

「ですよねですよね安心しました!」


 夕方過ぎのゼフィリア領。

 島屋敷の大広間。


 真っ赤になってことの顛末を説明するわたしに、ナノ先生はとても疲れたお顔で、


「様式として在る意味は勿論理解しておりますが、推奨される程のものではございません。タイロンの蔵書には些か偏りがございます。姫様のご趣味を教えていただければ、他島の図書からなるべく適切なものをお勧めいたしますが」

「ありがとうございます! お願いします!」


 わたしは感謝の余り思わず土下座。やはり持つべきものはナノ先生です!


 ナノ先生は正座モードに復帰したわたしに、各島の書の傾向、その種類と分布を教えてくださいました。


 アーティナは絵付きの生物図鑑など、一番多いのは建築構想、その様式の本。ヴァヌーツは数学、物理学など、数式の多いものが主。石作りの技術を記録した書は講義棟に保管されている、など。


「そして、ホロデンシュタックにはそれを超える様々な分野の蔵書がございます。物語でしたらそちらに足を運んでみるのがよろしいかと」


 ううっ、申し訳ございませんでした。実はフェンツァイさんの弟さんにお会いできないかなーという下心アリアリでした。物語を読むならホロデンシュタック、大人しくアキリナさんの推しに従っておけばよかったです……。


 そこでわたしはふとナノ先生のご趣味が気になり、尋ねてみることにしました。あれがこの世界の普通なのかどうか、確かめたかったのです。


「あ、あの、ナノ先生も、その、そういうのを……?」


 湯気が立ちそうなほど茹で上がったわたしを前に、ナノ先生は心の底から疲れたお顔で、


「あまり忌避するものではありませんよ、姫様。今回の出会いに関しては気の毒だとは思いますが、同性同士の心の繋がりを主題とした作品は普遍的なもので、長く求められるものも多うございます。過激な描写を避けたものであれば、姫様のお気に召すようなものがあるかもしれません」


 考えてみれば、異性同士のお付き合いが成立するパターンが少ないこの世界では、生涯を共にするパートナーが同性でもおかしくないのです。つまり、求められる物語も自然とそういう形になるようで。


 中でも、強き者とその側付きのお話はこの世界の一大ジャンルなのだとか。


 そこでわたしはあることに思い至り、両手でぎゅっと腰巻を握り、


「ああああの、ナノ先生。わわわわたしとイーリアレは違うのです。あああの、その……」

「承知しております。姫様は他人の助け無くして生きていくことが難しいお体。イーリアレはよく務めております」

「ひゃい、本当にたしゅかっておりましゅ……」


 板間に正座し、真っ赤に染まるわたしの体。

 大広間にこぼれる、ナノ先生の盛大なため息。


 わたしの隣、イーリアレは全身からめちゃんこ嬉しそうな雰囲気を放射しながら、


「うまれてはじめてほめられました……」


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