第44話 講義再開(2)

「お待たせしました、イーリアレ。さあ、帰って昼食にしましょう」

「はい、ひめさま」


 講義を終え、わたしは広場で待つイーリアレと合流しました。


 巨大掲示板の傍ら、講義棟前広場を見渡すと、あちこちで人垣が作られ、相変わらず色んな人が喧嘩をしています。


 イーリアレはその喧嘩によく参加しているようで、何だかわたしよりもずっとアルカディメイアに馴染んでいるような気がします。


 足の裏に感じる、ざらついた石畳の感触。

 見上げれば抜けるような青空。


 入浴の習慣が広まったおかげで、アルカディメイアの空気はすっかりきれいなものになりました。人の熱気は相変わらず凄いのですが、匂いに関してはフローラルな香りすらします。


 この世界の女性もやはり女性。広場を行き交うお姉さまたちはそのキラキラ度をどんどん上げています。流石、ディラさんシシーさんの指南です。


 さて島屋敷に戻り、次の講義の準備をせねばなりません。そう思い、わたしがイーリアレの背によじ登ろうとすると、


「あの、少しよろしいでしょうか?」


 振り返れば、そこには一人のお兄さん。


 赤い髪に切れ長な橙色の瞳。

 チョコレート色の肌に、その上半身をはだけた朱色の着物。


 頭の中の記憶の猫のアビシニアンのような、スラッとした印象のお兄さん。子守の最中なのか、すやすや眠る小さい女の子を三人抱えています。


「すみません、ゼフィリアのアンデュロメイア様とお見受けいたしました。初めまして、俺はヴァヌーツのツェンテと申します」

「は、はい。何でしょう?」


 ツェンテさんはその橙色の瞳を柔らかく細め、


「アンデュロメイア様は六種の石を作れる方だとお聞きしました。不躾な質問ですが、人が作れる石、その種類を増やすことは可能なのでしょうか?」

「それはわたしも考えたのですが……」


 ツェンテさんが言っているのは石作りの適正を増やす方法。その案は人工島の次に考えていたものでした。


 この世界での資源は人が作り出すもの。つまり、様々な石をバランスよく作れるようになれば、資源問題を一気に解決出来るかもしれないのです。


 そう考えたわたしは、イーリアレに他の種類を石を作れないか試してもらったことがあったのです。しかし、どうやっても上手くいかないようでした。


 試行の結果、わたしの適正は頭の中の記憶や生い立ちとは無関係。その血によるものという仮説に辿り着いたのです。


 まず、ゼフィリアは風と水の島。そしてひいお爺さまは火込め石を、ひいお婆さまは砂込め石を作れる方でした。更に、お母さまのはがね石。これに気込め石を合わせると、ちょうど六種。


「なので、これはやはり遺伝によるものと、一応の結論を出したのです」

「なるほど。そういえばメナお爺ちゃんは俺等の血が濃かったですしね」


 メナお爺ちゃん? あ、プロメナひいお爺さまですか。


「ひいお爺さまが、ヴァヌーツの?」

「ええ、ゼフィリアにヴァヌーツの血が入ったのがどのくらい前か聞いてみないと分かりませんが、ちょっと待ってくださいね。おーい、誰か知ってるヤツ」


 ツェンテさんはしばらく空を仰いでからわたしの方を向き、


「三百年くらい前だそうです。ゼフィリアはトーシンとも仲良いんですが、トーシンはそれよりずっと前だそうなので」


 なるほど、とわたしは頷きました。ヴァヌーツは火と鋼の島。そしてゼフィリアの東に位置する砂漠の島。地理的にも納得です。


 そして、トーシンの細工の意匠がゼフィリアと似ている理由も分かりました。やはり血が混じっていたのです。


 わたしがお脳の中で事象の紐付けを行っていると、ツェンテさんがちょっと困ったようなお顔で、


「しかし、残念ですね。俺はヴァヌーツの人間ですが、水込め石を作れるんです。その作り方を他の人間に伝えられれば、島の役に立てると思ったのですが……」

「そ、それでしたら是非わたしの講義に……!」


 出席してください、と言おうとしたところで、ツェンテさんが抱えている女の子がひとり、ぱちりと目を覚ましました。その女の子はわたしの顔にムッとしたあと、小さいお手々でツェンテさんの頬をぺちんと叩き、


「なにおはなししてるのー!」


 そのビンタ音を目覚ましに、他の女の子たちも次々と起き出し、「どーいうことー?」とぺしぺしツェンテさんを叩き始めました。ツェンテさんは、「おはよう」と女の子たちに笑いかけて、


「色々出来るようになりたいなってお話してるんだよ」

「ちーがーうー。ほかのおんなとおはなししちゃだめなのー」

「どーしてわかんないかなー」


 と、女の子たちはツェンテさんをぺしぺし総攻撃。


「いや、話さないと分かるものも分からなくなっちゃうだろう?」


 困ったお顔で女の子たちの平手を無防備に受け続けるツェンテさん。ディナお姉さまが言ってた通り、ヴァヌーツの男性はとても優しくてほっこりしてしまいます。


 この世界の人間は頭の中の記憶の人類より、体も心もその成長が早いのです。それに小さくたって女の子は女の子、きっとみんなツェンテさんが大好きなのでしょう。


 わたしはその女の子たちを眺め、しかし、と思います。その道は長く険しいのです。


 この世界にロマンスが足りない理由。それはツェンテさんたち男性陣のメンタルにあるのです。この世界におけるいい感じな男女の関係は、その殆どが女性側の努力の賜物。


 そもそもこの世界の男性は異性に対しての興味が全く無い生物。もし好意を告げられたとしても、人間的な好意として受けとってしまうそうで。「夫になれ」と直接的に迫るくらいでないと伝わらないのです。


 加えて、この世界の男性は言葉通り明日をも知れない存在。そんな自分が家族を持てる筈がない。その思い込みは仕方のないことだと思うのですが、もうちょっとこう、歩み寄ってくれてもいいんじゃないかなー、と。


 この世界の男女比は二対八という極端なもので、しかも出生率は年々下がっていくばかり。頭の中の記憶の人類と違い、この世界の男性は複数の女性と関係を持つことを絶対にしないのです。


 そんな訳で、深刻なロマンス不足に陥っているわたしたちこの世界の人類ですが、突き詰めてしまえば当人同士の個人的な問題。他人に強制されてどうにかなるような問題ではないのですね。


「分かった分かった、もうお話は終わったから。ありがとうございました、アンデュロメイア様」

「こちらこそー」


 ツァンテさんは丁寧にお辞儀をし、女の子たちを抱え大通りの方へ。預かった子を遊ばせるため、海に行くのでしょう。


 ツェンテさんの背中を見送り、わたしは改めて広場を見渡しました。


 びゅんびゅん飛び交う、沢山のお姉さまたち。

 空を仰げば、ゼフィリアと違う色の青。


 色々ありましたが、わたしは何とかやっていけそうです、お母さま。それに、今日は嬉しいことが沢山ありました。


 わたしは頭の中でお母さまにそう報告し、隣に立つイーリアレに、


「お待たせしました、イーリアレ」

「はい、ひめさま」


 アルカディメイアの講義棟前。

 無骨な石畳が敷かれた大きな広場。


 目の前には白い着物を着た、背の高いお姉さま。

 

 ……背の高いお姉さま?


「フッ、これはゼフィリアの姫君。元気そうで何より」







「フェ、フェンツァイさん! こっこここんにちわ!」

「フッ、こんにちわ。そう、アイサツは大事」


 わたしの眼前、突如現れた背の高いお姉さま。


 短い白髪に紫色の瞳。

 白い肌に太い帯を締めた白い着物。


 タイロンの島主候補、フェンツァイさん。


 島屋敷に一度来たきり全く音沙汰がなかったので、その存在をスコンと忘れていました。


 しかしフェンツァイさんがわたしの前に現れたということは、当然ご用件はのアレな訳でして、ここは勇気を出してゼフィリアの女らしく先手です!


「あ、あの、フェンツァイさん! 紫の石に関しましては、その、伝授不可能ということで!」

「勿論、承知している。千獄の姫よ」

「うっ! その二つ名で呼ぶのはちょっとご遠慮していただければと……!」


 そうなのです。レイルーデさんがしれっと広めたわたしの二つ名はあっさり定着してしまっているのです。講義などでも「千獄さん」と呼ばれたりして、ひじょーに恥ずかしいのです。


 講義の最中も慎重に言葉を選び、獄なイメージを払拭しようとしているのですが、どうにもならないのが現状で……。


 わたしが真っ赤になって恥ずかしがっていると、フェンツァイさんは端正なお顔を広場に向け、


「何たる清々しさ、あの澱んだ空気がこうも変わろうとは……。そして私もこの通り」


 ふわっと頭を振り、きれいな白髪をさらりと揺らしました。髪の毛一本一本が陽の光を反射し、キラッキラに輝いています。


「おおー、フェンツァイさんもお風呂指南を受けたのですね?」

「フッ、おかげでとってもいい感じ。強靭にして清潔、そして優雅。やはりゼフィリアの技術は素晴らしい」

「にゃんと!」


 ままままさかそんな気に入ってくれるだなんて! しかもゼフィリアベタ褒め、わたしの中でタイロン株が急上昇!


「あああありがとうございますありがとうございます!」

「料理に関してもタイロン独自で研究している真っ最中。フッ、あれはいいものだ」

「ふおお、お料理も!? ありがとうございますありがとうございます!」


 更にゼフィリア推し! しかもフェンツァイさんは序列第三位であるタイロンの島主候補! その宣伝効果はグンバツに違いありません! 最高にありがたいことです!


「それだけではありません。アンデュロメイア様の学問はタイロンの者と相性がいいようです」

「フッ、それは結構」


 その声の主、ファンツァイさんの隣に現れた一人のお姉さま。


 前髪を分けたボブカットの白髪に紫色の糸目。

 白い肌に太い帯を締めた白い着物。


 フェンツァイさんと同じくらい背の高い、落ち着いた物腰のお姉さま。


 タイロンのユンシュクさん。


 ユンシュクさんはホウホウちゃんと同じくわたしの講義に参加してくれている方なので、よく知っているのです。


 フェンツァイさんはユンシュクさんと一度視線を交わした後、その紫の瞳でわたしを見下ろし、


「千獄の姫よ、今すぐ老いを止める気はないか?」

「えっ? い、今すぐはちょっと……」


 フェンツァイさんの言う通り、この世界の女性は自分で老いを止められます。ですが今止めたらその、リルウーダさまみたいというか、ほぼ瓜二つな生命体になってしまう訳でして。


 ていうかわたしはお母さまの娘なので、もう少し成長したらナーダさんみたいになれないかなーと、ちょっと期待してたりするのです。


 急で突飛な用件にわたしが困惑していると、


「フッ、やはりたまらん……」


 かっこよく目を伏せたフェンツァイさんのお鼻から、つーっと流れる赤い液体。


「フェンツァイさん! 鼻血が! 大丈夫ですか!?」


 突然の流血に慌てるわたしを前に、フェンツァイさんは気込め石を右手に纏わせ、サッと鼻血を分解。そして、


「失礼。少々情熱が迸しってしまったようだ」

「じょ、情熱……?」


 見ればユンシュクさんも同じように鼻血を流しています。


 まさかまた喧嘩なのでしょうか。やる気マンマンで血の気が多いのがこの世界の女性なのです。お母さましかり、どういう精神構造をしているのか分かりませんが、とにかく喧嘩がこの世界の女性なのです。


 わたしがよく分からないままとにかく心配していると、フェンツァイさんは広場を見渡し、すっとその目を細め、


「そう、この広場。思い出すのは我々の出会い……」


 その言葉でわたしは初日の喧嘩のことを思い出し、暗くなりました。


 フェンツァイさんもあの時喧嘩を挑んできた一人。それはつまり、わたしのことを人間以下の駄肉と見なしていた訳で。分かっていても、やっぱり辛いのです。


 わたしは両手で腰巻をぎゅっと握り、


「ご、ごめんなさい、フェンツァイさん……。でも、クズ肉と見られても、わたしにはやらねばならないことがあるのです。アルカディメイアのみなさんには申し訳ありませんが、その、我慢していただけたらと……」

「フッ、我慢できるはずがなかろう」


 きっぱりとしたフェンツァイさんのお返事と落ち着いた表情。そこに再び流れる情熱のほとばしり。つまり鼻血。


「あんな弱くてかわゆい娘があんな非道な技を使うなど、是非ともこの身で味わってハチャメチャせねばと願い出た次第」

「うぅわ、斜め下の理由でした」


 フェンツァイさんのお隣には、「全く新しい目覚めでありました」と全力で頷くユンシュクさん。鼻血。


 喧嘩は自分の肉で相手の肉を直接感じることができる最高の娯楽。海守のお姉さんたちもそう言っていましたが、まさかそっち方面だとは思いもよりませんでした。


 考えたくありませんが、初日にわたしを囲んだお姉さまたちの中にもナノ先生の推察した理由以外の人がいたのかもしれません。そう、フェンツァイさんみたいなご趣味のお姉さまが。


 そして、人にかわいいと言われたのはこれで二度目ですが、またしても全然嬉しくないですはい。


 フェンツァイさんは情熱をほとばしらせたままの、陶酔したような表情で、


「フッ、庇護欲を煽るその弱々しさ、かわゆい。抱きしめたい……」

「ひっ!」


 本能的に身をすくめ、わたしは両手で身体を抱きしめました。そんなわたしを見つめ、「実に滾ります」とうんうん頷くユンシュクさん。鼻血。


 ドッバドバに情熱を流すお二人を前に、わたしは完全に理解。


 なるほど、これはダメなやつです。つまり、このお二人はわたしのような弱くて小さい女の子がドストライクなのでしょう。完璧にアウトです。ホウホウちゃんやレンセンちゃんも大きくなったらこうなってしまうのでしょうか。超心配です。


 溢れ出る情熱を拭いもせず、フェンツァイさんはうっとりわたしを見つめ続けています。ねっとり熱のこもったその視線に、わたしはカタカタ震えながら、


「すすすすみません、よく分かりませんがそういうのはご遠慮願いたく!」

「フッ、流石千獄の姫、焦らし上手よ。何が分からぬのか、その花のような唇で話していただきたい。そう、詳細に」

「ごめんなさいよく分からないままでいさせてください!」

「フッ、安心なされよ。タイロンのかけ算に間違いは無い」

「かけ算!? タイロンは数学でなく文学なのでは?!」

「左様、文学におけるかけ算こそタイロンの本領よ」


 なるほどダメさの二乗倍! アーティナの男性とはまた違う話の噛み合わなさ! タイロンの女性は言葉は分かっても話が通じない人たちぽいです!


 頭の中の記憶で言いますと、どう殴っても「ありがとうございます!」しか返してこないサンドバッグと言いましょうか!


 未知なる危険にビクビク脅えるわたしを前に、フェンツァイさんは気込め石で大量の情熱を分解し、半眼になって微笑。そして、


「やはり私の目に狂いはなかった……」


 一瞬で移動し、わたしの右手を掴みました。筋肉。それから石畳に片膝を突き、まるで頭の中の記憶にある王子様のようなポーズで、


 アルカディメイアの講義棟前広場。

 雲一つない、抜けるような青空の下。


 フェンツァイさんは射抜くような瞳でわたしを見て、


「そなたを娶る」


 ……WAO!!


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