第43話 講義再開(1)
アルカディメイアに来てから二週間。
自業自得とはいえ、やっとこの日がやってまいりました。
そう、いよいよ講義が再開されるのです。ナーダさんの教えをみっちり受け、わたくしアンデュロメイアは準備万端。
ですが自分の講義を開くにあたり、未だ参考が足りません。必要なのは実地の経験。その流れを学ぶため、わたしはさっそくいくつかの講義に出席してみました。
やはり聞くと見るとでは大違い。この世界の、アルカディメイアの学問は頭の中の記憶のものと大きく異なるようです。
まず特徴的なのが、毎年繰り返し行われる段階的基礎教育が一切ない点。ほぼ専門分野のみで、俯瞰的な教育が殆どありません。
乗り遅れた人や詳しく聞きたい人は講義を開いた個人に連絡を取り、直接教えを請う。頭の中の記憶の世界と違い、人が少ないからこそ回るやり方ですね。
そして分野の違い。
この世界には哲学、法学、心理学、経済学、宗教学などが一切ありません。わたしたちは唯物論で筋肉マンセーが基本なので非常に納得です。
医学、農学も当然なし。
あと驚いたことに、われわれの文化には歌はあっても踊りがなかったりするのです。生活に必要な住面積が狭いと生まれにくいものなのでしょうか、不思議です。
科学は主に地質学と海洋物理学、生物学が主なようで。基本は現場で実践なもの。お母さまたち海守さんがお屋敷でしていることはこれの延長のようです。
物理学における基本力学は一般教養。というか生きてるんだから分かれ、くらいの常識レベル。
何せ物理学における仮想環境を石で実現させ試行できるのです。最早理論ですらなく本能の領分なのかもしれません。
それぞれの島の特色は、その学問にも当然影響を与えています。
建築学はアーティナの独壇場で、タイロンやクルキナファソ、ホロデンシュタックでも盛んだとか。あまり分野分けされていないらしく、彫刻や紋様、採光、照明が入り乱れた総合工学みたいなものぽいです。
建築学はナーダさんの専門とのことで、その講義に参加させていただいたのですが、あまりに専門的過ぎて驚きました。
集合場所は講義棟の北、何も無い大草原。参加者の多くはタイロンやホロデンシュタック、ガナビア、クルキナファソの学生さんたち。
この世界における建築の意味、その必要性。それは個人の空間を作ること。
先日アーティナの男性とお会いしそのことを思い知ったのですが、この世界の男性の聴力は本当に凄いのです。
音が聞こえすぎるとその情報量の多さでお脳がパンクしてしまう。なので、この世界の男性のお脳には自分に関心のある情報の音以外は遮断してしまう機能が備わっているのだとか。
獣に近いといってもやはり人間、共同体という群れの中で生きるため獲得していった進化の形なのかもしれません。
しかしやはり女性側としては気になってしまう訳で、男性の耳に音が届かないよう、防音機能のある空間を作るのが建物の目的。
わたしの実家の海屋敷はすだれ全開、声が漏れっ漏れで何を今更と思ったのですが、あることに思い至り納得しました。それはナノ先生やディラさんが見せた、風込め石の防音壁。
わたしたちゼフィリアの人間は風込め石でプライベートを確保するのですね。
同様の習慣を持つのは風込め石を使うトーシン、ガナビア、リフィーチだそうです。
ゼフィリアの民家はアーティナ出身のひいお婆さまが設計されたもの。わたしが気付かなかっただけで、ゼフィリアの建築にも防音機能が組み込まれていたのだと思います。
勉強になったのはナーダさんの講義の内容だけではなく、その伝え方もでした。
砂込め石で作った大きな白い壁に気込め石で様々な情報を描いて説明していくのですが、文字だけでなく絵や記号、図面が次々と表示されるその技には驚くばかり。
ナーダさんは映像的、写真的記憶能力が非常に高い人なのでしょう。わたしはイメージを思い描いて出力するのが苦手なので、真似できそうもありません。
更に舌を巻いたのはその進行速度。
石作りがあるわたしたちは話し合いの中で思いついたアイデアをすぐその場で制作し検証できる。会議場と現場が直結したような形で話し合いを行える。屋外講義はこのためのものだったのです。
ナーダさん含め他の方々の試行回転数が高過ぎて、わたしは全然付いていけませんでした……。
受けた講義の内容は、浴室における空間演出について。
この講義で終始頭を悩ませていたのは、ガナビアのお姉さまたちでした。ガナビアは砂と風の島、水に困っている島とはガナビアのことだったのです。
火込め石を作れる島は海水を一度蒸発させることで生活用水を確保しているそうなのですが、風込め石と砂込め石しか作れないガナビアにはその手段がありません。
ガナビアは高温多湿、亜熱帯気候の島。雨季に降った雨水を地下水として貯め込み、砂込め石で導水線を引いて水を確保しているそうなのです。
しかし、それはあくまで飲用水。
体の汚れを落とす入浴の習慣に関しては、未だ途上。海水温泉の計画を進め、気込め石でその成分を変質させる技術を研究中だそうですが、水質がなかなか安定しないのだとか。
特色も違えば悩みも違う、吸収しなければいけないことが多過ぎて、わたしのお脳は悲鳴を上げるばかりでした。
さて、分野のお話に戻ります。
数学はナノ先生に聞いた通りヴァヌーツがお好き。建築に関わるのでアーティナ、クルキナファソでも。
文学はホロデンシュタックとタイロンの双璧。ホロデンシュタックはアキリナさんの推しなので、是非とも履修せねばなりません。
被服学の講義はガナビアやヴァヌーツ、リフィーチなどが人気でした。
他にも細かなものが色々あるようでしたが、その専門家がアルカディメイアにいなければ諦める他ないとのこと。人がいなければ技術は伝わらない、それがわたしたちの弱点だと改めて実感いたしました。
うーん、この世界に計算機科学とかあれば頭の中の記憶との差異を比較したりしてちょっと楽しそうだったのですが。あと行動心理学や人口移動論とかあったら受けてみたかったのですけれど、ちょっと無理そうです。
さて、わたしの講義ですが、情けないことに初回は慌てただけで終わってしまいまった……。
理由はその参加者の数。朝イチで講義棟の一室をおかりし、砂込め石でその体積を広げたのですが、それでも入りきらないほどの人が集まってしまったのです。
講義を開始してみれば質問に次ぐ質問。その内容はわたしが喧嘩で使った技はどうやって習得できるのかというものばかり。その対応をしていたらあっさり時間が過ぎ、第一回目の講義は終了。
二回目で受講者の数が目に見えて減り、わたしは焦りまくりました。わたしの講義が喧嘩の勝ち方ではないと知った人が来てくれなくなったのです。
そして回を重ねるたび順調に人が減っていき、わたしの講義はどんどん寂しいものに。
このままではいけません。何とかせねばと悩んでみても、今更講義内容を変えるわけにもいかず。わたしは毎晩不安で胃がキリキリになりました。
どんどん減っていく参加者の数がわたしの研究を無駄な学問だと物語っているようで、超絶落ち込んでしまうのです。
そんなこんなで講義再開からひと月経過。
朝イチでの講義を何とか終え、わたしは教室を見渡しました。広い広い石の床の上、思い思いの格好で座る様々な人種の人。その人数は四十人ほど。
とても、しゅくない、です……。
アーティナにはナーダさんがいるので期待していたのですが、アーティナの人は毎回数人ずつしか出席してくれないのです。ホロデンシュタックに至っては参加者ゼロ。当然、男性の出席者も皆無。
出席者の数が減らないのはタイロンと喪服のような黒い着物を着た女性の集団。この黒い着物のお姉さまたちは初回から一切質問などもせず、ただ黙ってじーっとわたしの講義を聴いているだけで。
勿論、参加してくれるだけでありがたいのですが、なんだかちょっと不気味です……。
わたしが集まってくださったみなさんにぺこりとお辞儀をすると、参加者の多くは一瞬で離脱。筋肉。
ううっ、生活用の石作りはどうしてこんなに人気が無いのでしょうか。無ければ絶対困るもので、みんな使っているものの筈なのに。喧嘩用の方がずーっと人気があるのです。
石を簡易的に作るための言葉の搾り方を説明した時は、だからなに? という空気で身が凍る思いでした。それに、言葉が枯れ難いというのもまだ仮定の段階。今のわたしには数字の積み重ねが全然足りないのです。
中立なお立場のナノ先生には相談出来ませんし、イーリアレは講義が始まるとすぐ姿を消してしまうのです。かといってナーダさんに後押しを頼むわけにもまいりません。
わたしは本当に一人で、心もとないのです。
教室を退出するために立ち上がり、わたしが出口に向かいとぼとぼ歩いていると、
「アンデュロメイア様、少しよろしいですか?」
その声に、わたしは、ぱあっと振り向きました。
そうでした! こんなわたしにも癒しが生まれたのです!
振り返った先に集まっていたのはタイロンの学生さんたち。わたしを呼んでくれたのは、その中に立つ一人の小さな女の子。
三つ編みにした長い白髪と、落ち着いた紫色の瞳。
雪のように真っ白な肌に、帯の位置が高い白い着物。
左耳に細長いはがねの飾りを付けた、おそらくわたしと同年代の女の子。
タイロンのホウホウちゃん。
石作りにおける口伝の有用性をとても褒めてくれた貴重な出席者! しかも初回から皆勤賞で、物凄く積極的に講義に参加してくれるとても嬉しありがたい女の子なのです!
「幼年期に触れるべき石の話なのですが」
透き通るようなかわいいお声のホウホウちゃん。ホウホウちゃんは妙に口調が真面目で、そこがまた超かわいいのです。
「石作りの経路を開いてしばらくは、生活用の石など、特定の石にしか触らせないようにすべきなのでしょうか」
「うーん、懸念もあるのです」
わたしはホウホウちゃんの質問に口元をむにゃむにゃさせました。
ホウホウちゃんが言っているのは、いわば石の刷り込み。子供の頃から生活用の石に多く触れていれば、自然とそれが作れるよう、その公式が身に付くのではないか、というもの。
しかし、石作りの強みは自由な発想にあるのです。幼少時に植え付けられた固定観念は伸び代を奪ってしまう危険性があり、これもやはり実証するには例が足りません。
「やはり必要なのは数字ですね……」
わたしの答えにホウホウちゃんがかわいく悩んでいると、
「石作りの教員、その思考言語の、あー、統一化? そのやり方も口伝でやるの?」
ホウホウちゃんのお隣からまた別の質問。
短い白髪に紫色の瞳。
白い肌に帯の位置が高い白い着物。
ホウホウちゃんと同じく、左耳にははがねの飾り。
右側のもみあげから垂らした三つ編みがとってもキュートな、眠そうな顔付きの女の子。
タイロンのレンセンちゃん。
ホウホウちゃんと同じくとても真面目に講義を受けてくれる、やはりわたしと同年代ぽい女の子です。
「言葉は人と人を繋ぐ枝。新たな節点は新たな枝を生み、やがて葉を付ける。これはそういう取り組みなのでしょう」
ホウホウちゃんが横を向き、レンセンちゃんに答えます。さすがホウホウちゃん、頭の中では既にそのマトリクスが出来ているようです。
ホウホウちゃんはわたしに向き直り、
「石作りの規格化は自給自足の安定に繋がること。積み重ねなければ掴めないものもありましょう。タイロン本島に過去の記録を掘り出し、こちらに送るよう連絡を入れておきました」
「ありがとうございます! とてもたしゅかりましゅ!」
慌てて噛んでしまったわたしに、ホウホウちゃんはかわいく微笑み、
「次の講義のご予定は?」
「は、はい! 三日後の午前を予定してます!」
わたしは腰巻をぎゅっと握り、真っ赤になって俯きました。噛んでしまって恥ずかしいのもあるのですが、ホウホウちゃんの笑顔が反則的にかわいくて、何だかまともにお顔を見れないのです。
「必ず出席致します。それではアンデュロメイア様、今日はこれにて」
丁寧にお辞儀し、ホウホウちゃんはタイロンのお姉さまたちと退出していきました。わたしはその長くかわいい三つ編みを見送りながら思い直します。
そうなのです! 出席者が少なくても、まだゼロ人ではないのです! 今日来てくれた人のためにも、わたしはもっとがんばらねばなりません!
アルカディメイアは講義棟。
初日とは比べ物にならない小さな講堂。
わたしはタイロンの一団に向かってぺこりとお辞儀し、精一杯の感謝を込めて、
「はい! またよろしくお願いしましゅ!」
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