第112話 あなたの散った空の上で(1)
アルカディメイアはゼフィリア領。
島屋敷は夕暮れ前の大広間。
「メイちゃああん!! メイちゃはあああん!!」
潮の終孔から戻った日の朝、ナノ先生から緊急連絡があり、わたしは単身アルカディメイアを訪れたのですが……。
「では、ヘクティナレイアは……」
「はい、潮の終孔で確認しました。お母さまが起き上がる心配はありません」
「メイちゃああん! メイちゃはああぁあん!」
わたしは大広間でナノ先生と立ったまま向かい合い、お母さまのことを報告しました。ナノ先生は胸を撫でおろし、安心した様子で、
「姫様、こちらからもお知らせすることが。世界を周っていたトーシンのジン・ヌイですが、その成果確認のためアルカディメイアに立ち寄るそうです。予定ではそろそろ到着する頃合いかと」
「分かりました、ナノ先生。今晩はこちらに泊まらせていただきます」
「承知致しました」
「メイちゃあああん! メイちゃはああああん!」
これは嬉しいお知らせです。ヌイちゃんはわたしと似たような立場の人間なので、遊学で得た経験、そのお話を是非とも聞いておきたいのです。なのですが……、
ナノ先生は冷ややかな目付きでわたしの足元を見下ろし、
「ヴィンテーゼ、ノイソーナは大丈夫だと何度言ったら分かるのですか」
「ばってんばってん! ナノ先生!」
わたしの腰巻に縋りついて離れない、ギャン泣き状態のその生物。
桃色のショートボブパーマに赤紫色の瞳。
白い肌に白い胸巻と裾の長いダボダボの腰巻。
クルキナファソのヴィンテーゼちゃん。
そう、テーゼちゃんが泣いている原因はソーナお兄さんなのです。
なんでも、テーゼちゃんはあれからゼフィリア領にちゃっかり居付いてしまい、毎日五食たっぷり食事を用意してくれるソーナお兄さんに、それはもうタイヘンよく懐いてしまったのだとか。
えー、ぶっちゃけ最低ですね、それ。ていうかソーナお兄さんの睡眠時間を奪い腐りやがりまして、何してケツかるんでしょうこのダメな子は。
そのソーナお兄さんが深手を負ってしまったとの連絡を受け、こうしてわたしが治療に駆け付けた訳なのですが、テーゼちゃんは血塗れの惨状にドン引き超絶ショックを受けたようで。
ソーナお兄さんの治療を終えたわたしはこれを機会にとホロデンシュタックの図書蔵へ赴き、石作りの資料を見直していたのですが、その間中も腰巻に取り付きギャンギャン泣くので心底うっとうしかったのです。
ナノ先生がお役目から戻り、やっと落ち着いたのがついさっきのこと。なのですが、テーゼちゃんはソーナお兄さんが心底心配なのか、全然落ち着いてくれないのです。
ちな、ディラさんシシーさんはソーナお兄さんが起きた時のための食事を用意し、各自お役目へ。おそらく今日も各領でお泊りになるとのこと。
「テーゼちゃん。テーゼちゃんがそんな顔をしていては、ソーナお兄さんが困ってしまいますよ」
「ううぅ、メイちゃあん……」
わたしは腰巻で鼻をかまれる前に、水込め石でサッとテーゼちゃんの鼻水を分解。それから、うーんと口元をむにゃむにゃさせ、
「ナノ先生。何とかテーゼちゃんの能力を活かせる場を用意出来ないものでしょうか?」
「と、仰いますと?」
「ここアルカディメイアに、ある専門機関を新設出来ればと思うのです。分野としては、特化した得物と飛行技術の開発を専門とした、対翔屍体専門機関。その機関に所属を認められた人間は、アルカディメイアでの就学期間を伸ばしてもよい、という制度を設けるのです」
通常、アルカディメイアでの就学は二年に限られますが、学べる分野が広範で、何処で何を学べばいいか迷っているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
今だからこそ思いますが、わたしの突貫島主課程で一年間というのも、やはり短過ぎるものでした。
自分の生まれた島のために早く働きたい、そういう人は二年で問題ありません。ですが、より深く学びたいという志願者には、選択肢を用意すべきだと思うのです。
そして、テーゼちゃんのように故郷と水が合わず、居場所が見付けられなかった人のため。そういう受け皿があると分かれば、その道を選ぶ人もきっと出てくるはず。
ナノ先生はわたしの発案に納得したのか、
「なるほど。特殊な分野を孤立させ、技術の鋭角化を図るのですね」
「その通りです。そして、機関設立以後、通常講義からはこの分野を除外していただきます。情報的な隔離を行うことで、翔屍体発生率を抑えるのです」
「ゼフィリア同様、技術を拡散させないようにするのですか」
「はい。そのため、機関に属する人間を一つ処に集め、共同で生活をしていただきます」
わたしが考えたのは、頭の中の記憶にある寮のような場所。
アルカディメイアには世界中の島々から人が集まっていますが、わたしたちがしていたように、学生はそれぞれの領で生活するのが通例。そのせいで、他の島のことを学ぶ機会が殆どありませんでした。
せっかく世界中の人が集まっているのに、これでは勿体ありません。異なる習慣の人間が集まり、同じ場所、同じ目的で学べば、様々な技術が集積、融合しやすくなる。これが狙いなのです。
そして、
「アルカディメイアにも人はいますが、当然みな学生。つまり、ここには有事の際に討ち手となれる人間が殆どいないことになります。これでは空の防備に穴があるのと同じです」
「確かに……」
ナノ先生も長年危惧していた問題なのでしょう、深く頷いてくれました。しかし、顎に手を当て、
「アルカディメイアはその半分が無人の平原、場はすぐにでも用意できます。問題はやはり機関の中枢、その人材の選定かと……」
「難問はそこですね……」
えー、全くもってその通りです。ナノ先生が言っているのは、その機関を率いる監督者のこと。
この世界の人間は、何と言いますか、人に何かを伝えたり教えたりするのがすんごい下手なのです。ナーダさんはそれが出来るからこそ、すんごい慕われてる訳でして。
しかしナーダさんは島主になるため、当然無理。更に、各島で優秀な人材はアーティナのように島の管理を任されている場合が多く、望み薄。
しかも、監督者に必要とされる能力は翔屍体専門の知識と経験な訳でして。志願を呼び掛けても、果たして人が集まるかどうか……。
お互い考え込んでしまうわたしとナノ先生。
テーゼちゃんが鼻をすする小さな音。
広間に落ちる長い沈黙。
海風が微かにすだれを揺らした、その時、
『アルカディメイア、おられますの!? アルカディメイア、緊急ですの!』
突然の通信に、ナノ先生は帯から音飛び石を取り出し、
「こちらアルカディメイア。ゼフィリアの屋敷番、フィリニーナノです」
迅速に応答。着信相手はアーティナにいるスーディッティーさんのようです。ディッティーさんは焦り切った大きな声で、
『クルキナファソ南西海域にて新たな翔屍体の起動を確認!』
その報告に、静まりかえる大広間。
張り詰める緊張感。ピリッとした空気の中、ナノ先生は落ち着いた様子で正座し、気込め石から巻物を複数作成。宙に固定し、
「分かりました。引き続き情報共有を」
『はいですの、先生!』
「昼の海に通達です。総員、その場にて待機なさい」
情報の解析を開始。
各島から聞こえる報告を現在進行形で記述表示していく、モニタのような白い巻物。流れて消える文字列は、昼の海守の動き、翔屍体の性能。そして、該当死者の記録。
その全てに応答し、状況を把握できるよう並べ替えていくナノ先生。
口の中が渇き、全身の血の気が引いていく。
わたしはその光景を眺めながら、ただその場に佇んでいました。
『クルキナファソはこれの撃墜に失敗! 現在リフィーチの海守が追撃中ですの!』
忘れるはずがありません。でも、わたしはその可能性を否定したかったのです。
『リフィーチより連絡、撃墜ならず! 在り得ない強度の装甲を備えた、異常な個体とのこと! 対象は回遊行動に入りましたの!』
あの人が亡くなって、既に二週間が経った後だったから。昼の海から報告が無かったから。
『いえ、軌道が……。対象は回遊行動を取りませんの! 翔屍体、高度を上げていきますの!』
だって、そう思いたくなかったから。
『対象は大気圏外まで上昇したのち停止、夜に向け衝突体最終構成に入った模様!』
悲しいことが多過ぎて、わたしは現実に付いていけなくなっていたのです。
『帰還したクルキナファソ石斬り衆から連絡が入りましたの! 個人情報、整合を確、認……』
ディッティーさんは石の向こう、苦しそうに声を搾り、
『翔屍体の名は、タイロンのフェンツァイ……!』
今日はフェンツァイさんが亡くなって、丁度一ヶ月。
「よもや……!」
その報告に、ナノ先生は口を押さえて言葉を失いました。
フェンツァイさんが、起き上がった。
人の体に残された願いの言葉、その結晶。死後生み出される最後の石を原動力に、フェンツァイさんは起き上がった。その事実をようやく受け止め、わたしは傷跡だらけの拳を握りしめました。
我を忘れている場合ではありません。そう、今この時に、肉の強い弱いは関係ないのです。これはここにいる者、全ての力で成さねばならないこと。
冷静に。
わたしは一度小さく息を吸い、天井の向こう、空を見上げるようにして、
「フェンツァイさんは海中回遊型。昼の目を掻い潜り、海底を這いずり回っていたのでしょう。高度を上げたのはおそらく重力加速度を得るため。はがね石での突入飛行としては、最適解ですね。ナノ先生、座標は取れますか?」
「いえ、申し訳ありません……」
「詳細な数値は求めません。装甲強度の所感を集めてください」
「承知致しました」
足りなかった。
監視体制を整え、その連絡を密に取っても、揃えなければならない数字がやはり足りていない。わたしたちには、未だ観測能力が足りていないのです。
それでも出来ることはある。それでもやらねばならないのです。
落ち着いて、情報を整理して。
翔屍体は星の自転方向、東回りで夜へ向かう。リフィーチはアルカディメイアの西に位置する島。そのリフィーチが撃墜に失敗したということは、アルカディメイア北西のタイロンに任せる他無し。
しかし、タイロンの空中防壁はアーティナ同様、広大な陸地を活かして上空で待ち構える戦法。翔屍体を追う機動力には期待できない。
そう、残るは……、
「大気圏外で遠翔けは使えません、初速に砂込め石を使用します。テーゼちゃん、行けますね?」
わたしの発言に、テーゼちゃんはビクッと立ち上がり、その肩を震わせ、
「あ、う、メイちゃん、ボクは……」
「大丈夫。テーゼちゃんとなら、やれます」
「姫様、私めが……!」
テーゼちゃんの様子を見かねたのか、ナノ先生が立ち上がりました。しかし、わたしは首を振り、
「すみません、ナノ先生とは連携訓練を行っていませんでした。ナノ先生は各島と連絡を取り、管制をお願いいたします」
「……承知致しました」
これは平時におけるわたしの失策。
他人との連携ならばディナお姉様かイーリアレですが、今は二人を呼びに行く時間すら惜しい。ゼフィリアに遠翔けの石を残しておくべきだったのです。
わたしが唇を噛み、俯いたその時、
「何や忙しないなあ。海の潮落とそ思てたのに、そないな暇無さそやな」
「ヌイちゃん!」
すだれをめくり入ってきたその声で、テーゼちゃんに笑顔が戻りました。
大広間に現れた、ひとりの女の子。
おかっぱな黒髪に黒い瞳。
紋様の描かれた白い肌に黒い胸巻と腰巻。
見事な黒紡ぎを羽織った、小さな女の子。
翔屍体討伐の専門集団。トーシンのジン・ヌイちゃん。
間に合った。
あらゆる石の力を断ち切る無刃の使い手、ヌイちゃん。飛行能力と高熱打撃力を備えた陽岩を操る、テーゼちゃん。わたしが運び、二人が討つ。今この時における最善、最強の布陣。
「メイちゃん、フェンツァイお姉さまば、ボクらで止めに行くったい!」
「はい、テーゼちゃん」
わたしはテーゼちゃんに首肯し、それから振り向いて、
「ナノ先生」
「ええ、姫様」
わたしの呼び掛けで腰を下ろし、力強く頷くナノ先生。
わたしは気込め石を右手に纏わせ、修練場側のすだれをじゃらりと全開。ナノ先生が交信再開するお声を背中に、わたしたち三人は揃って縁側に踏み出しました。
「アーティナ観測台へ、聞こえますか? アルカディメイアから人を出します」
『人!? アルカディメイアは飛べるんですの?!』
「ええ、今この時ならば。出撃者は――」
ナノ先生は、一度小さく息を吸って、
「千獄のアンデュロメイア様です!!」
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