第50話 覇海のイオシウス(2)
「輝光帝、覇海のイオシウスよ。此度のアルカディメイアへのご来光、まこと幸甚の至り。世を照らす寛大なお心とその御業による尽力、全ての陸の者に代わり、深く感謝の意を捧げさせて頂きます」
ゼフィリア領の島屋敷。
その裏庭こと修練場。
乾いた海風が吹きすさぶ石畳に立ち、ナノ先生は深々と頭を下げて言いました。
「その謹みを忘れぬ姿勢! 相変わらずよの、ナノちゃんよ! 褒めてつかわす!」
「ナノちゃん……?」
変態さんをスパッと無視し、わたしはお辞儀を終えたナノ先生を高速で補足。あの後、何だかよく分からなかったわたしはそのまま島屋敷に帰ってきたのですが、この変態さんはわたしの後にちゃっかり付いてきてしまったのです。
「ナノちゃんと呼ぶの! と請うたのはそなたではないか! ナノちゃんよ!」
何処までも嬉しそうにぶわっと両手を広げる渚のド変態さんに、ナノ先生はこめかみをピクピクさせながら、
「子供の頃、子供の頃の話です……」
瞬時に風込め石で防音壁を展開。その手で更に水込め石と気込め石を作り、変態さんに渡し、
「イオシウス、夜の疲れを洗い落とされてはいかがでしょう。島屋敷に湯殿がございます、どうぞそちらへ」
「太陽である余に、更に輝けと申すか! その傲慢、気に入った! よかろう! 浸かってつかわす!」
石を受け取った変態さんはゴキゲンな笑い声と共に一瞬で島屋敷へ。筋肉。わたしはすだれの向こうに消えた変態さんの背中から、ナノ先生に視線を戻し、
「あの、ナノ先生。あの変態さんはナノ先生のお知り合いなのですか?」
この世界の男性である以上、夜の海のことに関わっているのは確実なのですが、きこーてーだか何だか知らない単語が出て来て、わたしにはちんぷんかんぷんなのです。確か蔵の記録にも無かったように記憶しています。
ナノ先生はそんなわたしを、信じられない、という表情で、
「五海候をご存知ないのですか?」
「は、はい……」
わたしは申し訳ない気持ちで頷きました。しばらく考え込んでいた様子のナノ先生でしたが、やがて思い直したように、
「いえ、五海候との接触など、機会としては非常に稀。ヘクティナレイアの、島の教育はある意味で正しいもの。しかし、姫様は既に島主候補として推挙された身。知らぬままでいられればそれが一番ですが、そういう訳にも参りません。島屋敷に戻りましょう、姫様。説明いたします」
修練場を歩きながら、ナノ先生は丁寧に教えてくれました。
それは、この世界の夜に生きる屈強な筋肉たちのお話。シグドゥと互角に渡り合い、余裕で生還できるほどの強さを持つ、五人の男性の存在。
即ち、
黒海のゼ・クー。
塵海のゼイデン。
紅海のローゼンロール。
銀海のディレンジット。
そして、覇海のイオシウス。
首魁たる輝光帝、覇海のイオシウスの掲げる唯一にして絶対の目的。それは、シグドゥの撃滅。その目的のため一切の陸への執着を捨て、夜の海を追う男たち。それこそが彼ら、五海候。
五海候の生き様、それはこの世界の人類の歴史そのもの。積み重ねられた年月は実に……、
「さ、さんじぇんねん?!」
「伝え聞く限りでは、そうです。ヴァヌーツに問い合わせればイオシウスの正確な年齢が分かるかと思われます」
島屋敷の屋根を見上げ、わたしは正に仰天しました。
ひいお爺さまのお話を聞き、シグドゥとの因縁はここ百年二百年くらいかなーと勝手に思い込んでいたのですが、この世界の人間の歴史はそれよりもずっと長く深いものだったのです。
肉体が不老になれば、言葉が枯れない限り死ぬことはありません。ですが、まさかわたしたちこの世界の人類がそんなに長い時間生き続けられる生命体だったなんて……。
しかも、わたしがゼフィリアでお会いしたクーさんは変態さんよりも更にお歳が上だそうで。蔵に記録が無かったのは、これがこの世界の常識の一つであるからだと思います。
わたしが知らなかったのは、これが世間話のような、人の口からしか聞けない情報だったから。わたしはある意味情報から隔離されて育ったので、そのことに触れず今まで生きてきた、という訳なのですね。
「悩ましいのは、彼らとの関わり方なのです」
ナノ先生はわたしをひょいと縁側に持ち上げ、更に説明してくれました。
エウロフォーンの島々の間には、五海候に関しての決まりごとがある。それは、五海候独占の禁止。
五海候を自分の島に留まるよう仕向けてはならない。何故ならそれは自分達の島だけが安全を確保するようなものだから。
そして、もうひとつ。
各島で五海候に値する男性が育ってしまった場合、即刻追放し、距離を取る。
これが数少ない陸地の安全を守るため、この世界の島々が交わした絶対協定。なるほど理解です。ナーダさんのあの慌てようにも納得。
つまり、あの変態さんがゼフィリアの島屋敷に居続ければ、それは五海候の独占と見なされてしまう訳なのですが……。
わたしは縁側に上がったナノ先生を見上げ、
「でででも、ナノ先生。それはおかしいと思うのです。だって、陸を守っているのに陸から追い出されるなんて……。それは流石にあんまりだと思うのです」
「ええ、そこが難しいところなのです」
五海候のお話を聞き、わたしが思い出したのはクーさんの背中。幾重にも積み重ねられた傷ででこぼこになった、あの広い背中。
陸でゆっくり体を休めてもらいたい、しかし、それで夜の海の守りが薄くなってしまっては本末転倒。スナおじさまがクーさんとお酒を酌み交わしていた時間。五海候への対応としては、あれが正しいのだと思います。
でもわたしとしては、もっとちゃんと感謝を伝えねばと思うのです。おいしいお料理と温かいお風呂、それにふかふかのお布団。陸に生きるわたしたちがいたわらずに、誰が彼らに休息を与えられるのでしょう。
そう、巻きを食べられたくらいで怒ってはいけないのです。
あの変態さんはただド変態ではなく、ありがたい変態さんだったのです。どれだけ変態でも、あの人がいたからこそ今の陸の姿があるのです。
わたしはナノ先生と一緒にすだれをくぐり、
「ナノ先生、お母さまに連絡を」
「ええ。五海候、ましてや輝光帝との接触など、高度に政治的な問題です。これは既にゼフィリアだけの問題ではありません。リルウーダ様もお呼びせねば」
『難しい問題です。困りました』
火込め石の灯りに包まれた大広間。ナノ先生とわたしは音飛び石を挟み正座中。
『難しい問題です。困りました』
通信先のお母さまはさっきから困りましたしか言ってません。
わたしは音飛び石に向かい、頼み込むように頭を下げ、
「あのー、最低限のおもてなしはこちらでいたしますので。その後はリルウーダさまからこの島を辞去していただくよう、お願いしていただけませんか?」
それはナノ先生とわたしが話し合った折衷案。
あの強烈な自己紹介のおかげで、変態上陸の事実はおそらくアルカディメイア中に知れ渡っているのです。変態さんには申し訳ないのですが、一刻も早くゼフィリア領を立ち退いてもらう他ありません。
幸い、朝からイーリアレが厨房で試食祭をおっ始めていたおかげで今日のお夕食は盛り沢山。それをあの変態さんへの感謝として供し、それから送り出しましょう、というお話になった訳で。
『うーむ……』
「リルウーダさま……」
音飛び石の向こうから聞こえる、リルウーダさまの唸り声。大浴場とは別、ナノ先生が以前使っていたお風呂の方から聞こえる、変態さんのフハハ笑い。
『難しいのう。ていうかイヤじゃ』
「イヤじゃって、そんな……」
『だって儂、あいつ苦手なんじゃもん……』
「うぅわ、ぶっちゃけちゃいました」
リルウーダさまは心底嫌そうなお声で、
『ローゼンロール様ならいざ知らず、ヤツめに人の話を聞けというのが、まず無理のひと言。意思疎通など絶対不可能、ヤツは人の外にある者と考えよ。まあ、イオシウスじゃしなあ。ほっときゃ勝手に海に出るんじゃないかの?』
そこでわたしはついでと思い、アルカディメイアに来て不思議に思ったことをリルウーダさまに聞いてみることにしました。
「あのー、リルウーダさま。実は先日アーティナ領でディレンジットさんという方にお会いしたのですが、アーティナって男の人との連携と言うか、意思疎通がそもそも出来ていないような気が……」
『気付いてしもうたか。つーかの、どこの島でも男との距離感なんてあんなもんじゃ。ゼフィリアにおける男性の立場や他の島への理解はパリスナによるところが大きい。男性が島主や蔵主を務めることなど滅多にないのじゃからの。あやつの苦労、よう分かったであろう』
わたしの向かい、うんうん頷くナノ先生。
やはり他の島の男の人は社会との意思疎通が全く取れていなかったのです。ヘイムウッドさんとの会話を思い返してみれば、ほら納得。陸が抱える五海候との事情とか、全く知らないんじゃないでしょうか。
『ディレンジットのことはセレナから聞いてはおったが、どうじゃった、元気そうじゃったか?』
「いえ、その、まあ……」
あの時のわたしは五海候の事情を知らなかったのです。なので、ディレンジットさんは甘いもの好きのフツーのお兄さんにしか見えなかったのですね。
『甘味を食べに寄るくらいなら、まあよいじゃろ。あヤツはなあ、男の中では話の通じるヤツで、はあ、追い出すのは勿体無かったんじゃが……』
「ああー、追放宣告も島主のお役目なのですね」
『うむう、島主の面倒事の一つじゃ。不謹慎な話、奴の母親がおらんで助かったわ。情の深い女じゃったからのう。もし生きとったらと思うと、胃が……』
ディレンジットさんのお母さまは出産後すぐ亡くなってしまい、以降ディレンジットさんは天涯孤独の身の上だそうで。そのディレンジットさんが五海候に相当する男性だと判明したのは、今から三年前のこと。
五海候としての判定。それは石の色。
男性の石はそれを極めると、ある特定の色に変わってしまう。そして、その男性はそれ以外の石を作れなくなってしまう。夜の海のことだけに特化した人間になってしまうのですね。
ディレンジットさんが極めたのは砂込め石。石の色は銀、その銘は至銀のさだめ石。
あの時、ナーダさんはディレンジットさんに水込め石と気込め石を渡そうとしていました。それはディレンジットさんが砂込め石以外を作れない存在であると知っていたからなのです。
「しかし、リルウーダさま。最低限の支援が水と着物だけと言うのは、あまりに無体な仕打ちだと思うのですが……」
五海候はこの星の陸地を守るため、いわば最前線で体を張っている筋肉なのです。
もし、わたしがあの時ディレンジットさんの事情を知っていたら、ちゃんとしたお料理を振舞えたかもしれないのです。
弱い者が強い者の心配をすること自体、強い者への侮辱である。しかも相手は人類最強の五人。そんな彼らへの手助けなど無用。
その考え方自体は理解できても、わたしの感情は納得してくれません。
『五海候は儂らにとって空気のようなもの。いなければ生きてはゆけぬが、普段は気にせずともよいもの。目に見えぬものとして無視するのが一番なのじゃ。しかし勿論、忘れてはならん。奴らの働きで儂らの生活が守られていると言っても過言ではないのじゃからな。特にイオシウスめはなあ、人に感謝されることしかしとらんのじゃ。追い出す理由が見当たらん』
リルウーダさまのお言葉に、わたしは首を傾げました。
「あんなにうるさくてウザい人なのにですか」
『あんなにやかましくて面倒くさいのにじゃ』
首を傾げたままのわたしにリルウーダさまが語る、覇海のイオシウス、その数ある功績の一つ。それは、わたしが生まれるほんの少し前のお話。
序列第二位、ディーヴァラーナの災害記録。
十年前、ディーヴァラーナはシグドゥの接近を許してしまった。
男性の数が少なかったのかもしれません。その男の人たちの力が及ばなかったのかもしれません。とにかく、ディーヴァラーナは島の形が殆ど失われる災害に見舞われてしまったそうなのです。
島を失い、生き残った人々は島の残骸としか呼べない断崖の欠片、その根元に穴を掘り、地下に潜って息を潜めるように生きるしかなかった。
そこに現れたのが、あのフハハ光帝さん。
フハハ帝はシグドゥを島から遠ざけ、家族を失った民を自らの娘、息子とし、魚を与え、仮の大地を与え、明日を生きるための勇気を与えた。
本来ならば五海候の長期滞在などありえない筈なのですが、フハハ本人が動かないと主張してしまったら他の島は何も言えません。
なにより、ディーヴァラーナを援助する余裕なんてどの島にもないのです。アーティナとゼフィリアみたいな例は本当に稀なのだそうで。
そんな訳で、全島はディーヴァラーナの復興をフハハさんに任せ、頼りきりになるしかなかったのだとか。
他にもあっちでフハハしたり、こっちでフハハしたり。とにかく三千年以上生きている人なので、とにかくフハハまみれだそうで。
お話を聞き終えたわたしは、傾げていた首を元に戻し、
「超いい人じゃないですか」
『偉業じゃ。以降、ディーヴァラーナは五海候に対し異様なほどの信仰心を持つようになった』
「当たり前じゃないですか」
フハハさんの変態らしからぬありがたい働きっぷりを聞き、わたしは素直に、何処までも正直に感心しました。心の中では完全に手の平高速回転です。
音飛び石の向こう、リルウーダさまはため息をひとつ吐いて、
『まー、感謝しかないのは確かなんじゃが、その接触は慎重に行わねばならん。中でも危険なのはゼイデン様じゃ。ゼイデン様との接触は絶対に避けねばならぬ。いや、あの方自身は無害でちょーかわゆいんじゃが、石がマズイ。あの方の石を利用しようとする女が現れんとも限らん。それだけは絶対に避けねばならぬ』
それはこの世界の島々の思想の違い。
「女も夜の海に討って出るべき」と主張する島は少なくないそうなのです。五海候の作る特別な石、それを作る技術を得られれば、女性であってもシグドゥに立ち向かえるに違いない、という考え。
確かに、そうなってしまったらこの世界の島々の友好的なバランスが崩れかねません。それはタイヘンなことです。以前ナノ先生に注意されていたことですが、やっと納得がいきました。
わたしはお口をむにゃむにゃさせながら、うーんと思案。
頭の中の記憶の人類は様々な社会的問題を抱えていましたが、まさかお脳が筋肉なこの世界の人類にもこんな難しい問題があったとは……。
わたしがむにゃっていると、リルウーダさまはお真面目なお声で、
『メイよ。イオシウスめはその人格が悶絶残念なゴキゲン生物じゃが、決して侮ってはならんぞ』
「ほえっ?」
それは、ほえっとしたわたしのお脳をショートせしめる、今日一番の新事実。
『極紫の命石を編み出したのは他でもない、イオシウス本人じゃ』
お風呂場の方から聞こえてくる、フハハさんの高笑い。
石の向こうから聞こえてくる、お母さまの悩ましいため息。
『難しい問題です。困りました……』
「フハハハハハッ!」
通話を終え複雑な雰囲気になった大広間に、ゴキゲン生物が戻ってまいりました。フハハさんはスタイリッシュにすだれをめくり、大仰な仕草で華麗にエントリー。そして、
「褒めてつかわす! ゼフィリアの湯殿は余に相応しいものであった! 見よッ!」
板間にいきり立ち、フハハさんは両手を広げうえるかむ。
撫で付けられた見事な金髪。
テラッテラに輝く白い肌。
ゼフィリアの果実を思わせる爽やかな油の香り。
白から紫へと変わる鮮やかなグラデーションを下地に赤い炎の模様が映えた、ナノ先生お手製のきれいな着物。
「フハハハハッ! 流石はナノちゃん! 肌触りも実にいい感じである!」
完璧な造形を誇るその肢体で様々なポーズを連続でキメる、フハハさんの湯上り筋肉ショー。わたしはその光景に頭痛を覚えながらも、心の中で自分に言い聞かせました。
これはありがたいもの。そう、ありがたいものなのです。
確かに、冷静に観察してみればフハハさんは超イケメン顔。更に、髪の毛やお肌のお手入れまできちんとこなしてくる辺りが実にキモ……、いえ、ありがたく流石です。
「お気に召して頂けたようで何よりです……」
「フハハハハハッ!」
苦渋ッ!!という表情で答えるナノ先生を前に、超絶セクシーなポーズをキメにキメまくるフハハさん。
その見るに耐えない凄惨なやり取りを前に、わたしは腰巻をぎゅっと握り締め、心の中で更に言い聞かせます。
これはありがたいもの。そう、ありがたいものなのです。あり、ありがた、あたたたたた……。
フハハさんは滑らかな動きで腰をシェイクさせ、その見事な上半身をぶわっとさらけ出し、
「これこそがこの世の夜明け! 今この時が宇宙爆誕の瞬間である!」
それから天井を仰ぎ、意味不明なまでに逞しくきらめいたポーズで、
「絶頂せい! 許す!」
ゼフィリア領の島屋敷。
火込め石の優しい灯りが点る大広間。
眉間に深いシワを刻み、深いため息を吐くナノ先生。
わたしは宇宙の中心に向き直ってきちんと正座し、キリッとしたお顔で、
「出てってください!!」
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