第102話 空中庭園ディーヴァラーナ(2)
遥か下に雲を臨む空の庭。
まさに晴天のお昼過ぎ。
わたしは風を纏ってシャフトから地上に上がりました。
視界一杯に広がる青空と青々とした芝生。澄み切った水を湛える小さな池には、浮葉植物の花が咲いています。
雲上の地であるこの島には雨が降らないので、遮蔽物となる住居を作る必要がないのです。つまり、この島の見晴らしは最の高、イーリアレも連れてくるべきでした。是非ともこの景色を見せてあげたいです。
るんるん気分のお散歩日和。わたしは意気揚々と草を踏み出して、
「はあ、ひい……」
集合場所に着く頃には、体力ゲージがほぼゼロのふらふら状態に。
やはり空気が薄いのでしょうか。人に運ばれるか風を纏っていないと移動もままならない有り様で、肉の弱いわたしには非常に厳しい環境です。
「ゼフィリアの姫様、どうされたのですか?」
「ら、らんでもありましぇん……」
目的地である黒い敷物の上、既に集まっている少女たちの中から、一人の女の子が立ち上がりました。
灰色の短い髪に赤い瞳。
青磁のような白い肌に黒い着物。
わたしを呼びに来てくれた声の主にして、数えで六歳の小さな女の子。
ディーヴァラーナのリンシャクティちゃん。
何代前か分かりませんが、タイロンの血が入った影響でしょう。ディーヴァラーナにはたまに髪の色が黒でない子が混じっているのです。
リンシャクティちゃんは敷物に正座したわたしに向かい、丁寧な仕草で腰を下ろし、
「今日は北の海で脂の乗った白身魚が獲れました。こちらの漬けダレでお召し上がりください」
「ひゃい、いただきますでしゅ」
わたしは用意された黒いお箸を手に、ぺこりとお辞儀しお食事開始。この島は景色も素晴らしいのですが、やはり食事が一番楽しみなのです。
というのも、ディーヴァラーナのお食事はシュトラお姉さまの教育がきちんと行き届いたお手並みで、つまりはどのお料理もとてもおいしく大満足なのです。あ、わたし以外のお食事は勿論ドカ盛り、当然ですね。
わたしはお刺し身に滋味深いお味のタレを付け、改めて周囲を見回しました。お料理の内容は全く問題ありません。
ですが、えー、用意されている道具がですね、真っ黒なのです。箸、食器、お膳。敷物までが全て真っ黒。
アルカディメイアでディーヴァラーナの人たちを見た時から思っていたのですが、わたし的に頭の中の記憶の喪服を思い出してしまって、ちょっとモニョると言いますか。
しかし、この食器の光沢、奥行きのある見事な黒はどこかで見たような気が。と、わたしはその見事っぷりに思い当たることがあり、
「あの、これはもしやクーさんが?」
「お分かりになりますか!?」
「え、あ、はい」
「はい! 黒海の御方、自らの手でお作りになられたものです!」
「え、あ、はい」
突然食い気味になった女の子たちに、わたしはちょっと、引く感じ?
十一年前の災害時、フハハさんたち五海候がディーヴァラーナに行った様々な支援。聞けば、着物や寝具、食器などの生活用品はクーさんが与えていたそうで。
本島の支援には海底浴場などの敷設でスナおじさまも関わっていたようですが、夜に怯えて過ごす時期に一番長く滞在し、ディーヴァラーナの夜を守っていたのはクーさんだったのだとか。
口数が少なく見た目が怖いクーさんは正に夜の守護者と言った感じで、それはとても安心できる夜だったに違いありません。
そういった理由から、ディーヴァラーナの女の子たちは五海候の中でも特にクーさんリスペクトだそうで。彼女たちの着物が黒いのは、その影響だったのですね。
えー、そういえばローゼンロールさまが当時ハブにされたと嘆いておられましたが、残念ながら当然です。あの人の能力は日常生活において何の役にも立たないのです。
わたしがクーさん製のお椀でほかほかの汁物を頂いていると、
「うーん、どうしよう。私、まだ何も決まってないの……」
「好きこそものの、じゃいけないのかな。興味が無いと続けられないと思うの」
「でもでも、それだと評価が……」
食事の時の話題は大体これ、アルカディメイアでの進路についてです。
シュトラお姉さまに聞いたこれからのディーヴァラーナの政策なのですが、ここ空中庭園の崩壊に合わせ、ディーヴァラーナの人たちは本島を放棄するのです。そのため、今ここにいる子たちは全員アルカディメイアに就学する予定とのこと。
問題は洞穴で保存活動を続けている男衆ですが、シュトラお姉さまたちディーヴァラーナを管理する人間に何とかしてもらう他ありません。
わたしがそのことを考え黙り込んでいると、向かいに座るリンシャクティちゃんが、
「あ、あの、ゼフィリアの姫様。お聞きしたいことがあるのですが」
「はい、何でしょう。あ、都度呼ぶのも面倒ですし、出来れば親しい名前で呼んで頂けたらなー、と……」
「しかしその、あまりに畏れ多く……」
リンシャクティちゃんと食事を囲むようになってから既に三日。ていうか歳も近いので敬語とかいりませんし、ぶっちゃけ普通のお友達になりたいなー、なんて……。
わたしの願いに、リンシャクティちゃんはお顔を真っ赤にして俯き、
「で、ではメイ様とお呼びしても……」
「んふぅッ!」
はいかわいい! はーいかわいい!
基本最弱最年少の定位置で生きてきたわたしは、年下の女の子に慕われることが無かったわけでして! リンシャクティちゃんのようなかわいい女の子に頼られると、お脳に新鮮な快感が分泌されてしまうようなのです!
なるほど新事実! やはり人生に必要なのは新たな目覚め! わらし分かっちゃいましたシェンスンさま!
わたしは過剰なかわいさダメージを受けたお脳をゼロフレームで復帰させ、
「何でしゃう!? わたしに答えられることなら何でも聞いてくらしゃいませ!」
「メイ様、海の色を変えるにはどうしたらよいのでしょうか?」
「海の色、ですか?」
わたしが首を傾げると、リンシャクティちゃんは更にお顔を真っ赤にし、もしょもしょとした小さな声で、
「覇海の御方が作られたこの島はお空がきれいなのですけど、雲の下は暗くて、だから、海の水をお空と同じ色にしたいのです。火込め石なら、それができるのではと……」
「火込め石で……?」
「それでその、海の下のお風呂の天井を、このお空と同じ色に……」
ヌゥーッ! よいではありませんか! なんてメルヘンでかわいらしい夢! やはり女の子はこうでなくてはいけましぇん!
わたしはそのかわゆさっぷりにもぐもぐしながら頷き、
「なるほど、採光の分野を研究したいのですね」
「さいこう?」
と、かわいくはてなマークを浮かべるリンシャクティちゃんに、わたしは心の中で鼻血。しかし、火込め石で光線に干渉する方式は考えたことがありませんでした。
ここ空中庭園は陸に比べ太陽に近い。その刺激の中で育つことにより、石を通した二次的な感覚が鋭敏になったのかもしれません。
そもそも、海の水が何故青く見えるのか。
光線は虹色のように七色に分解されますが、それはこの星でも同じこと。そして水と言う物質は、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、という順番で色を吸収するようなのです。
加えて関係しているのは水の深度。
光は水に入ると散乱してしまうため、透明に見えるまま。浅ければ青以外の色、黄や緑などが残り、海水の色に反映されます。しかし、深いところは青以外の色が吸収されてしまい、青にしか見えなくなるのです。
光線と色の仕組みは、頭の中の記憶の世界同様、この世界の学問でも未解明の分野のようなので、研究課題としてはとても面白いものになると思います。
「そうですね。あとは砂の色が白に近いものであれば、海の透明度が上がるかもしれません」
「海の底のお砂を白くすれば、海が青くなるのですか?」
「絶対条件ではありませんが、要素のひとつになるかと思います。ゼフィリアの砂浜は真っ白なので、海は透き通るような色をしていますよ」
「すなはま?」
わたしの発言に、食事をしていた全員がこてんと首を傾げました。ヌゥーッ! 心中鼻血! ディーヴァラーナは断崖の尖塔しか残っていない島で、当然砂浜などありません。この子たちは砂浜がどういうものか知らないのです。
しかし、ううっ、なんていい子たちなのでしょう!
わたしはかわいさに打ちのめされ、体の底から溢れ出すエネルギーに身を震わせました。これがやり甲斐! この子たちのためにも、わたしはこのお役目をやり遂げて見せますとも!
わたしはお箸をぐっと握り、青い空を見上げ、
そうです! フハハさんではありませんが、この子たちに絶対の安寧と充足をプレゼントしちゃいますとも!
と、思っていた時期がわたしにもありました……。
中枢シャフトの中間地点。
石に向かう深夜の橋。
「うぷっ、おえっ……」
わたしは死んだ魚の目で石の床に横たわり、完全にグロッキー状態。
ひゃい、あれから一週間が経ちました。進捗はというと、全く芳しくありません。極紫の命石への理解が進めば進むほどその作業量が膨大になって、ズッブズブの泥沼にはまり込んでいくようなのです……。
「ううっ、ううーっ……」
わたしは重い体をずるずると引きずり、水瓶のもとへ。柄杓で水をひと口飲んで、頭スッキリ……、するはずありません。というのも、シュトラお姉さまと話し合っていた計画が早くも頓挫してしまったのです。
当初はこの島を空から下ろし、安全に崩壊させる予定だったのですが、連結された至界のはざま石の力が強大過ぎて、これ以上高度が下げられない状態であると判明したのです。
何か他の案をとお脳を捻り続けているのですが、何にも思い付かないのが現状で。頭の中の世界の人がよく常飲していたお脳をアディクトさせる栄養剤などがあれば、わたしのお脳ももう少し頑張れたのでしょうか……。
わたしは柄杓を戻し、水面に映る自分の顔にゲッソリしました。見たことのない酷い顔で、頬に髪が貼り付いています。去年切った髪がもう肩口まで伸びているのです。
「ううっ、イーリアレに揃えてもらえばよかったです……」
そのまま水瓶を抱きしめ、はあ、とため息。こんなつまらないことで落ち込んでいる暇などないはずなのですが、作業の進行があまりにもあまりにもで、自分にガッカリしてばかりなのです。
それに、唯一の楽しみであるリンシャクティちゃんたちとのお食事。あの子たちに囲まれるたびに、キラキラな眼差しがだんだん重苦しくなって、大き過ぎる期待に潰れてしまいそうになるのです。
このお役目はわたしにしか出来ないこと。それは分かっているのですが、わたしは本当に一人で、心細いのです。
「ううーっ……」
わたしが水瓶にへばりつき、へたりこんでいると、
「くちんっ!」
凍てつくような冷気に、ふるりと肩が震えました。この島は雲の上にあるため、夜は気温が低いのです。わたしが橋からほんの少しだけ顔を覗かせ、貫通孔を見下ろすと……、
直下に流れる紺色の雲海。
わたしの金髪を吹き抜ける、鋭く冷たい夜の風。
心と体が想起し、作り出す。あの人の言葉を、あの人の声で。
『あなたの物語には、俺がなりましょう』
思い出す。わたしの心に刻まれた、ホウホウ殿の言葉。
物語は個人の頭の中で完結するもの。だからこそ分かる、人は孤独ではないのだと。今ならはっきりと、その意味が分かります。
それはきっと、孤独に打ち勝つための想像力。
わたしは空の下から瓶の水面へと、再び視線を戻しました。そうです、今この時、頑張っているのはわたしだけではないのです。
『申し訳ありません、メイア様……』
シュトラお姉さまは陸の資料を更新しに来ると、必ず、そして悔しそうにお詫びの言葉を残していくのです。
この世界の人は何かを成し遂げる際、他人に頼らず、自分の力だけでそれを成そうとする。シュトラお姉さまはこのディーヴァラーナの島主代理。その無力感はわたしの比ではないはずなのです。
極紫の命石が作れなくとも、自分たちの力だけで何とかしようと、ギリギリまで解析を試みてきた。極紫の変調に気付けたのは、長年この石を研究し続けてきたからに違いありません。
それでも力が及ばなかった。だからわたしを頼った。
そう、わたしには出来ることがあるのです。
もう自室で横になるばかりの自分ではありません。今のわたしには、確かに出来ることがある。そして、こんなわたしを信じてくれた人がいる。
「ふ、ぎぎっ……!」
わたしは水瓶を支えに、やっとの思いで立ち上がりました。それから、ふらっふらの足取りで石の前へ移動。紫色の光に手をかざし、大きく深呼吸。
そして――
「がんばり、ましゅ……!」
風に乗って去っていく、小さな花の微かな香り。
茜色の日が傾き始めた、夕方の始まり。
「今までありがとうございました。お空のディーヴァラーナ……」
草原に額をこすりつけ、大地に向かい感謝を伝えるリンシャクティちゃんたちディーヴァラーナの女の子。座礼の姿勢から立ち上がると、名残惜しそうに雲の下へと飛び降りていきます。筋肉。
空のディーヴァラーナにお別れのアイサツ。これで退去は完了です。残るはシュトラお姉さまとわたしの二人だけとなりました。
シュトラお姉さまはわたしに向かい、深々と頭を下げて、
「ありがとうございます、メイア様」
「いひええ、間に合いましれ、ほんろうにひょかったれしゅう……」
お顔を上げたシュトラお姉さまが右手に纏っているのは、紫色のかなめ石。この島を移動させるため、極紫の命石に干渉できるよう作ったコントローラー。
あれから四日。とうとうわたしはやり遂げまったのれしゅ!
中枢そのものを制御下に置くことは出来ませんでしたが、システムに侵入、至界のはざま石へのコマンドを誤認させることで、何とか水平移動の実現に漕ぎ付けました。
試行は位置調整で確認済み。推敲、校正を何度も何度も繰り返したプログラムの石で、その安全性は折り紙付きであります。
ひゃい、おかげさまでわたしは完全限界ボロボロ状態。髪の毛ボサボサ、目の下には大きなクマ、手足はむくみっぱなしでふらふらで、何だかよく分かりましぇんが、もうダメかもしれましぇん。
でも……、
「ありがとうございます、メイア様。本当に……」
とても晴れやかな気分です。
わたしの前に立つのは、泣き笑いのような表情のシュトラお姉さま。しかし、シュトラお姉さまが、ディーヴァラーナが大変なのはこれからなのです。
リンシャクティちゃんたちがこれからアルカディメイアでお勉強をして、一人一人移住先を探して。島主代理としては依然気を抜けない状況で、きっと多くの困難が待っているに違いありません。
ていうかですね、もしよかったらゼフィリアへようこそー、と勧誘したかったのですが、結局言い出せず仕舞いで……。
でも、とわたしは断崖を向き、この浮島からの景色を心に留めました。
遠く彼方に広がる雲の海。
へにゃりと笑みの形を作ってしまう、わたしの口元。
今だけは、笑ってもいいと思うのです。
わたしは、ふっ、と息を吐いてひと呼吸。あとはシュトラお姉さまが中枢に指示を出し、この島を安全な海域まで移動させれば、このお役目は終了となります。
わたしはぐらっぐらになりながらシュトラお姉さまを見上げ、
「さあ、シュトラお姉しゃま。わらしたちも参りまひょう」
「いいえ、メイア様。私は皆と共に行く訳にはいかないのです」
「ほえ……?」
ゆらゆらと潤む赤い瞳。
微かに震える、薄紅色の唇。
今にも消えてしまいそうな、儚く白いその相貌。
風が吹く。
雲上の黄昏に。
シュトラお姉さまは無色の風に黒髪を揺らしながら、とても穏やかなお声で、
「これより私はこの島を使い、夜に討って出ます」
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