第91話 火と鋼の島、ヴァヌーツ

「ふえええ!! 無理れすダメれすわらしもう壊れちゃいましゅう!!」


 火と鋼の島、ヴァヌーツ。

 壁、床、天井。全ての調度品がはがねで出来た島主の間。


 赤い窓掛けの隙間から赤い陽が差し込む、夕方過ぎのシゴキの時間。


「はあ? 何が無理なん? アンタ島主舐めてんのー? 持てる者は与える者。アンタにゃこれが出来るんだから、これをこなし尽くす義務がある。ちッがう?」

「いえ! 違いましぇんです、はい!」


 わたしは今はがねで出来た文机を前に、巻物の数字を目で追い、かなめ石を気込め石と接続させ、次から次へと舞い込む資料と格闘中。


 わたしがヴァヌーツを訪れて既にひと月。アーティナやタイロン同様、また雑用を押し付けられるのですかねーと思ったら、今度は本気の本気で島主的教育が待っていたのです!


「アンタ分かッてんだろーね? 千年の爺ちゃんにスナ兄さんに、話の分かんのが二人も逝ッちゃッてゼフィリアは今ガッタガタなんだッつーの」

「はいい! それはもう承知しておりましゅ!」


 真正面から掛けられた気だるげなお声に、わたしは背筋を伸ばしてビシッとお返事。声の主は幾何学的な紋様が描かれた絨毯に頬杖を突いて横たわる、一人の女性。


 橙色の蠱惑的な瞳にチョコレート色の肌。

 各部を編み込み、後頭部をポニーにした赤色の髪。

 クリーム色の胸巻と腰巻、スケスケ真っ赤なサルエルパンツ。

 耳、二の腕、手首足首にはがねの飾りを付けた、踊り子のような装束。


 ヴァヌーツの島主、ヴィガリザさま。


 ヴィガリザさまは横になった姿勢のまま、きゅっとくびれた腰に手を当て、


「食いモンの流通は男に任せな。あんなんイチイチ追ッてたらキリねーし」

「ひゃい、消費が生産数を上回らないよう気を付けましゅ!」

「島が枯れたらその島の男がボケだッたッつーだけのハナシよ」

「ふぁい!」

「ほらー、感覚拡張能力の補正サボんない」

「ひゃい!」

「読解思考は最低三つ並走ね」

「ふぁい!」

「出ッ来んじゃん。はい次ー」

「ふきゅううう!!」


 苦悶の声を上げるわたしに、ヴィガリザさまはひょいと追加の石を投げてよこします。


 ヴァヌーツはゼフィリアの東に位置する砂漠の島。その島主であるヴィガリザさまが、「いいから来い」とわたしを呼んだのは、お隣さんとしてゼフィリアの島主候補に教育を施すためだったのです。しかし……、


『ヴァヌーツの島主さまは頭の回転が速過ぎる』


 アルカディメイアでナーダさんが言っていましたが、聞きしに勝るとは正にこのこと。自分が凡人だとはっきり分かる。それほどの差を感じる。ヴァヌーツの島主であるヴィガリザさまは、ほんっとーに頭のよい女性だったのです。


 ゼフィリアとヴァヌーツの連携のため、わたしに目を掛けてくださるのは誠に誠にありがたいことなのですが、ヴィガリザさまのシゴキが凄まじすぎて、付いていくのがやっとの状態。そろそろ休憩しないとお脳が破裂してしまいましゅ!


 わたしはぐらっぐらになった頭でリルウーダさまとのやり取りを思い出し、


「そ、そうです、ヴィガリザさま。喧嘩、喧嘩とかいかがでしょう!?」

「喧嘩とかどーでもいーわー。勝てるから勝ッてるだけだしー」

「ううっ……!!」


 一蹴。


 実感するに、ヴィガリザさまはこの世界における典型的強者代表のような人なのでしょう。強い者は下りてきてくれない、というレイルーデさんの言葉通りだと思います。


 ヴィガリザさまは蛇を思わせる流し目でチロッとわたしをねめつけ、


「あんねえ、アッタシの気ィ逸らそうッたッてそうはいかないかんね」

「ひ、ひえ、しょんなことは……」

「言ッたッしょ。アッタシはねえ、旦那が好きなの。旦那がイチバン。他のことなんかマジでどーでもいーの。はーもー、何で先に死んじゃうかなー。島の安全とかどーでもいーからさー、ずーッとアッタシの傍にいてよねッつーハナシー」


 聞きようによっては大問題な発言を気にした様子もなく、絨毯の上をゴロゴロ転がり始めました。ヴィガリザさまは悩まし気に身をくねらせ、


「大体さー、アンタ生まれてくるのが遅すぎなんだッつーのー。なーによ、風呂とか料理とか。はー、旦那が生きてたらぜーんぶ一緒に楽しめて最高だッたのにさー」


 とか色々愚痴ってる間も各島からの報告を読む手を止めず、床に散らばった気込め石を次々とチェックしていきます。アルカディメイアでナーダさんがやっていた、気込め石を書の形にせず、石から直接情報を読み取る方法です。


「あー、旦那とイチャイチャしたーい。はー、早く死にたーい」


 そして、チェックした石はぽぽいとわたしの机の上に。いくら崩してもまた積み上げられる石の光景は、まるで頭の中の記憶のサンズ・リバーのようです。ちょっと違うかもしれませんが。


「あうあ、あうあああ……」


 わたしは書の文字を目で追い、左手で直接石から情報を読み取り、とにかく頭に情報を詰め込んでいきました。ぼーっとしだした頭の中、エコーのように反響するのは、ゼフィリアを出発する時のお母さまの言葉。


『リザお姉さまの言う通りになさい。リザお姉さまにお任せしておけば、いつの間にかいい感じになるので安心なのです。よく分かりませんが、がー、がー……』


 でしょうとも、お母さま! わたしもよく分からないままでいたかったです!


 物凄くぶっちゃけますと、ヴィガリザさまにとってわたしたちゼフィリアの人間はレベルが低過ぎるのです。この世界の人類の筋肉にまともなお脳が実装されたらどうなるか、身をもって体感している次第でありましゅ。


 しかし、今までこんなまともに指導してくれる方はいなかったのです。わたしがヴィガリザさまのお眼鏡に叶うとは到底思えませんが、立派な島主になるため、わたしは頑張りがんばねがばががっががが……。


「お、終わりましゅた……」


 積み上げられた石を全て消化し、わたしはぐちゃりと机に崩れ落ちました。ヴィガリザさまはビクビク痙攣しているわたしを一瞥し、


「ま、こんなとッかしらねー」


 絨毯に広がった資料の山をパッと消去。のそりと立ち上がり、ガリガリと頭をかきながら、わたしのお腹を片手でひょいと持ち上げました。


「あうあああ、い、今動かされると、覚えたことがあああ……」

「はーもー、ウダウダうッさいなあ」


 ヴィガリザさまは頭を抱えたわたしを見下ろし、やれやれといった感じで、


「ハイハイ、もう無理ッぽいから食事ね、食事」







「いただきますです!」

「いただきます」


 鋭角的な装飾が随所に施されたヴァヌーツの議事堂。

 ビビッドな色調の窓掛けや絨毯で埋め尽くされた、はがねの大広間。


 そんな訳で、やって参りましたお夕食の時間です! これがあるからきついシゴキにも堪えられる、至福のひと時!


 わたしとイーリアレははがねのお箸を右手に、用意されたお食事を思いきり頬張りました。


「はふ、はふー……!」


 口の中に広がるたまらない香ばしさと熱に、思わず吐息が漏れ出てしまいます。


 今わたしが食べているのは香ばしい油でテラッテラになった熱々の蒸し魚。噛むたびにお魚本来のうまあじと油がぶわーっと溢れ出てきて、濃いめのお味が疲れた頭にスーッと沁み渡って、これはありがたいですう……。


 そんな訳で、そう! ヴァヌーツのお食事はとてもおいしいのです! 聞けばヴァヌーツはアルカディメイアの流行にいち早く気付き、積極的にその変化を取り入れたのだそうで。


 中にはゼフィリアに足を運び、シオノーおばあさんの教えを受けに来た人もいるくらいなのだとか。ううっ、ゼフィリアの序列は上がりませんでしたが、アルカディメイアで頑張って本当によかったです!


 隣を見れば、イーリアレも当然全力な様子。口の周りが油でベッタベタになっているので、あとで拭いてあげねばなりません。


 と、そこでわたしは気になったことがあり、右隣でもさもさ口を動かすヴィガリザさまにくるりと顔を向け、


「ヴィガリザさま、あの、この蒸し魚ですが、トーシンのものとは違うようなのですけど、どうやって作ったのでしょう? 醤と油が使われてるのは分かるのですが……」

「んあー? あー、トーシンの報告にあッたやつさー、あれ、サッパリし過ぎッつかー。アッタシ的にはもちょい味濃い目、油多目がいい訳よー」


 ヴィガリザさまは手に持つはがねの串をふりふりさせ、心底つまらなそうなお顔で、


「だーら、蒸す時にタレと一緒に蒸したの。で、蒸し上がッたら、熱した油をかけりゃいんじゃね、みたいな?」


 驚きました。


 ヴィガリザさまの考えたこの調理法、頭の中の記憶で近いものは中華料理の清蒸魚チンジャンユーだと思うのですが、わたしはこのやり方を伝えていなかったのです。


 わたしがお食事の手を止め、そのまま固まっていると、


「あによ、人の顔じーッと見て」

「いえ、わたしやお母さまが広めずとも、ヴィガリザさまならお料理という文化自体を発明出来たのでは、と」

「あー、そりゃ無理だわー」


 ヴィガリザさまははがねの串を持った左手をひらひらさせ、


「アッタシはねー、イチから作り出すッてこと出来ないのねー。つか、そもそも思い付くッてことをしねーの。誰かの発想を見てね、その先の答えを出すのが人よりちょーッと上手いだけなのよ」

「えやー、ちょっとという発想とウデマエではないような……」

「んなん見りゃ分かッしょー。みんな何で分かんないのか分ッかんないねー」


 言いながら、はがねの串を刃物に変形させ、その表面にうっすら油をまとわせました。そして、食机の上に置かれた大きなお魚の切り身を切断開始。じゅわーっと食欲をそそる暴力的な音と、ヤヴァイ香りの蒸気がぶわっと立ち上ります。


 よく見ると、刃物の表面が赤くなっています。熱した包丁で切断面を焼きながら切ることで肉汁とうまあじを逃がさない、はがね石の特性を見事に使いこなした調理法です。


 ヴィガリザさまは切り出した肉に塩と香辛料をパパッと振りかけ、刃物を再び串に変形させました。その串をザクッと肉に刺してもさっと噛り付き、


「ん、歯ッごたえあるトコはやッぱこれかなー」


 赤身魚のおいしいところだけを串焼きにした、魚肉のサイコロステーキ串とでもいいましょうか。しかも大きな身の中心だけを使った贅沢な一品です。


 絶対間違いなさそうなソレにわたしとイーリアレが釘付けになっていると、ヴィガリザさまは新しい串焼きをシュバッと作り、わたしたちの前にどどんと置いてくれました。筋肉。


「いただきま、ほわぁ……!」


 たまらずかぶりつけば、ムチムチのお肉が頬を押し広げ、ピリピリとした刺激が舌の上を踊るようです。スパイシー! これが多分スパイシーというやつです!


 加えて、お箸でなく串を使ったこの食べ方。ヴァヌーツはゼフィリアと違い、手と串で食事を摂るのが常態になったようで、こちらの方がお肉を食べている感じが強調され、とても興奮するのです!


 わたしたちがおいしさの暴力を喉に押し込んでいると、今度はヴィガリザさまがはがねの小鉢を作り出しました。


 その小鉢に用意していた植物の実や種、葉を次々に投入。最後にニンニクに近い球根を入れ、一気に粉砕撹拌。唐辛子のような植物を使っているのでしょう、赤いペースト状の調味料が瞬時に出来上がりました。筋肉。


 その調味料を先ほど切り分けた切片、片面焼き刺し身の上に乗せ、またまたわたしたちの前に。


「いただき、おっふぉー……!」


 んー! 焼かれた部分の香ばしさと生の部分の肉感が、んー! 更に、調味料の辛さとザクッとした歯ごたえが絶妙なアクセント! 噛むのがとても楽しい一品です!


 ヴィガリザさまが作ってくれた調味料。頭の中の記憶ですと、素材的に北アフリカのハリッサに近いでしょうか。穀物を用いず、発酵させていないので、豆板醬とはちょっと違います。


 その調味料を片手に、ヴィガリザさまは次に進行。食机の上に置かれていた大きな寸胴鍋から、はがねのお椀に汁物をよそいました。中身はお魚のアラで作った濃厚スープです。


 そのスープに沈んでいるのは気込め石で湯剥きした赤い野菜。砂漠の乾燥地帯でも育つ作物で、トマトに近い植物の実です。


 ヴィガリザさまは先ほどの調味料をドバッとお椀に入れ、串で混ぜ混ぜ。真っ赤になったスープがすぐさまわたしとイーリアレの前に。


「いただ、ふしゅー……!」


 ヴァヌーツはゼフィリアと違い、お椀と箸休めを作らないのです。その代わりがこれ。魚介系の酸っぱ辛スープ。味だけなら頭の中の記憶のタイ料理、トムヤムプラーに近いのではないかと。


 ヴィガリザさまは指に付いたスパイスをペロッと舐めて、


「ま、こんなとッかなー。味の組み合わせってかー、ウッチの資源でどんな食いモンが出来ッか分かッたしー。この方向性を頭に入れて、アッタシ達の肉に最適な栄養素を探ッてッかねー」

「さすがですう……」


 わたしは酸っぱ辛スープに舌鼓を打ちながら、周囲を見渡しました。らんらんと輝く火込め石の灯りの下、大広間で食事をしているのはヴァヌーツの海守さんの面々です。


 ヴァヌーツの服装は頭の中の記憶のベリーダンサーに似た恰好で、つまりは踊り子さんにしか見えません。ですが、その雰囲気は食堂や厨房というより科学実験室、研究室に近い感じなのです。


 用意した香辛料をそれぞれ乾燥させたり、塩で漬けてある状態にしたり。気込め石を駆使した状態変質技術が随所に見受けられる調理風景。


 ゼフィリアは陸の資源である植物を薬味として使う方向に進みましたが、ヴァヌーツでは香辛料として味の基本にする方向に進んだようです。


 そして、ヴァヌーツの取り組みは味の分野だけに留まりません。スパイスの配合がわたしたちの肉体にどのような影響を及ぼすか、随時記録しているのです。


 その考え方はもはや薬膳、いえ、調理科学と言った方がいいかもしれません。ヴァヌーツの人々は数字が好きな理系人間と聞いていましたが、ここまで研究肌な人たちだとは思いませんでした。


 わたしはそのカッチリとした生き方に超絶感心しながら、


「やはり、風土や特産だけでなく、肉との相性も考えねばなりませんね」

「あー、難しく考えちゃダメだッて。料理ッてのはさ、よーするにアレな訳よ」

「アレ? と言いますと?」


 首を傾げるわたしに、ヴィガリザさまはご自分の頭をこつこつ突ついて、


「頭にゃさ、一番好きなヤツの笑顔さえありゃいーんだよ。自分の作ったもんでソイツを笑わせる。料理ってのはソレが出来る。んでさ、そん時ゃ隣に必ず自分がいんの」


 それから、この世の全てがどうでもよさそうなお顔で、


「それッて最ッ高じゃーん?」


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