第83話 アーティナのロマンス畑(1)

 アーティナの斜面都市、その頂きに建つ大講堂。

 大きな白い柱に囲まれた、島主用の大浴場。


 一日のお役目を終えた夜の時間。柔らかな火込め石の灯りの下、わたしは赤い花びらが浮かぶお風呂でリルウーダさまと二人きり。


 リルウーダさまは肩に手をやり、こきりと鳴らして、


「お主が人払いとは。アーティナの娘になりたい、という話では無さそうじゃな」

「ええ……」


 リルウーダさまとサシでお話したいことがあり、イーリアレには先に上がってもらったのです。わたしは右手に風込め石を纏わせ、防音壁を作成。そして浴槽の縁に背をもたれさせ、


「ディーヴァラーナ男性陣による防衛範囲に関して、ゼフィリア同様、相当な距離のものでした」


 視界には一面の花びら。かぐわしい香りを放ち、お湯に浮かび漂う小さな花の欠片たち。


「ディーヴァラーナの男性は、とても強い」


 わたしは隣で湯に浸かるリルウーダさまのお顔を見て、


「十一年前の災害。あれはシグドゥによってもたらされたものではありませんね?」


 リルウーダさまはこちらを見ずに、小さなお声で、


「知ってどうする?」

「どうも。しかし、原因のはっきりとしない曖昧な噂は歪みしか生みません。そして、それは既に不当な差別となって人々の生活に影響しています」


 リルウーダさまはほんの少し俯いて、


「言葉を選べ、と言いたいが、その通りじゃからな……。ディーヴァラーナの男衆には申し訳ないことをしとる……」

「やはり……」


 何があったのか、わたしはこれ以上聞く気はありません。この世界の男性が、あの人たちが失敗するはずがない。わたしはただ、そのことを信じたかっただけなのです。


 この世界には報道がありません。自分に関係ないことは存在しないのと同じこと。それがこの世界の人間の生き方。


 翔屍体のことと同じ。何も知らず平穏に暮らせるならば、それが一番いいのです。それに、この世界の人間は嘘を吐くということをしないから、思い付かないことを世界に流布するとは思えません。


 だから、多くの人に知らせず、そのままにした。


 でも、わたしは出来るだけそれと同じことをしたくないのです。だから――、


「タイロンのホウホウ殿から石作りに関して報告があったと思うのですが」

「あの青年か、ありゃあよい男じゃ。シェンスンの息子がよくあんな話の分かる男に育ったと、儂ゃ驚いたわ」


 わたしは浴槽の縁に頭を預け、湯気に煙る石の天井に目を向け、


「統合化最後の問題はその石作りです。石と肉には相性がある。ホウホウ殿によれば、スナおじさまはアーティナの血が濃く、その肉は至透のちぎり石の出力に耐えられるものではなかったそうです」

「それは聞いとらんぞ……!」


 ざばりと飛沫を上げて立ち上がるリルウーダさま。肌に感じる、湯面の波紋。


 ホウホウ殿は女性が男性の石を扱うことに関して警告はしても、自分たち男性の石のことは説明していない、そう予想していたのです。


 話せばわたしたち女性に心配をかけてしまう、負い目を与えてしまうから。あの人は、この世界の男性は、とても優しい人ばかりだから……。


 わたしが無言でいると、リルウーダさまは静かにお湯に身を沈ませ、


「あ奴、そんな状態で二十年も……」

「アーティナの人間本来の適性は、砂込め石だそうです……」


 五海候の石を見てきたわたしには分かるのです。石との相性が不適合であっても、使う石が通常のものなら何も問題は無いはず。この世界の男性の肉はそれほどまでに強いのです。


 極めた石と肉の相性が合わなかったスナおじさまは、あくまでレアケース。確率的には非常に低い、稀なもの。しかし、だからと言って捨ておくわけにはいきません。


 母親が自分の息子を正しく生んであげられたか、そのことを不安に思うのは当たり前のことなのです。


 このことを伝えれば、アーティナゼフィリア両島の統合化は即白紙になったでしょう。それをしなかったのは、わたしたちの繋がりを断ちたくなかったから。わたしやスナおじさまの存在を否定したくなかったから。


 ゼフィリアで生きてきたわたしには分かるのです。


 ゼフィリアの人はアーティナの人を喜びをもって迎えたはずだから。ひいお爺さまはひいお婆さまをお嫁に迎えたことを、後悔していなかったはずだから。


 どんな肉に生まれようと、そのことに後悔は無い。わたしは自分の生まれを悔いてはいないのです。これから命を生む人たちに、その負い目を感じて欲しくないのです。


 わたしは右手に白、青、黄、紫の石を纏わせ、干渉操作。湯船に浮かぶ花びらを水球に閉じ込め、宙に浮かせました。そして、石の天井を消去。


 ディナお姉さまと同じ、わたしたち女性が夜の海のことで出来ることはとても少ない。出来ることと言えば、せめて万全の状態で男性を送り出すこと。


 だからわたしは、そのために……、


「わたしの役目は、この世界の今を維持することだけです」


 夜空に重なる花びらの水球。火込め石の灯りを反射し、星の光を閉じ込めて回る、水の螺旋。散るように咲くように、巡りたゆたう赤い花びら。


 リルウーダさまはわたしと同じように浴槽の縁に頭を預け、


「この大講堂に務めて六十余年。何処もかしこも見飽きた景色と思っとったが……」


 湯気に混じる、リルウーダさまの長い吐息。

 花びらの消えたお湯に浸かる、双子のようにそっくりなわたしたち。


 リルウーダさまはわたしと二人、夜空を眺めて、


「存外そうでも無さそうじゃ……」







 アーティナ都市部郊外の平原地帯。

 だだっ広い花畑の真ん中にどでんとそびえる巨石建造物。


 アルカディメイアにあった温室そっくりのアーティナの蔵。リルウーダさまはその蔵の扉を閉じ、心底疲れた様子で肩を落として、


「あー、メイよ。また頼めるかのう……?」

「はい、男衆に調理法を伝え、おすそ分けとして他島に発射してもらいます……」

「すまんのう……」

「すみません……」


 キリリなお姉さまと一緒に深いため息。そう、またなのです。


 リルウーダさまとのお話からひと晩明け、朝イチで男衆から巻物が届いたと思ったら、まーた作物が出来ました報告だったのです。そんな訳で、わたしとリルウーダさまと管理衆のキリリなお姉さまが揃って出撃。作物の確認に来たのですね。


 おすそ分け手段はいつも通り男性運輸。この世界の男性に物資を渡すと、いつの間にか他島に届けられているのです。だったら使えるものは使ってしまえばいいのです。


 色々ぶん投げたくなったわたしは、ぐでんとうなだれ、


「ううっ、何をどうすべきか、わたしにはよく分からなくなってきました……」

「心労は察するが、気を揉んでも仕方なかろうに」

「それはそうなのですが……」

「ほれ、戻るぞ。運動がてらの散歩じゃ」

「ひゃい、ありがとうございましゅ」


 リルウーダさまに続き、わたしたちはあぜ道も何もない花畑をとぼとぼ歩き始めました。


 そう、わたしは今それどころではないのです。わたしの心配は昨日レイルーデさんから持ち掛けられた勝負のこと。レイルーデさんの言う納得が気になって仕方ないのです。


 持てる者は与える者。そんな訳で、頭の中の記憶から引用し、再現可能なお料理のレシピは殆どアーティナに渡してしまっているのです。つまり、こちらの手の内を完全に晒してしまっている状態。


 ディーヴァラーナのシュトラお姉さまのように、レイルーデさんがこの世界独自のアレンジを加えてわたしのレシピを超えてくる。それは充分ありえることなのです。


 更に勝負は明日。間に合うはずがありません。


 わたしがアーティナの人間になってしまうのも困りますが、わたしにとってお料理は習慣で、そこに勝ち負けを持ち込まれるのがイヤなのです。レイルーデさんはこんなわたしをどう納得させようというのでしょうか。


 わたしは足の裏に幼い草の息吹を感じながら、遠くの空を眺めました。


 都市部上空に浮かんでいる巨大な立方体群。あれは翔屍体を待ち構えるための足場。アーティナの女性が空を飛ぶ方法を身に付けずに翔屍体を討伐するためのもの。


 その機能はともかく、巨石の陰影が青い空に浮かぶ白い雲とのコントラストを描き、とてもきれいな風景になっています。


 足元には淡い色で咲き乱れる小さな花々と、陽の光を浴びる葉の緑。ゼフィリアとは自然の形が違うだけで、アーティナはとてもよい島だと思います。


 ですが、その景色に朝からチラつく面倒な影。


 ていうか他のお二人も気付いているはずなのです。気付いてますが気付きたくないのです。


 蔵にいた時からわたしたちの周囲をうろつくその生物。柱の陰からチラッ、木の陰からキラッ、お花に混じってチラキラッと、視界にチラつく麗しい生物。


 わたしは鏡合わせのようにリルウーダさまと視線を交差させ、そして盛大にため息。とうとう覚悟を決め、花畑の方に向かって、


「あのー、ヘイムウッドさん? 何か御用ですか?」


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