第4話 海守のエイシオノーおばあさん(1)

 フリーズ!! 完全に思考停止!!


 目の前には正座のお母さま。そしてわたしはお布団に横たわったまま逃げ場無し。逃げる体力なんて勿論ありません。ていうかついさっきまでほぼ瀕死だったのです。


 話すべきか黙るべきか。


 わたしはただ、恐いのです。お母さまに本当のことを話して、どういう反応をされるか分からない。それが恐いのです。


 言い訳か代案をとぐるぐる頭を回転させても、何も思い付きません。


 そもそも、この世界の人、少なくともこの島の人は嘘を吐くということをしないのです。必要の無いことは徹底的にしない。それがこの世界の人間なのです。


 それに、大好きなお母さまに嘘を吐くなんて……。


 無言で過ぎていく夜の時間。


 わたしは掛布を握り、覚悟を決めて口を開き、


「わたしの……」


 お母さまの目を真っ直ぐ見て、


「わたしの頭の中には、違う人の記憶があるのです。お料理は、その人の経験で……」

「なるほど」


 あら、あっさり?


「あの、信じていただけるのですか……?」


 こんなに簡単に受け入れてくれるだなんて、肩すかしと言いますか、逆に不安になっちゃうような……。


 わたしが微妙に狼狽えていると、お母さまはケロッとした様子で、


「信じるもなにも、アンには他に方法がないではありませんか」

「ほえ……?」


 それから頬に手を当て、少し困ったようなお顔で、


「海で溺れて気を失う。山で転び気を失う。庭で転んで気を失う。屋敷の廊下で気を失う。自室でうっかり気を失う。そのアンがここより他の何処に行けるというのですか。島の人間にこのような知識を持つ者はいないはずですし、子供の想像にしては情報が正確過ぎます」

「うぐぅ!」


 ズブズブ刺さるお母さまの言葉! ううっ、わたし虚弱過ぎです!


 ショックを受けるわたしに、お母さまはふっと微笑み、


「あなたのそれは、すてきな授かりものです。あなたの頭の中にいる人は、いったい何処の誰なのですか?」

「ここではない場所を生きた人で、名前も分からないのです。ただ、その人が経験してきた色々な体験と、それにまつわる感情が頭の中をぐちゃぐちゃにして、苦しいのです」

「アン……」


 お母さまは告白したわたしの半身を起こし、ギュッと抱きしめてくれました。


 肌越しに感じるお母さまの体温、熱。……あとちょっとお出汁の香り。わたしが失いたくなかったもの。いえ、お出汁は別で。


「アン、アンデュロメイア。あなたは私が産んだ、私の娘です」


 お母さまはわたしの髪に顔を埋め、いつも通りの優しい声で、


「その人がもう一人のあなただと言うのならば、私はその人の母親にだって、なってみせましょう」







 それから数日。時刻は夕方。


「ほいじゃっねー」

「はーい、また明日ー」


 夕陽に染まる修練場。海守のお役目を終え、アイサツを交わし海に向かって跳んでいくお姉さんたち。その姿を眺めながら、わたしはお屋敷の縁側に正座しています。


 頭の中で考えているのは、勿論今日の夕食のこと。


 そう、やっとまともなお食事が食べられるようになったのです。これ以上望むべくもないのですが、毎日同じつみれ汁ではお母さまに申し訳がありません。


 何か別のものを、多様性を持たせなくてはならないと思うのです。


 すぐ思い付くのはやはりお刺し身。生魚ボリボリ星人のわたし達には生食が一番肌に、もとい胃に合いそうではありますが、お刺し身は難しいお料理なのです。


 どの部位を、どんな大きさで、どのような切り方で仕上げとすべきか。一朝一夕で出来ることではありません。


 お刺し身が難しいのなら、汁物はどうでしょうか。具を変え、出汁を変え、試行錯誤の甲斐がありそうです。


 頭の中の記憶にはわたしの憧れがいっぱい詰まっているのですが、ここは冷静に目の前の現実と向き合い、実現可能なものをゆっくり探さねばなりません。しかし……、


 「うーん……」


 と思い出して、わたしは首を傾げます。


 お母さまが見せたあの不思議な力、不思議な石。あれは一体なんだったのでしょうか。よく分かりませんが、お母さまはあれからわたしの目の前でお料理をしてくれなくなったのです。


 わたしが石について尋ねようとすると、口元をもにょもにょさせて、聞いてはいけないような雰囲気を漂わせるのです。


 この世界の人間は嘘を吐くをしない、というより出来ないのです。それに、隠し事が超ド下手。


 しかし、お母さまに頭の中の記憶のことを言えなかったわたしには、それを聞く権利が無いように思えます。お母さまが教えてくれるまで、石のことはこれ以上詮索しないほうがよさそうです。


 わたしは傾げていた首を戻し、改めてお庭の周囲、その風景に目を向けました。


 わたしの住む海守の海屋敷はゼフィリアにある唯一のお山、その中腹に建てられています。


 視界の右手には南国らしい木々が茂るお山の斜面。左手の谷側には切り立った崖。目の前には石畳が敷き詰められた、広い広いお屋敷のお庭。


 お庭の入り口、そこには山から下りるための、長い長い階段があるのです。


 わたしが考えているのは、その階段のこと。


 わたしは生まれてから一度も、自力であの階段を上り下りしたことがないのです。


 膝の上、両手を結び開き確かめる、体の状態。数日前とはまるで違う、その実感。


 やっはり食べ物は凄いのです。毎日三食お腹一杯食べるようになってから、貧血のような立ちくらみはしなくなりましたし、お屋敷の中だけなら力尽きずに歩けるようになりました。


 このままお食事を続け、もっと体力が付いたら、あの長い長い階段を一人で下れるようになるかもしれません。


 自分の足で村に下りていけたら。わたしももう少し、この島に、この島の人たちに馴染めるかもしれません。


 そして、もしかしたら……、


 夕焼け空を仰ぎ、目を閉じる。

 瞼の裏で思い描くのは、わたしの憧れ、海守さん。


 風になびく銀髪。夕陽に照らされた小麦色の肌と、伸びやかでしなやかな筋肉。この世界の人間の、当たり前の姿。


 もしかしたら、いつかはわたしも……。


 わたしは目を開き、再び目の前の風景を眺めました。遠くの海に沈む夕陽。真っ赤な空を流れる、夕立を運ぶ雲。一日の終わりの景色。


 もうしばらくしたら、お夕食の時間。


 わたしの大好きな時間。


「ヘクティナレイア様!」


 突然お屋敷に響き渡った大声に、わたしは振り向きました。縁側からすだれを通して見えるお母さまのお部屋に、ふたつの人影が立っています。お母さまと、そしてもう一人。


 後ろでひっつめた白髪に青い瞳。

 風と水の紋様が入った胸巻と腰巻。

 とても背の高い、ゴリラよりもゴリラでゴリラな、快活な筋肉。


 海守のエイシオノーおばあさん。


 島ではめずらしい、老いを止めなかった人。


 この世界の女性は意識的に老化を止められる。「今かな」と決めた体の年齢で生き続けることが出来るのです。一度老いるのを止めてしまうと、二度と成長出来なくなってしまうそうなのですけれど。


 お母さまのお部屋、エイシオノーおばあさんは大きな声で、


「そりゃあね、気の毒だとは思いますよ。でも、無駄なもんは無駄なんです。これ以上はおやめになった方が。石にだって限りがあるんです」

「いえ、これは島のためにも必要なことだと判断しました」


 エイシオノーおばあさんは明るく元気で、ゼフィリア女性の見本みたいな強い人。そして、とても礼儀正しい人。海守さん達のやりとりを自室でずっと聞いていたので、わたしは知っているのです。


 そのエイシオノーおばあさんがお母さまに意見するなんて……。


 不安になったわたしは立ち上がり、縁側を渡ってお母さまのお部屋の前へ。すると、


「そろそろ皆に広めねばと思っていたところです。理解するにはまず実践。今日の夕食はエイシオノーに任せます」

「あたしにやらせていただけるんで?」

「はい。指示は私と、アンが出します」

「お嬢様が……?」


 すだれ越し、怪訝そうなお顔で振り向き、わたしに目を留めるエイシオノーおばあさん。わたしはエイシオノーおばあさんのお顔をまともに見れず、俯いてしまいました。


 お母さまはお部屋の中、ゼフィリアの女らしく自信マンマンに胸を張って、


「これはアンが考え付いたものなのです」


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