第35話 セレナーダとフェンツァイ(3)

 アルカディメイアはゼフィリア領。

 火込め石の優しい灯りに包まれた、島屋敷の大広間。


「紫の石の作り方、ですか?」

「その通り」


 対面に正座するフェンツァイさんのご用件に、わたしはこてんと首を傾げました。


 タイロンの島主候補であるフェンツァイさんがここゼフィリアの島屋敷を訪れた理由、それは紫の石の作り方をわたしに教えて欲しい、というもの。


 しかし、うーんと思います。


 初日の喧嘩で大公表してしまったとは言え、リルウーダさまからあの石は他の島の人に知られちゃ駄目ゾと言われているのです。あ、でもついさっき喧嘩で勝てるなら問題ないんじゃゾと言われたのでした。


 とすると大丈夫? うんん?


 わたしは困り果てつつ傾げていた首を元に戻し、隣に座るナノ先生に、


「ナノ先生、どうしましょう?」

「私に聞かれましても。そもそも、私は姫様がどのような石作りをなさるのか存じません」


 おや? とわたしは思い、


「ナノ先生はお母さまから何も聞いていないのですか?」


 肉のことも含め、お母さまはわたしがどんな人間であるか、ナノ先生にちゃんと伝えてくれた筈なのです。


「ヘクティナレイアからは、何だかよく分かりませんが見ていると不安になる石を作る、と聞いておりました」

「うぅわ、ぐんにゃり」

「あとは、スライナが何となくいい感じに元気になったとか何とか」

「うぅわ、ふんわり」

「ヘクティナレイアですから……」


 大きなため息を吐き、眉間のシワを深めるナノ先生。心中お察しいたします。


 ナノ先生は気持ちを切り替えたように顔を上げ、


「そもそも、それは人に教えられるものなのでしょうか?」

「極紫の命石の作り方ですか? うーん、ちょっと難しいと思います」


 わたしが言った途端、大広間の時間が停止してしまいました。


 フェンツァイさんもナノ先生も、お顔だけをわたしに向けたまま、動きません。どうしたのでしょう。


 やがて、ナノ先生がその唇を震わせながら、


「姫、様……。今、なんと……?」

「紫の石の名前です。わたしはかなめ石と呼んでいたのですが、正式なお名前は極紫の命石というらしいのです」

「よもや……!」


 その目を大きく見開き、片手を床に突いてナノ先生は前のめりに。


 え? え?


 ナノ先生の驚きっぷりにわたしは狼狽、大混乱です! 何か問題があったのでしょうか!? もしや、名前すら言ってはいけないものとかだったんです?!


「やはり極紫……!」


 その声、その気配にビクッとし、わたしはフェンツァイさんに視線を戻しました。


 膝の上、固く握られた両拳。

 全身から放たれる、物凄い圧。


 これは歓喜。


 えー、この世界の人間らしいフェンツァイさんの獰猛な笑顔に、わたしはちょっと、引く感じ?


 よく分からないわたしが怯えていると、ナノ先生がスパッと立ち上がり、


「フェンツァイ様、本日はお引き取り願います。我々ゼフィリアはあなた達の思想には賛同しかねる、分かっている筈ですね」

「それは勿論」


 何が何だかよく分からないわたしを置いてけぼりに、フェンツァイさんはお行儀よく立ち上がり、丁寧にお辞儀。


 それから、すだれに手を掛け、熱のこもった瞳でわたしを振り返り、


「それでは、ゼフィリアのアンデュロメイア姫よ。今日はこれで失礼させていただく」


 よく分からないまま、わたしは小さく手を振り、


「あ、はい。またどうぞー」







 小麦色の指で広げられた、すだれの隙間。

 大広間の廊下側、ひっそりと立つナノ先生。


 フェンツァイさんが自領に戻ったのを確認していたのでしょう。ナノ先生は右手で風込め石を作り出し、周囲の空気を操作しました。防音壁です。


 とても手際のいい石の繰り方で、ナノ先生も相当な使い手のご様子。


 わたしが感心していると、ナノ先生はこちらに戻り、背すじを伸ばして座りました。わたしもナノ先生の方に体ごと向き直り、きちんと正座。


 ナノ先生は未だ警戒したような声音で、


「姫様、率直にお聞きします。石の色が変わることは稀にございますが、その形はどのようなもので?」

「形ですか? こんな感じです」


 わたしは両手を合わせ、その間にかなめ石を作り出しました。それは胸の前に浮かぶ、ほんの少し縦に長いひし形の石。


「これは、まさに……! 姫様、極紫の命石は男の石。女性である姫様が何故このような石を作れるように?」

「極紫の命石は男性の方が作るものなのですか?」

「私の知る限りでは、そうです」


 そういえば、わたしはこの世界の男性の石作りについて、何も知らないのでした。


 蔵の記録にはありませんでしたし、男の人が石作りをする姿をあまり見たことがなかったのです。ソーナお兄さんと、あとはあまり思い出したくありませんが、クーさんでしょうか。


 わたしはかなめ石を消去し、口元をむにゃむにゃさせながら、


「ナノ先生、すみません。わたしにも分からないのです。必要だから作れるようになった、としか……」

「その紫の石の作り方を人に伝えることは可能なのですか?」


 何か焦ったような感じのナノ先生に、わたしは更に口元をむにゃむにゃさせ、


「ちょっと難しいかもしれません。イーリアレにも試してもらったのですが、作り方を説明しても上手く作れないようでした」

「やはり個人により適性がある、ということなのでしょうか」

「うーん……。ナノ先生は石を作る時、どのような言葉を込められますか?」

「言葉、ですか? 姫様は言葉で縛り、石を練っているので?」

「大抵はそうです。言葉の精度にもよりますが、出力や安定性は殆どこれで調整します」

「なんと……」


 ナノ先生の驚いたようなお顔から、わたしはあることを推察しました。やはりわたしのやり方はあまり一般的ではないようです。


「言葉が最も効率的で、その情報量を多く詰め込めるのです。逆に、込める言葉を最低限にした場合、複数生産に向き、しかもその性能が均一、というより同一化されます」

「なるほど……」

「問題はそこからなのです。言葉を数字などに置換して、ある特定の組み合わせで繰り返したり、複合的な働きをひとつの数式に置き換えたり、情報の圧縮が出来ねばかなめ石は作れません。更に、扱う際には使用者の思考速度も関係します」

「数字とは、ヴァヌーツを参考になさったのですか?」

「ヴァヌーツ? いいえ、ナノ先生。これはわたし独自の考えでした」


 聞けばヴァヌーツの人は数字が大好きで、石には数列や数式を仕込むのが当たり前なのだとか。


 そのお話を終えたナノ先生は、少し食い気味になり、


「紫の石、その働きについて、詳しくお聞きしたいのですが」


 わたしは、「はい」と頷き、


「ひと言で言えば、制御です。わたしが脳に保存した思考を引き出して石を作らせる、わたし自身の制御。そして作られた石を様々な論理設計図に基づき操る、石の操作。それがこの石の機能です。そして、この石と繋がり生み出された石は一部の性能が飛躍的に向上します。精密動作性の向上、操作距離の延長。そして、ある程度ならば自律して働かせることも可能です」


 更に、わたしはスライナさんの体を治した原理についてもその詳細を伝えました。説明を聞き終えたナノ先生は、信じられないといったふうに首を振り、


「驚きました。姫様の石作りは練達の粋を超えております。確かに、常人には作り出すことは不可能。そもそも石の作り方など人から教えられて身に付くものではありませんし」

「やはり、そうなのですか……」


 ナノ先生の反応に、わたしは確信めいたものを抱きました。


 ここアルカディメイアでも石作りの教育はないのです。見て覚えろ、感じて盗めが基本なのです。そこに言葉を挟むということを、この世界の人は殆どしないのです。


 わたしがゼフィリアで抱いていた懸念は、的外れではありませんでした。


 ナノ先生は、突然考え始めたわたしを前に、


「なにか……?」

「いえ、何でもありません。しかし、なるほどです。この石のことを知ってるっぽかったのは、男性であるスナおじさまなのです」

「パリスナはその石に関して、姫様になんと?」

「スナおじさまですか? この石で他人の石を操ろうとしてはいけない、と」

「人の石を、操る……!?」


 信じられない、というようなお顔で立ち上がるナノ先生。そして口元を押さえ、よろよろと力無くその場に膝を突き、


「まさか、極紫の命石がそのようなものであろうとは……」


 しばらく愕然としたような感じでがくーんとしていたナノ先生ですが、突然わたしの両手を取り、ぎゅっと握り、


「姫様。紫の石ですが、伝授不可能ということで各島に通達致します」

「は、はい、ナノ先生」


 ナノ先生はめっちゃめちゃお真面目なお顔で、なので、これはとても大事なことなのでしょう。かなめ石、極紫の命石は今まで使ってきた感じですと、危険なものではない筈なのですが……。


 しかし、お母さまに言われた通り、わたしはいけないことはしないのです。だから、海に入ったりとかもしていないのです。


 ナノ先生はわたしの両手を更にぎゅぎゅーっと握り、


「アルカディメイアには世界中の島から様々な人間がやってきております。そしてこの世界の島々、その思想は一枚岩ではございません。極紫の命石に関しましては、姫様も充分注意なさいますよう」


 アルカディメイアはゼフィリア領。

 バターと紅茶の香りがほんの少し漂う大広間。


 火込め石の明かりが灯る夜の時間。


 わたしはキリリとお真面目な顔をして、


「はい、ナノ先生! よく分かりませんが分かりました!」


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