第67話 ノイソーナお兄さんの約束(1)
「姫様、ふしだらな男に対する苦情が届いております」
ゼフィリア領の島屋敷。
ひと晩明けた大広間。
文机に向かい講義の準備をしていたわたしのところに、玄関口で応対していたナノ先生が戻り、言いました。
「それは、ゼフィリアの男性がアルカディメイアに来ている、ということでしょうか。お母さまから何か連絡が?」
「いえ、何も……」
ふるふる首を振るナノ先生に、わたしは首を傾げ、
「更にふしだらとはどういうことでしょう?」
「ゼフィリアの男性であることが既に問題なのでしょう」
重ねて分からなくなったわたしに、ナノ先生は疲れたご様子で、
「つまり、はち切れんばかりの見事な筋肉にもー辛抱たまらんばい、ということです」
わたしは傾げていた首を戻し、なるほど理解。
ゼフィリアには男性ホルモンがムッチムチに詰まったまさしく男!といった人ばかり。この世界の社会は女性中心で、そんな男性が出歩いていたら風紀的な乱れに感じてしまうのでしょう。
ナノ先生が文机の上に二つ折りの紙を並べ、わたしはそれらを一通り検め、
「タイロンがありませんね」
「タイロンですから」
流石、外見はおすましお姉さまなのにお脳がおピンク集団。正直なことです。
「では、確認しに行って参ります」
「あ、ナノ先生」
早速といった感じで玄関に向かうナノ先生を、わたしはつい呼び止めてしまいました。
わたしの頭に一瞬よぎる、二人のお顔。修練場側のすだれの向こう、ゼフィリア領の海岸。浜辺に座るふたつの影。
ロシオンディラさんとエレクシシーさん。
今朝、他領から戻ったお二人はスナおじさまのお話を聞き、ふさぎ込んでしまったのです。無理もありません。正直、わたしも自分の感情とどう向き合ったらいいのか分からないのです。
しかし、そのことでわたしたちが日常をないがしろにしてしまってはいけません。ナノ先生のことも心配だったのですが、どうやら大丈夫そうです……。
「何か?」
不思議そうに聞き返すナノ先生を見上げ、わたしは努めて平静を装い、
「いえ、ちょうど、講義の予定を確認しに行くところだったのです。看板前にはわたしがまいります」
講義棟前広場に着くと、そこには異様な光景が広がっていました。
抜けるような青空の下、大きな広場でお食事をしている各島のお姉さまたちの姿。自前で用意したのか、机と椅子がずらっと並び、まるで頭の中の記憶の野外レストランのようです。
お姉さまたちはみなもの凄いお淑やかに、そして鼻血を流しながら心ここにあらずといった表情でうっとり口を動かしています。
これは一体どうしたことか、とわたしがイーリアレの背からもう一度広場を見渡すと、看板近くにその原因をあっさり発見。その原因はわたしたちの姿に気付き、
「よーお、イーリアレ。姫さんも」
「ソーナお兄さん! どうしてここに!?」
長い銀髪に緑色の瞳。
小麦色に輝くテッカテカの肌。
大きな背丈にムチムチ筋肉を詰め込んだド筋肉。
シオノーおばあさんのお孫さん、ノイソーナお兄さん。
アルカディメイアに来て既に半年以上。ソーナお兄さんの懐かしい姿に、思わず涙ぐんでしまいます。
そんなソーナお兄さんはたくさんのお姉さまに囲まれ、筋肉的料理の真っ最中。石で出来た調理台の向こうに積み上げられているのは沢山の袋や瓶。ゼフィリアから粉や醤、油を持ち込んできたのでしょう。
ニコニコ笑顔で料理をするソーナお兄さんを見て、わたしは納得。
ゼフィリアの男性の服装は前垂れのある細袴オンリー。つまり、調理台を挟むと裸の上半身しか見えないのです。これでは全裸の男性が食事を作っているようにしか見えません。
たしかにふしだら? なのでしょうか? それに、作業する男性の手元に異様な執着を示す女性は多いと聞きます。フェティシズムというものでしょうか。
「島から色々持って来たんだ。姫さんたちも食うだろ?」
「いえ、ソーナお兄さん。何故ここでお料理を?」
ソーナお兄さんのお誘いでめちゃんこ嬉しそうになるイーリアレを抑え、わたしは質問。ソーナお兄さんは超速で手を動かしながら、ニコニコお話してくれました。
アルカディメイアに到着し、まず人の多さに驚いたソーナお兄さん。特に目を引いたのが看板前の人だかり。何故こんな一ヶ所に人が集まっているのか、よく分からなかったソーナお兄さんはアルカディメイアのお姉さまたちにこう尋ねたのだそうです。
『何があったんだ? 大丈夫か? 腹減ってないか?』
女性や子供を見かけたらとにかくそう声を掛ける。それがゼフィリア男の習性。お姉さまたちはお姉さまたちの方で、男性が食事をふるまってくれると言うなら断る理由がありません。
そんな訳で、お姉さまたちは急遽お食事会を始めてしまったぽいのです。
「ソーナお兄さん。ここはそういうことをしてはいけない場所なのです」
「ええ、なんでさ?」
事情を知ったわたしは大焦りでソーナお兄さんに説明。もしかしたら講義をする筈の学生が休講し、ここに混じっているかもしれないのです。ていうか確実にそうでしょう。
ゼフィリアが原因でアルカディメイアの活動が麻痺してしまったのは年度初めのわたしに続きこれで二度目。これは朝イチで苦情が来るわけです。
わたしの話を聞いたソーナお兄さんは、酷く驚いたお顔をして、
「あー、そうだよな。ここにゃみんな勉強しに来てるんだもんなあ。すまねえ、もうたたむからよ……」
「えっ……!?」
「そ、そんな……」
がっくりうな垂れるソーナお兄さんの姿に、順番待ちのお姉さまたちが絶望したような表情を浮かべました。
「ソ、ソーナお兄さん! 今並んでいるお姉さまたちの分は作ってあげてください! わたしは講義予定を写すので、それまでの間に!」
「そうかい? あいよお!」
わたしのフォローにお姉さまたちはほっとしたお顔になり、ソーナお兄さんは笑顔でお料理再開。そして、わたしが講義を写すのとほぼ同時にふるまいを終えるソーナお兄さん。筋肉。
「すまねえな。俺あその、何も知らなくて……」
「お気になさらず、よい息抜きになりました」
心底申し訳なさそうに謝るソーナお兄さんに、お姉さまたちはおほほと笑い返しました。総員鼻血。
ですが、お食事を終えたはずのお姉さまたちは一向に立ち去る気配がありません。お姉さまたちの視線はソーナお兄さんにずっと釘付けなのです。
ソーナお兄さんの見事な背筋やお尻にビシビシ刺さる事実肉食獣な視線。そう、ゼフィリアの男性の履く細袴は横にスリットのような切れ込みがあり、歩くと、その、横尻がチラッチラッと見えてしまうのです。
わたしは戦々恐々としながらソーナお兄さんを急かして荷物を担がせ、島屋敷に秒で移動。筋肉。
「ノイソーナ、あなただったのですか」
「ナノ婆ちゃあん! 久しぶりだあ!」
玄関口に出てきたナノ先生を、ソーナお兄さんは爆速で捕獲。ナノ先生はものっそいウザそうにソーナお兄さんの頬を押しのけながら、
「それで、ノイソーナ。アルカディメイアに何の用です?」
ソーナお兄さんはナノ先生と荷物を下ろし、ゼフィリアの男性らしい朗らかな笑顔で、
「あー、スナさんとの約束だあ。ここの夜は俺が見張るってよお」
『やはりパリスナも男じゃのう。肝心なことを伝えずに逝ってしまうとは……』
島屋敷の大広間。
わたしたちゼフィリア女性陣は全員で音飛び石を囲み、座っています。
ソーナお兄さんがスナおじさまとした約束。それは、ソーナお兄さんがアルカディメイアの夜を一人で守る、というもの。
男なら生まれた島を守るのが当然。慌て悲しんだわたしたちはこのことを真っ先にお母さまに報告したのですが、通話の途中でシオノーおばあさん割って入り、
『よく分かりませんが、ノイなら大丈夫ですさね! 何てったってあたしの孫で、ゼフィリアの男なんだから! あの子なら立派に務めを果たすでしょうよ! あっはっは、フィリニーナノ! ノイにゃ徹底的に料理を仕込んだんだ、たっぷり孝行されるといいよ!』
と、超絶明るいゴーサインを出してしまったのです。
『流石ゼフィリア、動きが早い。ありがたいが、考えもんじゃな』
強き者は弱き者に与えて当然。アルカディメイアに夜を守る男を送るのは序列第一位のアーティナであるべき。そう考えたリルウーダさまは身寄りのなく、かつ海に向かうようになった男性を探し、その準備をされていた最中だったそうで。
しかし、そこに待ったをかけたのがアーティナの一部女性たち。
アーティナの男性は最近泥を卒業し、人間になれたのです。だったら、まあ、夫にしてあげないことも、ない? そう悩んでいた女性はそこそこいたのだとか。
しかし、アルカディメイアを守ることになったら真っ先にその人が死ぬことになる。そうなる前にと、その女性たちが一斉にプロポーズに走ったのだとか。
そんな訳で、アルカディメイアを任せる男性を選んでいたら、アーティナで数組の夫婦が誕生しました。
「あの、リルウーダさま。そこんとこちょっと詳しく」
「姫様、趣味がわるうございますよ」
うっかり喰い付いてしまったわたしに、ナノ先生のきつーいご注意。
反省したわたしは小さくなりなりながらも、気になって仕方がありません。だって、「行かないで!」と疾走からの抱擁とか悶絶燃えるじゃないですか! ロマンス!
『本人の意志なら仕方がないが、こちらにも通すべき筋がある。ノイソーナを呼んでまいれ』
「ありがとうございます、リルウーダさま。イーリアレ、お願いします」
「はい、ひめさま」
リルウーダさまの凛としたご命令に、わたしたちは心底安心しました。
アーティナには申し訳ないのですが、ゼフィリアは世界で一番人の少ない島。スナおじさまのことを考えれば、ゼフィリアの世界に対する貢献はもう充分なのです。
イーリアレがソーナお兄さんを呼びに行くと、修練場のすみっこで寝ていたソーナお兄さんは一瞬で音飛び石の前に移動のち胡坐。そして、
「アーティナのウーダ婆ちゃん!? ウーダ婆ちゃんと話せんのか!? 久しぶりだあ! ウーダ婆ちゃんは腹減ってないか? そうだ、アーティナの奴らに言って食いもん届けさせよう! あいつら最近張り切っててなあ、色んなもん試してんだわ! あいつらに言やあうまいもんたっくさん持ってくと思うからよ! ウーダ婆ちゃんは酢漬けが好きなんだっけか?! すぐゼフィリアの奴らに仕込ませっからよ!」
『え? あ、おう。そっちも元気そうで何よりじゃ。あと男は呼ばんでいい、絶対呼ばんでいい』
超絶早口になってはしゃぎまくるソーナお兄さんに、リルウーダさまは引き引きで応答。ですが、ソーナお兄さんが食べ物を話を続けると、『それはうまいものかの?』と段々ノリノリになっていき、
『ほうほう、それは興味深い!』
「ウチの婆ちゃんがなあ、ウーダ婆ちゃんに食わせたいもんがあるってよお! 近々そっちに行くって言ってたわ!」
『ほうほう、それは楽しみじゃ!』
ワクテカしていくリルウーダ様の声音に、わたしたちゼフィリア女性陣はズンズン強張っていきます。わたしたちが、「はよせんかい」という刺すような目線を音飛び石に向けていると、リルウーダさまはそのギシギシを感じ取ったのか、
『の、のう、ノイソーナや。アルカディメイアにはアルカディメイアの決まり事がある。お前さんはゼフィリアに戻ってくれんかの?』
「そりゃダメだ。スナさんとの約束だからな」
先ほどまでの勢いは何処へやら、ソーナお兄さんはキパッと話を打ち切ってしまいました。そして、「ほいじゃ、俺はもう寝るわあ」と立ち上がり、のしのし修練場へ。
すだれの向こうから入ってくる、のどかな風。
しーんと静まり返る、島屋敷の大広間。
『す、すまなんだ……』
「ゼフィリアの男は一度決めたことを絶対に曲げません。仕方がないでしょう……」
立つ瀬が無くなったリルウーダさまのお声に、ナノ先生は眉間にシワを寄せて頷きました。ディラさんはため息を吐き、シシーさんは涙ぐみ、イーリアレはいつも通りの無表情です。
わたしは音飛び石に向かい、口元をむにゃむにゃさせて、
「しかし、リルウーダさま。もしもの時はどうしましょう?」
わたしの言うもしもの時。そう、ソーナお兄さんが約束をしたお相手は誰あろう、スナおじさまなのです。だとすれば、ソーナお兄さんは……。
音飛び石の向こう、リルウーダさまは消え入りそうなお声で、
『もしそうだとしたら、なおさら儂らには口出しできん。それこそノイソーナに任せる他あるまいよ……』
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