第68話 ノイソーナお兄さんの約束(2)

「こんにちわ、アンデュロメイア様」

「ちょりっす」

「ホウホウ殿、レンセン殿!」


 ゼフィリア領の島屋敷。

 リルウーダさまとの通話を終えたお昼過ぎ。


 来客の声で玄関口に出てみると、そこにはタイロンのかわゆいお二人のお姿。


「きょ、今日はなんの御用でしょう!?」


 腕にからみつく金髪を背中に流し、わたしは慌てながらも最上級の笑顔でお出迎え。ホウホウ殿レンセン殿とお会いするのは久しぶりで、ちょっぴり嬉しかったりするのです。


「ソーさんがこちらに来ている筈なのですが」

「ソーさん? あ、ソーナお兄さんですか。どうぞ、裏庭の方へ」

「ありがとうございます」


 島屋敷を抜け、わたしは修練場にお二人をご案内しました。来客の報を告げると、ソーナお兄さんは大きな体をむくりと起こし、


「おう、ホウにセンじゃねえか。しばらく見ねえうちにでか……くはなってねえな。どしたい?」

「ソーさん、来てるならひと言くださいよ」

「ああー、すまねえ。アーティナの連中にゃ伝えた筈なんだがなあ……」


 腕を回し肩を鳴らし、ソーナお兄さんはあくび混じりで笑いました。その肩から引っ掛けられているのは、ポンチョのようなえんじ色の羽織。


 わたしたち的には島屋敷でゆっくり体を休めて欲しいのですが、ソーナお兄さんは女衆に遠慮し、こうして修練場のすみっこで寝ているのです。そんなソーナお兄さんに、せめてこれをとナノ先生が作ったもの。


 羽織に付いた砂をぱっぱと払うソーナお兄さんに、ホウホウ殿とレンセン殿は何かを渡しました。


「なんでしょう?」

「石の添削です。ソーさんに石を見てもらおうと思いまして。ソーさんは人に教えるの上手なんですよ」


 疑問に思ったわたしが聞くと、ホウホウ殿はかわいく返答。なるほど、男性同士で石の指導みたいなことをしていたとは驚きです。


 ソーナお兄さんはレンセン殿に渡された石をためつすがめつして、


「んあー、センよ。お前これ、水込め石にしちゃ遊びが無さすぎねえか。氷作るにゃいいかもしれねえが。ちょっとはがね見せてみろ、どんなんでもいいから」


 言われたレンセン殿がはがね石を作り、ソーナお兄さんに渡すと、


「ああ、やっぱりな。すげえ密度だ。しかも中心が巻いてやがる。こりゃ一度デン爺さんに伝えにゃあ」

「お、やりー」


 続いて、ソーナお兄さんは手の平の上の石をちゃりちゃりさせ、


「ホウの方は、またこりゃあ面白い仕上げしてやがる。水込め石もはがね石も殆ど同じ作りじゃねえか」

「アンデュロメイア様の発想を生かしてみました」

「姫さんの石ってなあ、言葉で縛るやつだろ。ありゃ機能性を同一させんのに向いてんだ。しかし、こりゃあコトだな。もしかすると、もしかするってやつだ。かもだぞ。しばらく両方同時でやってみな。上手くいくかもしんねえ」

「分かりました」


 石の作りについてなにやら話し始めるお三方に、わたしは興味津々です。口伝とは違いますが、ソーナお兄さんはある意味で石作りの教育をしているのですね。


 それにテーゼちゃんは別格として、わたし以外で石の組成を深く読み込む人に初めて出会ったのです。ていうか、こんな身近にいたとは思いませんでした。ソーナお兄さんはやはり頭のいい人です。


「ありがとう、ソーさん」

「あざっすー」

「おお、また何かあったら呼んでくれや」


 そんな感じで、お二人は相談を終えたようです。ホウホウ殿はくるりとわたしに向き直り、丁寧にお辞儀をして、


「お邪魔致しました、アンデュロメイア様。次の講義には必ず出席いたします」

「ほいじゃねー」

「はい、またよろしくお願いします。ホウホウ殿、レンセン殿」


 小さく手を振り、わたしはお二人をお見送りしました。お二人は修練場を抜け、そのまま砂浜へ。多分、あのまま海岸沿いを一周してタイロン領へ戻るのでしょう。


 お二人の姿が見えなくなると、ソーナお兄さんは腰を屈め、わたしの髪を大きな手でくしゃくしゃにして、


「すげえじゃねえか! 姫さんはよく見てる、よく勉強してんよ! ああ、大したもんだあ!」

「あ、ありがとうございます……」


 わたしは頭を撫でられながら、心の中である決心を固めました。近くにいるなら、話せるなら、もう機会を逃してばかりではいられないのです。


「あ、あの、ソーナお兄さん。お願いがあるのですが」

「何だい? 姫さん、何だって言ってくれや」


 わたしは立ち上がったソーナお兄さんを見上げ、


「ソーナお兄さんの作る石を、私の前で見せてくださいませんか?」







「どうすっかなあ……」


 大きな雲が浮かぶ青い空。

 茶色い砂浜の向こうに横たわる、濃紺の海


 修練場の中心で腕を組み、ソーナお兄さんは右に左に、首を傾げ続けています。わたしのお願いを聞いたソーナお兄さんは、腕を組んでお悩み状態に突入してしまったのです。


 先ほどリルウーダさまとお話した、もしもの時のこと。そう、ソーナお兄さんが五海候であるかどうか、その見定めをせねばならないのです。


 それに、これは独創的な石作りを知るためのまたとない機会。男性の、しかも五海候の作る石となれば、これ以上の参考ありません。


「イーリアレ、もしもの時はお願いします」

「はい、ひめさま」


 わたしの隣、イーリアレが無表情で頷きました。クーさんの時のように気を失ってしまうかもしれない、その用心のため、イーリアレにはわたしの傍に控えてもらうことにしたのです。


 わたしがドキドキしながらその時を待っていると、


「まあ、空に向けりゃ大丈夫だろ。ほいじゃあ、姫さん。見ててくれな」


 そう言って、ソーナお兄さんが背を向けた瞬間、


「え……?」


 目の前で起きた現象が理解できず、わたしは固まってしまいました。ソーナお兄さんが一体何をしたのか、そのことを把握するまで時間が掛かってしまったのです。


 あまりにも自然で、あまりにも有り得なくて、現実感が全く湧かないその光景。


 ソーナお兄さんは、ただ無造作に右手を挙げただけ。


 それだけで、まるで描かれた絵が消えるように、空に浮かぶ雲が全て消えたのです。


 ソーナお兄さんがゆっくり振り返ると、右手の平に青緑色の透明な石が浮かんでいました。それはまるでゼフィリアのエメラルドグリーンの海のような、きれいな石。


 その石を纏うソーナお兄さんの印象。いつもの優しげな表情が消え失せた、感情の無い、石のような相貌。


 意識が無い。心が無い。何も無い。


 ただ石を使うためだけの、人型の化け物。


「ひぐっ……!」


 その姿を前に、わたしは突然呼吸が出来なくなり、首を押さえて石畳に倒れこんでしまいました。


「ひめさま、だいじょうぶですか? ひめさま?」

「分か、りません。こ、怖くて、苦、しくて……」


 イーリアレが焦ったような雰囲気でわたしをかばうと、ソーナお兄さんは落ち着いた様子で膝立ちになり、


「凄えな、姫さんは。スナさんが言ってたな、あー、なんだっけか。そう、読解力だ。高え読解力がアダになってんだ。こりゃちょっと、切っ掛けが要るなあ。切っ掛けっつっても、ただの言葉なんだが……」


 ソーナお兄さんは大きな左手で頭をかいて、


「いいか、姫さん。俺らの石はな、人のためのもんじゃねえ。シグドゥを潰すためのもんなんだ」


 その言葉を聞いた途端、わたしの体の震えがぴたりと止まりました。腑に落ちる、というのでしょうか。恐怖の原理を理解したから、もう怖くなくなったのです。


 震えの治まった体で、わたしは改めてソーナお兄さんの石を観察しました。


 今までわたしが見て触れてきた石は人の生活に役立つもの、人を活かす石でした。でも、男性の作る石はそれとは違うのです。


 たったひとつの目的のため、男性は自分の意識を一色に塗りつぶし、その全てを石に込める。それはどこまでも純粋な、心の形。


 言うなれば、兵器。


 それも明確な殺意が込められた必殺兵器。この世界の人間に本来備わっていないはずの殺意という感情に、わたしの体が、わたしの頭の中の記憶が警報を鳴らしていたのです。


 同じ武器でも女性が作る対翔屍体用の得物とはその根幹が違う。わたしたち女性とシグドゥに向かうようになった男性の意識は、全く違うものなのです。


 その証拠が、あの雲。


 リルウーダさまは極紫の命石を人の道を外れた石と言っていましたが、その通りだったのです。シグドゥと戦うためには、人をやめなければならない。人の枠から外れなければ、それは成せない。


 これは真似できない。絶対に真似してはいけないもの。


「こりゃ凄え。やっぱ姫さんは頭ん中が俺らに寄ってんだあな」

「ひめさまはあたまがおかしいのです」


 無表情で感心するソーナお兄さんに、イーリアレが無表情で答えました。ソーナお兄さんは手の平で巻く白い燐光に視線を落とし、


「至透のちぎり石っつーんだと。スナさんが言うには、コイツと俺の肉は相性がいいんだとさ」


 そう言ってソーナお兄さんが石を握り締めると、ちぎり石が手の中に吸い込まれていきました。やはり、スナおじさまはソーナお兄さんに技を伝授し終えていたのです。


 いつもの優しい表情に戻ったソーナお兄さんに、わたしはこくりと頷き、


「ありがとうございました。ソーナお兄さん……」

「大丈夫かい? 役に立てたんなら何よりだ」


 わたしがイーリアレに支えられながら立ち上がると、ソーナお兄さんはにっこり笑い、それから修練場のすみに向かって歩き始めました。


 長い銀髪に緑の瞳。

 えんじ色の羽織に細袴。

 小麦色の肌にムチッと筋肉を詰め込んだド筋肉。


 ソーナお兄さんの揺ぎ無い足取り、とても頼りがいのある大きな背中。


 ですが、その大きな背中を見て、わたしはとても複雑な気持ちになったのです。







 その朝は、唐突にやってきました。


 空が白み始めたばかりの、まだ太陽が昇りきっていない時刻。


 薄暗い島屋敷のお部屋で、わたしは飛び起きました。すぐさまイーリアレの体を揺さぶり、


「イーリアレ、起きて。起きてください」


 直感。


 一度その状況を体験し、感覚が鋭くなったのでしょう。とにかく、わたしは気付いてしまったのです。


 そう、血の臭いに。


 起床したわたしがすだれをくぐり外に出ると、


「おひゃようございます、ひめしゃま。どうしゃれたのれすか……」

「ナノ先生を起こしてきてください、お姉さんたちも。急いで。縁側の魚は厨房にお願いします」


 縁側の上には、いつも通り盛り沢山な海産物。


 イーリアレに指示を出し、薄暗闇に目を凝らすと、海へと続く大量の血痕が見えました。わたしは修練場に下り立ち、慌てず急がず、石畳を濡らす大量の血を目印に、その跡を追い続けます。


 血溜まりの行き着く先は、海岸北の大きな岩場。わたしが岩陰から覗くと、そこには胡坐をかいて俯いている、一人の男性。


 ノイソーナお兄さん。


 全身血塗れ、ナノ先生が作った羽織もボロボロで、ピクリとも動きません。


 わたしは砂浜に染み込む大量の血に構わず、ソーナお兄さんの顔に耳を近づけました。微かにですが、確かに聞こえる呼吸音。


 続けてソーナお兄さんの背後に回り、傷を確認。全身至るところ傷だらけですが、特に目を引くのが左肩から右脇腹に刻まれた、深い裂傷。ピンク色の肉の向こうにところどころ白い骨が覗く、酷い傷。


 わたしは急ぎ、落ち着いて石を作り出しました。まずは傷を洗い流す、清潔な水を生み出すための水込め石。


 肌に張り付く羽織を剥ぎ取り、わたしがソーナお兄さんの体から血と潮を洗い落としていると、


「姫様、これは……」

「ソー兄ちゃん……!」

「静かにしてください。処置中です」


 駆け付けたお三方は、岩場の惨状を目の前にして固まってしまいました。当然でしょう、この世界の人間は怪我とは無縁の生き物なのですから。


「すま……ねえな……、姫…さん……。ありがと…なあ……」

「生きて、帰ってこれたのですか。ノイソーナ……」


 流石ナノ先生。現実の受け入れ、理解が早くて助かります。そして、ソーナお兄さんの意識があることに、わたしはひとまずほっとしました。


 それに、ソーナお兄さんの傷はあの日のスライナさんよりずっと軽傷で。きっと、この強さがソーナお兄さんの、五海候であることの証明なのでしょう。


「婆ちゃ……、すまね…なあ……。上着、やぶれ…ち……」

「気にすることはありません、ノイソーナ。衣ならいくらでも作れます」

「大…丈夫だ……。俺が…いるから、この島は、だい…じょうぶ……」

「ノイソーナ……。ノイソーナ……!!」


 ソーナお兄さんにすがり付こうとするナノ先生を、わたしは落ち着いてステイさせ、


「ごめんなさい、ナノ先生。ディラさんシシーさん、ナノ先生をお願いします。それと水と食事の用意を。ソーナお兄さんが動けるようになったら、すぐ補給できるように」

「うん、姫さまあ」

「姫さま、あんたは……」

「生きています。ソーナお兄さんは、まだ生きているのです」


 ソーナお兄さんの体に刻まれた夥しい数の傷、その光景に重なる、かつてゼフィリアで目にしたクーさんの背中。


 生きるに任せ死ぬに任せる。傷で死ぬなら仕方ない。治るに任せて放置する。それがこの世界の男性なのです。


 そして、それがこの人たち男性の矜持なのだとしたら、わたしはその境界に土足で踏み入らせていただきます。


 わたしは石を生み出しました。両手を開き、必要な数だけ。


 かなめ石を一、気込め石を十八。わたしの指示で宙に浮き上がり、岩場を埋め尽くす白い石。


 展開、解析、構築開始。


 わたしは胸の前に浮かぶ紫の石に意識を集中させ、


「仕方がないなんて言葉では、絶対に済ませません」


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