第39話 アーティナ領の一日(2)

「あの、いかがでしょう」

「ちょっと黙ってて」


 石の柱、石の床。

 石の机、石の椅子。


 全てが石で作られた、真っ白な空間。

 沢山の机や椅子が並べられた大食堂。


 ナーダさんは丸い机の向かいに座り、目の前に置かれた白い石に手をかざし、中身の情報を読解しています。


 ナーダさんが読んでいるのはわたしがゼフィリアでまとめた研究。そう、講義計画書です。


 ナノ先生に聞いたところ、ナーダさんは講義でも優秀な、というよりトップの成績を修めているそうなので、わたしの一年間の計画に無理が無いか見てもらうことにしたのです。


「ルーデ」


 情報を読み終えたのでしょう、ナーダさんが隣に座るレイルーデさんの前に石を移動させました。「ありがとうございます、殿下」と今度はレイルーデさんが石を読み始めます。


「ふぅ……」


 軽く息を吐き、ナーダさんが右手の砂込め石を操作。すると椅子が変形し、背もたれが深い形に。ナーダさんはその椅子に体を沈みこませ、


「思想書、いえ、調査報告書に近いのかしら。情報が言葉と数字だけだから読みやすかったけど、凄い密度だったわ……」

「殿下、これは……」


 石を読んでいたレイルーデさんが眉根を寄せると、ナーダさんは、


「そうよ、これは生活用石作りの基礎教育過程。その草案ね」

「はい、その通りです」


 わたしはこっくり頷きました。


 ナーダさんは半身を起こし、右肘を机に乗せ、


「メイ、水込め石を作って見せて。あなたの研究通り、きちんとその組成を添えて」

「は、はい。水込め石、飲用、球形にて生産、石直上に浮遊」


 言われた通り、わたしは右手で石を作成。わたしの手に生まれた石を見て、ナーダさんが即座に石を作り上げます。一瞬遅れてレイルーデさんの右手にも。


「全く同じ、という訳にはいかないわね。ルーデは?」

「私もです。ですが、まだ余力が残っています。これはこの研究書通りかと。しかし……」


 レイルーデさんは更に眉根を寄せた難しいお顔で、


「生活に使う石の組成を明確に提示されたのは初めてです。しかも、それを他人に伝えるなど思いもよりませんでした」


 その反応に、わたしはやはり、と思いました。


 石の機能は読める。しかし、その石がどうやって作られたのか、その製法まで読む人は少ないというわたしの懸念は的外れではなかったのです。


 頭の中の記憶の世界では人の機能の延長として、様々な道具が作られていました。自動車や電子機器など、生活を便利にするもの。しかし道具を使い方を知っていても、その道具の仕組みを理解している人は少ない。これはそれと同じこと。


 そしてわたしは更にやはり、と思います。


 ナーダさんやレイルーデさんはわたしやナノ先生に近い人間、つまりこの世界における非脳筋派ではないか、ということ。話がきちんと通じる人がいるのは本当にありがたいことです。


 ナーダさんは再び背もたれに体を沈め、


「難しいわよ。受け入れられるかどうか、というより、理解されるか。石作りに長けた人間にしか、この問題は理解できないわ。なのに、あなたの講義を実践するのは石作りが苦手な人な訳だもの。それに、個人の生活から共同体の消費資源を俯瞰できる人間は、そう多くない」


 高い高い天井を仰ぎながら、ナーダさんは呟くように、


「ズルいわね、メイは。これが実現されれば、お母様や生活用の石作りをしていた人達の負担が大幅に軽減されることになる。それは私の、私達の長年の夢だったんだもの」

「はい、石作りにおける自給自足。わたしはこの考えを講義で広めたいと思います」


 腰巻をぎゅっと握る、わたしの両手。


 そう、これがわたしの研究。


 その取り組みを例えるならば、この世界の全ての人が自動車の仕組みを理解し、それを自分の手で作れるようにするための教育法。


 何より、この世界の生活資源は他でもないわたしたち人間自身。ゼフィリアでわたしに任された、記録というお役目。その数字から学び、人々の生活をより安定させるためには、これしかないと思ったのです。


 ナーダさんは身を起こし、不思議そうな目でわたしを見て、


「でも、意外だったわ。ゼフィリアは料理の講義を持ってきたのだとばかり思ってたから」

「お料理ですか?」


 その視線にわたしは口元をむにゃむにゃさせました。


 島の蔵屋敷でも考えたのですが、わたしにとってお料理は学問でなく習慣なのです。それに、わたしにはシオノーおばあさんのような、応用力のある発想が欠けているように思うのです。


 視線をあっちこっちに向けむにゃむにゃしていたわたしは、ふと、あることに気付きました。レイルーデさんの椅子には背もたれが無いのです。


 わたしの視線に気付いたのでしょう、レイルーデさんが、


「肌にものが触れるの、嫌いなんです」


 と言って、くすっと笑いました。


 確かに、レイルーデさんはアーティナ特有の白い布を引っ掛けていません。この世界の人間らしいと言えばらしいと思います。


 ナーダさんは話題を戻すように机の上、頬杖を突いて、


「ヘクティナレイア様から何も聞いてないの?」

「お母さまからですか? はい、特に何も」

「世界に散らばる九つの島々を周り、料理の普及、促進を申し入れたのは他でもない、ヘクティナレイア様よ。ヘクティナレイア様は三つの理由を携え世界に対し呼び掛けを行ったの。この呼び掛けに九つの島の島主全員が賛同。料理はアルカディメイアで推奨される学問となったわ」

「ななななんか話が大きくなってませんか?」


 わたしがアーティナでお役目を果たした後、お母さまは方々の島に出掛け、ゼフィリアを留守にしていました。島主代理のアイサツの他に、そんなこともしていたとは……。


「三つの理由、その一つ目は調理されたものを食べる習慣について。ヘクティナレイア様は、えー……」


 ナーダさんは頬杖していた腕を下ろして俯き、頬をほんのり赤く染めながら、


「凄いいい感じで、驚く程いい感じで、何となくいい感じなので、とにかく試すべし、と……」

「うぅわ、ふんわり」


 口にするのも恥ずかしい、と言う表情のナーダさんにわたしは大納得。よく分からないことでも胸を張って自信マンマンに言えるのがお母さまなのです。


 ナーダさんは恥ずかしさを吹き飛ばすように姿勢を正し、お真面目なお顔になって、


「二つ目の理由はあなたよ、メイ」

「わたし、ですか?」


 よく分からないわたしは首を傾げました。


「そして、この世界に生まれてくる子供達のため。そう、あなたみたいな子供が他に生まれてこないとは限らない。強い者が弱い者に与えるのは世の理。弱い者に食べ物を与えるならば、その者の肉にあった食べ方でなければ意味がない。全ての母親、母親になる女性達には他人事ではない、大事なことよ。自分の子供がそうなった時、ただ指を咥えて死ぬに任せる。ヘクティナレイア様はそれをよしとしなかった」


 ナーダさんは一度目を閉じ、また開き、


「ヘクティナレイア様は、本気で世界を変えようとしているのよ」


 その言葉、その事実に、わたしの全身が熱くなりました。


 それはつまり、わたしのために世界を変える、ということ。


 身体の底から湧き上がって来る、感謝という熱。頬を伝い腰巻の上に落ちていく、大きな雫。


「うぐっ、うっ……。おかあしゃま……」


 わたしの瞳からぼろぼろ零れる、沢山の涙。


 柱の間から射し込む昼の光。

 植え込みの緑、その微かな匂いを運んでくる、アルカディメイアのそよ風。


「メイ、あなたの涙を、私は笑わない。でも、今のあなたに泣いてる暇があるの?」


 ナーダさんは厳しい目付きでそう言って、わたしの前に石を置きました。それはわたしが研究を込めた気込め石。


『上手くいくかどうかは分からない。しかし、やってみる価値はある』


 これはそういう意図の行動。


 わたしは両手でごしごしと涙を拭い、


「ひゃい、らいりょうぶれしゅ! つじゅきをおねがいひまひゅ!」


 わたしはようやく理解したのです。わたしのお母さまが、千風のヘクティナレイアという人間がどのような人物であるのか。


 この世界の島々を、人々を動かせるほどの影響力を備えた人物。そのことをようやく実感したのです。


 そしてわたしはお母さまの娘。泣いてる暇などわたしには無いのです。


 ナーダさんはそんなわたしに頷き、


「陸の資源を使わずとも海の資源だけで賄えるならば、それは充分現実的な政策になりうる。特にトーシンのひと押しが大きかったわね。まさかヤ・カ様が口出ししてくるなんて、誰も思わなかったでしょうし」

「トーシン、ですか」


 ヤ・カさまというのは、序列第四位トーシン島主シン・ウイさまの旦那さま。


 この世界の男性は自分の子供が生まれた時、既にこの世にいないことの方が多い。そしてその子供が生魚丸かじりすらできないような弱い肉だったら、ならば男である自分達に遺せるものは一つしかない。


 そう、それは技術。


 技術さえ遺せば、継いでもらえば、あとの人に自分の子供を任せられる。無責任かもしれませんが、この世界の男性には他に方法が無いのです。


「そして、三つ目。ヘクティナレイア様は栄養素の組み立てとその原理、何故我々が味というものを求めるのか、その理由をとても丁寧に説かれたそうよ」

「分かりやすく説明? お母さまが?」


 意味不明なその言葉の組み合わせに、わたしは全力で首を傾げました。体感派の脳筋であるお母さまが滔々と言葉で説明する姿が思い浮かばなかったのです。事実、速翔けのときはめっちゃ実践だったのです。


 白い机の上、ナーダさんは再び頬杖を突き、


「我々アーティナが執り行う政策、その第一段階は茶の生産と牛の乳の加工」


 ナーダさんの話す三つ目の理由、それはお母さまから説明を受けたアーティナが何故お茶と乳製品の生産に至ったかの理由でした。


「我々は本能でうまあじを求めている。それは我々が生まれて初めて口にする食物、母乳にも含まれるものだそうよ。アーティナが茶と牛の乳を選んだのは、その成分と同じものを確認したからなの」


 わたしは頭の中の記憶を参照し、思い当たりました。そう、お母さまはグルタミン酸に着目したのです。


 この世界での決まった呼称はないようですが、グルタミン酸はうまあじ成分の一つで、主に昆布、トマト、チーズ、緑茶などに含まれているもの。


 この世界の人は気込め石で有機物の成分を読める。一度原因究明に乗り出すと、辿り着くのが早いのです。


「魚で作る調味料、だったかしら? それについての生産も全島で行います。アルカディメイアにおいての保管、貯蔵計画はディーヴァラーナの男衆が請け負うそうよ」

「ディーヴァラーナですか。しかし大丈夫でしょうか。ゼフィリアでもそうでしたが、匂いなどには慣れるまで時間が掛かると思うのです」

「あそこはちょっと特殊だから……」


 そう答え、ナーダさんは難しいお顔をされました。


 序列第二位、火と水の島、ディーヴァラーナ。


 蔵屋敷に資料が無く、お母さまに聞いてもふんわりとしたお話しか聞けなかったので、よく知らない島なのです。本島に問題があり、アルカディメイアに学生として来ている人口が多い、くらいでしょうか。


 ゼフィリアと同じでお風呂に入る習慣があるのは聞いたのですが、あ、あとはわんちゃんを飼ってるとか。


「主食である魚の捌き方やうまあじの抽出方法はヘクティナレイア様が各島で指南済み。あとは各々の島がその環境に合わせ、独自に研究を進めるだけ」


 ナーダさんは少し気を抜き、柔らかい口調で、


「結果的にだけど、あなたの初日の喧嘩が効果的に働いたようね。料理のおかげで、ウチの娘はこんなに強くなりました、という証になった訳だもの」

「ううっ、複雑な気分です……」


 わたしがお口をむにゃむにゃさせていると、食堂に食欲を誘ういい匂いが漂い始めました。大きな柱の間に目を向けると、そこから見知った顔がひょっこり現れました。


 イーシアレはいつも通りの無表情で、


「ひめさま、おしょくじのしたくがととのいました」







「刺激的ね」


 上品に口元を押さえ、おいしそうに頬を動かすナーダさん。


 丸く白い机の上には沢山の大きな深皿。油に浸り湯気を立てる、たっぷりの海鮮。貝、海老、お魚の肉を彩る小さな赤い欠片たち。


 本日アーティナ領に来てすぐ、料理に使えるものはないかとアーティナで保管していた植物の標本を並べられたのです。そして、その中にわたしの求めていたものがありました。


 それはニンニクとトウガラシに似た植物。


 そんな訳で、今日はムニエルの他に海鮮たっぷりアヒージョを試してもらったのです。


 ニンニクとトウガラシを細かく刻み、油を熱してそこに投入。油に香りと味が移ったら、貝、海老、白身魚を焼く。焼き色がついたら油を足し、火が通るまで煮るだけ。


 あとはお塩で味を調えれば、アヒージョの完成。


 ニンニク初体験なわたしですが、その香ばしさは想像以上。頭の中の記憶の世界では様々な料理に使われている素材ですが、その理由がよく分かりました。


「んみゅー、相性抜群でしゅねえ……!」


 白身魚をもぐもぐしながら、わたしはその複雑な感覚に悶絶ハッスル。舌の上を焼くようなトウガラシの刺激、これがアクセントというやつなのでしょうか。これは確かにやみつきになりそうです。


「料理の利点はやはり、味だと思うわ」

「全くですね」


 ナーダさんもレイルーデさんもお箸を持つ手が止まらないご様子。


 わたしは先ほど作った水込め石でナーダさんとレイルーデさんの杯にお水を注ぎ、


「味は勿論お料理を口にする時の楽しみではありますが、お料理の効果としてはやはり健康面だと思います」


 ナーダさんは水をひと口飲んで、今度はムニエルにお箸を伸ばしながら、


「ええ、分かってるわ。肉を強くする働きに関しては、もう疑ってないもの」

「えーと、そっち方面ではなくてですね……」


 言いながら、わたしは見本に目を向けました。


 隣の椅子。そこに座るのは油とバターで口の周りをベッタベタにしながらもっちゃもっちゃと口を動かすわたしのお側付き。


 そう、完成してしまったのです。ゼフィリアの誇る超健康優良筋肉少女。


 その名もイーリアレ。


 日に五食のおいしい食事とゼフィリアの贅沢お風呂。修練場の喧嘩でその肉を鍛えた、まさにゼフィリアの成果物。


 サラッサラでツヤッツヤな銀髪。

 かさつきのないプルンとした質感の唇。


 そして一番羨ましいのがその小麦色のお肌。ほくろ無し、シミ無し、ニキビ無しは当然。キラッキラに光を反射している、その肉体。


「た、しかに……」


 イーリアレと自分達の髪や肌を見比べ、深く納得するアーティナのお二人。


 磨くというのは誇張でもなんでもなく、きちんと見た目に反映される。ナーダさんもレイルーデさんもエステずっぷし経験者、もう気付いてしまっているのです。そうなれば目ざとくなるのが女性というもの。


 わたしはスパイシーな海老をこくりと飲み込み、


「食べ物というのは自分を構成する肉そのものです。その素材から人が口にする優良な部位の選別を行い、また人の肉体では生成出来ない栄養素を加えることができる。肉の質が変わるのは当然のこと。料理は科学と言うのは事実なんです」


 お料理の習慣が広まってから、ゼフィリアの女性は更にキラッキラになりました。つまり、お料理はこの世界の人間の体にいい変化をもたらす技術であると証明されたのですね。


 そして、自分の肉を高めるためならば超本気になる、それがこの世界の人間。


「ご馳走様、ありがとう。とてもおいしかったし、参考になったわ」


 ナーダさんはお箸や食器を気込め石で消去し、口元の油を分解。おそらく、口内の洗浄も行ったのだと思います。わたしも石作りを覚えてからはずっとこの方法でお口をきれいにしています。


 両手でお団子髪をほどき、ナーダさんはふわりと長い金髪を広げました。それから枝毛になった自分の毛先をつまみ、うーん、とお顔をしかめ、


「味の解析、味の組み合わせ、味の開発。そして人の体に与える料理の効果。エイシオノーお婆様のような研究者が必要ね」

「その件ですが、殿下。既に志望者が続出しております」

「そう、よかった。問題はやはり、資源調達ね……」


 ナーダさんとレイルーデさんは二人でため息。わたしはそのことに少し不安になり、


「あの、やはりアーティナでも難しいのでしょうか……」


 この世界の陸の面積は極端に少ない。しかし、男性の自然管理能力はきちんと働いているはずなのです。他の島に配るほどではありませんが、ゼフィリアにだって蓄えが沢山。


 世界最大のアーティナならばその資源も桁違いのはず。それでも難しいとなると、アーティナ本土の気候や植生の問題なのでしょうか。


 ゼフィリアでは叶わなかったことでもアーティナならば実現させることができる。牛乳にお茶、ものが増えれば可能性は広がる。わたしは秘かに期待していたのですが……。


「資源、資源ねえ……」


 ナーダさんはその指先で金色の毛をくりくりさせながら、


「あるには、あるわ」


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