2-5 暗闇の中で

「……っ」


 意識が戻ってきた。わけがわからない。俺はどうやら、熱い砂に顔を突っ込んでいるようだ。


「う、ごほっ」


 砂でむせて顔を起こした。真っ暗。なにも見えない。


「俺は……」


 頭を振ると髪から砂が飛んだのが、気配でわかった。


「いったい……」


 徐々に記憶が戻ってきた。たしか俺は、リゾートのプライベートビーチで遊んでいたはずだ。みんなと。部屋で昼寝をしようと砂浜を歩き始めて……あっ!


「みんなっ!」

「……」

「……」

「……」


 三人の返事はない。そうだ。俺達は突然落ちた。真っ暗な穴に。落とし穴の仕掛けではない。なにかを踏み抜いたのでなく、いきなり足元が口を開けたのだ。


「アンリエッタっ! 姫様! ピピンっ!」


 手探りで砂を掻き分けていると、なにかが指に触れた。誰かの……多分、脚が。


「おいっ!」


 埋まった脚を辿り抱き上げると、姫様だった。体を揺すり顔に耳を寄せると、息をしているのがわかった。


 とりあえず生きてはいる。


 そっと横たえると、さらに周囲を探る。


「あっ!」


 またなにかに触れた。アンリエッタだった。


「しっかりしろ、ふたりとも」


 頬を撫でていると、やがて体が動いた。


「……ここ……は」

「エ……ヴァンス……くん」

「ふたりとも、怪我はないか」

「ええ、エヴァンス様。少し痛むけれど。……擦り傷かしら」

「わたくしは打ち身だけ。エヴァンスくんは」

「大丈夫。……ピピンを知らないか」

「一緒に落ちたのね」

「ピピンなら飛べるはずだけれど」


 そういやそうか。妖精だもんな。忘れてたわ。


「ふわーっ」


 俺の下半身から声がした。何やら知らんが、パンツの中がもぞもぞ動いている。


「驚いた」


 なにかがパンツから顔をのぞかせた気配がする。


「咄嗟に隠れたんだ。ちょうどいい隠れ場所があって良かった」

「お前なあ……」


 よりにもよって、そこかよ。


「近くにあったの、ここしかなかったし。ちょっと色々邪魔ったけど。ぐにゃぐにゃしてて」


 余計なお世話だわ。


「どこに隠れてたの、ピピン」


 マリーリ王女の声だ。


「秘密の場所だよ。姫様はまだ知らないところ」

「まあ」

「でもアンリエッタはよく知ってるよ、絶対」

「それよりピピン――」


 話が怪しい方面に飛び火しそうだったので、口を挟んだ。妖精って奴は口が軽い上に、からかったりとかイタズラとか好きだし、油断も隙もないからな。


「お前、怪我は」

「ボクも怪我はないから。安心して」

「わたくしたち穴に落ちたのね、エヴァンス様」


 姫様が見回している気配がする。暗闇だからもちろん、姿は見えないが。


「そうらしい。……ピピン、周囲を照らしてくれ」

「いいの? エヴァンス。敵が居れば見つかるけど」

「それは考えた。でも見えなければ、どうしようもない。リスクはあるが、魔導トーチを照らすしかない」

「念のため、詠唱の準備をしておくわね、エヴァンスくん」

「ああ、アンリエッタ。頼む」


 俺の水着が一瞬発光すると、頭上にオレンジの光が現れた。暗闇に瞳孔が開き切っていて眩しく、思わず目を閉じた。


「とりあえず周囲に敵はなし」


 アンリエッタが見回している。水着にも肌にも、びっしり砂が着いている。紺のワンピースなのに、まるで真っ白な人形のようだ。


「……でも広いわね、ここ」

「やだ……本当ね」


 姫様も同じく砂まみれだ。ただ……紐系ビキニだけにずれてしまっており、胸がほとんど見えていた。片方はもう、先まで丸見えだ。気づいたアンリエッタが急いで直してあげたので、俺は急いで目を逸らした。見なかったことにして。そもそも今、それどころじゃないしな。


「こんな場所が……リゾートの地下に」


 俺達が落ちた穴は、せいぜいそこらの木のうろくらいのサイズだった。だが落ち切ったここは、まるで大聖堂のよう。魔導トーチで照らし切れず、壁も天井も闇に溶けていて見えない。


「よく怪我しなかったな、俺達」


 見えないほど高い場所から落ちたんだ。良くて骨折、下手すりゃ全員即死していても不思議ではない。


「誰かが制御したんだよ、エヴァンス」


 ピピンは俺の水着から顔だけ出している。


「ボクたちを、ここに招待したんだ」

「そうだな」


 頭を摘むと、引っ張り出した。いつまでもそんなとこに居座られててたまるか。


「どうしてかしら」

「落としておいて、助けるなんて……」


 ふたりとも、不思議そうな顔だ。


「考えられる理由は、ふたつだな」

「教えてくれる、エヴァンスくん」

「お願いします、エヴァンス様」

「そうだな……」


 俺は暗闇を睨んだ。


「まず、誰かが俺達の助力を必要としている可能性」

「穴の中にいる人ね」

「そういうことだ。俺達は冒険者だし、貴重な妖精を連れている。困り事、特にモンスター絡みでもあるなら、最適だ」

「それなら怪我しないよう助けてくれたのも、わかるわね」

「もうひとつの理由はなんでしょうか、エヴァンス様」

「こっちはあんまりいい話じゃない。邪悪な存在が、俺達を落とした可能性だ。怪我しないよう手心を加えたのは、俺達からなにかを聞き出したいから。適当におだてるか、逆に拷問を加えて情報を得たら、もう俺達は用なしだ」

「なにを聞きたいのかしら」

「それは……」


 俺は黙った。俺達三人+妖精で一番市場価値が高いのは、もちろんマリーリ王女だ。なんたってこの国、たったひとりの王女だからな。王位継承権第一位の。なにか……王室の秘密でも聞き出したいのか、あるいは誘拐して国王に邪悪な要求でもするのか……。いずれにしろ、ろくな話じゃない。


 もちろん、俺だって実はとんでもない存在だ。なんたって次代の世界を創ってる当事者だからな。でもそれを知っている奴は、ほとんど居ない。まず王女狙いだろう。


「わからん」


 王女を不安にさせないよう、とりあえずごまかしておく。


「エヴァンス様……」


 姫様が俺の手を取った。


「アンリエッタお姉様を連れて、固有ダンジョンに逃げて下さい」


 真剣な瞳だ。


「固有ダンジョンはいつでも呼び出し可能。あそこに逃れれば安全です」

「ダメです。姫様が……」

「平気ですよ、アンリエッタお姉様。わたくしにはピピンがついています。それに……もしなにかが起こりそうになれば、わたくしも自分の固有ダンジョンに逃げ込みます」


 安心させようとしてか、微笑んでいる。


 だが、それは俺とアンリエッタを救おうとしての方便だろう。たしかに姫様にも固有ダンジョンはある。だがそこにピピンを連れて行くことはできないはず。


「それは最後の手段にしよう」


 俺は言い切った。


「固有ダンジョンに逃げ込んだとしても、現実に戻るときには必ず同じ場所になる。結局この穴の中なんだから、ただの時間稼ぎにしかならない」


 俺とアンリエッタが現実を捨て、ヒエロガモスの地で一生を過ごすと決意するなら別だが……。その世界線を、俺は脳内に閉じ込めた。姫様やピピンを救えなくては、俺もアンリエッタも一生後悔するだけだ。


「相手が善悪のどちらにしろ、俺達の怪我を防いでくれたんだ。とりあえず問答無用で殺されることはない。落ち着いて対処しよう」

「そうね……」

「エヴァンス様……」

「さんせーいっ」


 三人とも賛成してくれた。と――。


「私も賛成だな」


 暗闇の奥。そのずっと先から声がした。はるか遠くでしかも小声だというのに、なぜかはっきりと聞き取れる。


 こいつはヤバい……。


 アンリエッタと姫様の体を、俺は抱き寄せた。焦るなと言い聞かせながら。

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