4 ダンジョン融合

4-1 謎の洞窟

「ほら、頑張れエヴァンス。もう少しだ」


 先頭を行くバステトが、俺を振り返った。


「いや、もう少しと言われてもだな……」


 額から汗が流れたのが、自分でもわかる。目に入って、どえらく染みる。



「バステトちゃん、エヴァンスは外の人なんだから。こういうの、きっと苦手なんだよ」


 俺の後ろから、リアンの声がする。だが振り返るのは怖い。なにしろここは、谷にかかる一本橋の上だ。


 橋と言っても崖を挟んで倒れ込んだ老木が、そのまま橋として利用されてる奴。橋の長さは十メートルかそこらだが、橋として足を踏ん張る部分はたかだか十センチ程度で、しかも丸太だから安定しない。みんな使うせいか踏面の樹皮は全部剥がれており、つるつる滑る。しかも一部、苔まで生えてやがる。もうこれ、普通にヤバい罠くらいの危険性があるよな。



 それに長さこそたかだか十メートルとはいえ、崖は急峻で、鋭く切り立っている。足を滑らせると、二十メートルはある谷底に転落だ。轟音を立てて激流が流れている。落ちたらそこは、突き出た岩。頭でも打てば即死だ。運良く水に落ちてもあの急流に流されたら、溺れる可能性は高い。


「お前ら、よく平気だな。こんなヤバい橋」

「ええ。こんなの楽勝じゃん」


 腕を組むとバステトは、首を傾げてみせた。


「おとこってのは、不思議だな。エヴァンスは普段、たくましくて頼りになるのに」

「お前のバランス感覚が凄いんだっての」


 なんせ獣人だからな、バステト。リアンまで楽勝なのはちょっと意外だったが、あいつはスライムだ。なにかスライミーな粘液でも靴の裏から染み出してて、それで滑らないんじゃないかな。多分だけど。


「この橋を渡れば、てらごやまではそう遠くないぞ」

「そうか」

「ああ。イグルーの匂いが強くなってきたからな。つまりはどこかに留まっているということだ」

「てらごやだよね。そこでみんなに宝箱のことを訊いてみるって、約束してくれたし」

「そういうことさ、リアン」


 金曜、学園への報告を終え、ひと晩過ごしてから俺ダンジョンに戻ると、ふたりが待っていてくれた。早くてらごやに進もうという提案を抱えて。そのために、バステトは道筋を検討していた。今、その道中にあるってことさ。


「だからエヴァンス、ほら……」


 ひょいひょいと丸太の上を器用に駆け戻ってくると、バステトは背中を向けた。


「ほら、背中を貸してやる。抱き着いてろ。あたしがバランスを取りながら進むから」

「マジ、助かる」


 小柄なバステトを後ろ抱きにして、腹に手を回す。


「そこじゃだめだ、低すぎる。それにもっとしっかり抱け」


 俺の手を取ると、自分の胸に回させる。


「ここを強く抱いてろ。それにこっちのが掴みやすいだろ。膨らんでるから」

「あ、ああ……」


 人生、まさかの胸タッチ初体験か……。柔らかい……。気持ちいい……。それにバステトの茶色い髪からいい匂いがする。


「いいか、行くぞ」

「お、おう」


 我に返った。今、それどころじゃないわ。


「それ、いっちに、いっちに」


 バステトの足取りに合わせて進む。リアンの励ましの声が、激流の轟音に負けじと聞こえる。どうやらリアンも、俺のすぐ近くまで進んでくれたようだ。なにかあれば手助けしてくれるつもりだろう。


「いっちに、いっちに」

「ふうふう」

「いっち……もう少しだ」

「はあはあ」

「それ、いっちに……っと」


 崖を渡り切ると、バステトはひょいっと老木を降りた。


「なっ、簡単だったろ」

「あ、ああ……」


 言ったものの、脚ががくがくする。やっぱ怖かったわ。


「大丈夫だよエヴァンス。もう渡り切ったからね」


 リアンが、後ろから俺に抱き着いてきた。背中に頬をすりすりする。


「怖くない、怖くない」

「ああ」

「……そろそろあたしを離せ、エヴァンス。なんだか胸がむずむずして、ヘンな気持ちだ」

「お、おう」


 バステトの胸、思いっ切り鷲掴みしたままだったわ。すまんすまん。


 バステトは振り返った。


「不思議だな。リアンに触られていても、こんな気持ちにはならないのに……」


 澄んだ瞳で、俺を見つめる。


「エヴァンスが外の世界から来た奴だからかな」

「かもな」


 てか、今はそれどころじゃない。とりあえず座り込んだ。まずは休みたい。


「はい、エヴァンス」


 木の実を利用した水筒を、リアンが背中のバッグから取り出した。俺に渡してくれる。


「助かる」ごくごく

「少し休もうよ、バステトちゃん。私も疲れたし」


 多分嘘だな。俺に気を遣ってくれてるんだろう、リアン。優しいな。


「そうしよう」


 言いながらも、なぜかバステトは気もそぞろといった声色。ずっと先の一点を凝視している。


「ふたりは休んでいてくれ。あたしはここで見張る」

「なにか気になることがあるのか」

「ちょっとな」


 先を指差す。


「あそこの岩裾に、穴があるんだ。ふたりにはまだ見えないだろうけど。そこから不思議な匂いがしている」

「なんの匂いだ」

「わからない」


 首を振った。


「多分……女の子。でも、あたしやリアンとは、なんだか違うんだ」

「へえ……」


 なんだろ、地底を掘り進むモンスターかな。ウエアモール、つまりモグラ男とか。あるいは坑道を掘削くっさくするドワーフとか。……いずれにしろこの世界のことだ、女子化してるんだろうけど……。


「新人さんかな」


 細めた目の上に手を当てて、リアンも遠くを見ている。


「やっぱり私じゃ穴が見えないな。あの岩だよね」

「そうそう」


 見るとたしかに、不自然な岩がある。周囲は穏やかな草原なのに、そこからひとつだけ、ごつごつした岩が突き出ている。遠いのでサイズ感がわからないが、草丈から推測するに三メートルくらいかな。俺にも穴は見えない。


「なら少し休んだら、その穴を見に行こう」

「もしお友達なら、他の宝箱のこと、知ってるかもしれないもんね」

「そういうことだ、リアン」


 休憩を取って落ち着いてから、その岩に突き進んだ。近くに寄ると、俺にも穴が見えた。どうやら岩は埋まってる部分が巨大らしい。草原に穴が開いているんじゃなくて、岩の内部に通じる穴が開いているようだ。


「結構でかいな。岩も穴も」

「そうだねエヴァンス。中に入れるかもしれないよ」


 リアンは興味津々といった様子。


「地下に潜ってみる、エヴァンス」

「いや……」


 考えた。


「止めておこう。松明もないし、トーチ魔法は三人とも使えない」

「まっくらかあ……」


 入るなら一度学園に戻って準備が必要だ。松明はもちろん、暗闇で穴に気づかず滑落することを考えての、仲間の体を繋ぐロープだの。


 とはいえはっきり言えば、こいつはただの穴ぼこだ。探検する価値があるかは微妙だろう。


「まず先にてらごやに行って、情報を集めよう」


 俺は提案した。


「そっちがたいしたことがなかったら、あの穴まで戻って中を探るのはどうだ」

「いいね。私もそれがいいと思うよ」

「待て、ふたりとも」


 バステトが俺達の足を止めた。岩まであと五メートルくらいまで近づいたときだ。


「匂いが強まった。誰か出てくるぞ」

「わあ、お友達かな」

「いや……違う」

「まさか敵か」


 このダンジョンのモンスターは全員仲良しと聞いた。敵がいるとは思えないが……。


「いやエヴァンス、違うと思う。もっとこう……なんというか……」


 バステトは俺を振り返った。


「かわいい奴だ。ほら」


 たしかに。頭が見えた。カールした、繊細で長い髪。頭がぴょこっと出ると、よいしょ……という声と共に、地下から地上に全身が出てきた。ブレザーにスカート姿。見覚えのある服装……というか制服だ。


「どこかしら……ここ。きれいな丘ね……」


 見回すと、背後の俺達に気がついたようだ。大きく目を見開いた。


「エ、エヴァンスくん……」

「どうして……お前が俺の世界に」


 立っていたのは、王立冒険者学園コーンウォールSSSクラス所属、俺の知っている女子生徒だった。


「アンリエッタ……」

「じゃあここは……もしかして……」


 驚きに固まったアンリエッタの髪を、異世界の優しい風が揺らしていた。


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