9-6 アンリエッタとふたり、みんなの前で「けっこん」実演する

「私と『けっこん』して下さい。今、この場で」

「……」


 困った。いやここで、何も知らない純真無垢なみんなを前に、あれやこれややれってのか……。


 クラス全員、食い入るように俺を見つめている。


「どうしました。ほら、早く」


 すぐ近くまで寄ってきた。豊かな胸が、俺の胸を押した。ソラス先生、小柄だけど胸は大きいからな。


「それは……」


 いやいくらなんでもここで押し倒すとか無理。それにそもそも、この世界では俺の体になぜか変化が起こらない。だからソラス先生と結婚は無理だろう。


 この間、教員寮の寝台でアンリエッタと抱き合っていたときだと変化した。つまり俺の体の異変じゃなくて、この世界の影響なのは確かだ。まああのときも何もしなかったけどさ。


「わたくしが……」


 アンリエッタが一歩前に出た。


「わたくしが、お見せしましょう」

「はあ?」


 思わず間抜けな声が漏れた。


「アンリエッタ、そんなんできるわけないだろ」


 ひそひそと、耳に囁く。


「みんなの前だし、それに……その……お前とはまだ一度も……」


 俺達、抱き合ってはいるが、別にそういう関係じゃない。そもそも、アンリエッタは ガレイ地区長官の娘、上級貴族だ。それこそ婚姻前に男と関係するなど、言語道断だろう。


「大丈夫。本質を見せればいいの」

「本質……って」

「わたくしに任せて」


 アンリエッタは、クラスを見回した。ソラス先生を含め、興味津々の瞳が俺達に集まっている。


「この場での結婚は、無理です。結婚というのは、神聖なものなので。……でも、その本質……魂だけなら、皆さんにお見せできます」


 俺に向き合うと、じっと見つめてくる。熱い瞳で。見上げるように。


「エヴァンスくん……」

「アンリエッタ……」


 自然と、俺達の体は近づいた。磁石が引き寄せあうように。アンリエッタの腕が、俺の体を包むように抱いてくる。優しく。


「エヴァンスくん……。わたくし……」


 瞳がしっとり濡れてきた。


「好き……」

「アンリエッタ……」


 ゆっくりと、背伸びしたアンリエッタの顔が近づいてくる。自然と、瞳が閉じられる。


「……ん」


 顔が重なった。柔らかな唇を感じる。吐息。風にそよぐ髪が、優しく俺の頬をくすぐってくる。熱い体から、アンリエッタの鼓動が伝わってくる。今、この瞬間、俺とアンリエッタはひとつになっている。ひとつになれている。ひとつの魂に。


「……」


 アンリエッタの閉じた瞳から、涙が一筋つたった。


「……」

「……」



 抱き合う俺達を見つめたまま、クラスはしんとしている。風が葉を揺らす音しか聞こえない。


「……」

「……」


 どちらからともなく、俺達は唇を離した


「エヴァンスくん……」


 俺を見つめる瞳が熱い。


「アンリエッタ……」


 アンリエッタを愛おしく思う気持ちが、魂の底から湧いてきた。はっきりわかった。俺はアンリエッタを男として好きなのだと。


 体を離すと、手を繋ぐ。俺とアンリエッタの心は、手を通してふたりの間を行き来している。


「なんというか……違うわね」


 教室から声がした。


「うん……違う。あたしたちがエヴァンスと添い寝したときと」

「雰囲気かな」

「いや……。なにか……『魂』が違うんだ」


 ひそひそと小声で始まった会話はやがて、爆発的な興奮を呼んだ。


「あたしのヒトまたたびが、あんな……」

「あれが『けっこん』の本質なのか」

「なら……私達もいつか、ああなれるのね」

「ああ。『きょうかしょ』にある神託だからな。外れるはずがない」

「いつだろう」

「さあ……」

「早くなれるといいな……。エヴァンス様、素敵だし」


 いくつもの瞳が、俺とアンリエッタを見つめている。バステトは口をあんぐりし、リアンはにこにこ笑っていた。


「感動しました」


 眼鏡を外すと、ソラス先生は涙を拭った。


「本質を抽出した行為がこれなら、本物の『けっこん』は、とても素晴らしいものに違いない。先生、早くエヴァンスくんと『けっこん』したいわ。今……すぐにでも」

「いや、ちょっと待ってくれ」


 俺は口を開いた。この世界の「けっこん」が何を指すのかは知らんが、少なくともわかっていることがある。


「どうやら『けっこん』って奴は、ヒエロガモスの地って場所に行かないとできないらしい」

「どうしてですか」

「それは……」


 それは、この地では俺の体に変化が起きないからだ。少なくとも、肉体関係を持つという意味の結婚は、ここではできない。


 ヒエロガモスの地でそれができるようになるかは、わからない。ただ、少なくともヒントはあるだろう。この世界の謎を解きたいならその地を目指せと、イドじいさんやグリフィス学園長に言われてるしな。そこならできるようになるのか、あるいは象徴としての「けっこん」の本当の意味がわかるのか。


 ……ただ、男としての能力がこのダンジョンで封印されている以上、それはどこかで解放されると考えるほうが自然だ。そして解放されるということは、そこで女の子と関係を持てという指示だろう。ならば「けっこん」の正体は文字通りなのかもしれない。まあ……誰の「指示」、誰の意図で、この世界がこうなっているのかはわからんが……。


「それはな、多分、この世界を創った存在の意思だからだ」

「神様のお考え……ということですか」


 ソラス先生は、眼鏡を直した。もう涙は収まっている。


「神様だか悪霊だかは知らん。だけど、それしか考えられない。だからみんな、俺達が空から宝箱を探している間に、『ヒエロガモスの地』について、友達に聞き回ってほしいんだ。絶対にこの世界のどこかにあるはずだから」

「わかった」

「神様が仕組んでくれた遊びなんだね。内緒の場所を探すっていう」

「面白いな、それ」

「あたし、お友達みんなに訊いてみるね」

「生徒の皆さん、なにか少しでもわかったら、ここ『てらごや』まで来て下さいね」


 ソラス先生は、「きょうかしょ」を教卓の下に仕舞った。


「ここで情報を共有しましょう。先生も楽しみ。……じゃあエヴァンスくんと宝箱を探す組の子は、準備して下さい。空を飛ぶんだから、その前にここで『きゅうしょく』にして、力を溜めておきましょう」

「わーい。給食だあ」

「エヴァンスくんのホーチョさばきがまた見られるのね」

「おいしいよねー、エヴァンスくんが切ってくれると」


 教室を歓声が包んだ。



●業務連絡

次話から、第10章「三つめの宝箱」に入ります!

空飛ぶ「おともだち」に運ばれ、次なる宝箱を目指したエヴァンスと仲間達。ようやく手に入れた宝物はしかし、現実世界にとんでもない波乱を起こしかねないアイテムだった……。


固有ダンジョン、学園、そして王室まで巻き込む騒ぎになる第10章をお楽しみにー!


第10章全話はすでに初稿アップ済みで、現在せっせと推敲中。第10章全8話を、いつもどおり「サポーター限定近況ノート」にて先行公開しました。推敲中のライブな原稿ですが、よろしければ先行鑑賞して下さい。

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