1-3 朝の旅立ち
「よし……」
朝。宿の食堂で飯を済ませた俺たちは、馬車に戻った。
「予定通り、俺とアンリエッタはダンジョンに入るよ。……留守番悪いな、姫様」
馬車の荷室には、すでに固有ダンジョンの扉を召喚してある。
「エヴァンス様の婚約者として、振る舞いは心得ております」
真面目な瞳だ。
「存分にご活躍なさいませ」
「ありがとう」
微笑んでくれたが、妙に顔色が悪い。
「……風邪でもひいたのか、姫様」
昨日、裸同然で抱き合って眠ったからな。それにアルコールで発熱していた。あれで夜中に体が冷えたんだとしたら、悪いことをした。
「いえ……ただ悪夢を見まして」
「嫌な夢なんかはねー、忘れちゃえばいいんだよ、姫様」
ピピンは意気軒昂だ。
「こう、エヴァンスのことでも思い浮かべれば、一発っしょ」
「無責任なこと言うな、ピピン」
「どのような夢だったのですか、姫様」
「ええ、アンリエッタお姉様。……どこか、虹色に輝く地で、張り付けになっている夢です。なにか黒くもやもやした渦のようなものが近づいてくると、胸に激痛が……」
「大丈夫ですよ、マリーリ様。頼りになるエヴァンスくんがついています。悪夢なんか、すぐに忘れますよ」
「そう思っておりますわ、もちろん」
微笑んでくれた。
「気分の悪いとこ、向こうの世界に行って悪いな。……なんなら数日遅らせるか」
「いえ、平気です。エヴァンス様。エヴァンス様には世界の未来が懸かっています。存分に役目をお果たし下さいませ」
「一泊だけして、明日の夜には戻って参ります、姫様」
アンリエッタが、姫様の手を取った。俺達は、この宿に二連泊する。その間、一泊だけふたりで固有ダンジョンに潜る手筈だ。
「申し訳ございません」
「いえ、お務めですもの。問題はありませんわ、アンリエッタお姉様。それに……」
肩に留まったピピンの頭を撫でた。
「ピピンとふたり、この宿場を探検できて嬉しく思っておりますよ。わたくしの望み通りに、世間を知ることができるのですから」
「ボクが姫様を守るからね。安心して行ってきて」
腕を組んで、ピピンは胸を張っている。
「姫様の胸に隠れていて、山賊でも出たら、えーいってやっつける」
「宿場町に山賊なんか出ないよ。ましてここはまだ王都近郊。治安がとりわけいい地域だからな」
「それでもやっつける」
意気軒昂だな。
「わかったわかった。……でも勇み足で、ただの町人とかにつっかかるなよ。お前の意気込みだと、むしろそっちのが心配だわ。妖精バレしたら、連れてる少女は何者だって大騒ぎになるからな」
「大丈夫ですわ。わたくしがついていますもの」にっこり
なんだかおかしくなった。
「それだともはや、どっちが護衛だかさっぱりだな」
「ひどーいっ」
「ふふっ」
「さて……」
アンリエッタの手を取った。
「そろそろ行こうか」
「うん。エヴァンスくん」
扉を開く。いつものとおり、中は渦巻き模様の謎空間になっている。ここからダンジョンに転送されるのだ。
「それにしても……エヴァンス様の固有ダンジョン、扉も亜空間もとりわけ立派ですわね。その……不思議な紋様が描かれているし」
「これでも最初はドハズレダンジョンだと思い込んでたんだからな。俺もクラスメイトも。……ところで、姫様の固有ダンジョンはどんななんだ」
「わたくしのはもう、遊び場のようなものですわ。お花畑の広がる暖かなフィールドで。モンスターも出ません。疲れると時折そこに逃げて、お昼寝しますのよ」くすくす
「へえ……」
なるほど。そこでメンタルコントロールしてるってことか。まあ人前でいらいらするわけにも、いかないだろうしな。王族だと。一挙手一投足を見られてるから。
「デーン王朝の王家筋はね、エヴァンス」
ピピンは訳知り顔だ。
「代々そんな感じなんだよ。王家だからそこでなにか宝を探して儲けるとか、モンスターと戦って名を上げるとか不要だし。それに言ってみれば……万一の政変のときに、固有ダンジョンに逃げ出せるからね」
「考えたら便利だな。それなりにふさわしいダンジョンになってるってことか……」
なんだろ。祖先がまたぞろ神々と契約でもしたのかな。そんな気がする。
「なら行くわ。手を離すなよ、アンリエッタ。亜空間で迷子になりかねない」
「わかってる……」
俺の腕を、胸に抱いた。
「これなら大丈夫でしょ」
「そうだな」
一瞬、姫様がうらやましそうな表情になった。すぐに優雅な笑みに吸い込まれたが。王家の人間だけに、感情を隠す訓練は受けているはず。だから表面に出たのはほんの兆し程度だが、俺にはわかった。
俺にもっと甘えたいのか、それとも俺のダンジョンに潜ってみたいのか。まあまだ十三歳だ。好奇心旺盛なのは当然と言える。こっちに戻ったらまた、存分に甘えさせてやろう。しっかり留守番したご褒美に。
「じゃあな、姫様」
「マリーリ様、行ってまいります」
「ご武運を……というのは変かしら、とにかくエヴァンス様とアンリエッタお姉様の、現地でのご活躍をお祈り致します」
「いってらっしゃーいっ!」
手を振るピピンと姫様の極上の笑みに見送られ、俺とアンリエッタは扉を潜った。
●
「あっ! 出てきたーっ!」
バステトが飛び上がった。例によって「てらごや」の席にちょこんと着いて、俺とアンリエッタを待っていたようだ。てか、害虫みたいな言い方せんでも……と思うわな。
「遅いぞ、エヴァンス」
「遅くはないだろ。約束の日だし、まだ朝だ」
「待ちかねたんだよ、がおーっ」
飛びついてくると、くんくん始める。
まあ仕方ないな。
バステトの頭を撫でてやりながら、「てらごや」を見た。ソラス先生が講義していたのは、どうやらこの地の地理のようだ。教卓脇の木の板に、木炭でざっくりした地図が描かれていた。海から来た子が増え情報を得たためか、そちらの地形が以前より詳細に描き込まれている。
また、知らない子がふたりほど増えてるな。
初めて見る「おとこのこ」に、興味津々といった瞳だ。今日の聖婚は、このふたりから始めたほうがいいだろう。なにも知らずにどきどきしながら順番待ちするのは、かわいそうだし。それになにより、それが神々の望みだろうしな。
「そうだ」
はあはあしていたバステトが、急に体を離した。
「こんなことしてる場合じゃない。忘れてた」
完全にうっとりする前に自制するなんて、奇跡だな。それほど我慢できないらしいからさ。
「エヴァンスに見せないとならないことがあるんだった」
そういや、いつもなら一緒に飛びついてくるネコマタのコマが、机に腰掛け脚を組んでるな。ちょっとだけうらやましそうに、バステトを見つめたまま。
コマが我慢してるんだ。やはりなにかあるんだろう。
「なあにバステトちゃん」
アンリエッタが首を傾げた。
「大事なご用事って」
「こっちだよ。ほら」
俺の手を取り、教卓の後ろへと進む。ヒエロガモスの地、その入り口洞窟へと。
「どういうことだよ」
「エヴァンスくん……」
ソラス先生が、眼鏡をくいっと直す。
「とにかく見て下さい」
「そうだよー、エヴァンス。みーんな、エヴァンスが戻ってくるのを待ってたんだからね」
リアンも頷いている。「戻ってくる」って言ってくれてうれしいわ。俺にとってもここは、なんというか魂の故郷みたいな感覚なんだよ。
バステトとリアン、ソラス先生に導かれるようにして、俺とアンリエッタは地下に進んだ。モンスターのみんなが、ぞろぞろついてくる。
「ほら、ここだよ」
例の聖婚の地に踏み込むと、バステトが床の
「エヴァンスくん……これ……」
アンリエッタが目を見開いた。
「もしかしたら、次の世界の芽なんじゃあ……」
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