1-2 「なかよし」の境界線

「大丈夫か、マリーリ」

「え……ええ」


 言いながらも、王女はふらふらしている。頬は熱を持っており、赤い。馬車荷室の壁に、もたれかからせた。宿屋での晩飯を終え、野宿訓練のため馬車に戻ってきたところだ。


「ねえねえエヴァンス、姫様の額を撫でるといいよ。ねえねえ」

「わかってる」


 妖精ピピンに促され、俺は姫様を撫でてやった。ピピンは俺の肩に留まっている。


「少ししか飲まなかったのにな」

「生まれて初めてのお酒ですもの。仕方ないわよ」


 アンリエッタはほっと息を吐いた。


「それに少し強かったわ。ここの宿のお酒は」

「お前は平気なのか」

「一応、父から鍛錬を受けているもの。宴席での振る舞いも、貴族の大事な務めだと仰って」

「そのへんは王室も同じだろうけど、マリーリはまだ若すぎるもんな。十三歳だし」

「ええ、エヴァンスくん」


 俺と旅できるのがうれしくて、少し羽目を外したかったんだろう。その気持ちはよくわかるわ。


「やっぱり今晩は部屋を取ろうか。今からでも」

「へ、平気ですわ……わたくし」


 健気にも王女は、俺の手を握ってくれたよ。


「旅の間、エヴァンス様の足手まといにはなりたくありません。予定通り、ここで寝ましょう」

「そうか……」


 アンリエッタを見ると、頷いている。


「なら寝よう。アンリエッタ、姫様の着替えを手伝ってやってくれ」

「うん。エヴァンスくん。……さ、姫様」


 アンリエッタの手が伸び、旅人の服のボタンを外し始めた。ガン見するわけにもいかないので、後ろを向いて、俺も着替えた。一応、俺も夜着があるからな。


 固有ダンジョンでは下着一枚で寝てたし、なんなら最近はもう全裸でみんなを抱いたまま眠りについていた。聖婚を始めて、今さら取り繕う仲でもなくなったしな。


 でもここ現実世界では、そうもいかない。宿屋なら俺は独り寝だし、全裸でもいいんだけどさ。野宿では深夜になにか突発事態が起こることだってある。即座に対処できるよう夜着をまとい、枕元には剣を置いておく。少なくとも旅に慣れるまでは。俺はそう決めていた。


「もういいわよ、エヴァンスくん」

「おう」


 たしかに、姫様はブランケットに横になっていた。薄衣が掛けてあるが肩は見えており、夜着を身に着けているのがわかる。自分のブランケットに、アンリエッタはちょこんと女の子座りしていた。薄手の夜着を通し、体の線や胸の先、それに下着が薄く透けている。


「じゃあ寝る?」

「ああ」


 魔導ランプを消してブランケットに横たわり、薄衣を掛けた。馬車内は、外から漏れてくる微かな光しか感じられない。


「おやすみ、マリーリ、それにアンリエッタ」

「お、おやすみなさいませ、エヴァンス様」

「おやすみ、エヴァンスくん」

「ボクはここだーっ」


 姫様と俺の隙間に、ピピンがもぞもぞ潜り込んできた。


「ねえねえ、かわいい女子三人に囲まれてるよエヴァンス。ボクに襲いかからないでね、ねえねえ」

「誰がお前に襲いかかるか。お人形さんくらいのサイズのくせに」

「ひどーいっ。ボクだって可憐な乙女だもん」


 俺の腕を、目一杯つねってくる。


「わかったわかった。俺が悪かった」

「ならいいよ。仲良く寝ようね、ねえねえ」


 ころっと機嫌が直る。現金な奴だ。


 暗い天井をぼんやり見つめて、睡魔が舞い降りてくるのを待った。姫様がこうだし、起床は遅くしよう。時間を掛けて朝食を楽しんで、馬車の歩みはゆっくりでいい。なんならこの宿にもう一泊するか、宿場と宿場の間の孤立宿に泊まってもいいな……。


「……」


 左から手が伸びてくると、無言で俺の手を握ってきた。アンリエッタだ。俺が握り返してやると、安心したのか、体も寄せてきた。


「姫様には……内緒よ」


 ひそひそ、俺の耳に囁く。夜着のボタンを外す気配があり、前を開いて俺に抱き着いてきた。


「やっぱりこれじゃないと……落ち着かないわ。向こうでは毎日こうだし」

「よしよし……」


 腕枕をしてやり、ぐっと抱き寄せた。そのままゆっくり、背中を撫でてやる――と、右手も誰かに握られた。もちろん姫様だろう。


「エヴァンス……様……」

「まだ寝てないのか、マリーリ」

「ええ……。エヴァンス様に添い寝していただくと思ったら……どきどきして……」


 どうやらピピンは秒で眠りについたようが。むにゃむにゃと、なんやらわからん寝言を口にしているし。妖精って、寝付きがいいんかな……。


「男と雑魚寝なんて、初めてだもんな。……ごめんな、こんな訓練なんかさせて」

「いいの……。わたくし、うれしいもの。……エヴァンス様」


 そっと、俺の腕を胸に抱く。柔らかな胸が、俺の腕を包んでくれた。


「姫様……」

「わたくしは今、ただの旅娘、マリリンですよ……エヴァンス様」

「そうだったな」

「旅娘なら、恋人の腕を抱くくらい、普通ではないですか。……アンリエッタお姉様だって」


 アンリエッタの体が、無言のままぴくりと震えた。……バレてたか。まあ前面裸になってるのはわかってないだろうが。


「姫様……。もしよろしければ、エヴァンスくんに抱き寄せてもらうといいですよ。……落ち着きますから」

「お姉様が言うのなら、正しいのでしょうね。では……エヴァンス様、お願いします」

「いいのか、本当に」

「いいも悪いも、エヴァンス様はいずれわたくしの婿になる御方ではないですか。婚約者なのですから……」


 それもそうだ。


「ならおいで、姫様」

「はい。エヴァンス様……」


 俺を抱いてきたので、強く抱き寄せてやった。挟まれたピピンがぐえっとか寝言を言ってて笑った。潰された🐸みたいじゃん。


「ああ……エヴァンス様の匂いがする……。素敵……」

「姫様……これからもよろしくお願いします」

「お姉様、こちらこそ……」


 アンリエッタとマリーリは、俺の腹の腕で手を取り合った。そんなふたりの背中を、俺は撫でてやる。ふたりの鼓動と熱い息を胸に感じながら。


 ……やがて、すうすうと王女の寝息が聞こえてきた。


「姫様……安心したのね」

「そうだな、アンリエッタ」

「良かった……。姫様とエヴァンスくん、相性良さそうだもの」

「そうかな」

「ええ。わたくしにはわかる。女同士ですもの。でも……」


 顔を近づけてきた。


「わたくしのこと、忘れちゃ嫌よ。エヴァンスくん……」

「忘れるもんか。向こうの世界でいつも抱き合ってるだろ、俺達。リアンやバステトと一緒に」

「うん。毎日のように愛してもらって幸せだわ、わたくし……」


 近づいてきた唇にキスを与える。俺の舌を、アンリエッタは吸ってくれたよ。愛おしげに。

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