1-8 潮の香り
「だいぶ南に来たわね……」
馬車の窓から身を乗り出して、アンリエッタは風に髪をなぶらせている。
「風が暖かいもの。……暑いくらい」
「それに風に海の香りが交じっていますわね、エヴァンス様」
興味深げに、マリーリ王女も外を眺めている。
「もう海は近いからな」
「この街道は、海岸線に当たるまでまっすぐですからね、マリーリ様」
「そうですわね、アンリエッタお姉様」
王女の声は、楽しげに弾んでいた。
俺達の旅は順調だ。まあ王国内の安全な大街道中心に移動してるしな。目的は、王女に世界を見せること。初手から厳しい旅をする必要はない。まずは幸せな世界から見せる。王女の身を危険に晒す必要はないしさ。
「今晩はどうします、エヴァンス様」
「悪いが今日は馬車泊だな。次の宿場は遠いし、この街道は安全だ。おまけにこの馬車には守護魔法だって掛けてある。街道沿いの厩舎に乗り付けて、馬を世話させるついでに、馬車で泊まらせてもらおう」
「いいわね。王女様もそう思いますでしょ」
「ええ、アンリエッタお姉様」
「ふふっ」
ふたりで耳元になにか、こそこそ囁き合ってはくすくす笑っている。
もうすっかり仲良くなったな、ふたりとも。
いつの間にか結局、宿場でも四人で同じ寝台を使うようになった。もちろん馬車でも雑魚寝だ。おまけに姫様も、下着一枚で添い寝してくるようになった。最初はアンリエッタの全身キスマークを見たせいだと思うが、今ではもう、それが三人+妖精ピピンの「普通」になっちゃったからな。
といってもエッチな行為はしない。子猫のように裸で寄り添ってすやすや眠るだけだ。それでも俺は充分癒やされていた。女の子ふたりの体温と柔らかな体を両側に感じながら夢の世界に落ちるのは、とてつもなく気持ちいい。たとえ姫様との間に、やかましい妖精ピピンが挟まっていたとしても。
「姫様、今晩はエヴァンスに、体を触ってもらうといいよ」
ピピンが爆弾を放り込んできた。
「そ……それは……」
向かいに座る俺を、マリーリ王女はちらと見上げてきた。
「……エヴァンス様は、どうお考えですか」
「もう触ってるしな、毎晩」
抱き寄せて背中を撫でてるだけだけどさ。ピピンの手には引っかからんわな。
「そうじゃなくてだよ、エヴァンス。姫様の胸を優しく……」
両手の指を、わしわし動かしている。
「こうやって――」
「お前はもう黙れ」
デコピンしてやったら、蚊みたいにぽとんと落ちた。こんなん笑うわ。
「ひどーい。姫様ぁ……」
王女の首筋に抱き着いてやがる。
「ボク、こないだ夜中にエヴァンスがアンリエッタにしてたことを言っただけなのに」
「み、見てたんか、お前。いや……寝てたろ」
「妖精の必殺技、ネタフリだよ」
「そんな必殺技あるかよ、アホ」
「あるもーん」
俺とアンリエッタは、顔を見合わせた。いやたしかにしてたけどさ。姫様を向こうに連れていけないと改めてわかって、俺はなるだけ向こうでの滞在時間を短縮し、なるだけこっちで眠るようにしている。だからなんだか男として寂しくてさ。姫様がぐっすり眠ってた夜、ちょっとだけアンリエッタといちゃついたんだわ。
いや……最後まではしてないよ。ただ、少し胸にアクセスして、互いの下半身を撫でたくらい。全身キスマークに比べたら、恋人同士の軽い触れ合いってくらいで。触っているうちにアンリエッタが喘ぎ始めたから、そこで止めたんだ。それ以上すると俺ももうストッパーが利かなくなるのわかってたし。我慢して、固有ダンジョンで続きすればいいやって。
「あの晩は、アンリエッタの肩が凝ってたから、マッサージしてただけだし」
「まあ、本当かしら」くすくす
マリーリ王女に、きゅっと手を握られた。
「わたくしもなんだか、肩が凝っているわ。今晩、お願いしようかしら」
「この野郎……」
もう一度、ピピンの野郎をデコピンしてやった。
「今度その妖精必殺技使ったら、絞め殺すからな」
「こわーいっ」
姫様の襟元に飛び込むと、ごそごそと頭から服の中に潜り込む。と、ぴょこんと顔だけ、姫様の胸の間に出した。
「これならもうデコピンできないでしょ」
「くそっ。姑息な野郎だ」
「英雄エヴァンス様も、ピピンの前には形無しですわね」くすくす
「まあいいか……」
「あと数日で海岸線に出るわよ」
アンリエッタは、俺の隣に腰を下ろした。俺の腕を胸に抱く。
「その後はどうする、エヴァンスくん」
「そうだな……」
考えた。向かいの姫様は、興味深げに俺の顔を見つめている。
「西海岸に出て、海岸線を南に進めば、すぐ王国南端のリゾート、キャナリアンに着く。そこでしばらく滞在しよう。たまにはいいだろ、豪勢なリゾートで休暇を楽しむのも」
「固有ダンジョンはどうするのですか、エヴァンス様」
「海岸線に出たら一度、向こうに飛ぶよ、姫様。向こうの先生に色々居ない間の事を頼む。キャナリアンに着いて滞在の間は、向こうには行かないようにしよう」
「先生……ですか」
「ああ」
ウェアオウル・ソラス先生の眼鏡姿を、俺は思い浮かべた。
「てらごやっていう施設があってさ。ヒエロガモスの地のすぐ脇に。先生はそこで、向こうのモンスターの娘に色々教えてるんだよ。あの世界の成り立ちとか」
あと、おとこのこ――つまり俺――の体の仕組みとか、聖婚でみんなの婚姻相手になることとかな。だから最近は、遠い海から来た初めての娘でも、すんなり俺と聖婚の寝台に横たわってくれるし。ソラス先生が居て、なにかと助かってるわ。なんせ新世界をなる早で育てる義務が、俺にはあるからな。
「一度会ってみたいですわね、その御方に」
「ただの眼鏡っ娘だよ。オタク気質の」
「わたくしも、先生から全部教えて頂きたいもの。エヴァンスくんの心や体の秘密を」
「それならボクが教えてあげるよ、姫様。エヴァンスの下半――むぐーっ!」
思いっ切り唇をつねり上げてやったわ。余計なこと口走るなっての。口軽妖精め。手をばたばたしてて笑った。トンボかっての。
「それにしても、リゾートは楽しみですね、姫様」
アンリエッタが、うまく話題を逸らしてくれたわ。グッジョブ。
「ええ、アンリエッタお姉様」
ちらと俺を見る。
「わたくしも、水着というものを誂えてみようかしら」
「着たことないんか、姫様」
「ええ」
頷いた。
「肌を見せるなど言語道断と、父上が仰って」
それもそうか。父王の宝物だからな、マリーリ王女は。
「でもいいのか、マリーリ。リゾートで水着姿なんかになって」
「あら」くすくす
席を立つと、俺の隣に移ってきた。アンリエッタ同様、俺の腕を胸に抱く。
「わたくしはただの旅娘、マリリンですわよ」
顔を寄せると、俺の胸に、服の上から唇を着けてきた。
「問題などありませんわ、エヴァンス様」
「それもそうか」
まあ、身バレしなきゃいいか。姫様とアンリエッタの頭を、俺は撫でてやった。
「ねえねえエヴァンス」
姫様の胸から飛び出すと、ピピンは頭上をくるくる旋回した。
「ボクの水着も買ってよね、ねえねえ」
「いくらリゾートの仕立屋ったってさ、妖精用水着なんて在庫ないだろ。誂えるにしても、お前を見せるわけにもいかんし」
この大陸では妖精は超絶レアだからな。同行がバレたら、俺達の身バレも時間の問題だ。
「ええーっ」
涙目になってやがる。ざまぁ。いつもイタズラする罰だわ。
「作らせれば問題ありませんよ。ほら」
姫様は、「妖精人形」を取り出した。ピピンと同じサイズの。
「この人形用に頼めばいいのです」
「こんなん持ってたんか、マリーリ」
「もしピピンを誰かに見られたら、これでしたと取り繕うために用意したのです」
けろっとしている。
「なるほど。なかなか用心深いな」
「それなら大丈夫ね、エヴァンスくん」
アンリエッタも賛成してくれたわ。
「わたくしと姫様の水着を誂えるときに、ピピン……いえ、その人形の分も頼みましょう」
「アンリエッタお姉様とわたくし、どのような水着にしましょうか」
「姫様、悩む必要ありませんよ。ぜーんぶ誂えればいいのです」
「いいですね」
「たとえばあ……」
俺の胸の前に顔を寄せ合うと、互いにまたひそひそ耳打ちし合っている。
「まあ!」
姫様が、俺の顔を見上げた。頬が赤い。
「そんな……」
「これならエヴァンスくんも、姫様に惚れ直すに違いありませんわよ」
「アンリエッタお姉様のお言葉なら、たしかですわね。なにしろ……体中に痕を頂けるお姉様ですもの」
「エヴァンスくんも、姫様に痕を付けたくなるに違いありません」
「エヴァンス……さま……」
「あんまり煽るな、アンリエッタ」
でないと今度、向こうの寝床でひいひい言わせるぞ。
「ねえねえエヴァンス、ほんとにボクの水着も作ってくれるの」
「ああ、安心しろ、ピピン」
「わーいっ」
喜んだピピンが、俺の首に抱き着いてきた。
「エヴァンス、大好き、ちゅっちゅっ」
首にキスしてくる。
「こらこら、くすぐったいだろ」
「平気だよねエヴァンス。いっつも深夜、寝床でアンリエッタとこうしてるじゃん、ねえねえ」
「いやそんなことないし」
咄嗟に否定した。
「馬車だと毎晩だよね。ボクや姫様が眠ってから」
「お前……」
「妖精必殺技、ネタフリーっ!」
「勘弁しろよ、もう」
「マジな話、ボク、姫様の護衛だもん。本当に眠っていて意識がなくても。周囲の状況はわかるよ。それに万一、姫様がぼ――」
「マジか」
「そ……そうそう。目が覚めちゃうんだよ」
「それがネタフリ技の真実か」
「だから夜な夜な、アンリエッタが胸にエヴァンスの頭を抱いて、先を口に――」
「あーもういいわ。よしお前には水着を大量に作ってやる。それでカンベンしろ」
「わーいっ」
大喜びで飛び回っている。
こいつを黙らせるには、なにか掴ませるしかないな。俺はまたひとつ、賢くなったw
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