5 アンリエッタの心
5-1 アンリエッタとふたりの朝
「おはよう……」
翌朝。教員寮特別室――つまり俺の部屋に、ためらいがちのノックがあった。
「おう。入れよ」
「はい」
開けてやると、制服姿のアンリエッタが滑り込んできた。急いで入ってきたので、柔らかな髪が揺れている。
「ふう……」
「なんだ。朝から溜息なんてついて」
おかしくなった。疲れるのはまだ早い。てか早すぎる。
「なんだか……男子の部屋に入ると思ったら、どきどきしちゃって」
「いやここ男子寮でもないし、女性教師だって暮らしてる寮だぞ」
「そうなんだけど。……エヴァンスくんの部屋だからかな」
立ったまま、あれこれ見回している。
「ふうん……。きれいにしてるんだね。男の子の部屋って、もっと散らかってるのかと思ってた」
「今日はかわいい子が来るからな。昨日片付けといたんだよ」
「本当?」
「いやマジマジ」
話半分……というか全部本当だ。洗濯物とか普段はそこらに脱ぎっぱなしだし。さすがに見られたくはない。全部キャビネットに押し込んだからパンパンだわ。
「なんだか……男の人の匂いがする」
ぎくっ……。押し込めてもあかんかったか……。
「いい匂い……」
うっとりと瞳を閉じた。
「な、なら良かった」
結果オーライ。
「さて……」
俺は手を叩いた。この調子であれこれ探られるとヤバい。とっととダンジョンに突っ込もう。
「じゃあ試すか」
「ええ」
共に冒険すると決めた。そのために、俺の固有ダンジョンに一緒に潜れるかを確認したいんだ。
通常、固有ダンジョンに潜れるのは本人だけ。だがアンリエッタと俺のダンジョンは、内部で融合していた。ある意味今や、同じダンジョンだ。ならもしかしたら入り口から連れて潜れるんじゃないか――というのを、検証したい。
もし無理だったらそれぞれ自分のダンジョンに潜って、あの穴の場所で落ち合わないとならない。どうせ金曜までは向こうで一緒に過ごす予定だが、それでも毎週あそこを拠点に動き始めるのでは、行動範囲に制約が大きい。できれば避けたかった。
「なんだか、少し怖いわ」
起動した俺ダンジョンの扉を前に、アンリエッタは眉を寄せた。
「他人のダンジョンに潜るなんて多分……王国の歴史上、前代未聞よね」
「まあな。王国どころか古代からだ。伝説や神話にすらなってないし。……とはいえ、俺のダンジョン自体が前代未聞だしな」
「それもそうね」
くすくす笑う。
「モンスターが全部女子化していて、おまけに貴重な……というか聞いたこともないほどのレアリティーのアイテムがざっくざく。たしかに前代未聞だわ」
「ほら。手を繋いで潜ろう。大丈夫とは思うが、次元を超えるとき離れ離れになると面倒だ」
「ええ……」
恥ずかしそうに、俺の手を取る。小さくて柔らかい手を、俺はしっかり握ってあげた。
「ちょっと怖い。……手を離さないでね、エヴァンスくん」
「お前を絶対離さない、アンリエッタ。だから安心しろ」
眩しそうに目を細め、アンリエッタは俺を見た。こっくりと頷く。
「うん……。エヴァンスくんを信じてる、わたくしを守ってくれるって」
「よし。同時に一歩踏み出すぞ。中に」
「わかった」
「それ、イチ、ニイ、サンっ!」
ふたり一緒に亜空間に飛び込むと、いつものように体の奥がむず痒くなった。次元を超えるときの症状で。で――。
「あっ……ここ」
俺達は花園に立っていた。暖かな風渡る草原の真ん中の。
「成功だな」
「ええ」
これで懸念のひとつは解消できた。これからは毎回、一緒に潜り始めればいいんだ。
「わあ、ふたりが来た」
すぐそばに、リアンとバステトが立っていた。
「ふたり仲良しだね。手を繋いで」
「あっ……」
ずっと繋ぎっぱなしだった手を、アンリエッタが離した。
「ごめんなさい、わたくし……」
「いいんだよ。怖かったんだろ」
「ええ……」
顔が赤くなった。
「それよりエヴァンス。遅かったじゃないか、約束の時間より」
バステトはふくれっ面だ。
「そんなことないけどな」
約束より何分かは早かったはずだ。
「いや遅かった。これは罰だぞ。がおーっ」
例によって飛びついてきた。まあ「ヒトまたたび」が欲しかっただけか。存分にはあはあさせてやってから、俺達は進む方向を定めた。もちろん「てらごや」のある方角に。
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