7-3 直訴
「アンリエッタ」
国王は、アンリエッタに微笑みかけた。元の親しみやすい為政者の顔に戻っている。
「声を掛けるのが遅れた無礼を許してほしい。余の気持ちはどうあれ、どうしても公務優先になるのでな」
「心得ております。お気になさらず」
「そちは太古から続く、摂政の家系だしのう……。為政者のことは父上に教わっておるのだな。帝王学として」
「いえ。……タラニス様の仰るとおり、マクアート家は摂政。帝王学などという摂政にとって
「これは……失礼した」
国王が頭を下げたので、また側近から驚きの溜息が漏れた。
「それにそもそも、そちには何度も会っておるし。のう、アンリエッタよ」
「はい、タラニス様」
「そのような後ろで遠慮するな。エヴァンスの隣に並べ」
「臣下を
アンリエッタは、俺とパーシヴァルの間に入ってきた。後ろに立っているのは、イドじいさんだけだ。
「しかしここ数年は会っておらんだった。王立冒険者学園には、特例入学したはず。……今はいくつになった」
「十六にてございます」
「美しく、聡明な娘に育った。摂政の役割について、余に釘を差してくるとは……。たしかにそこを王家が勘違いしては、国乱の災いを招きかねない。……さすがマクアート家の血筋だわい」
「タラニス様」
アンリエッタは優しい声になった。人を落ち着かせるかのような。
「エヴァンスくんは、タラニス様のご命令に従い、謎のダンジョンを探索しております。そのために日々、アイテムや宝を探して。それを持ち帰り、正直に申告した臣民がいわれなき誤解を受けるのは、いかがかと存じます」
ひと息空けると、続ける。
「わたくしは、エヴァンスくんを毎日補佐して痛感しております。摂政家の一員として申しますが、エヴァンスくんの判断力、高潔な人格は見事なもの。人に媚びず、周囲の存在を守り、幸せにしようと日々、我が身を律しておるのです。わたくしはともかく、エヴァンスくんが後ろ指を指されるのは、我慢がなりません」
いやアンリエッタ、俺を擁護しようと熱弁するあまり、持ち上げすぎだわ。俺、単にあの世界で遊んでるだけだぞ。……そりゃたしかに、アンリエッタを人生の荒波から守ってあげたいとは思ってるけどさ。
「ふむ。そちの気持ちはあいわかった」
視線を俺に戻す。
「余は、エヴァンスの考えも聞きたいのう……。当事者じゃ」
瞳で促された。ここが正念場だ。一度金玉を握って気合を入れると、俺は口を開いた。
「クラスメイトは言いました。五十億近い資産を手に入れた俺の一生は安泰だと。でも俺は正直、アイテムとかはどうでもいいんです。……というか正確には、価値はどうでもいい。あれらは皆、運命を司る天秤の女神から、俺が一時的に預かった物だと考えています」
女子化モンスターからのもらいものとは、さすがに言えないからな。俺があのドハズレダンジョンを引き当てたのは、天秤の女神の計らいだろう。なら「女神から預かった」というのも、まるっきりの嘘ではない。少しだけ、わざと誤解を招くように話しているだけで。
後日、全てが国王の知るところとなっても、あのときの「女神の授かりもの」というのはダンジョンガチャを意味していたと、弁解できるからな。
「俺はあのダンジョンを冒険してみたい。どうやら、色々な謎があるらしいので。俺の冒険は、もしかしたら王国のためにはならないのかもしれない。謎のアイテムを持ち帰り、社会に動揺を広げてしまうのかも。……でもこの先には必ずや、王国だ人間だというくくりすら超えた、なにか重要な、大きな謎が解けていくと思うんです」
自分でも信じられなかったが、言葉はすらすらと出てきた。事前に考えてきたものではない。俺の魂から、自然に流れてきたのだ。
「守ってくれとは言いません。ただ、俺の冒険をほっておいてほしい。それでも……人心の不安を抑えるためになにか罰が必要なら、俺だけに。アンリエッタには、なんの罪もない。事は俺の固有ダンジョン絡み、つまり俺だけの罪です。ガレイ地区長官の娘として、アンリエッタには輝かしい未来が待っている。孤児の俺のために、それを潰すわけにはいきません」
一瞬、迷った。だが俺は次の言葉を押し出した。魂の底から。
「……タラニス様は、もしかしたらマクアート家になにかひっかかりがあるのかもしれない。でも今回の事態とそれは、切り離してお考え下さい」
一瞬で、部屋の空気が凍りついた。玉座背後に居並ぶ側近達は目を見開き、必死で無表情を作ろうとしている。
王の表情も、一気に強張った。手で口を覆い、黙って俺を見つめている。真意を探ろうとするかのごとく。瞳が細かく動いている。彫像のように静止しているが、脳内で激しく思考が飛び交っているのだろう。
「……」
横に立つ学園長が、俺の制服の裾をさり気なく引っ張った。無言のまま、にこにこ顔を崩さずに。マクアート家という存在に対する王家の微妙な感情の波に、俺が不用意に触れたからだろう。言ってみれば、それは王家の逆鱗になりうる。ハイドラゴン逆鱗並のヤバい奴に……。でも、俺はどうしても言葉を止められなかった。たとえ国王の機嫌を損ねたとしても。
「タラニス様」
アンリエッタが、俺の手を握った。上級貴族の娘、それも嫁入り前の娘が王や側近の前で。後でどのように噂されるか、わかったものではない。下手をすると、政略結婚の相手の格が三つくらい一気に下がっても、不思議ではない。
このアンリエッタの行動は、思わず……ではない。明らかに、熟考の末だ。だってことさらゆっくりと、誰からも見えるように、俺の手を取ったからな。
「わたくしは、これからもエヴァンスくんを補佐していきます。そのことで問題が広がるなら、わたくしだけを罰して下さい。父や……エヴァンスくんには、なんの罪もありません」
手を繋いだまま、俺達ふたりは国王を見つめ続けた。瞳を逸らすことなく、国王はふたりからの視線を受け止めている。さすが国王、胆力凄いな。
無言の対決は、永遠に続くように思われた。――と、国王がふっと力を抜き、背もたれに体を預け直した。
「若さとは……いいのう。荒く、熱く、力がある。……たとえそれが間違っていたとしても」
瞳を閉じ、眉と額をマッサージするかのように揉んだ。そのままの形で口にする。
「余が若さを失ったのは、まだ十四の頃……。父が急逝し、ただ独り
黙った。その場の誰も、口を開かない。
随分あって、王は目を開けた。腕を組んで首を傾げる。
「まあ……自らの国を
「なに、わしもお主もしたことではないか」
イドじいさんの声が、俺の背後から響いた。
「……あの逃亡の折。命と魂を奮い起こすために」
「師匠にはかないませんな」
国王は笑顔を作ってみせたが、瞳は笑っていない。
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