11-4 いにしえの神託
「なんじゃエヴァンス、わしらを呼び出して」
イドじいさんは、髭を撫でた。
王立冒険者学園コーンウォール、学園長室。俺とアンリエッタは、グリフィス学園長と用務員のイドじいさん、それに養護教諭のカイラ先生と面談していた。夕食も終わり、寝る前の一時という時間帯だ。
「今日はエヴァンス、あなたが戻ってくる金曜日ではないですよね」
涼しい顔のグリフィス学園長は、茶のカップを口に運んだ。香気溢れる沼桜の香りが、部屋いっぱいに広がる。湯気の立つカップは、テーブルに五つ並んでいる。
「本来なら固有ダンジョンで野宿しているはず。なにか……進展があったということですか」
「そうです。ちょっと行き詰まってまして……」
俺は認めた。
「実は『ヒエロガモスの地』と思われる場所を発見しました」
「ほう」
「想定よりずっと早かったですね」
じいさんと学園長が、顔を見合わした。
「どうも、エヴァンスくんのダンジョンを創造した存在が、発見しやすいようにヒエロガモスの地を用意していたようです」
アンリエッタが解説してくれた。
「なるほど」
「ただ……その中に入れなくて。なにか……お三方からヒントでも頂けないかと」
「そうですか……」
学園長もイドじいさんも、カイラ先生もしばらく黙っていた。夜啼く鳥のさえずりが、窓外から微かに聞こえてくる。
「エヴァンス、あなたは決意しましたね。これまで明かしてこなかったダンジョンの秘密を、私やイド様に教えようと」
「お見通しですか」
さすがは学園長だ。
「ええ。でないと、私もイド様も、正しい情報が選択できない。なにしろ古エルフ語の叙事詩が曖昧で解釈に幅があるのは、あなたも知っていますからね。解釈を狭めるためには、あなたからの情報が重要だ」
「そういうことです、グリフィス様」
アンリエッタが口添えしてくれた。
「エヴァンスくんは、これまでとある事情を明かしてきませんでした。でもそれは、おふたりやカイラ先生を警戒してのことではありません。世界を巻き込む陰謀に、お三方が巻き込まれないようにするため、そしてわたくしを実験動物のように、学術院に無慈悲に扱わせないため」
「でも目的地が見つかった以上、のんべんだらりと引き伸ばす必要性はもうない。だから教えて下さい。イドじいさん」
「これはこれは……重責じゃのう」
イドじいさんにからかわれた。
「まあ……聞かせてもらおうか、エヴァンスよ」
「はい」
お茶をひとくち飲んで気を落ち着かせてから、俺は切り出した。
「俺の固有ダンジョンに女子化モンスターしかいないこと、アンリエッタのダンジョンが融合していたことは、もう話しました。あの地で俺は、『きょうかしょ』と呼ばれる神託書を持っている娘と出会いました。古エルフ語で書かれていて、おそらくグリフィス学園長がご存じの叙事詩と同じ出自のものかと」
「……続けて」
「その娘が神託を読み解いたんです。俺がどうしてあの世界に導かれたかを。いつの日か世界に男が現れ、あの世界の娘を全て嫁にする――。あの神託書には、そう書かれていたそうです」
「ほう……」
イドじいさんとグリフィス学園長は頷き合った。
「そうですか……」
「今まで隠していて申し訳ありません」
アンリエッタが頭を下げた。
「でもわたくしもその娘に含まれる。それでわたくしや関係者が政争に巻き込まれるのを、エヴァンスくんは懸念していたのです」
「わかりますよ、アンリエッタさん」
養護教諭のカイラ先生が、アンリエッタの手を取った。
「あなたも、エヴァンスくんの未来を心配したのですね」
「ええ……」
「それより今は、エヴァンスの情報が重要じゃ」
「ええ」
学園長が頷いた。
「あのダンジョン、そして『ヒエロガモスの地』が婚姻のために用意されたとなると、私やイド様が仮定していたいくつかのシナリオのうち、ひとつに完全に合致する……。その話をしなくてはなりませんね」
「さてさて、どこから話せばいいやら……」
イドじいさんが唸った。
「なにしろ複雑な話が色々あるからのう……」
「その神託『きょうかしょ』の話からでいかがですか、イド様」
「ではそうするか」
ひと呼吸置くと、イドじいさんは話し始めた。
「そもそもグリフィスの母方エルフは、巫女筋であった。そうしてその一族に長いこと伝えられていたのが、
「その叙事詩はですね、エヴァンス」
学園長に見つめられた。
「古エルフ語をむりやり現代語で発音するなら、『エヌマ・イリシュ』と言うのです。……聞き覚えはありませんか」
「エヴァンスくん、それって……」
アンリエッタが、俺の手を握ってきた。
「まさか……」
俺も気づいた。あまりにも奇妙な符号に。
「俺の引いたダンジョンのレアリティーが、『エヌマイナス』。……そう、教師のダンジョンガチャマニュアルにあった」
「じゃあガチャ名称の解釈が間違っていたのね」
「ああ。俺がそのダンジョンを引いたとき、みんなは『N-』、つまりノーマル未満のダンジョンだと解釈した。……もちろん俺も」
エヌじゃなくて、エヌマ。マイナスではなく、イナスだったのか……。
「エヴァンスくん」
アンリエッタの声は、驚きに上ずっていた。
「宝箱よ。これ」
「宝箱……あっ!」
思わず叫んだ。そう言えば、三種の宝物が収められていた宝箱、あの銘板には「イナスの宝箱」と刻まれていた。そこに気づけば、この謎も解けていたかもしれないってのか。
「俺の見つけた宝箱が、イナスの宝箱……」
「そう。全ては
じいさんは、ほっと息を吐いた。
「そうして、『ヒエロガモス』というのも、単なる地名ではない」
「なにか意味があるんですね」
アンリエッタは身を乗り出した。
「そうじゃ。ヒエロガモスとは、『聖婚』を示す、古エルフ語なのじゃ」
「聖婚……」
「聖婚というのは、聖なる婚姻のこと」
湯気の立つカップをまた口に運ぶと、グリフィス学園長が続けた。
「つまり神々同士、あるいは神と人との婚姻です。この世界が誕生したときも聖婚が行われたと、私とイド様は考えています」
「はあ……」
よくわからん。
「つまり創造主たる存在が、母なる女神達と交わり、天や地、あるいは魂のある生命の数々を生み出したのです」
「はあ……」
やっぱりよくわからん。
「それと俺に、どんな関係が……」
「阿呆」
じいさんにはたかれた。
「お主が次代の創造主になるのだ。ドハズレの馬鹿にもわかるように言い換えるなら早い話、お主が女子化モンスター全てを相手にハーレムを築くということじゃ」
「なるほど……って、マジすか」
「そうよ。世界の代替わりについては前、話したじゃろう」
「はあ……まあ」
あまりにスケールがでかすぎて、現実感がない。てかそんな重大な役目、俺でいいんか。こんないい加減な男、しかもただの貧乏孤児で。
「聖婚により、世界は形作られたのじゃ。神々との婚姻によって」
「ではヒエロガモスの地を探せと、イドじいさんが俺に言ったのは、そういうことだったんですね」
「そうよ。お主のダンジョンが『エヌマ・イナス』と聞いて、すぐわかったわい。曖昧な叙事詩の解釈、その方向性は幾つかに絞られたと」
「エヴァンスくん。その『きょうかしょ』を持つ娘の言うとおりですよ」
学園長は涼しい顔だ。
「いつの日か、この世界は滅びる。あなたはその前に、ヒエロガモスの地で多くの人化モンスターと聖婚を行い、あのダンジョンで世界の種を育てるのです」
「マジか……」
「では、わたくしは……」
アンリエッタに、カイラ先生が優しく微笑んだ。
「そういうことでしょう、アンリエッタさん。あなたも聖婚の当事者として、あの世界でエヴァンスくんと愛を紡ぐのです。人類側からの、ただひとりの選ばれし相手として……」
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