5-4 初めての男の子

 なにか、よくわからない夢を見ていたと思う。どこか知らない暗い世界に居て、俺は手を伸ばしている。その先、闇が渦巻く謎の空間から、誰かの手が突き出ている。女の手だ。その手を、俺は掴もうと焦っているのだ。


 骨よ千切れよとばかり手を伸ばし、指先が触れ合った瞬間、なにかの声がした。俺のよく知っている声が。というか知っていないといけないはずの声が。


「……ス」


 自分の呟きで、意識が戻った。朝だ。小鳥の声がする。そして温かい。柔らかい。いい匂い。いつもの朝だと、リアンとバステトの髪や体の香りだ。でもこれは……。


「……アンリエッタ」


 俺に密着しているのは、リアンじゃあなかった。アンリエッタだ。リアンはその向こう。アンリエッタの体を優しく抱いている。ああもちろんバステトも反対側から俺を抱いてはいるが、あいつは俺を香木かなんかだと思ってるからな。そういう抱き方だわ。


 それに比べ、アンリエッタは女子そのもの。腕枕で寄り添い、俺の胸に手を置いたまますうすう。寝息が首にくすぐったい。


「いつの間に入れ替わったんだ、これ……」


 アンリエッタの夜着は、いかにも貴族らしく、繊細で肌触りのいい、薄い生地。そのせいなのか、朝日になかば透けている。腰下までしか丈はないが、そのすぐ上あたりにうっすら、下着の存在がわかる。腹には直射日光が当たっているから透け方も激しく、へそははっきりとわかる。


 その上、胸のふたつの膨らみの形も透けていて、微かに先の存在を感じ取れる。それが俺の胸に当たって押していた。


「かわいいなあ……」


 いやたしかに、リアンやバステトとは毎晩抱き合って寝ているし、水浴のときにちょっとだけ見えたりして,なんとなく体のことを知った気にはなっている。でも考えたら「人間の女子」とこれほど密着した試しはない。孤児院時代の男女入り乱れての毛布の奪い合い雑魚寝を「密着」と言い張るなら別だが。


 こんなにかわいいんだな、アンリエッタ。リアンやバステトとはまた違った感じで。それにいい匂い……。三人のかわいい女の子に囲まれてるなんて、夢のようだわ。……というかまだ夢の続きじゃないのか? あの謎の夢の。


「……」


 アンリエッタの瞳が、ゆっくり開いた。俺を見て微笑む。


「おはよう、アンリエッタ」

「おはよう、エヴァンスくん」


 微笑んだまままた瞳を閉じ――たかと思ったら見開いた。


「って、えっ? えっ?」


 俺を見つめたまま、体は凝固している。


「ど、どうしてわたくし、エヴァンスくんに抱かれているの」

「寄り添ってるの、アンリエッタのほうだけど」

「ほ、本当だ……。その……」


 顔が赤くなった。でも驚きすぎたのか、暴れたりはせず、まだ固まったままだ。


「多分だけどリアンが寝ぼけて、アンリエッタを抱えたまま寝返り打ったんじゃないか」


 実際、アンリエッタの腹に、リアンの手がかかってるしな。


「そ、そうよね」

「ふわあ……おはようーっ」


 当のリアンが目を覚ました。


「わあ、アンリエッタちゃん、よかったね。エヴァンスとくっついて眠れて」

「その……わたくし……」


 消え入りそうな声だ。


「リアンお前、寝相悪いぞ。アンリエッタを抱えたまま振り回したろ」

「そうじゃないよ。夜中に目が覚めたらね、アンリエッタちゃんがそうしたいって、心の中で思ってるのを感じたんだ。ぐっすり眠ってたけれど。……だから、場所を代わってあげたんだよ」

「そう、ありがと……って、そ、そんなことない」


 自分で自分に突っ込んでるな、アンリエッタ。


「リアンはさ、ちょっと変わってるんだ」


 いつの間に起きていたのか、バステトが口を挟んできた。そのまま体を起こす。


「なんだか時々、不思議なことがある。『せんせい』も言ってたよ。ただのスライムとは違うようだって」

「先生って誰だよ」

「これから行く『てらごや』の『せんせい』だよ」

「ガチ、学校なんだな」


 ちょっと意外だった。だってそうだろ。ここは優しい世界で、暮らしの心配はなく全員仲がいい。学校があるのは生活の必要性からではなく、知識欲を満たすためだろう。だから生徒がいるのはわかるが、教師をやる側の必然性がない。


「先生って、怖いのか」

「言っても、好きで先生役をやってるだけだよ。ウエアオウルなんだ」


 ふくろう男か。ならまあ知識欲は人一倍だろうから、先生役にもなりたがるか。この世界のことだ。もちろん女子化はしてるんだろうけどさ。


「それより起き上がれよ、エヴァンスとアンリエッタ。いつまでもふたりで抱き合ってないで。飯にしようぜ」

「い、いやだ、わたくしったら」


 俺の胸に密着していたことに、改めて気がついたようだ。慌てて体を起こした。そうするとなおのこと服が陽に晒されて、あれやこれやになった。


「アンリエッタ、なんだか匂いが変わったな」


 面白そうに、バステトが笑った。ケットシーは嗅覚に優れるからな。


「あたしがヒトまたたびを嗅いだときに近いや。あれだろ、エヴァンスともっとくっつきたいって思ってるんだろ。気持ちはわかるよ。あたしも同じだから」

「いえ……その……」

「不思議だよなー。あたしはさ、エヴァンスが『おとこ』って奴だからだと思うんだよ。リアンもそう思うだろ」

「うん」


 リアンは頷いた。


「私ねえ……エヴァンスのこと、出会うずーっとずーっと前から、なんだか知ってるような気がするんだあ」


 水のように透き通った青い瞳で、俺を見つめる。


「へへっ。リアン、エヴァンスのこと好きだもんな」

「そうだよ。バステトちゃんやアンリエッタちゃんと同じだよ」

「わ、わたくしは……その……いえ……」


 口ではやんわり否定してはいるが、首ではこっくりと頷いている。どうやらアンリエッタ、俺と抱き合って添い寝したとわかって、相当混乱しているようだ。


「きっとエヴァンスは、特別な存在なんだよ。ねっ、アンリエッタちゃん」

「そりゃ『おとこ』だもんな」


 笑ったバステトの腹が鳴った。


「腹減った。あたしとリアンが飯を探してくる。エヴァンスとアンリエッタは、服を着替えといてくれ。エヴァンスの真っ平らの胸はもうよく知ってるし、アンリエッタの胸の形も朝からよくわかったからな」

「えっ……? あっ!」


 初めて、自分の体が丸見えも同然なことに気づいたようだ。アンリエッタは後ろを向いてしまった。


「こ、こんなに透けるはずないのに……実家や寮だと」

「ダンジョンだからな。色々違うんだろ」


 後ろ姿もかわいいな。下着に包まれた尻の形もよくわかるし。下着から伸びる長い脚も。


「エ、エヴァンスくん、その……見た?」

「少ししか見えなかったよ。俺も横になってたしさ」


 見えないと嘘つくのは、かえって傷つけそうだ。だから少しだけ認めておいた。丸見え同然とは言わないでおく。かわいそうだし。


「でもきれいだったよ。変な意味じゃなくて、かわいいなあって感じた」

「その……あ、ありがとう……」


 後ろを向いたまま、頷いた。


「エヴァンスくんが初めてでよかったわ。初めての……男の子のお友達になってくれて」

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